MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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Convocation
c0131701_153174.jpg今年からMIT Sloanだけでの修了式、Convocationが行われるようになり、2年間を共にした350人の旅立ちを皆で祝った。とても名誉なことに、その記念すべき初めてのConvocationで、私と妻とで演奏する機会を得られた。2年間の思い出が去来し寂しくなったが、非常に思い出に残る修了式だった

開会の宣言の後、卒業代表のイスラエル人のシミリットが答辞を述べた。コアチーム、授業でのチーム、プロジェクト、旅行… 彼女個人による周りの人々への謝辞を通じて、我々一人一人が仲間、家族、そしてMITの教員・職員に感謝の気持ちがこみ上げる。

そしてその答辞の直後に、私たちの演奏だった。曲はチャイコフスキーの『眠れる森の美女』よりワルツで、フルート、ヴァイオリン、ピアノへの編曲版だ。今は眠れる雌伏のときかもしれないが、明るく前向きに、ワルツのステップを踏むように楽しみながら前に進みたい、そんな想いで選んだ。ピアノは妻といた学生オーケストラの後輩であるMayさんにお願いした。

今までで一番の大役であり、やや緊張もしたが、舞台に上ると不思議と楽しもうという気持ちになってきた。演奏(youtubeへのリンク)は本番にしては上出来で、会場の仲間たちから大きな拍手を頂いた。後から聞くと、"ローリング・スローンズ"のロックではなくクラシック音楽であることに不満を感じた人も、私たちの演奏を聴いて喜んでくれたらしい。

c0131701_14562279.jpg席に戻ると、このすばらしい機会を成し遂げた達成感と興奮とで、その後のディーンやゲストスピーカーの話があまり頭に入ってこなかった。厳しい状況で卒業する我々を勇気付けるメッセージだったが、私にとっては、学生生活の最後で学生総代に続く大任を認められたこと自体が、最大の勇気に繋がった

修了式後は、友人やその家族に会うたびに、素晴らしい演奏だったとの言葉を頂いた。有難い限りだ。フルートを始めて20年になろうとするが、自分の能力、音楽がここまで人の感情を動かし、記憶に残ったことはなかっただろう。

この演奏をさせてくれた実行委員会、私を推薦してくれたマリー、そして何よりピアノを弾いてくれたMayさんとそのご家族と、愛する妻に感謝するばかりだ。


夜はボストン市内を見渡す、プルデンシャル・スカイウォークを貸しきっての立食パーティーだった。家族連れで皆やってきて、学生最後の夜を皆で祝った。チャールズ川の向こうにMITの校舎を見渡すと、これまであまり自覚しなかった母校愛を強く感じる。
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c0131701_1511416.jpg友人たちと将来のことやMITでの思い出を語り合い、写真をたくさん撮る。
皆もうすぐ離れ離れになってしまう。世界中に散らばるが、ここでの経験や絆はずっと保っていきたい。

明日はいよいよ卒業だ
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by flauto_Sloan | 2009-06-04 23:43 | MITでの学び(MBA)
音楽の都
船便用の荷造りの手を休めて、upper westを散歩した。

これまでに何度となく訪れた、リンカーン・センター。右手がエイブリー・フィッシャー・ホールで、左手はニューヨーク・シティ・バレェ。中央がメトロポリタン・オペラだ。
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左右のシャガールが美しい。
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リンカーン・センターから少し北に上ると、かつて大指揮者トスカニーニが住んでいたという、古い豪華マンションがある。高校生の頃にトスカニーニに心酔し、主要なCDは全て聴いただけに、感慨深い。その前は「ヴェルディ・スクエア」と名付けられている。トスカニーニの出身であるイタリアの大オペラ作曲家であり、トスカニーニのデビューはヴェルディだった。指揮者の急病により、急遽チェリストのトスカニーニが代役として振り、大成功を収めたという。今日はこのヴェルディ・スクエアで野外コンサートが行われていた。
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マーラー、メンゲルベルク、トスカニーニ、バーンスタインが活躍した、この音楽の都とも、もうすぐお別れだ。
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by flauto_Sloan | 2009-05-23 13:01 | NYでの生活
Staatskapelle Berlin/Boulez – 最後のカーネギー・ホール
バレンボイムが監督し、ブーレーズがシュターツペレ・ベルリンを指揮するマーラー・チクルスも、最終日となった。最後はマーラー最後の完成した交響曲、第9番であり、最後らしく緊張感があり、悲壮感の漂う演奏だった。

一回前の演奏は第10番と「大地の歌」だったのだが、これはさすがにオケに疲れが見え、決して良いとは言えない演奏だった。だが長丁場だったチクルスも最後とあって、底力が見える。
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1楽章の天地創造的なスケール感、3楽章の激しい進軍、そして4楽章の弦楽器が奏でる寂寥感、どれも味わい深くドイツらしい演奏だった。圧倒的な名演とまではいかなかったが、マーラーの美しさ、恰好良さに胸が動かされる経験だった。

今回でカーネギー・ホールで聴く演奏会も最後となった。数々の名演奏を開いたカーネギー・ホールは、さすが世界の超一流ホールである。ウィーンの楽友協会ホールと並び憧れていたホールは、期待に漏れず幾多もの素晴らしい経験を与えてくれた。

このホールで聴いた名演の数々は一生の思い出となろう。
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by flauto_Sloan | 2009-05-16 21:26 | 音楽・芸術
Staatskapelle Berlin/Boulez
カーネギーホールで、マーラー・チクルス(マーラーの全交響曲連続演奏会)が行われている。オーケストラは名門シュターツカペレ・ベルリンで、指揮者ブーレーズで、総監督はバレンボイムだ。今回は私がマーラーで最も好きな交響曲第6番『悲劇的』を演奏した。素晴らしい管楽器と、ブーレーズのドラマチックな指揮が、悲運に立ち向かう英雄をドラマチックに描き出す、感動的な演奏だった。

『悲劇的』
マーラーの交響曲の中でも完成度が高い名曲である6番は、様々な逸話とともに『悲劇的』と題されている。力強い英雄の奮闘を描いたこの曲は、クライマックスの第4楽章が極めて劇的だ。カウベルで象徴される安寧から身を奮い立たせ、運命に立ち向かう英雄。苦闘をしつつも戦いに勝利が見え、勝鬨を挙げようとするその時 - 運命が英雄を激しく叩きのめす。巨大なハンマーの一撃によって曲想は一転し、狼狽する英雄と、それを嘲笑う運命。再び勇気を取り戻し、戦いに向かう英雄を待ち構えたのは、再び振り下ろされる運命の一撃だった*1。そして英雄は静かに斃れる。

この曲を聴くたびに、抗い難い運命の切なさと、それでも立ち向かう英雄への憐れみが、胸のうちから沸き起こる。自分は何度このハンマーに叩きのめされたのだろうか、それでも立ち上がる勇気を持っているだろうか、と自らに問いかける。日本ではほとんど聴かなかったマーラーに開眼して以来、狂ったようにCDを集め、聴いていた曲だ。遂にこの6番を生で聴く機会が訪れた。

指揮者によっては最後にハンマーを追加し、英雄の最後の望みも断ち切る。一方で最後の盛り上がりを華やかに明るく演奏し、3度目には勝利を勝ち取ったのだと解釈するものもある。


ブーレーズのマーラー
シュターツカペレは連日のマーラー演奏で疲れが見えるものの、管楽器のトップの目を見張るような素晴らしさ(木管とホルンは驚くべき巧さ)と、ドイツ的な厚い響きとで、重厚な英雄像を描いている。ブーレーズはラトルのような緻密さはないが、ドラマチックな表現で物語の輪郭を際立たせる。

第1楽章は深いリズムと、ここぞという時のテンポの揺らしが格好良く、胸躍る名演だった。続く第2楽章はスケルッツォで*2、スケールが大きい響きと、地から湧き上がるようなリズム。中間部の木管楽器の絡みが、のどかな牧場を思わせて美しい。第3楽章は早めのテンポだが、オケはのびのびと歌う。だが迫りくる運命を仄めかす切なさも忘れない。

そして第4楽章。低音金管が全体の構造を際立たせる。序盤の美しさも見事ながら、英雄の戦いは力強く迫力がある。そして気宇壮大な英雄の力が存分に表現されると、それを打ち砕くハンマーが振り下ろされた。
あらゆる打楽器に重ねられたハンマーの一撃は、会場を揺るがすほど大きく鋭い。心臓に直に響いてきて、その後の弦楽器の狼狽はまさに自分のうろたえる姿であった。

再び立ち上がる英雄。その先を知っているだけに、その力強さが余計に切ない。2度目のハンマーは一度目よりもさらに鋭く、胸が痛む。

最後に満身創痍となった英雄だが、ブーレーズは寧ろ明るく力強く盛り立てる。3度目のハンマーは打たれない。英雄は最後には運命に勝ったのだろうか。生き急いでいるような盛り上げ方は、勝利か、あるいはその幻想を表したのだろうか。その疑問を残しつつ、英雄の息は絶えた。

私は、この英雄が3度目の苦難に立ち向かい、ついに人生に打ち勝ち、深い達成感と満足とを感じつつ眠りに付いたのだと感じた。いや、そう感じたい。


いい演奏で、素晴らしいオケであったが、粗さがあり華やかさはなく、誰もが文句なしの名演とまではいかないのだろう。だが私の個人的経験としては、とても意義深く、胸に去来するものがある演奏だった。

*1マーラーは当初ハンマーを3度打たせるつもりだったが、それを2回に直した。バーンスタインは3度目も叩かせている(DVDでは、3度目のハンマーを打たせるバーンスタインの苦痛の表情に心打たれる)が、この3つの運命の痛ましい打撃は、マーラー自身の3つの悲劇を表していると云われる。なお、指揮者ごとにハンマーの表現をまとめた動画もある
*2 スケルッツォを第2楽章にする版と、第3楽章にする版とがある

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by flauto_Sloan | 2009-05-12 23:16 | 音楽・芸術
Boston Pops – GALA Concert
c0131701_16481889.jpg BSOがコリン卿のテ・デウムで今シーズンのプログラムを全て終え、白い礼服に衣替えしてボストン・ポップスとなった。シンフォニー・ホールにも「POPS」の看板が立ち、ボストンの街もPOPSの文字が躍りだした。
今日はそのボストン・ポップスのガラ・コンサートであり、着飾ったボストンの人たちが嬉しそうにホールへ集まった。ガラらしく華やかで楽しいコンサートであり、BSOのいつもと違った一面が見られた。

c0131701_16485419.jpgいつもは客席の一階は、客席を取り払いテーブル席となり、お酒を嗜みながら音楽を聴ける。私は二階席だったのでお酒は飲めなかったが、きらびやかな舞台を高みから楽しめた。

BSOの面々はいつもよりもリラックスしているように見える。指揮者のロックハートが舞台に上がり、ポップスの季節を爽やかな響きで告げた。舞台にはボストンの映像が移り、美しい街への愛おしさが、ボストン・ポップスの素晴らしい演奏で高まる。

今年新たにリリースしたCDが、昨シーズンのレッドソックスのワールドシリーズ制覇を記した、レッドソックスにちなんだ曲を集めたものだったこともあり、第一部の終わりにはその収録曲も演奏し、ボストニアンの心が躍りだした。

後半の特別ゲストには元ブロードウェイ・スターのバーバラ・クックを呼び、ミュージカルの名曲ナンバーを次々と歌い上げた。クックは大御所らしい堂々としつつ、チャーミングさも持ちながら歌う。聴衆もリラックスしてそれを楽しみつくした。

クラシックで腕を磨いているBSOが、高いアンサンブル能力と明るい音色で奏でるボストン・ポップス。いかめつらしく学問をしつつ、レッドソックスに熱狂するボストニアンと似ている。まさに地元に育てられ、愛されるオーケストラの姿がそこにあった。
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by flauto_Sloan | 2009-05-06 23:46 | 音楽・芸術
NYP/Gilbert/Bell - 次世代の真価
NYPで来期から常任指揮者となる、Alan GilbertがNYPを振るので、来年を占う意味も籠めて聴いて来た。< a href="http://sloanmit.exblog.jp/11378655/">BSOを振った時同様、現代曲(マルティヌーの交響曲第4番)では素晴らしい才能と統率力を発揮していたのだが、古典的な曲(といってもドヴォルザークとサン・サーンスなので十分新しいが)での指揮に不安が残った。保守的なNYの聴衆を、古典も取り上げる来年のプログラムでうまく納得させられるか、真価が問われることだろう。

相性?
一曲目のドヴォルザークの交響詩『黄金の紡ぎ車』は、もともと曲が面白くない。だが面白くない曲を面白く演奏してこそ、深い洞察やそれを表現する統率力や構成力を持つ名指揮者だと言える。先日のムーティは、同じように面白みのない曲でも、面白く聴かせてくれた。だがギルバートの演奏にはそうしたわくわくする面白さや、演奏家が胸の奥から本気を出すような統率力も、あまり感じられなかった。

続くサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は名曲がつまらなくなってしまった。イケメン・ヴァイオリニストであるジョシュア・ベルの未熟で粗い演奏と、それを十分下支えしきれないギルバートの指揮とで、サン・サーンスの良さが伝わってこない*

才気煥発
だがメインのマルティヌーに入ると、非常に素晴らしい演奏を繰り広げた。響きもリズムも自在に操り、調和と非調和から、全体としての美しさや面白さを引き出している。この洞察、統率力、構成力はまさに一流の指揮者だ。BSOの時同様に、さすが次世代のトップ指揮者と納得がいく演奏だった。

だが、いくら相性がよく得意だからといって、現代曲ばかり演奏するわけにはいかない。来年のNYPのシーズンは、確かに20世紀以降の曲が増えた(ルネ・フレミングを迎えるガラは、メインこそ幻想交響曲だが、それ以外は世界初演とメシアンだ)。だが、ベートーヴェンやモーツァルトも振る。これらの曲をギルバートがどう料理するのか。

ニューヨークの聴衆は、ボストンに比べて保守的だと感じている(もちろんヨーロッパよりも)。古典でも質の高い演奏を聴かせられれば、彼の本領である現代曲への評価も高まるだろう。

海の向こうから彼のNYPでの評判を聴くのが楽しみだ。


* それにしても、ヴァイオリンを弾く妻は、前回聴いたときからジョシュア・ベルの演奏を酷評していたのだが、今回もなかなかに彼はお粗末だった。弥子瑕ではないが、色衰えれば彼の評価も大きく落ちてしまうかもしれない
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by flauto_sloan | 2009-05-01 23:49 | 音楽・芸術
BSO/Davis - 最後のBSO
今シーズン最後のBSOの演奏会は、サー・コリン・デイヴィス指揮によるベルリオーズ『テ・デウム』だった。格調高く壮麗な音楽を毎回聴かせてくれるデイヴィスなので、楽しみにしていたのだが、果たして最後を飾るに相応しい名演だった。

ボストンに住んでいるだけあって、何度となく通ったBSO。デイヴィスの演奏は内田との協奏曲など、名演が多かったので、最後をどう締めくくるのかと楽しみだった。満席の会場で奏でられたテ・デウムは、スケールが大きく、かつデイヴィスらしい肌理の細かさが素晴らしい。
終曲では胸に響くフォルテッシモが迫ってくる。BSOらしい、色濃い弦と、少し重めの管が、天上へと響き渡っていく。これが、恐らくシンフォニーホールで聴く最後のBSOかと思うと、音楽と感情とが合わさって、感傷的になってしまう。

デイヴィスはやはり素晴らしかった。聴衆もスタンディング・オベーションでこの一年の演奏家たちの奮闘を讃える。レヴァインの大病と復帰もあり、今年のBSOは非常によかった。素晴らしいシーズンを締めくくる、迫力あり感動的な演奏だった。

ありがとう、ボストン・シンフォニー・オーケストラ。

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by flauto_sloan | 2009-04-30 12:29 | 音楽・芸術
音楽療法
バークリー音楽院のSuzan Hanser教授が、音楽療法についてMITで講演を行った。前から気になっている音楽療法がどのようなものなのか、夜遅いセッションだったが覗いてみた。面白いのだが、本当にどこまで実効的なのかはよくわからない。
病は気からというように、精神が身体に与える影響は大きく、だからこそプラセボが効果を持ち、ストレスが病気を引き起こす。原始時代にヒトを救った自律神経が、いまやヒトを殺そうとしている。
脳は共感する機能を持っており、自分や他人がとった行動から反応を起こす。音楽を聴くことで、脳が共感し、ストレスを開放し心身を新たな状態に持っていくことができる。

これを利用した音楽療法は医療現場でも取り入れられており、癌治療を専門とするダナ・ファーバー病院では、"Pod for Soul" というプレイリストを作り、癌患者の症状緩和に用いている。

特に痛みに関しては、メルザックのゲート理論が論じるように選択的であり、音楽が知覚を支配することで痛みを和らげられると考えられる。そのため、分娩時の鎮痛にも音楽が用いられる場合がある。他にも、免疫力を高める効果があるともいわれている。

音楽は録音されたものでも効果はあるが、生演奏の方が効果が大きいと思われる。ただし厳密な比較調査はまだ十分ではない。また、音楽の好みは人によって異なるので注意しなければならないのと、頭痛など病気によっては逆効果なこともある。
セッションの途中、参加者が目を閉じ、ハンセン教授の奏でるインディアン・フルートの音色に耳を傾ける実験を行った。いつものような批判的な聴き方ではなく、音の流れに身を任せると、癒されていくのを感じた。

音楽の効能は、先日の心理音響学の講演とあわせても、まだどこまで実証されているのかはなかなかわからない。だが「何かがありそう」だし、麻薬的な魅力は本能にプログラムされているものかもしれない。日本では音楽療法はまだ広まっていないが、アダージョ・カラヤンのヒットや、癒し効果を謳うCDを見ても、効果は実感されているのかもしれない。

音楽で人が変わる、という信念は実証にはまだ程遠い。
だがわからないからこそ、新しい動きになれるのかもしれない。
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by flauto_sloan | 2009-04-28 05:26 | 音楽・芸術
St.Luke's/Previn/Mutter, Fleming, Bashmet - 美しいラブレター
先日初めて生で聴いて感動したアンネ・ゾフィー・ムタールネ・フレミングが、アンドレ・プレヴィン指揮でセント・ルーク・オーケストラと競演した。プレヴィンの80歳の誕生日を祝うコンサートで、二大天才女流音楽家に囲まれ、自分の作曲した曲を振るプレヴィンは終始にこやかであり、華やかな演奏会だった。

ルネ・フレミングの艶やかな歌声は今日も見事で、ソロである分のびやかに歌っていた。続くムターとバシュメット(彼もまた、さすがに素晴らしかった!)のヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲も面白い。それにしても、カーネギーホールでもなかなか揃わないほどの、超豪華な面々だ。


だが今日の注目のプログラムは、メインのプレヴィン作曲のヴァイオリン・ソナタ『アンネ・ゾフィー』だ。BSOの委託で作曲したプレヴィンが、ラブレターとしてムターのために作曲した協奏曲で、初演後にこの二人は34歳の年の差を越えて結婚した(残念ながら現在は離婚してしまったが)。

そんな渾身の曲だけあり、プレヴィンの曲の中でも傑出している。美しいメロディーと、可愛らしく変化するリズムが、ムターの美しさとプレヴィンの愛情を見事に描写する。それを当人たちが演奏するのだから、素晴らしくないわけがない。

ムターの存在感は圧倒的で、気分が乗らない瞬間はあるものの、乗ってきたときには深くて胸に響く音色と、思い切りのいいリズム感、しなやかな身体から生まれるメロディーが、聴衆を魅了していた。オーケストラが二流なので、ムターについていけない場面が何度かあったのだが、そんなときはムターがオケに一瞥を送り、激励していた。ソリストでありながら、コンミスも兼ねていたかのようだ。

演奏が終わると、いつまでも美しいムターが、小柄な前夫プレヴィンの手を取り、頬にキスをしていた。別れたものの、音楽家としての尊敬と愛情は全く失われていない二人による、プレヴィン作曲『アンネ・ゾフィー』だった。
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by flauto_sloan | 2009-04-25 18:15 | 音楽・芸術
MET/Levine: Ring Cycle (2/2) - 一時代の終わり
c0131701_10495384.jpg『ニーベルングの指環』の最終話、『神々の黄昏』を聴きにいった。超大作を完結させるだけあり、地下のドワーフ族、地上の人類、天上の神々の希望と欲望、そして滅びと再生が描かれる。指揮はもちろんレヴァインであり、1989年以来20年続いたオットー・シェンクによるプロダクションの締めくくりでもある。

人気が高かったシェンクの伝統的なプロダクションの最後なので、欧米のワグネリアンが集結したのではないかと思える人気ぶりで、会場は超満員。真夏日にもかかわらず、みな正装で最後の楽劇を聴きに来ている。通しのチケットのため毎回周りは同じ顔ぶれであり、妻がすっかり親しくなった隣席の老夫婦は、20年間欠かさず『指環』を聴いてきたという。2012年からの新しい『指輪』も聴き続けるのだろう。

ブリュンヒルデと人間の知恵
前回好演だったブリュンヒルデ役は代わってしまったが、彼女もヒロイックな声と、力強い声の演技が素晴らしい。人間的な愛の喜び、ジークフリートの裏切りによる憤怒、そしてジークフリートの死で知恵と神性を取り戻した時の決然とした神々しさの対比が、美しく演じ分けられている。

ワーグナーの楽劇は「動機」と呼ばれる、特定の意味を持つ音形(ジークフリートの動機、剣の動機、愛の戸惑いの動機、など)を覚えておくと楽しみが倍増する。特に、最後にブリュンヒルデがジークフリートの亡骸を焼く炎に身を投げる自己犠牲のシーンでは、ワルキューレの動機が織り込まれ、神々の特権である不死を失い人間になったものの、知恵という神性の欠片を思い起こしたことを指し示す。レヴァインはこの動機を力強く描き出し、人間に内在する知恵を表現していた。

ジークフリートのラインへの旅
ジークフリートも相変わらずヒロイックで格好いい。名曲「ジークフリートのラインへの旅」はワーグナーの天賦の才が遺憾なく発揮されていて、そしてレヴァインがそれを素直に表現していて感動的だ。

第2幕になると、ジークフリートは明るく無邪気に、ブリュンヒルデに自らの裏切りを告げる残酷な歌を歌い続ける。その無邪気さがブリュンヒルデの悲しみを一層引き立たせる。アルベリッヒの息子でドワーフのハーゲンの策略に翻弄される人間と神々、そしてその策略を可能にした、どろどろとした3種族の自分勝手な欲望と、無垢な故に利用されるジークフリートとブリュンヒルデ。一度転がりだしたら止まらない、運命の歯車を描いているワーグナーは流石だ。

神々の黄昏
英雄ジークフリートが殺され、ブリュンヒルデの自己犠牲によって、ニーベルングの指環の本来の持ち主であるラインの乙女がライン川を氾濫させ、指環を取り戻す。一方、神々の世界ヴァルハラは、持ち帰られたロゲの炎が、城壁に積まれた世界樹の欠片を焼き、ヴァルハラを炎に包む。

ラインの氾濫と天上で燃え上がるヴァルハラの対比が美しい。そして水が引くと、ドワーフ、人間、神の全てが滅んだかと思えば、月明かりの中で廃墟に人間だけがゆっくりと戻ってくる。自らを悔い改める知恵を得た人間への希望を示す、シェンクの美しい演出で、彼の『指環』は20年の幕を閉じた。
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by flauto_sloan | 2009-04-25 10:40 | 音楽・芸術