MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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ボストン観光
今日は一日、母を連れて妻とボストン市内観光をした。かねて行きたかったホエール・ウォッチングをしたのだが、これが面白く、母も妻も大満足だった。
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ボストン沖には鯨が棲息しているので、夏はボストンの港やケープコッドからホエール・ウォッチングの船が出る。今回は水族館の先にある埠頭から出航する船に乗り、鯨を見に向かった。出航すると、ボストンの街がだんだん小さくなっていく。ボストンは港町だったのだな、と改めて実感していると、やがてケープコッドが見える。それも越えると波が高くなり、沖合いに出る。
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1時間ちょっと船に乗っていると、鯨の棲息するポイントに達した。遠くで鯨の群れが泳いでいるのが見える。じわじわと船が近づくと、鯨が驚くほど間近に見えた。巨大な鯨が雄大に泳いでいるのを見るのは、楽しく神秘的だった。
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さらに船を走らせると、別の鯨と遭遇した。この鯨はサービス精神旺盛なのか、なにか異変が起きているのかわからないが、船のすぐ傍まで来て水面に顔を出していた。鯨の顔をこんなに近くで見るのは、生まれて初めてだ。
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あまりに近いので、潜っていても影が見える。乗客は船の上から、影を追って移動する。迫力ある鯨の泳ぎに、みな大興奮だった。

市内に戻ると、クインシー・マーケットからフリーダム・トレイルをボストン・コモン方向へと歩いた。流石に3回目のフリーダム・トレイルなので、だいぶどこに何があるか判ってきた。何度もボストンには来ていた母も、この歴史が刻まれている道を歩くのは初めてらしく、とても楽しんでもらえたようだ。私も、最後にボストンの歴史を改めて振り返ることができたのが嬉しい。
(写真はアメリカ最古のレストラン、ユニオン・オイスターにて、JFKがいつも利用していたテーブル)
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夜はグリル23という、ボストンでも有名なステーキ屋さんへ行った。去年のジャパン・トレックの参加者が、お礼にとオーガナイザーへ食事券をくれたレストランだったので、最後に予約して訪れた。さすがにアメリカの一流ステーキハウスは、肉がジューシーで最高だ。焼き加減も絶妙で、食べていて幸せになってくる。

ボストンを楽しみつくした、充実した一日だった。
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by flauto_Sloan | 2009-06-03 23:30 | 旅行
ナイアガラ大瀑布をアメリカから見る
東海岸にいるうちに観光しておこうと思いつつ、つい後回しになっていたのが、ナイアガラの滝だ。ボストンからなら車でも行けるが、ニューヨークからなので飛行機でバッファローまで飛ぶことにした。あんな失敗をするとは思わずに・・・

ナイアガラ
ナイアガラの滝はアメリカ・カナダの国境に跨るのだが、カナダ側からの景色がよいという。
私も妻もナイアガラの滝には行ったことがないのだが、双方の両親は何度か言ったことがあり、カナダ側からの眺めがいいと勧められていた。そこで、JTBの日帰りツアーに申し込み、カナダ側から観光することに。

当日、家からJFK空港までタクシーで移動し、その途中でふと気になって、I-20(超重要書類で、アメリカから出入国する際には必ず持参)をちゃんと持参しているか確認してみた。ちゃんと持ってきている。だがよく見ると・・・

MITのではなく、コロンビアの古いI-20だったのだ!

私はMIT入学前に、コロンビアのALPというサマースクールに通っていた。そのため、渡米時はMITではなくコロンビアに身分を保証するI-20を発行してもらったのだ。MIT入学後はMITのものに更新したので、これはもう古くて意味がなくなった。その古い方を持ってきてしまった・・・

恐る恐る、隣の妻にこの不始末を打ち明ける・・・ これでは、ナイアガラに行ったとしても、カナダ側に渡れない。飛行機の時間と、マンハッタンまでの距離を考えると、取りに戻る時間はない。妻がみるみる不機嫌になっていく・・・

選択肢は3つ。
  • 旅行をキャンセルし、別の日に行く
  • ひとまず行き、アメリカ側から観光する
  • 妻だけカナダに渡り、私はアメリカ側に残り、滝を挟み別々に観光する
さすがに3つ目はない・・・と思うのだが、明確な否定はない・・・ ああ、相当にご立腹だ。

空港に着き、JTBの人と話し、友人に電話をかけ、どうやらアメリカ側からでも十分観光できそう(霧の乙女号には乗船できる)とわかったので、2つ目の選択肢で強行。バッファローの空港でJTBの人に、国境手前でバスから降ろされる旨告げられ、ナイアガラへ。

ナイアガラ大瀑布
ナイアガラの滝の迫力は、聞いていたよりも凄まじい。大地が割れているようだ。全体像が見られないのはアメリカ側の難点だ。だが十分大きさは伝わる。
まずは展望台から遠景を望む。
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霧の乙女号に乗船し、滝のすぐ傍にまで近づく。今日は風向きが悪く、水しぶき(何ていうかわいらしいものではなかったが)が降りかかり、レインコートを着ていてもずぶ濡れだ。それにしても物凄い轟音と水量だ。見ているだけで滝に飲み込まれてしまいそうだ。
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下船し、滝の近くにまで続く遊歩道を歩く。上から見下ろす大瀑布は、また違った迫力。
対岸にはカナダが見える。豪華ホテルやカジノが立ち並ぶ。ああいう観光地然としたところよりも、自然あふれるアメリカ側がいいじゃないか、と自分に言い聞かせて慰める。
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アメリカ側のナイアガラ
アメリカ側のナイアガラは、インド人とヒスパニックばかりだった。日本人はもちろん、アジア人や白人はほとんどいない。

おそらく、ビザの関係でアメリカを出国できない人たちが、アメリカ側から滝を眺めるのだろう。ちゃんと出国できる人たちは、全景が見られるカナダへ渡るから。いささかの不自由がありつつも、この自然の驚異を楽しめることに感謝を覚える。

帰り道のハプニング
JTBのバスには乗れないので、帰りはタクシーに乗る。値段を交渉し、インド人のタクシードライバーが非常に良心的な価格だったので、彼の車で空港に向かった。

高速に入った途端、急に路肩に車を寄せて徐行する。ドライバーが携帯を取り出し、電話口に何かどなり続けている。電話を終えると、使われていないガソリンスタンドに車を停め、訛りの強い英語でこう話した。
 
「どうやら釘を踏んでパンクしてしまったようだ。でも大丈夫。わしの家はここから2ブロックだから、今家内が代わりの車を持ってくるよ」

驚いていると、本当に奥さんが自家用車で現れた。私たち二人はトヨタのセダンの後部座席に座り、ドライバー夫婦と一緒に空港に向かうという、なんだかよくわからない構図になっていた。奥さんと一緒になり、なんだか急にアットホームな感じになり、ドライバーさんは二人の子供の話や、貿易の仕事をしていた時に日本に行ったことなどを嬉しそうに話す。

教育熱心なインド人らしく、子ども二人は大学教育を受けさせ、一人は医者になるのだという。こうして可能性を与えるのがアメリカなのだな、と感じながら空港へと向かっていた。


ハプニング続きの珍道中だったが、さすがに勧められるだけのことはある大瀑布だった。
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by flauto_Sloan | 2009-05-21 23:40 | 旅行
Israel Trek 番外編 - 家に帰るまでがTrek
前の記事でイスラエル・トレックについてはほぼ書いたのだが、ちょっとしたプロローグとなる出来事があった。
テロもなくトラブルもなかった旅だったが、最後に全身から冷や汗が出る体験をすることに・・・

最後のパーティーを終え、翌日はそれぞれが予約した飛行機でばらばらに帰る。私の乗るコンチネンタルは比較的搭乗者が多かったので、ホテルからタクシーで空港まで分乗することにした。私のタクシーには1年生のクリードとアシュリーと3人で乗り込んだ。

ホテルを出て、終わってしまうのが寂しいね、などと話していると、タクシーが高速に乗るためにUターンした。

その時、同じくUターンしようとした大型トラックがタクシーの横腹に激突!!

幸いトラックはほとんどスピードがなかったものの、見上げるほど巨大なトラックが、2m、1m、10cmと目の前に近づいてくるのは恐怖でしかなかった。
激突した側にいたアシュリーは絶叫。私も思わず叫ぶ。何を叫んだのかは覚えていない。

被害はタクシーのドアが凹む程度で済んだ。ひとまずそのタクシーを降り、別のタクシーを拾って空港へ向かう。

高速を走っているうちに、だんだんと先ほどの恐怖が蘇ってきた。3人とも無言だ。同じ気分だったのだろう。

空港に着くと、クリードが低い声で
「最後が一番疲れた・・・」
とつぶやいた。

ともあれ、その後厳戒態勢の空港で2時間くらい待たされもしたものの、無事に帰国することができた。
いやあ、怖かった。
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by flauto_sloan | 2009-03-28 03:09 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (9/9) - ユダヤ人
10日間をイスラエルで過ごし、ユダヤ人のルームメイトと色々に話して、ユダヤ人について、ある一面かもしれないが知ることができた。この経験だけでユダヤ人論を書くほど浅はかではないが、いくつか気づいた点を書き残しておく。
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ユダヤ教と科学
ルームメイトのマイクはMITで学部も出たエンジニアである。同時に、神を信じ、ユダヤ教の613の戒律に従って生きるユダヤ教徒である(正統派ではないが)。彼に「科学を学んでいると、ユダヤ教の世界観と矛盾することもあるだろう。どうやってその矛盾に折り合いをつけているのか」と聞いた。彼の答はこうだった。
「科学が解明し、役立とうとしているのは、『物質的世界』だ。この中で科学は体系を持ち、調和をとっている。一方、ユダヤ教が唱え、僕がいつも従っているのは、『精神的世界』といえるものだ。この世界の中ではユダヤ教が秩序を与えている。
この二つの世界を意図的に自分の中に並存させている。敢えて矛盾させようとはせず、それぞれ別のものと割り切って考えている」
また、シャバトと呼ばれる安息日(金曜から土曜にかけて)には、ユダヤ人によるビジネスはお休みである。あらゆる労働をしてはならないからだ。エレベーターのボタンを押すことも禁じられているので、ホテルだとシャバト・エレベーターという各階止まりが存在する。それを見た私は、またも不躾な質問をした。「戒律も時代に合わなくなったものや、非効率しか与えないものがあるだろう。新しい戒律を加えたり、変えようとはしないのか」という問への答はこうだった。
「もともと戒律は時代に合わせて追加していった。だから613もの多さになったんだ。今はもうこの数で固定していて、確かに中にはもう時代に合わないものがあるかもしれない。だが戒律は戒律だから、それを守った上でできるだけ時代に合わせていくしかない。このシャバト・エレベーターなんて、まさに時代に合わせたいい例だよ。
それに、細菌が見つかる何百年も前から、『食事の前には手を洗わねばならない』という戒律があった。皆ただ従っていただけだったけれども、それが実は意味のあることだと後にわかった。何が意味があるかなんて、なかなかわかりはしないものさ。」
莉恵さんのブログにもあり、私も興味を持っていた質問、「なぜユダヤ人はハイテクや教育分野で活躍しているのか」については、やはり同じ答えだった。
「結局誰にも奪えないのが、頭の中と心の中だけなのさ。僕の育ったベラルーシでも、ナチスによって強制移住させられ、無人となった村が近くにあった。あれは本当に恐ろしかった。どんな状況でも、最後まで持っていけ、信じられるのは自分しかない。だから知識や技術と、それを学ぶための教育に力を入れるしかない。
それにユダヤ人は欧米だとどうしても差別され、主要な職業には就けなかった。だから知的産業でも科学技術や学問といった実力勝負の世界か、傍流の仕事を選んでいくのは自然だった。投資銀行なんてもともと、主流の商業銀行に入れなかったユダヤ人が始めた、傍流の仕事だよ」
他にも色々と話したのだが、お互いに純粋な好奇心からの質問だったので、非常に面白かった。マイクが特に頭がよく物知りだったこともあり、ユダヤ人をより深く知った結果、かなりの親しみを持つようになった。

連日連夜のパーティー
イスラエル・トレック中に驚いたユダヤ人のもう一つの顔は、パーティー好きの顔だ。旅行中はほぼ毎晩クラブへ出かけ、飲み、踊る。私はもともとクラブがどうしても苦手なので、途中で帰ってきてしまったのだが、あのエネルギーはすごい。聞けばテルアビブはクラブが数多くあり、イスラエル人は高校生くらいからクラブ通いを始めるらしい(サンプルが偏った可能性高し)。
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最後の夜は、クラブではなくオーガーナザーのアミットのセカンドハウスでパーティーを行った。海に面した美しい別荘でのバーベキュー・パーティーだ。ホロコーストを生き延びたおばあさん、中東戦争を生き延びた父親を持つ彼の家は、生と死とが近く、それゆえに生きるための力を小さいうちから教え込んだそうだ。父親は空軍退役後にベンチャーキャピタルを興し成功し、いまこうして46人の息子の同級生を別荘に迎えて、イスラエルを最後まで楽しんでもらおうとしている。
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ここで生まれた友情や相互理解が、悲惨な経験をまだ知らない次世代のイスラエル人の原動力となるのだろう。

多様な自然、起業家精神旺盛な経済、強固な軍事力、そして全てを貫く宗教と歴史。10日間と短い間ではあったが、この上なく濃密で学びの多いイスラエル・トレックだった。
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by flauto_sloan | 2009-03-27 23:44 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (8/9) - ガラリヤ海と死海
c0131701_23372989.jpgイスラエルの北には、イスラエルの水瓶であるガラリヤ海(湖)があり、南には有名な死海がある。同じ海といっても、一方は緑豊かな地域の住んだ湖であり、もう一方は砂漠の低地にある塩分の濃い湖だ。

ガラリヤ湖を愉しむ
イエスを一度裏切ったものの、悔い改めて教会を建て、初代法王となった使徒ペテロ。彼が漁師として住んでいたのがガラリヤ湖であり、イエスが現れて湖面を渡った奇蹟の地でもある。ペテロが生きていた頃の漁師の家の遺構が発掘され、その家を見ると漁師ペテロの存在を強く感じる。
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湖に面して、タイベリア(ティベリア)という街がある。ここは初めてユダヤ教の重要な文献が書かれた地で、ユダヤ人にとっても重要な街だそうだ。今は美しい湖を望む保養地として、土産物屋が立ち並ぶ。
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我々の泊まったホテルは、スコッチ・ホテルという有名なホテルで、かつてスコットランド人が所有していた病院を改築したものだ。ヨーロッパの古城のような趣で、非常に美しい。食事も美味しく、散歩をしていても楽しい、素晴らしいホテルだった。
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死海に浮かぶ
イスラエルとヨルダンの国境にある死海は、両国への観光では欠かせない名所だ。標高マイナス400m以下という低地にあり、塩分濃度が高いため海水の比重が大きく、人間がやすやすと浮いてしまう。
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横になると、ウォーターベッドに寝ているかのようにぷかりと浮く。他ではできない感覚で、不思議としかいいようがない。このために持ってきたEconomistを読みながら寛いでいる姿を写真に納めた。女の子が浮かびながらMITの人文字を作ったり*、浮かびながら集合写真を撮ったりと、のんびり楽しんだ。
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死海の塩を使った化粧品が名高いように、この水は肌によいらしく、浸かっていると肌がすべすべしてくる。だがその塩分は強烈で、口に入ると苦い。しょっぱいと知覚できる濃度を超えているのだ。小さな傷でも沁みるので、前日から髭などの毛は剃らないように注意する。湖底は塩の結晶なので、ビーチサンダルを履いて歩かないと、わざわざ沁みる傷を足の裏に作ることになる。目に入るともう悲惨で、全く目を開けられなくなる。ビーチまで戻って水で洗い流さねばならない。

翌朝は早起きして、マイクと朝日を見にビーチへ向かった。砂漠の向こうから昇る朝日が美しい。
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ちょうど日本からキリスト教徒のグループが死海にきていたらしく、日本人女性が一人朝日を見に来ていた。他の地域でも日本人のグループを見かけたが、ほとんどがキリスト教徒が教会単位で来ていた。やはり日本にとってのイスラエルの位置づけは、キリスト教の聖地なのだろうか。その接点と認識の少なさが、ユダヤ人をして「日本人はユダヤ人差別をしない」という好意的評価に結果的に繋がっている。これ自体はいい関係なので、損ねないようにしたいものだ。

二つの対照的な海が、イスラエルの風土の豊かさを実感させた。

* スローン生の水着姿を見る数少ない機会でもある
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by flauto_sloan | 2009-03-26 23:29 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (7/9) – 軍隊と激戦地
イスラエルは、イスラム教の地域の真ん中に建国したため、周辺国との紛争は絶えず、軍が極めて重要な存在である。細長く小さい国土は、東西の端から端まで戦闘機で僅か5分とかからず移動でき、南北でも20分しかかからない。突然侵攻されたらひとたまりもないので*1、自ずと先制攻撃を行うようになる。結果、好戦的な軍事・宗教国家だという印象が生まれる。

男女問わず徴兵制があり、退役後も予備役登録していれば、日ごろから訓練に参加することができる。スローン生のような教育水準の高いイスラエル人は、諜報部に所属することが多い(コアチームメイトのイタイのように、戦闘部隊に所属していた人もいる)。今回のオーガナイザーのエミーも、軍にいたころは将校だったそうだ。

戦闘機乗り
そんなイスラエルの一面に触れるべく、スローンの卒業生が予備役登録している空軍基地を訪れた。当然ながら写真撮影は制限があり、代表一人しか撮らせてもらえない。卒業生のパイロットが、イスラエルの軍隊について簡単な説明と、その基地(主に訓練に使われる)の説明をしてくれた。訓練の様子と、飛行記録等のファクトを使ってどうフィードバックを行っていくのかを説明してくれる。

その後カタパルトへ向かい、戦闘機を実際に見る。コックピットの中まで覗かせてもらったのだが、実に格好いい。幼い頃に飛行機のパイロットになりたかったことを思い出した。
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ちょうど訓練が始まるというので滑走路に向かうと、戦闘機が数台続けて離陸した。耳を劈く轟音と、高速で飛び去っていく機影。だがこれはショーではなく、いつ起きてもおかしくない戦争に向けた準備だと思うと、覚悟の違いを感じる。

このスローンOBは、起業して働きながら、週に数回この基地に戦闘機を乗りに来ている。有事の際にはすぐに戦線復帰できるようにだ。ビジネスで経済面で国を盛り立てつつ、軍役で国を守り立てる。危機が国を人を強くする好例といえよう。

ゴラン高原
旅の後半、ゴラン高原を訪れた。何度となくニュースで取り上げられる地政学上の要所であり、イスラエルがヨルダン、レバノン、シリアと接するのみならず、イスラエルの貴重な水源であるガレリア海に臨む地である。イスラエル以外(国連含む)はシリア領と認めており、イスラエルが不法占拠中だとされる。PKOの監視下にあり、自衛隊も派遣されている。
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その紛争地域、ゴラン高原に立ってみると、確かにこの高原を守りたいイスラエルの意思が伝わる。
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タイベリアの街とガレリア海を眼下に収めるこの地を失えば、街は砲撃範囲に入り、国は干上がる危険に晒される。最悪のケースでは、水源に毒を入れられる可能性もある(それを防ぐため、ここからパレスチナにも飲料水を提供している)。
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だが隣国にしてみれば、もともと自国領地だっただけでなく、イスラエルが侵攻してくる際の橋頭堡であり、彼らの安心のためには確保したい土地である。こうして幾度となく戦火に晒された高原だが、今はそんな緊張などどこ吹く風かといわんばかりに、可憐な花が咲き誇っていた。

ウェスト・バンク
ウェスト・バンクと呼ばれるヨルダン川西岸地区は、イスラエルとヨルダンとが領有を争い続けた地で、現在はガザ地区同様、パレスチナ自治区である。ガザ紛争が起きた直後だったので、いささか不安はあったが、この西岸地区をバスでガレリア海から死海に向けて南下した。
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ところどころイスラエル軍の駐屯地があり、軍の姿もあちこちに見える。川の向こうはすぐヨルダンであり、川のこちら側にはユダヤ人のキブツやパレスチナ人の村が点在する。土地は乾いた岩石砂漠だが、技術で耕作可能になった農場に緑が見える。
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ユダヤ人とパレスチナ人とが住み分け、落ち着いているように見えたが、いつガザのように対立が深まるかはわからない。パレスチナ問題はイスラエルの国内政治でも最大の争点の一つである。この地の戦乱はいずれ避けられないにしても、被害が少なく、人々が受け入れられる形での終結になってほしい。

宗教対立
選民思想を持つユダヤ教を中心に据え、常に臨戦態勢であるイスラエル。カントリーリスクを感じさせずに投資を呼び込むには、強い軍隊が必要であり、それがさらに隣国を刺激する。本来ユダヤ教はイスラム教と対立していなかった(少なくとも十字軍のような宗教戦争は前盛期までなかった)のだが、いまや対立は深まる一方だ。

軍事対立という軸をずらして、建設的な関係を築くことは可能なのだろうか。もし可能であるなら、なにが牽引役となるのだろうか。農業にしろ技術にしろ、イスラエルはその候補を持っている。宗教と矛盾しないように折り合いをつける知恵とコミュニケーションも必要だ。何より、お互いを知り、理解し、相手を赦すことを呼びかけられるリーダーが要る。

ペレス大統領、アラファト元議長と共にノーベル賞を受賞した後に暗殺されたラビン首相の悲劇は、いまだにイスラエル人の記憶に強く刻まれているのだろう。ユダヤ人であるハイフェッツ教授が教えている「生き延びるためのリーダーシップ」は、なんと難しくも価値あることだろうか。

*1 安息日に攻撃され、迎撃態勢が整わず敗れたこともあるらしい
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by flauto_sloan | 2009-03-25 21:02 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (6/9) - キリスト教の聖地
イスラエルはイエス・キリストが生まれ、キリスト教が発祥した地でもあり、多くの聖地を訪れに世界中からキリスト教徒がやってくる。ナザレやベツレヘムはその中でも名高い。

ナザレと聖母
イエスが育ったとされるナザレは、受胎告知教会が中央に聳え立つ小さい町だ。だが2000年を経たナザレにはアラブ人が多く住み、教会の前には「アラーは偉大なり」の一節が掲げられている。
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土産物屋が立ち並び、聖母子の彫像、ヨルダン川の聖水やTシャツまで何でも売っている。ロシアからの参拝者が多く(イスラエルにはロシア系ユダヤ人も多く移住している)、キリル文字があちこちに目立つ。マイクはベラルーシ出身なので、急に居心地がよくなったようだ。
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受胎告知教会の内外に世界中から送られた聖母子像が飾られている。その国の文化や歴史を活かした聖母子を描いているのが特徴だ。日本の聖母子像は教会2階の主要な位置にあり、金箔や真珠が使われて煌びやかだ。蟇目鉤鼻の聖母が、着物の袖で十字架のシルエットを作り、黒髪の幼子イエスを抱く。着物の紋は菊と桐であり、天皇家に通じる神性(菊)と、馬小屋で生まれたイエスと似て、農民から天下人となった豊臣秀吉(桐)とを想起させる。天に向けた指は、釈迦の天上天下唯我独尊から借りているのだろうか。
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教会内部は2階建てで、1階はイエス生誕を表す遺構がある。厩といっても生誕図によくあるような木造の小屋ではなく、当時の民衆が住んでいた岩穴だ。地にあることで、イエスの人間としての側面を表している。フロアには吹き抜けがあり、光溢れる2階が窺える。
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その2階は教会となっており、ミサが執り行われる。天に近い2階で、神性を持った救世主としてのイエスを祀る。この日もミサが行われていた。ステンドグラスが非常に美しい。
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受胎告知教会に隣接して、イエスの父ヨゼフを祀る教会がある。当時のユダヤ人社会で、未婚の母だったマリアを娶ることは、非常に勇気が要ったはずで、その勇気とイエスを育てた知恵とを讃えている。父親の威信が回復されたようで心強い。
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ベツレヘム
イエスが生まれたとされるベツレヘムには、観光目的では立ち寄らず、ATVという小型バギーで山道を疾走するアクティビティを行った。幼子イエスが山野を駆け巡ったように、山道を、あぜ道を走り回った。
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前日が雨だったため、道に池ができており、運転席にまで水が入ってくるほど。走り終わると皆泥だらけだった。


移動中、ガイドのシャナイがユダヤ人の視点から見た、新約聖書のイエスの記述について説明してくれた。イエスはユダヤ人であり、初期キリスト教はイエス・キリストこそがユダヤ人が待ち焦がれていたメシアである、とする「ユダヤ教メシア派」であった。それがペテロやその後の法王が教義を整えて言った結果、ユダヤ教と分かれてキリスト教になっていった、という。

その経緯から、イエスの記述はユダヤ人の風習に沿ったものが多いという。水をワインに変えた奇蹟は、ユダヤ人の結婚にはワインが必要だという風習が背景にあり、また曜日の表現(ユダヤ教は日曜から1の日、2の日と数え、7日目を安息日とする)もユダヤ教に則っている部分があるという。深いレベルでのユダヤ教とキリスト教の結びつきには、アメリカ人も驚いていた。

私はキリスト教徒ではないのだが、宗教画を見たり、聖書を題材にした宗教曲やオペラを聴いたりしているうち、聖書のエピソードについては親しみをもっている。参加者の中では数少ないキリスト教・ユダヤ教を信仰しない参加者だったのだが、宗教とはどうやって形作られていくのか、どうやって人々に力を与えていくのかについて、まだまだ少しではあるが学んだ。
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by flauto_sloan | 2009-03-24 06:11 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (5/9) – ホロコーストとマサダ砦の記憶
世界に離散し迫害され続けたユダヤ人の記憶に根深く刻み込まれているのが、ホロコーストマサダ砦だ。ユダヤ人が絶滅の恐怖に陥ったこの二つの痛ましい歴史は、ようやく手に入れたイスラエル国を滅ぼしてはならないという決意と、肌の色も見た目も様々なユダヤ人を結びつける土台となっている。


ホロコースト
c0131701_831822.jpgエルサレム郊外にあるホロコースト記念館ヤド・ヴァシェムは、600万人といわれる犠牲者一人ひとりの生きた記録を集めることを目的に建てられた。それはやがて、痛ましい記憶を乗り越え、未来に進むことを目的に作りかえられた。

ホロコーストを直接経験した世代が多かった時、記念館の目的は、ナチスの残虐行為の糾弾という感情的で非建設的、だが傷を癒すために必要なものだった。痛ましい写真や映像に、目を背け、泣き出す人が多かったという。

だが今は、凄惨なホロコーストの記憶は遺しつつ、巨大な殺人工場を作り上げたのは鍵十字の狂人ではなく普通のドイツ人であり、また『シンドラーのリスト』のシンドラーや、デンマーク国民のようにユダヤ人を匿った勇気ある人間もいた*1、と人間の可能性を両面から捉え、学ばせる場となっている。痛みと悲しみから、自戒と憐れみを学ぶ。イスラエルの国としての成熟に大いなる感銘を受けた。

とはいえ、展示されている写真や遺品はどれも痛ましい。小学校で読まされた原爆や東京大空襲の写真資料を思い出し、胸が痛む。涙したエピソードをひとつ。
ホロコーストに着いたとき、まだ小さかった私は母親と引き離されてしまいました。その時に母親が咄嗟に渡してくれたのが、この眼鏡です。

ホロコーストの中では必要のない私有品は没収されてしまいます。だから私は目がよかったのですが、この眼鏡をかけ続けました。でも度があっていないので、いつもよく見えないまま生活しなければなりませんでした。

幸いに生き延びることはできましたが、あの時を最後に母親の姿は見ていません。私にとって、辛いときにずっと一緒にいてくれたこの眼鏡が、今も生き続ける母親です。
ナチス・ドイツがユダヤ人のホロコーストでの粛清へとエスカレートする前、ユダヤ人はゲットーに集められて劣悪な環境で生活させられていた。将来が暗いユダヤ人に生きる力を与えたものが、音楽だった。中にはナチスが抑圧したユダヤ人の生活環境を偽装するために、綺麗な身なりを着せてコンサートホールに集め、演奏を聴いている様子を映像にした、欺瞞もあった。

だがゲットーにいる音楽家が自発的にコンサートを行い、同胞に聴かせたコンサートもあった。美しい音楽が、辛さを乗り越えさせ、悲しみを忘れさせる力を与えていた。感情に訴える音楽の偉大な力を再認識する。

ヤド・ヴァシェムの最後は、閉塞感のある館内から望む、美しいエルサレムの山々だった。辛い艱難の先に得たシオンの丘。シオニズムとは何なのか、ようやくわかってきた気がする。


マサダ砦
死海の近くにある世界遺産マサダ砦は、古代ローマにエルサレムが支配された時に、抵抗したユダヤ人が立てこもった砦だ。当時最高の築城技術によって高い丘の上に築かれた巨大要塞で、数少ない降雨時に大量の水を貯める貯水技術を持ち、食糧備蓄も十分であり、ローマ軍を悩ませた。

だが最後は力尽き、城壁が破壊され、ローマ軍の総攻撃前夜、壮絶な集団自決をする。自殺が戒律で禁じられているため、男が家族を殺し、選ばれた一人が他の男全員を殺すことで、戒律を破るのが一人で済むようにした自決だったという。

この祖国愛と悲劇を忘れないよう、イスラエル軍の入隊式はこの砦で行われるという。マサダ砦の悲劇を繰り返さないよう、最後の砦となるよう、決意をする。はるか昔のこの悲劇はホロコーストとともに、ユダヤ人の心に今も深く刻まれている。
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トラウマを超えて
オーガナイザーのエミーはこう言っていた。

「私は、周囲のイスラム教の国々へのイスラエルの対応は支持できない。でも、シオニズムは心から支持している」

痛ましい歴史が記憶に刻まれたからこその祖国の渇望、シオニズムであり、ユダヤ人の結束をもたらしている。右派・左派といったイスラム教への対応はその上での議論に過ぎない。違いがあるからそこが注目されるものの、二律背反ではない。

だが建国以来の軍事活動で、ユダヤ人は被害者のトラウマに加え、征服者のトラウマを持とうとしている。日本人が60年間抱え続けてきた、この対立する二つの苦悩を、彼らはやがて覚悟なく受け入れざるを得ない。私がイスラエルを見聞きし知るにつれて、彼らに同情的になっていったのは、多くの類似性、とりわけこの苦悩の深さ故かもしれない。

どうやってこのトラウマを受け入れ、克服していくのか。日本とイスラエルに課せられた大きな課題なのだろう。


*1 HSGEの"Adult Development"の授業でキーガン教授が紹介していた研究で、なぜデンマーク人が危険を冒してまでユダヤ人を匿っていたのかを調査したものがあった。そこでわかったのは、デンマーク人が特別精神構造が発達していたり、英雄的気概をもっていたりした訳ではなかった。彼らが何の疑問もなく繰り返した回答は、極めてシンプルなものだった。
「だって彼らもデンマーク人だろう?」
ホロコーストを見た後だっただけに、この言葉に非常に感動した。人種や宗教を包摂し、違いではなく同じものを見て受け入れる。この社会としての成熟が、無数の勇気ある行為を生んだのだ。

とかく異民族や、日本人(日系ブラジル人など)さえも排斥しようとする傾向がある日本。日本人は個人レベルでは成熟していると思うことが多いが、社会としては未熟であるのが悲しい。日本人弱体化を謀ったマッカーサーを非難する人もいるが、今の世代からでも成熟した社会を作っていかなければならない、勇気や幸福はそこにあるはずだ、と強く思わされる逸話だった
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by flauto_sloan | 2009-03-23 07:38 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (4/9) - イスラエルの経済と起業家精神
ビジネススクールの旅行なので、イスラエルの経済・ビジネスも当然学ぶ。ペレス大統領という行政の長に会った後、金融の長であるイスラエル銀行(中央銀行)のフィッシャー総裁に会った。また、テルアビブやその近くのハイファはハイテクや軍事産業のクラスターであり、起業家精神に溢れた街は刺激的だった。
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イスラエル銀行総裁、フィッシャー教授
スタンレー・フィッシャー総裁は、MIT経済学部の元教授であり、我々を温かく歓迎してくれた。話の内容は、経済危機がどのようにイスラエル経済に影響を及ぼしているのかについてだった。
豊富なデータで丁寧に説明するところが、教授然としている。
イスラエルの経済は経済危機の中でも、比較的よい状況にあるが、保守的な金融政策をとっている余裕はない。GDPの成長率は2004年から2007年まで5%であり、2009年は-1.5%だと見込んでいる。これはGDPの45%を占める輸出が8%落ち込んだことが大きい。輸出産業は主に製薬、エレクトロニクス、防衛といったハイテク産業である。

ハイテクに牽引されるイスラエル経済だが、弱みは所得の不均衡と財政規律だ。ユダヤ人の10%、アラブ人の23%、その他人種の40%が貧困層にいる。貧富の差は開く一方で、様々な問題を引き起こしている。また、2007年にはゼロだった財政赤字は、2009年にGDP比5.2%と急激に悪化している。国の債務もGDP比83.5%であり、不安材料である。

イスラエル銀行としては非常事態として積極的な金融政策を展開し、為替介入のほかにも、金利引き下げ、国債の二次市場からの買い取り、流動性拡大のための様々な施策を行っている。金融機関は複雑な住宅ローンに手を出しておらず、また株価は下がってもキャッシュを持っているため、救済措置はとっていない。だが不良債権を整理し、中小企業への貸付を担保するための政府保証は必要である。
イスラエルと日本とは、規模こそ違えど産業構造が比較的似ている。国土が狭く資源を持たず、人的資本を強くしてハイテクの拠点となり、輸出に頼っている。そのため今回のように世界的に需要が減退すると、輸出減少がGDPに直に効いてくる。日本では内需を拡大せよという意見が多いが、イスラエルは人口が少ないからなかなかそうもいかない。

ようやく成長が軌道に乗ってきた矢先での金融危機を、イスラエルが今後どうやって乗り越えていくのか。ハイテククラスターとして拡大していくのか、貧困対策や消費喚起で需要の底上げをしていくのか。日本が学べるものも多く、興味深い。


ハイテク・ベンチャー
c0131701_23323169.jpgテルアビブでMITスローンのアラムナイ・パーティーが行われ、USBメモリを開発したイスラエル企業のCEOが講演を行った。
他にもスローンのアラムナイでスタートアップを起こした人が多く来ていた。彼らは多くがシリアルアントレプレナーであり、常に前進し続けている。
スローンにいるイスラエル人の友人も、みなチャンスとアイディアさえあれば起業しようとする。

この起業家精神はどこから来るのだろうか。

イスラエルにはGoogleやMicrosoftなど、世界的なハイテク企業の研究開発拠点が置かれており、優秀な人材が集まる。新しい技術を使いたいハイテク企業が多いから、需要も常にあるし、補完しあうような技術も容易に見つかる。まさにテルアビブ周辺はハイテクのクラスターとなっている。この熱気がアントレプレナーを生み、その成功が熱気を生む好循環なのだろう。

あるシリアルアントレプレナーのスローンOBに、あなたは起業を通じて何を学んだのか、と聞いてみた。少し考えて、信頼がおける優秀なチームを作ることの大切さと、失敗したところで家族さえいればどうということがない、と開き直ることだと答えた。後者は日本の環境だとやや異なるが、共に前進する仲間がいるという勇気と、撤退する恐れのなさが、前向きな人間を作るのかもしれない。


防衛ベンチャー
テルアビブ郊外のハイファにある防衛システム起業、エルビットを訪れた。ここは軍事・防衛のオペレーションを効果的に行うためのシステムを開発している企業で、イスラエルやアメリカは勿論、多くの国軍を顧客としている。

戦争が情報戦とテロ・ゲリラ戦が中心になり、分散化していることから、エルビットは小隊の行動を的確に把握して戦況を分析するシステムや、無人偵察機・爆撃機の開発などを行っている。特に無人偵察機・爆撃機は最近の軍事分野における大きなイノベーションで、岩山や複雑な地形でも、機動性高くかつ被害を最小に留めて索敵ができる。小型のものだと、紙飛行機のように片手で投げて離陸させるほどだ。『破壊的技術』の授業でも、ノルウェー軍からの生徒が防衛分野のイノベーションとして取り上げていた。

アメリカが軍事費を増大させ、中国も軍備拡大を続けている。嬉しい話ではないが、軍事産業は市場規模を拡大している有望市場だ。だが軍事技術は山本先生のいうcritical technologyの最たるものであり、イスラエルとしてもエルビットの活動にはかなり制約をかけているだろう。最先端の軍事技術へのアクセスはきわめて重要になっていく。日本も国産ステルス戦闘機の開発を行い、アメリカ依存からの脱却を行おうとしている。

山本先生は、軍事技術と民生技術の関係を、アメリカ型スピンオフと日本型スピンオンに大別した。イスラエル型は、ハイテククラスターの中で軍事アプリケーションが直接生まれる、中間態のように思えた。スピンインとでも言うのだろうか。そしてこの軍事イノベーションへのアクセスによって、世界の対立軸が決まっていくかもしれないと思った。


農業ベンチャー
イスラエルは、実は農業輸出国である。といってもアメリカのように、メジャーが大量の穀物を売りさばくのではない。農業技術を革新し続け、その技術を輸出している。

イスラエルはもともと砂漠であり、農業には適していない土地であった。だが灌漑、温室、品種改良といった技術を開発し、砂漠を緑化して高収率を達成している。食料自給率は90%以上だという。さらに、砂漠で農業をする技術をアフリカなどの砂漠国に輸出し、食糧問題解決に貢献しているという。

この技術開発に貢献しているのが、ガイドのシャナイも生まれたキブツという共同体だ(実際に訪れた莉恵さんのブログも参照)。共同社会として農業や技術を重視するキブツから生まれた農業イノベーションも多いという。旅の途中でもキブツを多く見かけたが、どこも鉄条網で村を囲み、共同体としての結びつきと、隣人との没交渉を強めていた。

ゴラン高原で、ロシアから1週間前に移住してきたというロシア人に出会った。彼はキブツの思想に共鳴し、近くのキブツに住んでいるという。若い頭脳と労働力が次々と訪れ、閉鎖性と開放性とが共存するキブツは、ただ閉鎖的な日本のムラと似ているようで似ていない。世界中にディアスポラを作らざるを得なかったユダヤ人たちは、今その不遇を刈り取る時期に来ているのだろうか。
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イスラエルの現在の印象は、一言でいうと巨大で創造的な産業クラスターの複合体だ。そこにはITがあり、軍事があり、農業がある。この三本柱は、地政学・地形学的必要に迫られて始まったものの、ハイテクを横通しに発展した今は、国力と活力の源となっている。

近隣諸国との関係、所得格差や、教育水準の漸減といった問題もあるが、建国から60年でここまでの存在感を築き上げたのはまさに奇跡的だ。国の基は人、という根本を思い起こさせる経験だった。
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by flauto_sloan | 2009-03-22 07:17 | Japan/Israel Trek
Israel Trek (3/9) - ペレス大統領: 難しい平和を追い求める
c0131701_4145650.jpgイスラエル立法府のクネセトにて、シモン・ペレス大統領に謁見した。中東和平に対する1994年のノーベル平和賞受賞者であり、パレスチナとの共存を進める左派である。2年前に84歳にて大統領に就任し、左右のバランスが難しいイスラエルの国政を執っている。

今回はスタンフォードGSBのイスラエル・トレックとの共同訪問であり、事前に選んだこちら側の質問に対し、大統領に答えてもらう形式をとった。スローンからは2名が質問したのだが、うち一人はレバノン系アメリカ人であり、アラブ側からの視点からの質問は勇気があり、かつ非常に深いものであった。
世界は善意を礎とすることも、また叩き潰すこともできる。パレスチナ人に居続けてよいと言えばよい。だが独裁者はいらない。モラルが失われれば、イスラエル人を殺せと煽るからだ。

イスラム社会は近代化と伝統の間で揺れ動き、女性などの差別や、科学技術への懐疑が助長されている。視野を広げ、差別ではなく創造に力を注ぐべきだ。ヒズボラが指導するレバノンや、ハマスが第一党のガザは、テロリストによる専制であり、そこの人々が求めている以上の過激な目標を掲げている。ガザやレバノンの未来のため、人々が自分自身で平和を得るために、違いを許容し民主主義をもたらすために、介入する必要があった。

60年のイスラエルの歴史は、奇蹟であった。国家を樹立し、ヘブライ語を復活させた。また戦争に一度でも大敗していたら、今のイスラエルはなかっただろう。戦争をするために国を創ったのではないが、ほかに選択肢はなかった。水も土地も油田も人材も持たなかったイスラエルは、生き延びるために農業とハイテクに特化し、いまや小国ながら大きな可能性を秘めた国となった。世界102カ国からユダヤ人が移り住み、不安定な社会でありながら、ハイテクではイノベーションを繰り返し、またエネルギー、水資源管理、安全保障などの新分野では大きなプレゼンスを持っている。

我々にとって重要なのは歴史であり、失敗することを学び、失敗から学びを得ることが、将来を学ぶために重要だ。構造的に見えていなかったものは何だったのかを知らねば、同じ過ちを繰り返す。我々はこの先がどうなるのかを全く知らないが、科学技術は社会を変え、対立をも変える力を持っており、そこへ力と時間を注ぐことは前進するための基となる。

そのために教育は重要であり、より賢く豊かな国民を育てなければならない。記憶を礎とし、過去を正しく扱えるようになって、はじめて自らを築くことができる。変化は若く賢い世代が生み出す。そのために、学ぶことへの投資は惜しまず、世界の将来像が見える人材を育てたい。

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イスラエルへの批判は強く、アメリカとイスラエルこそがならず者国家だと言う人もいる。誰々が悪い、と言うことは容易いが、ことは複雑であり、糾弾が解決するものは僅かだ。重要なのは何を解決しなければならないかであり、そのために相手をどう理解するかにある。

ペレス大統領の、思慮深い哲学的な一句一句は、その難しさと重要さを痛いほどに理解している深さがある。レバノン人の友人を含め、みな感銘を受けていた。ノーベル賞を受賞した他の二人はすでにこの世にいない。あの前進を記憶し、最後まで平和に向けて戦い続けている高齢の大統領は、イスラエルの精神的支柱であり、この中東に必要な人材なのだろう。

握手をした大統領の手は非常に柔らかかった。

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by flauto_sloan | 2009-03-21 22:36 | Japan/Israel Trek