MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
競争と切磋琢磨と平等
ボーゲル塾の勉強会があり、テーマ別に分かれたグループが研究の中間報告をし、互いに意見を聞きあった(そしてその後は新年会)。個別の内容は書かないが、教育班の発表を聞いているうち、最近考えていた「競争と切磋琢磨の違い」が気になった。

競争の国アメリカ
アメリカは、競争の国だ。学歴や仕事では常に競争をし、勝つことを求め続ける。ミスコンから音楽コンクールまで、徹底した競争原理が働いている。スローンのリーダーシップのクラスで話したある友人は、人生の目的を尋ねたときに「競争に勝ち続けること」と答えていた。

自由の国アメリカは、アメリカン・ドリームを掲げ、民主主義と市場原理を推進することによって、勝ち負けがはっきり分かれ、常に競争に駆り立てられる世界を作り上げた。成果としては、世界で経済をリードし、イノベーションを次々と生み出した。CEOや投資銀行員は破格の給与を手にし、人口の3%が消費の90%を占めることとなった。一方、3人の勝者の影には、97人の敗者がいる。

アメリカでこの敗者はどうなってしまっているのだろう。そんなかねてからの疑問を、ハイフェッツ教授の授業でチームメートだったカレンに聞いたところ、彼女自身もずっと心を痛めている社会問題だった。色々話して、以下のような区分がありそうだった。
  • まず、始めから競争に勝つことを諦め、ブルーワーカーとして働き、週末は近所の野球チームの監督をすることに幸せを見出すような人がいる。今回のような不況では真っ先に被害が及ぶものの、これはこれで生き方として確立している
  • 次に、競争に参加したものの敗れ、身の丈にあった仕事を見つけ、再び競争に参加することを目論んでいる人がいる。アメリカの労働流動性の高さと、再チャレンジを許容する文化があるため、大部分の人はこの行動をとる
  • そして、競争に敗れ、職を失ったことを自己実現を達成できなかったことと取り違え、破綻する人がいる。精神を病んだり、時には自殺する人もいる(アメリカでも解雇により7人が一家心中したニュースが話題になった)
  • 最後に、競争に暫定的に勝っていても、いつ敗者になるかもしれないという強迫観念に付きまとわれ、勝つことが幸せや平穏をもたらしていない人がいる*1
常に競争にさらされ、勝つか負けるかのバイナリーな価値観でいることは、一部の才能や強運の持ち主以外には、精神的に過酷なことなのだろう。特に後半二つのカテゴリーは、アメリカの競争原理が抱える精神病理といえよう。

競争と切磋琢磨の違い
日本でも成果主義など様々な競争原理が導入されてきた。だが残念ながらこの競争原理は、和魂洋才とはいかず、弊害もしっかり輸入してしまっているように思える*2。では和魂は何だったのか。それが切磋琢磨という概念だったと思う。

競争はサルやゴリラの群れにもあるように、人間本来の性質だ。当然日本にも競争はあったのだが、そこには切磋琢磨の精神があった。お互いを刺激し、能力を磨ぎ合う精神だ。ここでは勝ち負けを喧伝したり、相手を追い落とすことは恥でしかない。相手が勝ったところを見て発奮し、自らの能力や精神を鍛えるという、アップサイドに注目した健全な競争関係だ。

もちろん実際には詐術や姦計に長けた者が、敵対者を追い落とすという政治的競争はあったのだが、少なくとも切磋琢磨の概念は美徳としては行き渡っていたのだと思う。

もはや仕事の世界では、グローバル化というアメリカ化が進み、切磋琢磨ならぬ競争原理が染み渡ってしまったし、今更競争の仕組みを変えることは、文字通り企業の競争力の低下に繋がりかねない。だが、せめて教育の現場では、勝ち負けの競争原理ではなく、切磋琢磨という前向きで健全な競争を教えて欲しい。勝ち負けの方は、いずれ塾の模試で学ぶのだから。

平等主義は振り子を戻しすぎ
よく競争原理の揺り戻しとして、平等主義が語られる。運動会でみんな一等賞というものだ。これはこれで戻しすぎで、人間本来の向上心を萎えさせるだけだ。競争は人間の本能のひとつなので、否定することは健全ではないし、結局平等な社会(それをユートピアと呼ぶ人もいるが)は存在しない。

むしろ競争自体を悪とするのではなく、競争の結果をどう解釈し、行動に繋げるのかをきちんと教えるべきだ。敗者への侮蔑と勝者への妬みではなく、結果を自分の糧とすることを教えなければならない。


何事にも"competition"と唱え、競争原理に行き過ぎたアメリカと、平等主義に傾いたひところの日本を眺めると、どちらも極端であり、相応のリスクとリターンを伴う。日本が培ってきた切磋琢磨の精神は、この対立概念を弁証法的に解決した智慧だったのではないかと思う。それを失いつつあるのは、非常に残念でならない。


*1 システム・ダイナミクスの"happiness"の回で示されたデータに、CEOがどれだけ幸せを感じているか、というものがあった。正確なデータは失念したが、驚くほど幸せを感じられていなかった
*2 もちろん、利点が正しく発揮されたものもある。成果主義を例に取ると、優秀な人に相応の報酬が支払われれば、正しいインセンティブがはたらく。だが実際は成果主義が賃金削減の口実に使われたケースも多い

[PR]
by flauto_sloan | 2009-01-23 11:37 | Harvardでの学び
<< レストラン・ウィーク BSO/Masur - メンデ... >>