MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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最後の授業
今日のオペレーション・ストラテジーの授業が、MBAでの最後の授業だった。この授業は2年生しか取らない授業なので、それをよく分かっているローゼンフェルド教授は、授業のまとめを簡単に済ませ、楽しく我々を送り出してくれた。

この授業はMBAに加えて、LFM(Leaders For Manufacturing)というMBAとMSのdual degreeの人たちも履修しているのだが、教授はLFMの担当教授でもあるため、授業は非常に家族的な温かさのあるものだった(内容はいまひとつだったが)。教授は大量のピザを注文し、みんなで熱々のピザを頬張りながらの授業。
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教授が10項目の最後のメッセージを一つ一つ伝えていき、生徒がどんどん突っ込んでいって盛り上げる。20分ほどで「私からは以上だ。諸君らの健闘を祈る!」と教授が告げたとき、私の授業は全て終わった。

試験の類は全て終わっており、レポートももう全て提出しているので、学業という点でもこれで最後だ。だがまだ、学生でなくなる実感はない。予習に教科書を読むことがなくなり、レポートに頭を悩ませることがなくなると、やがて学生でなくなることを知るのだろう。

そう予感すると、疲れや達成感でもない、そこはかとない寂しさがこみ上げてきた。
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by flauto_Sloan | 2009-05-14 19:53 | MITでの学び(MBA)
NEC PHilharmonia - アジア人のプレゼンス
友人のマリーがスローンと同時に通っている(おそらく前代未聞のdual-degree)、New England Conservatory (NEC)の学生オーケストラを聴きにいった。学生オーケストラはいくつかあるらしいのだが、今回演奏するNEC Philharmoniaはマリーが1st Violinで乗っている。

曲は今年70歳を迎え、MITを始めボストン中で取り上げられているハービソン教授の小品、ラフマニノフの「パガニーニの主題によるラプソディー」、そして先週聴いたばかりのプロコフィエフの交響曲第5番だ。音大生が腕を磨くのにちょうどいい曲ばかりだ。

ハービソン教授の曲はライブでは初めて聴いた。この曲は、アイディアはよいのだが、格好良さや美しさがいまひとつだった。だが学生たちはなんとか面白くしようと頑張っていた。演奏後、客席にいたハービソン教授本人が舞台に駆け寄り、指揮者と握手しオケを讃えていた。教授も来ていたのか、と思って周りを見ると、指揮者のベン・ザンダーの姿もあった。ニュー・イングランドが音楽クラスターであることを改めて実感する。

続くラフマニノフのソリストは、一年生ながら学内コンクールで優勝したという中国系アメリカ人だった。確かに技術の切れがすごい。多少無愛想(音楽も本人も)なのを直せば、結構有望ではないかと思う。

メインのプロコフィエフは、LSOの名演がまだ耳に残っていたので、管と弦の掛け合いや、フレーズの受け渡しでの粗さは気になったが、全体としては思い切りのある気持ちのよい演奏だった。期待を大きく上回る演奏の質と楽しさだった。


そしてNECのオケを見ていて驚いたのは、アジア人の多さだ。Video Game Orchestraで感じた以上にアジア人が多い。特に弦楽器と木管楽器に。マリーやNECの友人と話すと、韓国人が非常に多く、次いで中国人が多いそうだ(それぞれ韓国系・中国系アメリカ人も含む)。日本人はここでもプレゼンスは低い。

韓国では海外の音大でドクターを取らないとプロのオーケストラに入れないらしく、また中国にはまだ音楽教育のインフラが不十分だという事情が影響しているのだろうが、こうしてボストンで通用する腕前なのだから大したものだ。

日本はアメリカよりもヨーロッパに多く留学しているのかもしれない。もしそうでないなら、日本固有のものではないクラシック音楽においてこそ、海外との交流をもっと進めていかないといけないのではないか。韓国人留学生は英語を話せなくてもアメリカに飛び込んでくるらしい。そのチャレンジ精神の差はどこからくるのだろうか。必要性の違いなのか、教育の違いなのか。

音楽においても、いまが日本の全盛期ということがないように、積極的に海外との交流をするには、どこから手を着けてよいものやら・・・
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by flauto_sloan | 2009-04-07 22:41 | 音楽・芸術
夢と教育の力 - ヒスパニック女性の最高裁判事指名
(本来5月27日の記事ですが、表示の都合上4月5日に設定しています)
オバマ大統領が、連邦最高裁判事にソニア・ソトマイヨール連邦高裁判事を指名した。ヒスパニックの最高裁判事は史上初で、しかもまだ数少ない女性だ。妻とテレビで見た大統領とソトマイヨール氏の会見は、アメリカの理念を人々に思い起こさせる、素晴らしい会見だった。
(会見の様子WSJの記事)

ソトマイヨール氏は、第二次世界大戦中にプエルトリコから移住してきた両親の子で、ブロンクスのプロジェクト(貧民地区)の出身だ。他界した実の父親は英語を話せなかったという。母親は働きながらも、子供への教育に心血を注ぎ、地域で唯一の百科事典を買い与えたそうだ。やがてソトマイヨール氏は奨学金を得てプリンストン大へ進学し、最優秀で卒業した。続いて進学したイェール大学ではLaw Journalの編集委員を務めていた(極めて優秀な法学部生の証)。社会に出てからは弁護士(渉外弁護士含む)、検事補*、そして裁判官と幅広い経験を積み、現在は連邦高裁判事だ。

米国では政治と司法が複雑な関わり方をしている。連邦最高裁の判事になるためには議会の承認が必要なため、共和党保守派の抵抗が予想される。またソトマイヨール氏はリベラルだと目されるが、その指名の背後にはヒスパニック系団体の政治活動があった。


だがそんな政治的意図を超えて、大統領とソトマイヨール氏の会見は感動的だった。移住2世で貧困地区の出でありながら、優れた能力で司法の頂点に上り詰める。まさにアメリカン・ドリームであるとともに、教育の素晴らしい可能性を再認識する。

そして、黒人のオバマ大統領、ヒスパニックのソトマイヨール氏、白人のバイデン副大統領が3人並ぶ姿は、まさに人種の壁を越えたアメリカの統合を象徴していた。

ソトマイヨール氏は冒頭、自分を支えてくれた家族と友人、とりわけ母親への感謝を述べたが、その感極まる姿には心動かされた。彼女は誰もが疑わない能力の持ち主だが、「私はごく普通の人間です。ただ、素晴らしい機会と経験に恵まれました」と真摯に自らを評していた。
偽りのない言葉に、家族が招かれていた会見会場も感動していたのだろう。熱気がテレビからも伝わってきた。


オバマ大統領とソトマイヨール氏は、アメリカ国民が共有する価値観を思い起こさせていた。言葉尻を捉えた批判や、矛盾する価値観からの反対はあるだろう。色々と政治的な思惑も渦巻いていることだろう。だが、オバマ大統領は正しい判断をした、そう思わせる最高裁判事指名会見だった。


* アメリカは地区ごとに検事が一人だけ住民選挙で選ばれ、訴訟の実務は検事に任命される検事補が検事を補佐して行う。そのため、「補」がつくものの役割は日本の検事と同様
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by flauto_sloan | 2009-04-05 23:44 | NYでの生活
ジュリアード音楽院訪問
c0131701_1232888.jpgMedia & Entertainment Conference,/a> の途中で、マリーの案内でジュリアード音楽院を訪問した。
彼女はジュリアードの卒業生であり、事務課に行く用事があるというので、かの有名なジュリアードを覗くために一緒についていった。芸術を志す若者の真剣さと楽しさが伝わってきた。

c0131701_1148592.jpgジュリアードはちょうど全面改修が終わるところで、生まれ変わらんとしていた。
学内には音楽練習室が無数にあり、それぞれの部屋に古いスタインウェイのグランドピアノが置かれている。コンサートホールを引退したピアノが寄贈されるそうだ。

たくさんの練習室があっても、すぐに取り合いになるそうだ。ボストンの音大生も、いつも忙しそうに練習を続けている。欧米は音楽家の裾野が広いが、競争も極めて激しい。生き残るために必死で練習をしている(この厳しさは『のだめ』にも描かれている)

c0131701_5334115.jpg演劇のフロアには劇場があり、練習をしている一団がいた。ブロードウェイを持ち舞台芸術も豊かなNYの演劇は、ここの若者にも支えられている。
一通り見学して、新しく開いたばかりのアリス・タリー・ホールのカフェでお昼ご飯を食べた。緋色の内装とガラス張りの開放的な空間、そして角ばったデザインが美しい。

ジュリアードも不況の影響を受けているとは聞いたが、生まれ変わるリンカーン・センターで引き続き活躍してほしい。ニューヨークの芸術はこの小さな学校と、それをとりまく熱気にかかっている。
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by flauto_sloan | 2009-02-27 22:55 | 音楽・芸術
競争と切磋琢磨と平等
ボーゲル塾の勉強会があり、テーマ別に分かれたグループが研究の中間報告をし、互いに意見を聞きあった(そしてその後は新年会)。個別の内容は書かないが、教育班の発表を聞いているうち、最近考えていた「競争と切磋琢磨の違い」が気になった。

競争の国アメリカ
アメリカは、競争の国だ。学歴や仕事では常に競争をし、勝つことを求め続ける。ミスコンから音楽コンクールまで、徹底した競争原理が働いている。スローンのリーダーシップのクラスで話したある友人は、人生の目的を尋ねたときに「競争に勝ち続けること」と答えていた。

自由の国アメリカは、アメリカン・ドリームを掲げ、民主主義と市場原理を推進することによって、勝ち負けがはっきり分かれ、常に競争に駆り立てられる世界を作り上げた。成果としては、世界で経済をリードし、イノベーションを次々と生み出した。CEOや投資銀行員は破格の給与を手にし、人口の3%が消費の90%を占めることとなった。一方、3人の勝者の影には、97人の敗者がいる。

アメリカでこの敗者はどうなってしまっているのだろう。そんなかねてからの疑問を、ハイフェッツ教授の授業でチームメートだったカレンに聞いたところ、彼女自身もずっと心を痛めている社会問題だった。色々話して、以下のような区分がありそうだった。
  • まず、始めから競争に勝つことを諦め、ブルーワーカーとして働き、週末は近所の野球チームの監督をすることに幸せを見出すような人がいる。今回のような不況では真っ先に被害が及ぶものの、これはこれで生き方として確立している
  • 次に、競争に参加したものの敗れ、身の丈にあった仕事を見つけ、再び競争に参加することを目論んでいる人がいる。アメリカの労働流動性の高さと、再チャレンジを許容する文化があるため、大部分の人はこの行動をとる
  • そして、競争に敗れ、職を失ったことを自己実現を達成できなかったことと取り違え、破綻する人がいる。精神を病んだり、時には自殺する人もいる(アメリカでも解雇により7人が一家心中したニュースが話題になった)
  • 最後に、競争に暫定的に勝っていても、いつ敗者になるかもしれないという強迫観念に付きまとわれ、勝つことが幸せや平穏をもたらしていない人がいる*1
常に競争にさらされ、勝つか負けるかのバイナリーな価値観でいることは、一部の才能や強運の持ち主以外には、精神的に過酷なことなのだろう。特に後半二つのカテゴリーは、アメリカの競争原理が抱える精神病理といえよう。

競争と切磋琢磨の違い
日本でも成果主義など様々な競争原理が導入されてきた。だが残念ながらこの競争原理は、和魂洋才とはいかず、弊害もしっかり輸入してしまっているように思える*2。では和魂は何だったのか。それが切磋琢磨という概念だったと思う。

競争はサルやゴリラの群れにもあるように、人間本来の性質だ。当然日本にも競争はあったのだが、そこには切磋琢磨の精神があった。お互いを刺激し、能力を磨ぎ合う精神だ。ここでは勝ち負けを喧伝したり、相手を追い落とすことは恥でしかない。相手が勝ったところを見て発奮し、自らの能力や精神を鍛えるという、アップサイドに注目した健全な競争関係だ。

もちろん実際には詐術や姦計に長けた者が、敵対者を追い落とすという政治的競争はあったのだが、少なくとも切磋琢磨の概念は美徳としては行き渡っていたのだと思う。

もはや仕事の世界では、グローバル化というアメリカ化が進み、切磋琢磨ならぬ競争原理が染み渡ってしまったし、今更競争の仕組みを変えることは、文字通り企業の競争力の低下に繋がりかねない。だが、せめて教育の現場では、勝ち負けの競争原理ではなく、切磋琢磨という前向きで健全な競争を教えて欲しい。勝ち負けの方は、いずれ塾の模試で学ぶのだから。

平等主義は振り子を戻しすぎ
よく競争原理の揺り戻しとして、平等主義が語られる。運動会でみんな一等賞というものだ。これはこれで戻しすぎで、人間本来の向上心を萎えさせるだけだ。競争は人間の本能のひとつなので、否定することは健全ではないし、結局平等な社会(それをユートピアと呼ぶ人もいるが)は存在しない。

むしろ競争自体を悪とするのではなく、競争の結果をどう解釈し、行動に繋げるのかをきちんと教えるべきだ。敗者への侮蔑と勝者への妬みではなく、結果を自分の糧とすることを教えなければならない。


何事にも"competition"と唱え、競争原理に行き過ぎたアメリカと、平等主義に傾いたひところの日本を眺めると、どちらも極端であり、相応のリスクとリターンを伴う。日本が培ってきた切磋琢磨の精神は、この対立概念を弁証法的に解決した智慧だったのではないかと思う。それを失いつつあるのは、非常に残念でならない。


*1 システム・ダイナミクスの"happiness"の回で示されたデータに、CEOがどれだけ幸せを感じているか、というものがあった。正確なデータは失念したが、驚くほど幸せを感じられていなかった
*2 もちろん、利点が正しく発揮されたものもある。成果主義を例に取ると、優秀な人に相応の報酬が支払われれば、正しいインセンティブがはたらく。だが実際は成果主義が賃金削減の口実に使われたケースも多い

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by flauto_sloan | 2009-01-23 11:37 | Harvardでの学び
Sloan Talent Show - 音楽を学ぶ
昨年に引き続き、秋学期最後のイベント、"Sloan Talent Show" に参加した。今回は中国系アメリカ人の2年生(チェロ)、韓国人の1年生(ヴァイオリン)と日中韓トリオを組み、C.P.E.Bachのトリオソナタを演奏した。

ヴァイオリンの韓国人マリーは、ジュリアードを卒業し、プロ活動を経て今はNew England ConservatoryとMIT Sloanを掛け持っている、本格的なヴァイオリニストだ。こんな芸術家がいるからこそ、ビジネススクールも面白い。

チェロの中国系アメリカ人チェスターはMIT卒で、ボストンのユース・オーケストラやMIT Symphony Orchestraにも所属していた実力派。

そんな凄い二人と競演できたのは非常に幸運だったが、残念ながら今年の会場は学校近くのバー。飲みながら聴けるように、とのことだが、とにかく音響が悪くて暑くてうるさい。ヴァイオリンの音がなかなか聴こえず、ピッチやタイミングがうまく取れなくて苦労した。昨年のようにMITのホールで演奏したかったものだ・・・

その演奏をShintaroが録画してくれたので、恥ずかしいがリンクしておく(残念ながら会場の騒がしく、聴き取り難くなっている)

演奏はまあ色々ハプニングがあったのだが、練習の過程で二人、特にマリーから非常に多くを学んだ。フルートのレッスンをやめてもう10年ほど経ち、かなり我流になってしまった。また古学奏法をするオーケストラに長くいたため、表現も気づかないうちに幅が狭くなってしまっていた。

マリーはヴァイオリンの先生もしているだけあって、細かい表現や曲の解釈を教えてくれる。久々にレッスンに行っている気分だ。自分の表現力の浅さ、アンサンブル能力の鈍りを痛感する。だが上手くいかなくて萎縮してしまうと、二人でモチベートしてくれる。お陰で楽しく演奏ができた。

また、彼女のヴァイオリンが入ってくる瞬間の緊迫感は流石で、ここまで刺激されたのは初めてだった。乗せられて、自分なりに返答する。この音を通じた対話がアンサンブルの醍醐味であり、フルートを20年続けることとなった原点だ。その楽しさを高いレベルで思い出せたのが非常に嬉しい。

この徹底したこだわりと、可能性を引き出そうとするモチベーションとは、先日のBen Zanderの講演に通じる、アメリカ流音楽教育の基本要素なのだろう。

本番はともかくも、参加することに意味があったショーだった。
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by flauto_sloan | 2008-12-10 22:30 | 音楽・芸術
Harvard GSD訪問
ボーゲル塾の同門で、ハーバード・デザインスクールに通う友人に案内されて、デザインスクールの中を探検してきた。MITのStata CenterMedia Labもそうだが、クリエイティビティを刺激する空間の面白さを肌で感じて来た。

開放系の実験空間
ビルに入ると、イタリアの遺跡のデッサンや、学生がデザインした建築の模型が並ぶ。さっそくクリエイティビティが空気に満ちている感覚を受ける。
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エレベーターに乗ろうとすると、エレベーターに向けて赤いテープが貼ってあり、遠近法を実感できるようになっている。

エレベーターのドアが開くと、中にも同様のテープが貼ってあり、奥行き感の違いまで実感できるようになっている。

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学生のデスクは、階段状の巨大な空間に置かれている。

一人当たりのデスクはかなり広く、高いついたてで隔てられているのだが、階段状になっているので上から覗くことができる。


c0131701_35489.jpg各学生は研究内容やデザインや模型を所狭しとデスクに置いてあるので、誰が何をどこまでやっているのかをお互いに知ることができ、互いに批評しあって想像力を刺激できる。

プライベートとパブリックがほどよく混ざり、他社との交流が促進される開放系の実験空間だった。休日にもかかわらず電気は煌々とこのスペースを照らしている。ここの学生は家にも帰らずひたすら研究・製作に没頭するというのも肯ける。

製作現場
c0131701_39256.jpg地下には工作室があり、旋盤のようなものから、巨大な工作用ロボットまで様々な機械が置かれている。

個人的に興味を引いたのが、釘を使わず嵌め込みで木材を接ぐデザイン。日本の宮大工の技術が下敷きになっているのだろうが、宮大工は木材の微妙な反りや変化を経験と勘で織り込んで設計する。だがこれをもっとシンプルに標準化できれば、途上国の開発で家を建てなければならないときに、Ikeaのキットのように一式を送り、釘や工具なしに家を建てることができる。実はずっと昔にそんな話は聞いたことがあった気がしたのだが、それを研究している場に居合わせると、非常に刺激を受ける。

また、もと理系で仕事でも様々な製造業の工場を訪れているせいか、工作機械を見るとわくわくしてしまう。機械には "ebony" といった愛称を付けて大事に扱っているらしい(大事にしないと、プレゼン直前に故障してモデルが完成しない、という悲劇が訪れるらしい)。

デザインスクールの学生
デザインスクールの学生は、今脚光を浴びている。従来の建築会社やIDEOといったデザインによる問題解決を図る企業だけでなく、コンサルティング・ファームなどでもデザインスクールの学生は求められているという。ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』(大前研一訳、三笠書房)では次のように書いている。
デザインは、古典的な全体思考能力だ。ヘスケットの言葉を借りれば、「実用性」と「有意性」の組み合わせである。

・・・ 「実用性」のほうは「左脳主導思考」に近く、「有意性」は「右脳主導思考」に近い。そして、左脳主導・右脳主導の二つの思考スタイルと同じように、今日、「実用性」の価値は広く認められ、安価に、比較的容易に実現できるようになった。そのおかげで、「有意性」の価値も高まってきたのである。

・・・今日の供給過剰気味の市場の中で、他社製品やサービスとの差別化を図るには、見た目に美しく、消費者の心に訴えかけるようなものを提供するしかないということを、企業は認識しはじめている。だからこそ、「ハイ・コンセプト」な能力をそなえた芸術家のほうが、簡単にすげ替えられる「左脳型技術」を持った新卒MBA*1よりも貴重である場合が多いのだ。
友人は「デザインスクールの学生が求められているなんて、実感がない」と言っている。確かに即戦力としては、ある企業や事業のNPVをすぐに計算できる人材が有利だろう。だがそれは比較的簡単に身につけられるスキルだ。

デザインや芸術で求められる、全体を統合する能力、創造力は、たとえばコンサルティング・ファームでも非常に重要な能力だ。問題解決とデザインとは非常に似通ったプロセスだ、と話をしていてつくづく感じた。データを分析して、問題の原因を突き止めることは、左脳的アプローチで、訓練を積めばそう難しいことではない。

だがその問題の原因から、どういう打ち手を考えるか、このプロセスは右脳的で、定型化できるものではない*2。プレッシャーの中で、手の届く限りのリソースを使って、チームで議論して、ある時ぽっと浮かぶものだ。2週間かかることもあれば、15分しかかからないこともある。デザインの学生は、この過程を嫌と言うほど経験しているので、問題解決のプロフェッショナルとしても有望なのだろう。そんな友人の就職活動が上手くいくことを願うばかり。


クリエイティブであるには、どんな仕掛けが必要なのかを、GSDで見られた。非常に面白く、そのうち私の机もちょっと様子を変えてみたい、と思わされた。

*1 ちなみにここで言う「新卒MBA」は、職務経験のないきわめて優秀なアメリカ人のMBA生のことで、通常5年程度の職務経験を持つ日本人MBAとは事情が異なる(自己弁護)
*2 無論、分析にもクリエイティビティは重要だし、定型的に打ち手が出るものもある。だが総じて、分析は左脳、打ち手は右脳依存だと考える

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by flauto_sloan | 2008-11-11 22:43 | Harvardでの学び
交渉人はどんな人か - Power & Negotiation
今学期履修している "Power & Negotiation" は、非常に実践的で面白い。毎週交渉をシミュレーションしていくうちに、だんだんとクラスの中に、誰がタフ・ネゴシエーターかといった評判が出来上がっていく。

では、どんな人が優れた交渉人なのだろうか。

クラスのスーパー・ネゴシエーター
授業の最初の頃は、インド人や中東系がだいたい交渉が強かった。交渉がどれだけ生活に根付いているか、という文化的側面がスキルに直結していた。時に無茶なことも言ってくるが。

だが授業にて、交渉の背後にある構造を考えるようになると、あるスローン・フェロー(スローンのエグゼクティブMBA)の女性がスーパー・ネゴシエーターとなった。


ハーバード医学部で幹細胞の研究をしている非常に優秀な女性で、物腰は柔らかくゆっくりで、話すと極めて理知的。私も一度交渉をしたが、気づくと二人の間に連帯感ができ、共に価値を最大化するための問題解決となっていた。最後はお互いに満足して交渉が終わる。そして彼女の要求は殆ど満たされる。

交渉は、参加者で如何に価値を作り出し、それをどう配分するのか、という問題解決なのだが、彼女はその術をよく理解している。そして、彼女のプランを実践するための準備を入念に行ってくる(相手の関心やその強さの分析など)。

昨日の交渉では、彼女の凄さが遺憾なく発揮され、クラス中を驚愕させた。


サボタージュの成功
シミュレーションは、ある地域開発プロジェクトを題材に、6人の利害関係者が、5つの論点について駆け引きをして、自分の利益を主張しつつ交渉をするというもの。その中で彼女の役には、隠された目的があった。議論を難航させ、交渉を座礁させてプロジェクトを頓挫させる、というサボタージュだ。

このサボタージュというのが実に難しい。妨害がばれたら、議論から強制排除されてしまう仕組みもあるため、一見議論に協力しながら、他の利害関係者を唆して議論を混迷させる。そんな絶妙で難しい役目を彼女は見事にやってのけ、クラスでそのグループのみが、プロジェクトを頓挫させた。

彼女の戦術は、まさに交渉のセオリーを理解した上での裏の書き方だった。
  • 合意し易い論点を軸に、連帯感を醸成する
    →予めその論点を特定し、それが議論になる前に紛糾する論点を持ってくる
  • distributive bargaining(一方が勝つと一方が負ける)を組合わせてintegrative bargaining(一方が勝つともう一方も勝つ)を作り出す
    →要素分解してdistributive bargainingに戻し、利害が反する人でグループを作って対抗する
など、非常に勉強になった。


優れた交渉人とは
彼女を見ていると、優れた交渉人は、交渉の理論を把握し、それを利用して交渉のシナリオを作れる人なのだと思う。押しの強さといった人間的一面も重要なのだが、構造/戦略レベルの失敗を感情や口上といった戦術レベルで挽回するのは困難だ。そして何より準備が重要。

教授と個人的に話した時に聞いたのだが、教授もまた交渉が好きではないらしい。だが仕事として「交渉人格」を作り、タフな交渉に臨むのだという。

優れた営業マンは押しが強そうな人間とは限らない、というが、優れた交渉人もまた、押しが強そうで交渉が好きでたまらなさそうな人、という訳では決してなさそうだ。自分はラテン系などに比べて交渉があまり得意でないと感じていたため、彼らを見ていると心強くなる。
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by flauto_sloan | 2008-11-05 10:45 | MITでの学び(MBA)
Geek talk
会社の後輩がボストンに来ていたので夕食を一緒にしたのだが、研究室の頃を思い出すような楽しいGeek Talk(オタク話)だった。

夕方に学校から帰って、久しぶりに会社のメールを確認したら、後輩から
「急ですがボストンを訪問するので、よかったらご飯をご一緒に」
といった旨のメールが。

後輩に慕われるのは悪い気がしない。では会おうと思い彼の示したスケジュールを見ると、なんとその夕食とは今日ではないか。もう既に夕飯時だ。すぐに電話し、ハーバードスクエアで会うことにした。

集まったのは6人。後輩の大学時代の友人がボストン大学で学んでいて、その友人を集めたところこの人数になった。MIT3人、ハーバード1人、BU1人に後輩という面子で、全員理系。

お酒が入ると、皆夢や興味を熱く語りだした。

特に日本の教育問題は皆思うところがあり、議論が白熱した。海外で奮闘している皆(私も含めて)が痛感しているのは、海外に出たときの日本人のひ弱さ。それは海外で泣きながら自分の立ち居地を見つけ、語学のハンディを負いながら議論をし、生き残ることでやっと克服できる*1

そうして死に物狂いで生き残ると、文字通り世界の第一線を知ることができる。その時に振り返って日本を見ると、ビジネスもアカデミズムも内向きで、世界で戦う必要性をわかっていない。なまじ日本の市場や学会が大きいために、その中で一定の地位を得られれば当面は安泰だ。だがそれは茹で蛙のようなゆっくりとした破滅の道かも知れない。

そして他のアジア人(特に中国)が世界で活躍しているのを見て、「彼らは品が無い」といった揚げ足取りに近い言いがかりをつける。だが世界で活躍している彼らを目の当たりにしている我々にしてみれば(もちろん確かに品が無いアジア人もいない訳ではないが)、日本人が自分で精神的優位を無理やり作ろうとしているように映る。負けている状況を認めないために。

日本が経済も学問もグローバルに戦うことが本当に必要かどうかは、議論が残るだろう。茹で蛙になるほうが、鍋から出て戦って蛇に飲み込まれるよりも幸せかもしれない。だが一度外に出て生き残った側から見ると、世界は戦う価値があるし、茹で蛙になるにしても世界を正しく理解し(知ったつもりではなく)、客観的な判断材料を揃えた上での判断でなければ、ただの自殺行為だ。

といった、熱い議論を交わしていた。


だがいつしか話の方向はどんどんマニアックな方向へ。

日本の、世界の飛び地はどこにあるのか。そこから派生して、四色問題が問題となるような3方を別の地域に囲まれた国、州、あるいは市町村はどこにあるのかをわいわいと話し、果ては四色問題からNP完全の話になって、ぷよぷよがNP完全である、というような話に発展した。

研究室の頃を思い出すオタクっぷりだ。さすがは皆ボストンでドクターをやっているだけある。


解散した後のメールのやり取りもオタク続きで、MITの友人が実験物理の最先端、LHCの実験が9月10日に行われるという情報に加え、それがブラックホールを引き起こして地球を破滅させるかもしれないという訴訟、そしてそのLHCの紹介ビデオ(必見!!)まで紹介してくれた。ひとまずまだ生きているので、ブラックホールは発生しなかったようだ。

いやあ、非常に懐かしいノリで、楽しい飲み会だった。おかげで後輩にあまりスローンのことを教えることができなかったが……

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GoogleのトップページもLHCを取り上げていた

*1 もちろん、海外に出ることそのものがよいわけではなく、ただインドやネパールを放浪する「外籠り」では何も得るものは無い(当人はあると言い張るだろうが)。汗と涙を流して生き残る経験(一種のイニシエーションとなろう)が必要である
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by flauto_sloan | 2008-09-09 23:44 | ボストンでの生活
再会と初対面
授業初日のランチは、コアタームのスタディ・グループで集まった。場所はイーストゲートというスローンから歩いて30秒の寮にあるナッチョの家。目的は、ナッチョの赤ちゃんに会うことと、夏の経験を語り合うこと。

ベビー・ブーム
ナッチョの赤ちゃんはとても可愛い。まだ1ヶ月ちょっとなので顔はくしゃくしゃだ。父親と同じ名前(イグナシオ)なので、ナッチートと呼んでいるらしい*1

エイミーのお腹もすっかり大きくなっていて、ナッチョの奥さんと自然分娩について話している。エイミーは自然分娩がいいのかどうか、悩んでいるようだ。話の中で、エイミーが知人に
「自然分娩なんて、動物がするものよ」
と言われたという。

うーむ、誰が言ったのか知らないが、いかにも人間と動物を区別するキリスト教らしいし、自分の体を機械的にコントロールしたがるアメリカ人らしい。

それにしても、噂には聞いていたがMBAの2年目はベビーブームだ。周りでも妊娠・出産をよく聞くようになった。


チームの夏のすごし方
チーム6人の夏の過ごし方は様々。私とナッチョは(奇しくも同じコンサルティング・ファームなのだが)のんびりと過ごし、レバノン系アメリカ人のパトリックは中東で我々と同じファームでインターン。あとの3人もそれぞれベンチャーやハイテク企業でインターンをしていた。

私が結局インターンはしなかった、と言うと皆、
「それはよかった!! それが一番賢い選択よ!!」
と。確かに人生をよく楽しんだのだが、働かないことを誉められるというのも不思議だ。

話していて一番面白かったのは中東の話だった。グローバリゼーションの授業で学んで知ってはいたが、アラブの企業家は本当に働かないらしい。石油があるため働かずしても生活に困りはせず、お金があるので優秀なインド人など外国人や、コンサルティング・ファームを雇える。

生活を見ると、サウジでは女性は顔を見せることはできないし、スターバックスでも独身男性用と家族用とで店内が完全に仕切られている。だが、男女の接点はチャットルームで実は増えていて、無線LANがそのスタバの壁をやすやすと通り抜けているそうだ。

他にもブログに書けない生々しい話もあって、面白かった。米国の価値観を持ち、アラビア語を話せる彼だからこそ見えてくるものが多いのだろう。


思えばチーム結成から1年。最初はうまくいくのか心配だったが、コアタームが終わった今でもこうして月に一回はランチを共にし、多国籍・多文化ならではの楽しい話ができる。素晴らしいチームに成熟したと思う。


MBAにおけるチーム
MBAの授業は、チームを組む必要があるものが多いが、チームの組み方、チームワークと個人の勉強のバランスは非常に難しい。巧くいくチームを作るには、課題を解くこと以上の連帯感と信頼を醸成しなければならないのだが、授業ごとにメンバーが替わるチームの組み方だと、なかなかそこまで達しない。

個人的には、理論や計算中心の定量系の授業は、チームによる相乗効果が少ないように感じていて、ただワークロードを分散するだけという色合いが強いように思える。だが単なる作業の分散は、仕事の完遂ではなく学習を目的とした場合は寧ろ逆効果だ。そんなことをするならば一人で必死にレポートを書いた方がいい。

一方で、議論・ケース中心の定性的な授業だと、多様な意見が思考を深めるので、チームを組むことが効果的だ。だが得てしてこういった授業は、ワークロードの重い定量系に対して個々人の中で優先度が低くなり、集まって十分議論をする時間がとれない。議論の質や短い時間での効率の点で、アメリカ人乃至英語のネイティブスピーカーがいることは非常に有利にはたらく。

うまく授業の特性と、求められるチーム活動の形態を合わせていかないと、チーム内での意見の行き違いや非効率ばかりを生み出してしまう。今回は定量系科目が多いので、チーム選びが難しい。慎重に選ばねば。


*1 スローンのうちの学年でイグナシオは4人いるのだが、イグナシオ、イナキ、ナッチョ、イギーと呼び分けられている
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by flauto_sloan | 2008-09-03 01:51 | MITでの学び(MBA)