MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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能文で世を動かす
韓非は、私の尊敬する歴史上の偉人です。

中学生の時にその著である『韓非子』に出会い、その説話を豊かに使いながら、冷徹に現実を分析し、為政者の振る舞いやコミュニケーションを説く、というスタイルと内容に惚れ込みました。若さとあいまって、韓非の説く性悪説、功利主義や法治主義といったものにかぶれました。

長じてからも折に触れ読み返してみると、改めてその洞察の深さに感慨深くなります。説林篇などは、説話集として読んでも充分面白いものとなっています。コンサルタントは性悪説でないと務まらない、という意見もありますが、確かに韓非子で学んだことは、人の行動を読む上で非常に役立っています。


そして思想以外に韓非に傾倒したもう一つの理由が、吃(どもり)だったという事実です*1
生来吃音がひどかった韓非は、説客として諸国で論陣を張るのではなく、著書にて深遠な思想を書き表していきました。

春秋戦国末期の当時は、諸子百家と呼ばれるように様々な思想が花開き、それらの思想を持った論客が諸国を遊説し、諸君主に認められると重臣にとりたてられる、という実力主義の(それもコミュニケーション能力が過度に重視された)社会でした。
その中で、吃音の韓非は致命的なハンディを持っていました*2

しかしそのハンディに屈することなく、むしろ強みである文才を遺憾なく発揮し、『韓非子』を著します。これが秦の始皇帝(当時は秦王・政)の眼に留まり、感激した秦王は韓非を迎え入れ、重臣に据えようとします。

残念なことに、韓非と対面した秦王は、期待していたような頭脳から溢れる弁舌を聞けず、吃である韓非に落胆してしまいます。一方で韓非の才能を妬み、自分の地位を危ぶんだ宰相の李斯(荀子のもとで同門といわれる)の讒言によって韓非は無実の罪で投獄され、毒殺されてしまいました。秦王は赦そうとしており、韓非の死を後悔したと云います。
しかし韓非の死後もその思想は秦の法や制度に反映され、秦の中原統一の原動力となりました。
(秦王が韓非を重用していたら、秦も三代で潰えることなく、漢王朝のように数百年続いていたかもしれません)

Oral communication のスキルがたとえ低くても、考えを伝える上で効果的なコミュニケーション手段とスタイルを見出せば、世界を動かすことができる。
必ずしも能弁家ではない私に、この韓非の生涯は勇気を与えてくれました。
もっとも、oral communication は重要なので練習していますが…
私ももっと筆が立つように精進しないと、と改めて思います。


最後に、気に入っている有名な説話『守株』を紹介(「待ちぼうけ」の原作)します。

宋人に田を耕す者あり
田中に株あり
兎走りて株に触れ、頸を折りて死す
因りて其のを釋(す)てて株を守り、復た兎を得んことを冀(こいねが)ふ
兎復た得べからずして、身は宋国の笑ひと為れり

・・・成功体験があっても、それに拘泥していてはいけない。時代・状況が変わればその体験を成功たらしめたものも易わるので、常に見識を高め、時代に即した考えや行動を柔軟に取らなければならない、と私は読んでいます。

*1 全編を読んでいただけば判りますが、どもりの方を差別する意図はありません
*2 韓非は韓の公子だったと言われていますが、若いころに韓が滅ぼされ、諸国を回らざるをえなくなりました

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by flauto_sloan | 2007-11-12 23:24
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