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MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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ボストン音楽談義 その2 - なぜ音楽か
ボストンで活躍している若手音楽家の友人たちと再び飲み、語り合った。今回は韓国人の音楽家もいて、アジアの話に広がる。

アジアにおけるクラシック
韓国や台湾では、音大でPh.Dまでとらないとオーケストラに入れない、など興味深い話を聴いた。アジアのクラシック音楽事情を聴いていると、日中韓(およびシンガポールなど中華系)は音楽教育も行き渡り、子供にピアノなどを習わせている家庭も多い。それも生活水準が一定以上だからだろう (もちろん中国を一括りにはできないが)。

もしエル・システマのような、音楽による人的資本開発をアジアで行うのならば、やはり中程度に発展した国が対象となるのだろう。マズローの欲求段階でいっても、音楽を通じた協調性や自信の学習は、比較的高次な自己実現であり、生理的欲求・安全の欲求が最低限担保されている程度の生活水準が必要だからだ。もっとも、まだアジア諸国のクラシック教育や業界の事情には明るくない。色々調査が必要だ。


私と音楽
そんなことを考えながら、ではアジアの中で日本のクラシック音楽界はどのように位置づけ、発展すべきかを話していると、指揮者の友人から、極めて根本的な質問を受けた。
「ふらうとさんは、なんでそんなに日本のクラシック業界をよくしようと考えているんですか。
我々音楽家は切実な問題だから色々考えますが、ビジネスの世界にいるのなら、そんな真剣に考える必要はないんじゃないですか」
思わずはっとした。ボストン2年目になって、一層音楽を聴くようになって、またハイフェッツ教授のリーダーシップの授業で自分が背負っているものや、自分の心を覗き込んでいるうちに、思った以上に自分の中で音楽の占める割合が大きいことに気づいた。

そして中長期的に、何らかの形で日本のクラシック音楽業界の発展に関わっていきたいと思うようになった。課題は多いが、ポテンシャルは大きい。(まあもう少しつめて考える必要はあるが)

ではなぜ日本の音楽業界が発展してほしいか。色々あるのだが、この場で簡単に二つだけ挙げておく。

一つは極めて個人的だが、、私自身が日本でいい音楽を聴きたい、という欲求がある。海外の大物オーケストラや歌劇場ばかりでなく、日本やアジアのオーケストラによる素晴らしい演奏を気軽に聴けるようになったら、素晴らしいと思う。そんな素直な我儘が根本にある。

もう一つは、ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』やアッターバック教授の『Design Inspired Innovation』、あるいはハイフェッツ教授の "Music Exercise"指揮者ザンダーのリーダーシップ論にあるように、イノベーションやリーダーシップといったビジネスの中核における「右脳的」な芸術や音楽の重要性が高まっている*1。どちらも日本に継続的に求められている能力であり、そこを増強するために音楽による才能強化(それは授業としての音楽ではなく、むしろ大人になってからの成長の資としての音楽)が必要だと思うからだ。

もちろん、音楽の刺激・経験は仮に必要条件であったとしても、決して十分条件ではない。だが他の芸術と同様に、非合理的や非定量的であるからこそ、合理的思考・行動によって加速されたビジネスや商品のアイディアに創造性をもたらせるのではないか。フォレスターが言うように、この世の中は定量的で合理的に判断できるものは非常に限られている。


色々な学び、私個人として持っているもの、それらがだんだんと繋がってきている。一方で、現在の社会におかれた一個体としての制約も多く見えてくるようになった。卒業までに、じっくりと将来について考えたい。今回の音楽談義はまた、その一つの刺激となった。


*1 実際は合理性・定量性に傾きすぎた社会システムに対するカウンターバランスだと思う
by flauto_sloan | 2009-02-18 23:34 | 音楽・芸術
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