MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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結・MIT Sloan 遊学記を終えて
学問の四焉(修焉、蔵焉、息焉、遊焉)の境地のどこまで至っただろうか。
知識を見識に引き上げ、胆識を養うに至っただろうか。

答は、わからない。
答が出る類の問いであるのかも、わからない。

だが、好奇心をもって知識を吸収し、自分の頭でとことん考え、自分の肚で勇気を生み出し前進することを学んだ。いや、自分という袋の中をまさぐって、引き上げて向き合ったというべきか。

その過程で、遊焉とは何であり、胆識とは何であるのか、それを垣間見、そこへ進む勇気と歩みを得られた。
不要な執着から自由になり、その自由が伴う責任を受け入れる覚悟ができた。

この学びと成長が本物かどうかは、帰国して実践することで、5年ほど経ってふとわかることだろう。


この2年間を生き延び、人間として少しでも回復し成長できたのは、家族と友人に拠るところが計り知れないほど大きい。また、留学の機会を与えてくれた会社にも感謝しており、きっちり御恩返しをするつもりだ。
そして、このようなブログの約540件の記事に興味を持って読んでいただいた皆様には、書き始めたときには予期していなかったような励まし、関心、助言等を頂き、感謝の念に堪えない。

こうした、面識のあるなしにかかわらない、人と人との無限のつながりにまた、大きな可能性と学びと成長の機会を感じる*


遊学を終えたら、学ぶことが終わるわけではない。
むしろ、学ばねばならないという必要性と、学びたいという好奇心が強まるばかりだ。

遊焉の境地を想うがゆえに、遊学はまだ続く。


* 卒業後の足取りを、別のブログにするかどうかは未定だ。
仕事の内容を書くことはないだろうが、日々の学びを書き識すものは作るかもしれない
そのときは、またお目にかかれることを望みたい

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by flauto_Sloan | 2009-06-08 22:21 | Mens et Manus
母校 - Alma Mater
卒業式から一夜明けて、妻は一足先にNYへ帰っていった。私は母親にMITを案内するとともに、この学び舎に別れを告げていった。昨日は人と喜びに溢れかえっていたキリアン広場も、今日は芝生が青々と生い茂る。
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何度も通学で歩いた無限回廊(Infinite Corridor)を歩くと、面白いイベントのポスターを探した掲示板、MITHengeなどが思い出される。
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不可思議なデザインのスタータ・センターに入ると、世界を変えていく創造力の息吹を感じる。
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そしてスローンの建物に入ると、私の視野を大きく広げた学びと、350人の仲間との交友が、私の中に根付いていることを感じる。
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偉大な学者や起業家が、最先端の知見や、熱情あふれる経験を教えてくれた大講堂。好奇心を呼び覚ましてくれた。
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これでこの校舎に足を踏み入れるのも、最後かもしれない。
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様々な思い出が去来する。

だが、悲しいだとか寂しいだとか、後ろ向きな感情はない。いつでも私を迎え入れてくれ、腰を下ろして休むことができる場所だ、と感じる。

これがこのMITとSloan School of Managementを母校(Alma Mater)と呼ぶことの意味なのだろう。
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by flauto_Sloan | 2009-06-06 22:34 | MITでの学び(MBA)
ボーゲル塾卒業
c0131701_14262175.jpg2年間に亘り通ったボーゲル塾。
ボーゲル先生宅での勉強会は先日が最後だったが、本日は4つの分科会が1年間の研究発表と質疑応答を行い、懇親会を行った。

いわば門下生自身による卒業式だ。

日本人のアイデンティティ、少子高齢社会での日本のあり方、日本のプレゼンスと外交、日本の教育という4つのテーマは、相互連関していて非常に面白い。日本の様々な閉塞感や問題は、突き詰めていけば『成長の限界』の縮図なのではないか、と思う。

国土も資源も限られた日本が、高い教育水準(特に戦前のエリート層)と人口増加によって目覚しい成長を遂げたが、その限界を迎えて今は下降局面にある。だがこれまで成長、躍進しか経験したことがない日本国民や政治家は、成長の限界局面を迎えてどうしてよいのかがわからない。縮小均衡に陥るのが自然であっても、それを選択することは前の世代の成功を引き継げない「失敗」と見做されてしまう

では均衡を破るしかないのだが、均衡を破るには別の何かで不均衡を作らなければならない。その新しい不均衡がテーマによって、価値観だったり移民政策だったり、軍事力だったり教育の多様性だったりする。不均衡なので当然、それらの変化によって何かを失うことになり、抵抗する人がいる。抵抗に屈し続けたら、待っているのは国民総茹で蛙だ。いや、目端の利く人は一足先に逃げるか出し抜くかするだろうが。


だが地球全体がいずれ『成長の限界』を迎えるのなら(これは非常に強い仮定だが)、それを一足先に迎えた日本は、世界のロールモデル足りうる。他の世界が日本のような限界に追いついて始めて、日本が失敗していたのでなく、将来を先取りしていたのだと気がつくかもしれない。今回の金融危機でようやく、日本のバブル崩壊後の対応が理解されたように。

その時、日本が豊かなる衰退といった新しいモデルを示せるかどうかで、その時に世界の尊敬を得られるか、あるいは見直されもしない存在に甘んじるかが決まるかもしれない。

もちろん、その時までに日本が今以上に意気消沈してしまっていては意味がない。そのため、何とか日本人のアイデンティティを括弧たるものにし、少子高齢の社会システムを描き、プレゼンスを維持し、教育の建て直しをしなければならない。それぞれの局所解としては、さすがボーゲル塾だけあり、色々と面白い意見が出てきた。だがそれを俯瞰して、どう取捨選択し、対立を止揚するか。答えのない悩みが深まった。だがその悩み自体が、大きな学びであり、ボーゲル塾を卒業した証なのだろう。

答えがないが故に、日本に帰っても引き続き同門の士と議論し続けたい。志を忘れてはいけない。
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by flauto_sloan | 2009-05-31 14:28 | Harvardでの学び
医療訴訟
今月のボストン日本人研究者交流会は、さいたま地裁医療集中部の裁判官をお呼びして、医療訴訟について発表していただいた。ボストンは医療機関が多いので、日本人のお医者様も多く、かねがねから医療訴訟についての関心は高かった。医学・法学ともに参加者が多く、関心の高さと問題意識から、活発な意見交換が行われた、実りある回だった。

法の専門家であって医療の専門家ではない裁判官が、医療過誤訴訟などの医療裁判でどうやって正しい判断をしていくのか。現在行っている取り組みや、今後の課題を、日米の制度の比較も含めて紹介していた。会場のお医者様の中には、実際に参考意見を述べたことがあるなど、裁判に関わった方もいて、率直な意見が飛び交った。
医療裁判で判断となる材料は、過失と結果の因果関係であり、そこに専門的知見を取り入れるために、カルテ・文献調査、担当医への聞き取りの他、協力医や鑑定人の鑑定書や証言を利用している。そのため、2007年度で平均的な民事事件では7.8ヶ月かかる審理が、医療裁判では短縮傾向にあってもまだ23.6ヶ月かかっている。鑑定を実施する場合は52ヶ月もかかる。また、判決にまで至るものは全体の35%であり(残りは和解や取り下げなど)、そのうち37.8%で原告が勝訴している。

時間がかかる最大の要因は、医師(協力医)の確保の難しさと、その医師の忙しさとなっている。地裁レベルでは、地元医師会との協力体制を整えたり、候補者リストを作成したりと、審理短縮化への取り組みを行っているが、全国的に組織立った制度はまだ十分ではない。

また、専門性と中立性・公平性のバランスを取ることは難しい。専門的意見を取り入れることは判断の正しさを担保するために重要だ。だが一方で原告としては、裁判官が医療界と距離があることを訴訟のメリットと考えている。
2004年に医療関連の訴訟数がピークを迎えた後に、減少傾向に転じたのは、裁判の結果が出始めて判決の相場がわかってきたもで、原告側が勝てないものを訴えないようになったためだと考えられる。これは実際の裁判を通じて、専門性と公平性のバランス感覚が裁判所に備わってきていることも示唆する。
だがこのバランスに正解はなく、むしろ社会や患者のニーズに応じて、医療訴訟以外の選択肢を広げるための制度作りも進めていくことが有効だ。たとえば、過失の有無に関わらず補償する制度や(副作用・産科など)、ADRといった制度の役割は増していくだろう。

裁判が全てではない。真摯に謝りたいと思っている医者も、裁判だと患者やその家族に対し厳しい言葉を使わねばならないことがある。医者も裁判にかけられると時間を取られ、判決に関わらずキャリアに変化が訪れることもある。多様な選択肢は医者と患者双方に便益があり、裁判所も鑑定人リストの共有などで支援していくことが重要であろう。

今回は民事の医療訴訟についてだったが、質疑応答では千葉大法学部の先生で刑事の医療訴訟を研究している方がいたこともあり、刑事事件についても熱い議論が交わされた。医療現場が気にするのは、どちらかと言えば民事訴訟よりも刑事訴訟だからだ。

特に福島の大野病院事件は、色々ときな臭い話も相俟って、医療現場に大きな心理的ダメージを与えていた。昨夏に地裁判決で医師の無罪が言い渡されて、医療崩壊のさらなる加速は一旦遅まったが、もはや萎縮医療や医療崩壊は避けられないだろう。

だが大きな司法判断として刑事事件は注目されるが、医師の日々のリスクとしては民事訴訟のリスクがつきまとう。医療サービスにチェック・アンド・バランスは必要だとしても、医者が最善を尽くした上での不幸な結果に対して、アメリカのように乱訴が行われては、ますます萎縮が進むだろう。

100%の無欠を志向する国民性は、製造業の品質向上や工芸品の美しさには貢献したが、サービスにおいては、対価を求めない品質改善が結果的に顧客の期待値を高め続けた。100%の品質を学習してしまった、あるいはそれしか知らない人々は、少しのミスや失敗も許容しない。さらに、お上に任せれば安心という主体性なき依存心と、失敗に対する懲罰意識の高さとが重なり、結果的に顧客に尽くしたサービス業がモンスターXXといった人々を生み出し、皆で自分の首を絞めている。

それがまず顕著に現れたのが医療現場であり、続いて教育現場やITサービス、果てはクリーニング店にまで、品質や対価が不明確なサービス業を中心に、同じ構造の現象が起きている。高すぎる期待値と、失敗に対する顧客によるクレーム・懲罰・訴訟増加(モンスター化)、そのリスク回避のための萎縮サービスや現場の士気低下・人材流出。その結果、最初は自然誤差だった失敗をトリガーにした悪循環が回り始め、品質が本当に下がっていってしまう。

この悪循環を断ち切る方法は、事情によって異なる。何もしなくても、時間がある程度解決はする。人々が「100%の品質はもう得られない」と学習して、期待値を下げるからだ。出産には死の危険が伴う、クリーニングに出せばシャツのボタンが溶けることがある、という二十年前なら当たり前だったことを、常識として受け入れれば、世の中の不幸は増えるが、不満は軽減される。

医療の場合は、先に医療訴訟の相場観が生まれてきている。「このケースでは勝てない」という基準を社会および司法関係者が学習していくことによって、やがて「このケースは医師に過失がない」、「医療には限界があり、結果責任はとれない」と学習していくこと期待したい。

あるいはITの世界でよくあるように、サービスレベルを設定し、高品質には高い値段を(そして低価格には低品質を)設定しなければならない。公立校と私立進学校の差や、自由診療もこのケースだ。ただし、サービスの売り手と買い手双方に教育が必要であり、それはそれで時間がかかる。また、よく言われる「医は仁術」という言葉は、医者は採算度外視で患者に尽くすべきだ、という誤解された意味でまかり通ってしまっている*。こんな誤解が蔓延する日本に、どこまで馴染むのか疑問だ。


結局、医療の質はバブルだったのかもしれない。現場の医師が寝ずに頑張り続けて、本来維持可能な品質レベルを超えたサービスを提供し続けてきた。だが維持可能なレベルと実際のレベルがあまりに乖離しすぎて、医療品質バブルが弾けたのだろう。株価や地価のようなわかりやすい数字が医療の品質にはないため、バブルという実感が医師患者双方になかったし、バブルが弾けたときにもその影響がわからなかった。萎縮、とはバブルの破裂のことなのだ。

金融危機が訪れても、アメリカ人が本来あるべき地価は下落後の今よりも高いはずだと考えているように(100年間の実質地価推移を見ると、現在の地価でもまだ「本来の」地価よりも高い可能性がある)、医療崩壊が訪れても、日本人は当面、本来の医療の質は崩壊前のレベルだと考え続けるだろう。今は膨れ上がった期待を本来のものへ引き下げるという、痛みを伴い、誰かを訴えて自分の責任を軽くしたいフェーズにある。それが民事刑事の医療関連訴訟の増加であり、マスコミの客観性を欠いた医者・厚労省叩きであろう。

だが再度手に入れられる可能性のある金や家と違って、健康や命は取り戻せない。医療品質バブルに伴う損失は大きく、引き起こされる感情的抵抗は激しい。まずは発表であがったような行動できる選択肢の多様化、原因解明を可能にする制度、現場の透明性確保、原告・被告への心理カウンセリングといった、当事者が「納得するためのプロセス」を整備しないといけないだろう。

* 安岡正篤翁曰く「仁というのは、自然(天)が万物を創造し化育していく、いわゆる天地の生の徳、生み成していく生産、結びである。『医は仁術なり』というと、仁の本当の意味がわからない医者が嫌がる。ただで診てやるという意味ではなく、患者の病気を治す、健康にしてやるという意味なんであります。いくらただで診てやったとしても、殺してしまったのでは仁にならん。謝礼を取る取らないという問題ではなく、患者を哀れんで助けるというのが仁術という本当の意味であります」
(安岡正篤著 『指導者の条件』 黙出版 pp.150)
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by flauto_Sloan | 2009-05-09 23:53 | ボストンでの生活
心理音響学 - 音楽の効果
お昼にMIT Brain and Cognitive Sciencesにて、そこの卒業生(現在はNYU所属)の研究者による、心理音響学の講演があった。音楽が人間にどのように作用するのか、科学からは何が言えるのかと思い、前から気になっていた46号館へ向かった。
なぜ人は音楽が好きなのか。この答えはまだ明確にわかっていないが、和音は聴いて心地よく、不協和音は不快だと言われる。この好みは、和音自体の性質によるものと、学習によって生まれてくると考えられる。

和音は不協和音に比べて、共鳴による振動が少なく*この振動が不快感を生み出していると考えられる。被験者に二つの音による和音を聞かせ、好き嫌いを答えさせると、和音ほど好まれ、不協和音ほど嫌がられる。音階は和音による心地よさを最大化し、優れた作曲家は和音の心地よさを最大化させていると考えられている。

細かい振動を嫌うのが本能だという論では、心臓の鼓動と関係があるとされる。また、不協和音を和音として両耳から聞かせると不快でも、一音ずつ左右の耳から聞かせると不快に思わないという結果もあり、振動が感覚に影響する。

だが響きへの感受性は個人差が大きく、この和音に対する好みは、どこまで人間の普遍の本能なのかはまだ研究中だ。異なる文化間での比較研究もなく、西欧音楽特有のものかもわからない。だが幼児でも和音を不況和音より好むという研究結果があり、本能的なものと考えられそうではある。

一方、学習によって好みが生まれたとする考え方もある。音楽経験がある被験者の方が和音に対してより強い好みを示した。おそらく経験によって和音の心地よさを学ぶのだろう。
総じて、「まだよくわからない」段階だと感じたが、どのような音楽が人を心地よくさせ、それがどこまで普遍的かというのは面白い問題だ。音楽療法などとも関わるが、音楽が心理に作用する力がどれくらい大きくなり得るのか(個人差が大きいにせよ)、あるいはただの暇つぶしなのかといった、音楽の本質的な価値がどれくらいなのかがわかると、音楽の使い方は広がっていく。

私個人は音楽の力を信じているのだが、一方で常に批判的でもある。
なにが音楽が持つ本能的な効果で、そのうちどれがクラシック音楽によってより強く得られるものなのか。
なぜ世の中の97%はクラシック音楽を聴かないのか? (この数字を見ると、特殊なのは私のほうだ)
文化や学習はどこまで音楽の嗜好に関わるのか?
音楽は本当に、人間に求められているのだろうか?

信じつつも、このあたりを冷静に考えていないと、ただの盲目的な音楽宣教師になってしまう。現在認知科学で何がどこまでわかっているのかを知るいい機会だった。

ちなみに、その後ちょっとこの建物を見学。なかなか脳を刺激される。
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* たとえばドとレの音を同時に鳴らすと、二つの音がぶつかりあって細かい振動が聞こえる。一方で純正律のピアノで和音を弾くと、このような振動はほとんど感じられない。この振動が不快感の元であるらしい
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by flauto_sloan | 2009-04-15 20:09 | MITでの学び(非MBA)
スコルニコフ教授 – 科学技術と政治
先日の日本人研究者交流会での山本教授の発表でも名前が挙がった、MITのスコルニコフ教授が「科学技術と政治が出会うとき」と題して特別講演を行った。スコルニコフ教授はアイゼンハワー大統領、ケネディ大統領、カーター大統領の3政権でホワイトハウスのアドバイザーを務めた。まさに原子爆弾、アポロ計画といった科学技術と政治の関わりを間近に見てきた人物だ。

1時間の短い講演だったので駆け足ではあったが、山本教授の講演と合わせて、科学技術政策を考えるいい機会であった。以下要旨。
  • 社会が変われば、科学技術の役割も変わっていく。「技術力を持つとは、どういう意味なのか」というシンプルな問の意味するところは、社会のかたちと共に変わりゆく。国民国家という国の形はいまだ健在なものの、国際的組織の興隆とともに時代遅れになりつつある。今後は科学技術に対する、国際的な枠組みが一層必要となる。
  • 今や国際問題は科学技術の理解なしに取り扱うことはできない。だが、科学技術それ自体が政治を決めていくことはない。核兵器でさえも、政治が核をどう扱うかを決めたのであり、核兵器が政治のあり方を定めたわけではない。
  • 科学技術と政治の関わりでは、安全保障問題が3つの分野で重要な問題である。まずは諜報分野であり、次にレーガン政権のスターウォーズ計画のような宇宙技術の分野であり、そしてサイバー戦争といったIT分野である。
    • 宇宙技術は、技術と政治が絡み合う最たるものである。有人宇宙飛行をめぐる争いでソ連がアメリカに勝ったとき、アメリカは国家教育法を1957年に制定して、科学技術教育に力を入れた。そして政府が支援する宇宙計画、アポロ計画がNASAで立ち上がった。だがここで政治は対立から協調へと転じ、1962年にケネディ大統領*1は国連とソ連に対して共同研究の提案をした。
    • ITに関しては、防衛上極めて重要な課題となっている。科学技術の性質として、巨大なシステムを発展させていくことがあり、それがテロの危険を生む。Webやグリッド・コンピューティングは巨大なシステムを作っていったが、それは悪意を持ったちょっとした行動で、大きな結果をもたらすことができてしまう*2
  • 安全保障以外の分野でも、経済についてチャールズ・ベストが「イノベーションがマントラ」となっていると言ったように、科学技術がますます重要になるとともに、競争や課題が国際的になっている。
    • 現在では、気候変動が国際政治の重要なテーマである。懐疑論がいまだ根強いだけでなく、国際的協調がないと解決できない問題だ。中国からの汚染物質は中国だけの問題ではない。エネルギー問題も石油依存からの脱却を図って研究が進むが、科学技術の進歩をどこまで実現するのかは政治的問題をはらむ。
    • 食料・農業分野では、遺伝子組み換え技術の現場への導入が遅れている。科学技術を完全に安全だと証明することはできない。利用可能な技術をどこまで取り入れるのかは、技術ではなく政治が決めるのだ。
  • 国際的な枠組みを考えたとき、最先端の科学技術の管理は大きな問題となる。現在は過剰反応をとっており、技術それ自体に悪影響が出ている分野もある。
    • MITなどアメリカの科学技術教育の現場では、アメリカの学生よりも留学生が増えている。これは重要な情報をどう管理するのか、科学技術の職業にどこまで留学生を受け入れるかという問題をはらみ、特に9.11以降はテロリストに技術を与えないことが重要な課題となっている。
    • 軍事・民事問わずあらゆる技術は漏洩されうるため、重要な技術への制限は必要なのだが、今は過剰対応となっている。アメリカ人以外が出席できない職業や会議が増えたため、商業用衛星産業のように壊滅的な打撃を受けた分野すらある。技術自体を破壊してしまっては元も子もない。
MITの航空宇宙の友人が、「宇宙という夢を追って技術に専念したくても、この世界は必ず途中で政治が顔を出してくる」と嘆いていたように、アメリカ型スピンオフの構造では特に、基礎研究から政治が非常に強く絡んでくる。日本のようなスピンオン構造だと意識することは少ないが、山本教授の講演だと、実際は色々とあるようだ。

国際的な枠組みで科学技術を取り扱うのは、国民国家を維持し続ける限り、相当に難しそうだ。インターネットの敷衍によって、国家を超えて経済や政治活動が繋がっていくと、ひょっとしたら国家のありかたが変わっていくのかもしれないが、まだその閾値には達していなさそうだ。

しかも「技術それ自体が政治を定めていくことはない」のだとしたら、インターネット(或いはほかの技術)で社会が変わっていくとしても、そのペースや範囲を定めるのも、ある日各国元首が「国民国家というかたちを捨て、世界国家を作ります」と宣言するのも、政治である。

それは正しいと思うのだが、ひょっとしたら次に起こるのは、リアルな世界がバーチャルな世界に従属して、バーチャルな世界を最適化するという社会的・経済的要請が異常に高まっての、政治革命かもしれない。その時は、技術が政治を定めることになるのかもしれない。そんな世界が安定的に存在できるのか疑問だが。

*1 教授の評では、ケネディ大統領は非常に好奇心旺盛だったという
*2 コンピューター・ウィルスや安全保障関連のシステムへの侵入など、様々なレベルでのサイバー戦争が考えられる

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by flauto_sloan | 2009-04-08 06:15 | Guest Speakers
競争と切磋琢磨と平等
ボーゲル塾の勉強会があり、テーマ別に分かれたグループが研究の中間報告をし、互いに意見を聞きあった(そしてその後は新年会)。個別の内容は書かないが、教育班の発表を聞いているうち、最近考えていた「競争と切磋琢磨の違い」が気になった。

競争の国アメリカ
アメリカは、競争の国だ。学歴や仕事では常に競争をし、勝つことを求め続ける。ミスコンから音楽コンクールまで、徹底した競争原理が働いている。スローンのリーダーシップのクラスで話したある友人は、人生の目的を尋ねたときに「競争に勝ち続けること」と答えていた。

自由の国アメリカは、アメリカン・ドリームを掲げ、民主主義と市場原理を推進することによって、勝ち負けがはっきり分かれ、常に競争に駆り立てられる世界を作り上げた。成果としては、世界で経済をリードし、イノベーションを次々と生み出した。CEOや投資銀行員は破格の給与を手にし、人口の3%が消費の90%を占めることとなった。一方、3人の勝者の影には、97人の敗者がいる。

アメリカでこの敗者はどうなってしまっているのだろう。そんなかねてからの疑問を、ハイフェッツ教授の授業でチームメートだったカレンに聞いたところ、彼女自身もずっと心を痛めている社会問題だった。色々話して、以下のような区分がありそうだった。
  • まず、始めから競争に勝つことを諦め、ブルーワーカーとして働き、週末は近所の野球チームの監督をすることに幸せを見出すような人がいる。今回のような不況では真っ先に被害が及ぶものの、これはこれで生き方として確立している
  • 次に、競争に参加したものの敗れ、身の丈にあった仕事を見つけ、再び競争に参加することを目論んでいる人がいる。アメリカの労働流動性の高さと、再チャレンジを許容する文化があるため、大部分の人はこの行動をとる
  • そして、競争に敗れ、職を失ったことを自己実現を達成できなかったことと取り違え、破綻する人がいる。精神を病んだり、時には自殺する人もいる(アメリカでも解雇により7人が一家心中したニュースが話題になった)
  • 最後に、競争に暫定的に勝っていても、いつ敗者になるかもしれないという強迫観念に付きまとわれ、勝つことが幸せや平穏をもたらしていない人がいる*1
常に競争にさらされ、勝つか負けるかのバイナリーな価値観でいることは、一部の才能や強運の持ち主以外には、精神的に過酷なことなのだろう。特に後半二つのカテゴリーは、アメリカの競争原理が抱える精神病理といえよう。

競争と切磋琢磨の違い
日本でも成果主義など様々な競争原理が導入されてきた。だが残念ながらこの競争原理は、和魂洋才とはいかず、弊害もしっかり輸入してしまっているように思える*2。では和魂は何だったのか。それが切磋琢磨という概念だったと思う。

競争はサルやゴリラの群れにもあるように、人間本来の性質だ。当然日本にも競争はあったのだが、そこには切磋琢磨の精神があった。お互いを刺激し、能力を磨ぎ合う精神だ。ここでは勝ち負けを喧伝したり、相手を追い落とすことは恥でしかない。相手が勝ったところを見て発奮し、自らの能力や精神を鍛えるという、アップサイドに注目した健全な競争関係だ。

もちろん実際には詐術や姦計に長けた者が、敵対者を追い落とすという政治的競争はあったのだが、少なくとも切磋琢磨の概念は美徳としては行き渡っていたのだと思う。

もはや仕事の世界では、グローバル化というアメリカ化が進み、切磋琢磨ならぬ競争原理が染み渡ってしまったし、今更競争の仕組みを変えることは、文字通り企業の競争力の低下に繋がりかねない。だが、せめて教育の現場では、勝ち負けの競争原理ではなく、切磋琢磨という前向きで健全な競争を教えて欲しい。勝ち負けの方は、いずれ塾の模試で学ぶのだから。

平等主義は振り子を戻しすぎ
よく競争原理の揺り戻しとして、平等主義が語られる。運動会でみんな一等賞というものだ。これはこれで戻しすぎで、人間本来の向上心を萎えさせるだけだ。競争は人間の本能のひとつなので、否定することは健全ではないし、結局平等な社会(それをユートピアと呼ぶ人もいるが)は存在しない。

むしろ競争自体を悪とするのではなく、競争の結果をどう解釈し、行動に繋げるのかをきちんと教えるべきだ。敗者への侮蔑と勝者への妬みではなく、結果を自分の糧とすることを教えなければならない。


何事にも"competition"と唱え、競争原理に行き過ぎたアメリカと、平等主義に傾いたひところの日本を眺めると、どちらも極端であり、相応のリスクとリターンを伴う。日本が培ってきた切磋琢磨の精神は、この対立概念を弁証法的に解決した智慧だったのではないかと思う。それを失いつつあるのは、非常に残念でならない。


*1 システム・ダイナミクスの"happiness"の回で示されたデータに、CEOがどれだけ幸せを感じているか、というものがあった。正確なデータは失念したが、驚くほど幸せを感じられていなかった
*2 もちろん、利点が正しく発揮されたものもある。成果主義を例に取ると、優秀な人に相応の報酬が支払われれば、正しいインセンティブがはたらく。だが実際は成果主義が賃金削減の口実に使われたケースも多い

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by flauto_sloan | 2009-01-23 11:37 | Harvardでの学び
ハイフェッツ教授のリーダーシップの授業を終えて
c0131701_524470.jpg密度の濃いロナルド・ハイフェッツ教授の2週間のリーダーシップの授業が終わった。
秋学期以上に、感情のジェットコースターとなる授業だった。1週目の終盤から、授業中に泣き出す人が現れ、私も最後の日は喜怒哀楽全ての感情が湧き起こり、最後は涙せずにはいられなかった。

ハイフェッツ教授自身の凄さはもちろんあるのだが、それ以上に彼が作り上げた環境(授業の設計とグループ・ダイナミクス)と、そこでお互いに刺激しあう学生のコミットメントの深さが素晴らしい。


授業や教授に対しては、心酔する人から反発する人、納得する人から懐疑的な人まで幅広い。多くが心酔することから「ハイフェッツ教」と揶揄されることもある。だがそんな価値観の幅を許容し、創造性・生産性を促す環境を作り、経験させることで、我々がリーダーシップを執る際に達すべき、環境の質についてのレファレンスを持たせてくれるのだ。

授業で教わる "holding environment" や "creative range of disequilibrium" といった抽象的な概念は、実際に経験しないことには理解できないし、それをどの程度まで持っていくと、目的を達成するための創造性を発揮できるのかについても、経験しないことには想像がつかない。授業中に様々な実験を学生に行わせることによって、自ら気づき学ぶことを促すのが、教授の役割なのだ*


c0131701_5293671.jpg特に冬学期は、自分の内面に抱えている役割や祖先への忠誠が、自分の行動や思考を如何に制約し隷属させているのかを学ぶ。
それを意識しそこからできるだけ自由になるためには、大きな苦痛を伴う。その副産物として感情の大きな起伏が個々人の中に生まれるし、それがクラスの中に共鳴し増幅して、大きな感情のうねりを生む。

その振幅がピークになる時、涙する者が現れる。

人生の様々な局面でリーダーシップを発揮すると、人々に変革を促し、喪失の痛みを始めとした大きな感情を生み出す。その感情の起伏を知ったからこそ、彼らへの憐れみを持てるし、その感情を包容することができる。その対処法と自分の許容量を知るための2週間だった。


授業が終わると、学生全員がスタンディング・オベーションを行った。自分を見つめ直し、将来を考え、傷を癒し前進するための機会を与えてくれた、素晴らしい授業だった。

だが、学びを「ハイフェッツ教」として絶対視・神聖視してしまうことは生産的ではない。彼のフレームワークにも限界はあるし、日本というコンテキストであまり有用ではないものもあろう。それを見極めて、極めて個人的な学びとして消化し昇華することが、今後求められる課題だ。


* 勿論この手法には限界がある。教授が授業の設計時に大きく参考にした心理療法の手法(教授は精神科医)にも限界があるのと同じだ。ある信念を長年かけて増強し続けてきてしまった人は、その信念を失う・変更することに対して大きな抵抗を覚え、その試みを持ちかける教授や友人を敵視しかねない。そんな学生を個別対応することは、授業を通じては行えない
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by flauto_sloan | 2009-01-16 22:44 | Harvardでの学び
振り返りと抱負 - Cum Mens tum Manus
実り多かった2008年も終わり、いよいよ帰国の年2009年だ。この1年を振り返り、今年の目標を立てたいと思う。

2008年を省みる
学ぶことを学び、考えることを考えた一年
c0131701_039954.jpgこの一年間、授業や課外活動で、非常に多くのことを学んだ。

経済学、システムダイナミクス、リーダーシップ、交渉術、ファイナンス・・・ だがそれらを振り返ると、結局のところ学ぶとはどういうことか、ということを学んだのだと思う。

経験はそれ自体必ずしも学びではなく、そこへ自分の信じる、きわめて個人的な何らかのモデル(もしくは信念)を適用して分析し(これが反省というものだと思う)、モデルを追認するか、期待値を現実に引き寄せるか、アノマリーを見つけてその理由を考え、モデルを更新することで、学ぶことができる。その差分である学びの蓄積が、自己を形成し、社会との関わりへの自由度を増す(より広範な選択肢を持ちうる)のだと思う。

社会に出てからは、当てはめるべきモデル(価値規範、哲学、将来像等々)がしっかりしていなかったがために、コンサルティングによる豊富な経験をしておきながら、「学んだ」という実感がなかった。経験を経験として消費していただけだった*1

今は失敗も成功も、経験を糧として追体験し、学ぶだけの余裕と知見を得た。上手くいったプロジェクトを振り返って自信を取り戻し、失敗したプロジェクトを直視して、なぜ失敗を免れなかったのかへの想像力が少しばかりつくようになった。


そうして学ぶことを学ぶと、次に考えることを考えるようになった。考えるとはどういうことか、考えることの限界はどこにあるのか。まだまだこれについては考えがまとまらないが、やはり世界をある一定の前提の下で、あるモデルへと捨象することで、問題に対する答えの仮説を構築することなのだろう、と思う。だがそのモデルは二元論的、還元的であっては最早現実に追いつかず、全体知を同時に得られるものでならねばないだろう。

システム・ダイナミクスはその点で非常に優れたモデルだと思う。世の中には限りない幅があり、善悪や白黒の二元論で考えることは、効率性のために妥当性を犠牲にしている。「ポジションを取る」と謂われる強い判断を繰り返していくことは、スピードを得られる一方で、真理とのギャップが摩擦を生む*2。真実は善悪の狭間に、という単純な直観と思考の柔軟性が必要なのだろう。創造性は対立構造を止揚することで、往々にして得られるのだから。


そうして考えることを考えていくと、伝えるべきことをどう伝えるべきか、という最後の問になる。どんなに正しいと思われることを考えても、正しく伝えて人を動かせなければ、意味がない。ここで、コミュニケーションやリーダーシップからの学びが重要になってきた。

自分の考えを敷衍していくためには、自分の考えを相手が受け入れてくれるような環境・構造を作り、受け入れてくれる相手の思考や価値観を知り、効果的な手段で伝えなければならない。特に最初に揚げた環境や構造をどう作るのかというのが非常に重要だが、これが一番難しい。どうやって人の認知に入り込むか。

ここで、私の生来の興味である、嘘とは何か、という興味に立ち戻った。嘘とはなんだろうか、効能、手法、評価(社会的、宗教的)と、考え始めると興味深い。このあたりが今後の興味分野となるだろう。


真に愛するものとしての音楽
c0131701_0404724.jpgNYにボストンと、数多くの演奏会に出向いた一年でもあった。音楽を聴き続けているうちに、改めて自分が音楽を本当に愛していること、良い音楽を聴くと理屈抜きに喜びを感じていることを知った。

そしてリーダーシップの授業を通じて、音楽の持つ深く強い力を確信するようになった。人間の本能的活動を、磨き鋭くすることは、人間本来の力を強めることでもあるのだろう。そして個人としての能力を高める日々の鍛錬は感性を研ぎ澄まし、全体としての響きや表現を高めるための合奏は、理屈ではない本能的な協調能力を育むのだろう。

では私は今後音楽とどのように関わっていくべきか。それが大きな問として、今自分に投げかけられている。


漂泊の中に見出す生
c0131701_0514191.jpg妻と夏休みを中心に、数多くの旅に出た。北米・中米の大自然と、そこでの人の営みの違いを目にし、体感し、生きるとはどういうことなのかを考えさせられた。過酷な自然と豊穣な自然、その中での人々の生活と感性・価値観との関係は、単純化できないものの多くの智慧を与えてくれるように思える。

中西部の荒々しく広大な大地に対するインディオの崇敬、プリンス・エドワード島の美しく豊かな自然から生まれる文学、モントリオールの鮮やかな山々とゆったりと満ちた生活、テキサスの広大さと歴史からくる自立心・・・ 旅をすることの面白さをつくづく実感した。

そして何より、妻と素晴らしい時間を過ごせたことは、我々夫婦の忘れがたい財産だ。


恋人から伴侶へ
c0131701_0503626.jpg妻が一足先に卒業し、今年は比較的余裕を持って二人でいられる時間が長かった。恋人気分に溢れた新婚生活から、生涯の伴侶との夫婦生活へと脱皮した一年でもあった。

二人で多くの音楽を聴き、旅をし、美味しいものを作り、二人での時間を積み上げて行った。くだらないことから真面目なことまで、色々な話をして、妻の新たな一面を多く発見した。そして改めて、この人と過ごせる人生を喜び、出会えたことに感謝する。

帰国後は、一緒にいる時間は少なくなってしまうだろう。子供や健康など、色々と不確定要素もあろう。だが、この人となら乗り越えられる、そう確信できるだけの信頼をお互いに得られたと思う。


交友と好奇心
c0131701_055433.jpgボストンでは、ボストン日本人研究者交流会の幹事として、リーダーシップの実践と交友の拡大を行えた。
幸運にも今年の活動指針が大当たりして、毎回通常の2倍ほどの参加者に恵まれている。お陰で数多くの人と知り合えたし、また自分の好奇心をどんどんと育てることができた。

また、他の幹事や参加者がどれくらい変化を許容できるのかを読みながら、少しずつ会を変えていったのだが、これはまさにハイフェッツ教授のリーダーシップ論の実践に外ならなかった。今のところは大成功なのだが、今年の残りがどうなるかはまだ予断ならない。

好奇心の重要性をつくづく感じるが、こと社会に出てからは仕事に忙殺され、好奇心を失い続けていた。この一年で数多くの講演の拝聴、旅、交友をする中で、本来持っていた好奇心を取り戻し、それをさらに成長させたと思う。他の人がどんな考え方を持っているのか、それは何故私のものと違うのか、違うことをどう捉えるべきか。聞くことと訊ねることの重要性を改めて知ると共に、学び考え生きるための原動力としての好奇心を育てることができた。せっかく取り戻したのだから、仕事に戻ってもこの好奇心を再び失うことのないようにしなければ。


2009年の抱負
c0131701_0345392.jpg2009年は、いよいよ卒業し社会へ戻ることになる。最後の学期は、社会復帰する準備をするとともに、将来の布石を打っていきたい。インプットをしつつアウトプットをする、知見を行動に移す実践をしていこうと思う。日暮れて道遠しと焦り逸る気もあるが、敢えてゆっくり歩み、自らの平衡を適度に保っていきたい。

学ぶものとしてはデザインを学びたいと思う。今後コンサルティングやその先で、組織や社会といったシステムをデザインする機会は多いだろうが、デザインとはそもそも何なのかを、少しでも知っておきたいと思う。

左脳的な分析や学問から得られるものは、大抵の場合、新たなシステムを設計するための制約条件やデザインルールでしかない。それを基に創造するためには、右脳的なデザイン能力・センスが不可欠だ。私は自分のことを本来右脳的人間だと思っているので(分析的思考は訓練で身に付けている)、それを伸ばしたい、という思いもある。

同時に、プロジェクトベースの授業を履修することで、分析と創造の統合、知見と実践の接合を行おうと思う。

そして仕事に復帰したら、ひとまず自分にできることをやり切り、やりたいことをやってしまおうと思う。出世など忘れて、自らの成長と充足を優先したい。出世しないという訳ではなく、出世欲という執着によって、自らに枷を嵌め、気が逸らされたくないのだ。世界観が広がったお陰で、役割や執着を相対的に見られるようになった、ということか。


泣いても笑っても卒業が迫っている。一日一日を充実させ続けたい。


*1 MBAのエッセイを父に見せたときに、「ふらうとは哲学を学んだことがあるのか」と言われたのは、こうしたモデルの欠如を感じ取ったのだろう。モデルを通じて学ぶ教育から、自らモデルを選択し作り上げていく職業に移るにあたって、適応が十分進んでいなかったのだろう。適応しなくても技術の習得だけで数年は持ち得るから

*2 性質が悪いのは、二元論が「理論的」「理性的」という評価を得易いがために、真理を直感的に把握している人を「非論理的」「浪花節的(?)」とレッテル貼りをしてしまうことだ

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by flauto_sloan | 2009-01-02 20:26 | Mens et Manus
ソローとマンキュー - 二大経済学者の対談
c0131701_20331011.jpgMITの経済学をサミュエルソンらと共に牽引し、「ソローの成長モデル」でノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソローが数年ぶりにMITを訪れた。

しかも世界中で使われている経済学の教科書を著し、ブッシュの大統領経済諮問委員会委員長も務めたグレゴリー・マンキュー(MIT卒)と二人でのパネルディスカッションだ。

オバマ次期大統領の経済政策が主題であり、それ自体も興味を引くのだが、何といってもソロー見たさに会場は満員だった*1

Institute Professor + Noble laureate
ソローはMITにおける最高権威である "Institute Professor" であり、1987年のノーベル賞受賞者である。この二つの名誉を持つのは、MIT広しといえど、Paul Samuelson, Franco Modigliani, Robert Solow, Philip Sharp, Jerome Friedman しかいない(故人含む)。 MITで最も畏敬される教授の一人だ。

次期大統領の経済政策
ソローはケネディ政権の、マンキューは父ブッシュ政権の経済アドバイザーであり、民主党と共和党と協力した政権が異なる。だが現在への危機意識と必要だと考える政策に関しては基本的に一致していたのが面白い。

議論は超早口で油の乗ったマンキューが主要政策をカバーし、長老のソローがじっくり噛締めるようにいくつかの論点についての見解を示していた。

マンキューの懸念
マンキューは概ねオバマの経済政策には同意していたが、自由貿易協定の再交渉と保護貿易政策には明確に懸念を示していた(ソローも同様)。だが同時に「オバマはこれが誤りだと知っている。少なくとも経済ブレインはわかっている」と希望を持っている。

また、米国経済が海外に与える影響は認めるものの、先進国と途上国の経済格差は中印の成長により縮まっている、と論じていたのが印象的であった。

ソローの訴え
全体を通じてソローは、次のような意義深い主張をしていた。
  • 今回の現象を金融危機として特別扱いするのは正しくなく、不況と捉えるべきだ。ただし通常よりも根が深く複雑で、回復まで長くかかるであろうから、様々な施策を講じてやりすぎるということはない。特に重要なのは、実体経済への影響を最小限に留めることだ。工場にキャパシティがあり、生産し続けられるうちは経済回復の余地はある。
  • 財政政策が何よりも重要だ。連邦準備銀行は金融政策でやれるだけのことをよくやった。各州への支援や失業保険の拡大といった財政支出プログラムで景気を刺激せねばならない。特に既に取り組み始めている公共事業は完遂すべき
  • オバマ政権は慢性的な貿易赤字を改善するのだというシグナルを発する必要がある
  • 人材の再配置が必要だ。この10年間、金融機関は優秀な人材を必要とする以上に吸い上げ続けてしまった。彼らを金融から引き剥がし、(実体経済の)もっと必要とする産業に再配置すべきだ
  • 医療費は効果を評価した上で削減すべきだ。例えば末期30日の延命に費やされる医療費は多額だが、その効果は苦痛でしかない。
ノーベル賞受賞者だけある力強いステートメントは、マンキューと対照的で面白い。両者とも多少の違いはあれど根幹では主張が一致しており、またトップ経済学者の新政権への期待を覗わせた。

国民、経済界、アカデミアそれぞれから大きな期待を寄せられるオバマ政権。誰を起用し、この難局をどう乗り切るのかで、世界経済は次の均衡点をどこに定めるのかが決まるだろう。願わくばそれが持続可能でできるだけ豊かであればいい。

* スローン生の間に回った案内文では、ソローのことを”Professor Solow is THE Solow (言うまでもなくあのソロー教授だよ)” という簡潔な一文で紹介していた
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by flauto_sloan | 2008-11-13 20:13 | Guest Speakers