MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
タグ:NY ( 97 ) タグの人気記事
Blue Man Show
前から気になっていた、Blue Man Showを観に行った。
最初の20分くらいは面白かったが、途中から飽きてしまった。アイディアは素晴らしいが、1時間半も引き延ばせるほどではないように感じる。観客の巻き込み方もなんだか中途半端で、2階席だったせいもあるが、だんだんだらけたように感じてしまった。

そう思っていると、妻も同じ感想だったようだ。性格は随分違う私たちだが、こと感性は非常に近しいものがあるようだ。
[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-28 13:24 | NYでの生活
MAD - Museum of Arts and Design
ニューヨークのコロンバス・サークルに新しく開いた美術館、Museum of Arts and Design (MAD)に行ってきた。ずっと気になっていたのだが、予想以上に面白い美術館だった。

ちょうど食器のデザイン展をやっていて、斬新なアイディアを盛り込んだ食器の数々が展示されている。食事をするための器である食器にも色々あって面白い。器として閉じた美しさを追求し、食事に使うのを拒むようなものがあれば、食べるものや食べ方まで強制してくるかのような食器もある。もちろん、その中間で食事を楽しくするための食器もあるが、全体としては、食べ物と人間を繋ぐ媒体、という概念を大きく超えてやろう、という芸術家の気概が伝わってきた。

常設展も面白く、大作からアクセサリーのような小物まで、かなり見ごたえがある。日本人デザイナーの名前も散見された。

またこのMADが面白いのは、最上階に工房があり、芸術家が何人かそこで実際に作品を作っている。芸術家と直接話をして、その考えや作品に対する姿勢を知ることができる。まさに双方向性を追求した美術館だ。

一階のmuseum shopも面白いものが多く、妻は可愛らしい陶製の瓶を買っていた。
まだ新しいが、お勧めの美術館だ。
c0131701_1356757.jpg

[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-26 13:34 | 音楽・芸術
音楽の都
船便用の荷造りの手を休めて、upper westを散歩した。

これまでに何度となく訪れた、リンカーン・センター。右手がエイブリー・フィッシャー・ホールで、左手はニューヨーク・シティ・バレェ。中央がメトロポリタン・オペラだ。
c0131701_13134987.jpg
左右のシャガールが美しい。
c0131701_13151025.jpg


リンカーン・センターから少し北に上ると、かつて大指揮者トスカニーニが住んでいたという、古い豪華マンションがある。高校生の頃にトスカニーニに心酔し、主要なCDは全て聴いただけに、感慨深い。その前は「ヴェルディ・スクエア」と名付けられている。トスカニーニの出身であるイタリアの大オペラ作曲家であり、トスカニーニのデビューはヴェルディだった。指揮者の急病により、急遽チェリストのトスカニーニが代役として振り、大成功を収めたという。今日はこのヴェルディ・スクエアで野外コンサートが行われていた。
c0131701_13222342.jpg
c0131701_13223960.jpg


マーラー、メンゲルベルク、トスカニーニ、バーンスタインが活躍した、この音楽の都とも、もうすぐお別れだ。
[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-23 13:01 | NYでの生活
ナイアガラ大瀑布をアメリカから見る
東海岸にいるうちに観光しておこうと思いつつ、つい後回しになっていたのが、ナイアガラの滝だ。ボストンからなら車でも行けるが、ニューヨークからなので飛行機でバッファローまで飛ぶことにした。あんな失敗をするとは思わずに・・・

ナイアガラ
ナイアガラの滝はアメリカ・カナダの国境に跨るのだが、カナダ側からの景色がよいという。
私も妻もナイアガラの滝には行ったことがないのだが、双方の両親は何度か言ったことがあり、カナダ側からの眺めがいいと勧められていた。そこで、JTBの日帰りツアーに申し込み、カナダ側から観光することに。

当日、家からJFK空港までタクシーで移動し、その途中でふと気になって、I-20(超重要書類で、アメリカから出入国する際には必ず持参)をちゃんと持参しているか確認してみた。ちゃんと持ってきている。だがよく見ると・・・

MITのではなく、コロンビアの古いI-20だったのだ!

私はMIT入学前に、コロンビアのALPというサマースクールに通っていた。そのため、渡米時はMITではなくコロンビアに身分を保証するI-20を発行してもらったのだ。MIT入学後はMITのものに更新したので、これはもう古くて意味がなくなった。その古い方を持ってきてしまった・・・

恐る恐る、隣の妻にこの不始末を打ち明ける・・・ これでは、ナイアガラに行ったとしても、カナダ側に渡れない。飛行機の時間と、マンハッタンまでの距離を考えると、取りに戻る時間はない。妻がみるみる不機嫌になっていく・・・

選択肢は3つ。
  • 旅行をキャンセルし、別の日に行く
  • ひとまず行き、アメリカ側から観光する
  • 妻だけカナダに渡り、私はアメリカ側に残り、滝を挟み別々に観光する
さすがに3つ目はない・・・と思うのだが、明確な否定はない・・・ ああ、相当にご立腹だ。

空港に着き、JTBの人と話し、友人に電話をかけ、どうやらアメリカ側からでも十分観光できそう(霧の乙女号には乗船できる)とわかったので、2つ目の選択肢で強行。バッファローの空港でJTBの人に、国境手前でバスから降ろされる旨告げられ、ナイアガラへ。

ナイアガラ大瀑布
ナイアガラの滝の迫力は、聞いていたよりも凄まじい。大地が割れているようだ。全体像が見られないのはアメリカ側の難点だ。だが十分大きさは伝わる。
まずは展望台から遠景を望む。
c0131701_1150536.jpg
霧の乙女号に乗船し、滝のすぐ傍にまで近づく。今日は風向きが悪く、水しぶき(何ていうかわいらしいものではなかったが)が降りかかり、レインコートを着ていてもずぶ濡れだ。それにしても物凄い轟音と水量だ。見ているだけで滝に飲み込まれてしまいそうだ。
c0131701_1241225.jpg
下船し、滝の近くにまで続く遊歩道を歩く。上から見下ろす大瀑布は、また違った迫力。
対岸にはカナダが見える。豪華ホテルやカジノが立ち並ぶ。ああいう観光地然としたところよりも、自然あふれるアメリカ側がいいじゃないか、と自分に言い聞かせて慰める。
c0131701_1244458.jpg


アメリカ側のナイアガラ
アメリカ側のナイアガラは、インド人とヒスパニックばかりだった。日本人はもちろん、アジア人や白人はほとんどいない。

おそらく、ビザの関係でアメリカを出国できない人たちが、アメリカ側から滝を眺めるのだろう。ちゃんと出国できる人たちは、全景が見られるカナダへ渡るから。いささかの不自由がありつつも、この自然の驚異を楽しめることに感謝を覚える。

帰り道のハプニング
JTBのバスには乗れないので、帰りはタクシーに乗る。値段を交渉し、インド人のタクシードライバーが非常に良心的な価格だったので、彼の車で空港に向かった。

高速に入った途端、急に路肩に車を寄せて徐行する。ドライバーが携帯を取り出し、電話口に何かどなり続けている。電話を終えると、使われていないガソリンスタンドに車を停め、訛りの強い英語でこう話した。
 
「どうやら釘を踏んでパンクしてしまったようだ。でも大丈夫。わしの家はここから2ブロックだから、今家内が代わりの車を持ってくるよ」

驚いていると、本当に奥さんが自家用車で現れた。私たち二人はトヨタのセダンの後部座席に座り、ドライバー夫婦と一緒に空港に向かうという、なんだかよくわからない構図になっていた。奥さんと一緒になり、なんだか急にアットホームな感じになり、ドライバーさんは二人の子供の話や、貿易の仕事をしていた時に日本に行ったことなどを嬉しそうに話す。

教育熱心なインド人らしく、子ども二人は大学教育を受けさせ、一人は医者になるのだという。こうして可能性を与えるのがアメリカなのだな、と感じながら空港へと向かっていた。


ハプニング続きの珍道中だったが、さすがに勧められるだけのことはある大瀑布だった。
[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-21 23:40 | 旅行
Yankees!
アメリカのメジャースポーツは、結局野球とバスケしか見られなかったのだが、もう一度野球を見ておこうと思い立ち、ヤンキース戦を見に行った。前回は古いヤンキー・スタジアムだったが、今回は新しくなった球場での観戦だ。
c0131701_2261126.jpg
プレイボールには少し遅れてしまったのだが、席に着いたらちょうどヤンキースがホームランで先制。球場が総立ちで盛り上がったところ、なんとそのまま3打席連続ホームラン。あとはもうヤンキースの圧勝だ。
c0131701_2262989.jpg
席にいながら注文できるホットドッグやビールを楽しみながら、A・ロッドや松井の雄姿を楽しむ。客席と選手が近く、フェンスもネットもないので、臨場感があふれる。メジャーは本当に、観客が楽しむことを目的として球場もサービスも設計していると感じる*。自然と気持ちが昂ぶるのだ。

本当はボストンだからレッドソックスで締めたかったが、こういう気持ちのいい勝ち試合は楽しいものだ。

* 万が一打球が観客に当たったらいけないとフェンスを建てようものなら、何のための野球であり球場なのか、とファンの方が怒ることだろう

c0131701_2265440.jpg

[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-20 23:29 | NYでの生活
自然の中で - Blue Hill
ニューヨークでビジネスをしている元同期のご夫婦と、ニューヨークでも人気のレストラン、Blue hillに行ってきた。郊外ののどかな農村地帯に突然現れるレストランは、自然食が感動的に美味しく、皆大満足だった。
c0131701_1205865.jpg
マンハッタンから車を飛ばして1時間あまり、ニューヨーク州の田園地帯にブルーヒルはある。この辺りは富裕層が住むため、途中に通る小さな町も美しい家々が立ち並ぶ。そんな豊かな地に構えるこのレストランは、近郊に農地を持ち、自分の農地で取れた有機野菜や肉のみを使った料理が魅力で、その時々の旬の素材を使うために、メニューはコース一通りのみ。
c0131701_1215711.jpg
ちょうどアスパラガスが美味しい季節なので、料理はアスパラガスづくしだった。前菜からメインまで、何をとっても美味。香りは豊かで、味わいは深い。妻が一度は行きたいと常々言っていた名店だけあって、評判に違わない料理だった。内装も納屋のようでいて花木に囲まれ、居心地が良い。またいつか来たいと思わせるレストランだった。
c0131701_126392.jpg
この2年間で何度もニューヨークの素晴らしいレストランを紹介してくれた同期に感謝しきり。友人が世界中で活躍しているのは、実に素晴らしいことだと思う。仕事面では、世界で活躍している友人に刺激されるし、プライベートではまだ見ぬ新しい世界を教えてくれる。こうした人のつながりは、まさに財産だと思う。
[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-17 23:36 | NYでの生活
Staatskapelle Berlin/Boulez – 最後のカーネギー・ホール
バレンボイムが監督し、ブーレーズがシュターツペレ・ベルリンを指揮するマーラー・チクルスも、最終日となった。最後はマーラー最後の完成した交響曲、第9番であり、最後らしく緊張感があり、悲壮感の漂う演奏だった。

一回前の演奏は第10番と「大地の歌」だったのだが、これはさすがにオケに疲れが見え、決して良いとは言えない演奏だった。だが長丁場だったチクルスも最後とあって、底力が見える。
c0131701_2133765.jpg
1楽章の天地創造的なスケール感、3楽章の激しい進軍、そして4楽章の弦楽器が奏でる寂寥感、どれも味わい深くドイツらしい演奏だった。圧倒的な名演とまではいかなかったが、マーラーの美しさ、恰好良さに胸が動かされる経験だった。

今回でカーネギー・ホールで聴く演奏会も最後となった。数々の名演奏を開いたカーネギー・ホールは、さすが世界の超一流ホールである。ウィーンの楽友協会ホールと並び憧れていたホールは、期待に漏れず幾多もの素晴らしい経験を与えてくれた。

このホールで聴いた名演の数々は一生の思い出となろう。
c0131701_21334226.jpg

[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-16 21:26 | 音楽・芸術
Staatskapelle Berlin/Boulez
カーネギーホールで、マーラー・チクルス(マーラーの全交響曲連続演奏会)が行われている。オーケストラは名門シュターツカペレ・ベルリンで、指揮者ブーレーズで、総監督はバレンボイムだ。今回は私がマーラーで最も好きな交響曲第6番『悲劇的』を演奏した。素晴らしい管楽器と、ブーレーズのドラマチックな指揮が、悲運に立ち向かう英雄をドラマチックに描き出す、感動的な演奏だった。

『悲劇的』
マーラーの交響曲の中でも完成度が高い名曲である6番は、様々な逸話とともに『悲劇的』と題されている。力強い英雄の奮闘を描いたこの曲は、クライマックスの第4楽章が極めて劇的だ。カウベルで象徴される安寧から身を奮い立たせ、運命に立ち向かう英雄。苦闘をしつつも戦いに勝利が見え、勝鬨を挙げようとするその時 - 運命が英雄を激しく叩きのめす。巨大なハンマーの一撃によって曲想は一転し、狼狽する英雄と、それを嘲笑う運命。再び勇気を取り戻し、戦いに向かう英雄を待ち構えたのは、再び振り下ろされる運命の一撃だった*1。そして英雄は静かに斃れる。

この曲を聴くたびに、抗い難い運命の切なさと、それでも立ち向かう英雄への憐れみが、胸のうちから沸き起こる。自分は何度このハンマーに叩きのめされたのだろうか、それでも立ち上がる勇気を持っているだろうか、と自らに問いかける。日本ではほとんど聴かなかったマーラーに開眼して以来、狂ったようにCDを集め、聴いていた曲だ。遂にこの6番を生で聴く機会が訪れた。

指揮者によっては最後にハンマーを追加し、英雄の最後の望みも断ち切る。一方で最後の盛り上がりを華やかに明るく演奏し、3度目には勝利を勝ち取ったのだと解釈するものもある。


ブーレーズのマーラー
シュターツカペレは連日のマーラー演奏で疲れが見えるものの、管楽器のトップの目を見張るような素晴らしさ(木管とホルンは驚くべき巧さ)と、ドイツ的な厚い響きとで、重厚な英雄像を描いている。ブーレーズはラトルのような緻密さはないが、ドラマチックな表現で物語の輪郭を際立たせる。

第1楽章は深いリズムと、ここぞという時のテンポの揺らしが格好良く、胸躍る名演だった。続く第2楽章はスケルッツォで*2、スケールが大きい響きと、地から湧き上がるようなリズム。中間部の木管楽器の絡みが、のどかな牧場を思わせて美しい。第3楽章は早めのテンポだが、オケはのびのびと歌う。だが迫りくる運命を仄めかす切なさも忘れない。

そして第4楽章。低音金管が全体の構造を際立たせる。序盤の美しさも見事ながら、英雄の戦いは力強く迫力がある。そして気宇壮大な英雄の力が存分に表現されると、それを打ち砕くハンマーが振り下ろされた。
あらゆる打楽器に重ねられたハンマーの一撃は、会場を揺るがすほど大きく鋭い。心臓に直に響いてきて、その後の弦楽器の狼狽はまさに自分のうろたえる姿であった。

再び立ち上がる英雄。その先を知っているだけに、その力強さが余計に切ない。2度目のハンマーは一度目よりもさらに鋭く、胸が痛む。

最後に満身創痍となった英雄だが、ブーレーズは寧ろ明るく力強く盛り立てる。3度目のハンマーは打たれない。英雄は最後には運命に勝ったのだろうか。生き急いでいるような盛り上げ方は、勝利か、あるいはその幻想を表したのだろうか。その疑問を残しつつ、英雄の息は絶えた。

私は、この英雄が3度目の苦難に立ち向かい、ついに人生に打ち勝ち、深い達成感と満足とを感じつつ眠りに付いたのだと感じた。いや、そう感じたい。


いい演奏で、素晴らしいオケであったが、粗さがあり華やかさはなく、誰もが文句なしの名演とまではいかないのだろう。だが私の個人的経験としては、とても意義深く、胸に去来するものがある演奏だった。

*1マーラーは当初ハンマーを3度打たせるつもりだったが、それを2回に直した。バーンスタインは3度目も叩かせている(DVDでは、3度目のハンマーを打たせるバーンスタインの苦痛の表情に心打たれる)が、この3つの運命の痛ましい打撃は、マーラー自身の3つの悲劇を表していると云われる。なお、指揮者ごとにハンマーの表現をまとめた動画もある
*2 スケルッツォを第2楽章にする版と、第3楽章にする版とがある

[PR]
by flauto_Sloan | 2009-05-12 23:16 | 音楽・芸術
NYP/Gilbert/Bell - 次世代の真価
NYPで来期から常任指揮者となる、Alan GilbertがNYPを振るので、来年を占う意味も籠めて聴いて来た。< a href="http://sloanmit.exblog.jp/11378655/">BSOを振った時同様、現代曲(マルティヌーの交響曲第4番)では素晴らしい才能と統率力を発揮していたのだが、古典的な曲(といってもドヴォルザークとサン・サーンスなので十分新しいが)での指揮に不安が残った。保守的なNYの聴衆を、古典も取り上げる来年のプログラムでうまく納得させられるか、真価が問われることだろう。

相性?
一曲目のドヴォルザークの交響詩『黄金の紡ぎ車』は、もともと曲が面白くない。だが面白くない曲を面白く演奏してこそ、深い洞察やそれを表現する統率力や構成力を持つ名指揮者だと言える。先日のムーティは、同じように面白みのない曲でも、面白く聴かせてくれた。だがギルバートの演奏にはそうしたわくわくする面白さや、演奏家が胸の奥から本気を出すような統率力も、あまり感じられなかった。

続くサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は名曲がつまらなくなってしまった。イケメン・ヴァイオリニストであるジョシュア・ベルの未熟で粗い演奏と、それを十分下支えしきれないギルバートの指揮とで、サン・サーンスの良さが伝わってこない*

才気煥発
だがメインのマルティヌーに入ると、非常に素晴らしい演奏を繰り広げた。響きもリズムも自在に操り、調和と非調和から、全体としての美しさや面白さを引き出している。この洞察、統率力、構成力はまさに一流の指揮者だ。BSOの時同様に、さすが次世代のトップ指揮者と納得がいく演奏だった。

だが、いくら相性がよく得意だからといって、現代曲ばかり演奏するわけにはいかない。来年のNYPのシーズンは、確かに20世紀以降の曲が増えた(ルネ・フレミングを迎えるガラは、メインこそ幻想交響曲だが、それ以外は世界初演とメシアンだ)。だが、ベートーヴェンやモーツァルトも振る。これらの曲をギルバートがどう料理するのか。

ニューヨークの聴衆は、ボストンに比べて保守的だと感じている(もちろんヨーロッパよりも)。古典でも質の高い演奏を聴かせられれば、彼の本領である現代曲への評価も高まるだろう。

海の向こうから彼のNYPでの評判を聴くのが楽しみだ。


* それにしても、ヴァイオリンを弾く妻は、前回聴いたときからジョシュア・ベルの演奏を酷評していたのだが、今回もなかなかに彼はお粗末だった。弥子瑕ではないが、色衰えれば彼の評価も大きく落ちてしまうかもしれない
[PR]
by flauto_sloan | 2009-05-01 23:49 | 音楽・芸術
St.Luke's/Previn/Mutter, Fleming, Bashmet - 美しいラブレター
先日初めて生で聴いて感動したアンネ・ゾフィー・ムタールネ・フレミングが、アンドレ・プレヴィン指揮でセント・ルーク・オーケストラと競演した。プレヴィンの80歳の誕生日を祝うコンサートで、二大天才女流音楽家に囲まれ、自分の作曲した曲を振るプレヴィンは終始にこやかであり、華やかな演奏会だった。

ルネ・フレミングの艶やかな歌声は今日も見事で、ソロである分のびやかに歌っていた。続くムターとバシュメット(彼もまた、さすがに素晴らしかった!)のヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲も面白い。それにしても、カーネギーホールでもなかなか揃わないほどの、超豪華な面々だ。


だが今日の注目のプログラムは、メインのプレヴィン作曲のヴァイオリン・ソナタ『アンネ・ゾフィー』だ。BSOの委託で作曲したプレヴィンが、ラブレターとしてムターのために作曲した協奏曲で、初演後にこの二人は34歳の年の差を越えて結婚した(残念ながら現在は離婚してしまったが)。

そんな渾身の曲だけあり、プレヴィンの曲の中でも傑出している。美しいメロディーと、可愛らしく変化するリズムが、ムターの美しさとプレヴィンの愛情を見事に描写する。それを当人たちが演奏するのだから、素晴らしくないわけがない。

ムターの存在感は圧倒的で、気分が乗らない瞬間はあるものの、乗ってきたときには深くて胸に響く音色と、思い切りのいいリズム感、しなやかな身体から生まれるメロディーが、聴衆を魅了していた。オーケストラが二流なので、ムターについていけない場面が何度かあったのだが、そんなときはムターがオケに一瞥を送り、激励していた。ソリストでありながら、コンミスも兼ねていたかのようだ。

演奏が終わると、いつまでも美しいムターが、小柄な前夫プレヴィンの手を取り、頬にキスをしていた。別れたものの、音楽家としての尊敬と愛情は全く失われていない二人による、プレヴィン作曲『アンネ・ゾフィー』だった。
c0131701_11452247.jpg

[PR]
by flauto_sloan | 2009-04-25 18:15 | 音楽・芸術