MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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春鴨
厳冬の今年のボストンにも、春が近づいている。チャールズ川に厚く張った氷ももう薄い。一時は川が見渡す限り真っ白で、人が上に乗れるほどだったのに。

キャンパスに積もっていた雪も解け始め、根雪に埋もれていた草がようやく顔を出す。それを待ちかねていた鴨が、群れをなしてグレート・ドームの広場の草をついばんでいた。

こう春を待ちかねる気持ちは、初めてかもしれない。
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by flauto_sloan | 2009-02-10 20:40 | ボストンでの生活
厳冬のボストン
今年は昨年よりもかなり寒い。噂に聞いていた厳冬のボストンはこれなのか、と実感する。

生まれも育ちもボストンのチームメイト、エイミーが、

「本当に寒いときは、雪すらも降らないのよ。雪が降ると、むしろ暖かくなってきたなと思うくらい」

と言っていたが、それを実感する。寒い日の夜に外を歩いていると、顔など露出している部分が切れるように痛い。帽子を被っていないと、頭が凍りそうだ。ロシアに留学した高校の親友が、

「ロシア人が熊の毛皮の帽子を被っているのは、暖かいからなんて生易しい理由じゃない。あれなしに外にいると、脳味噌が凍って死んでしまうんだ」

と語っていたことをふと思い出した。ボストンでも、このマイナス15度や20度の寒さの中、1時間帽子なしで外に立っていたら、死んでしまいそうな気がする。ピューリタンが冬の寒さで半減したのも肯ける。

そしてチャールズ側は、河口付近まですっかり凍ってしまっている。昨年はハーバードスクエアの辺りまでしか凍ってなかったのだが、今年はMITの前も厚い氷が張り、雪が積もり、川が真っ白に輝いている。これはこれで幻想的だ。

それにしても、このいつも陰鬱な空は嫌なものだ。
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by flauto_sloan | 2009-02-04 06:08 | ボストンでの生活
早くも今年二度目の風邪
先週の後半は妻が風邪をひいてしまい、家で大人しく休んでいた。容態がどんどん悪化し、夜中に40度の高熱を出してしまった。薬を飲んでもなかなか効かず、あまりに辛そうだったので、朝4時過ぎに近くの病院のERに連れて行った。

トリアージで青色のバンドを付けられ(優先度は低いのだろう)、病室に案内される。流石になかなかお医者さんが来ず、途中検査などもしたが、最終的には3時間後に「インフルエンザかもしれませんが、おそらくただの風邪でしょう」と診断された。疲れたものの、大事でないとわかって何より。

その看病の過程で、私にも感染してしまったらしい。正月休みにも妻→私の順に風邪をひいたが、1月最後の休みにもまた同じ経路で風邪をひくとは思わなかった。


だが体調はそこまで悪くなかったので、ボストンに戻り、ハーバードの教育学部で聴講する予定の授業に出席した。Robert Kegan教授の"Adalt Development"という発達心理学の授業だ。大人になってからも人間は学び続けるのだが、どうすればその学びを促し、深めることができるかを議論していく。ハイフェッツ教授の仕事仲間でもあり、冬の授業のチームメート、カレンの博士課程の指導教官でもある。

初回なので概略の説明が主だったが、流石に面白い。ハイフェッツ教授の授業で見た顔も散見し、しかも秋学期のチームメート、ノールも出席していた。

だが、授業を受けているうちに、どんどん体調が悪化していった。頭がぼうっとし、集中できない。咳が出るし、とにかく辛い。

翌日からスローンの授業も始まるので、帰ってひたすらに眠ることにした。
あまり幸先のよくないスタートだ。
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by flauto_sloan | 2009-02-02 23:22 | ボストンでの生活
BSO/Masur - メンデルスゾーンの夜
クルト・マズアを迎えたBSOの演奏会は、生誕200年のメンデルスゾーンを讃える、「オール・メンデルスゾーン・プログラム」だった。

メンデルスゾーンは私が最も好きな作曲家の一人だ。精神性や深みがないと評されることもあるが、それがまたいい。純粋に美しく楽しいのが彼の音楽であり、演奏しても聴いても爽やかな愉しさを感じる。

私が中学生の時、ブラスバンドで彼作曲の「吹奏楽のための序曲」を演奏した。当時の私にはなかなか難曲で、相当に練習しているうちに、その良さがだんだんとわかってきた。そしてこれがメンデルスゾーン弱冠15歳の時の曲だとしり、同年代だった私は天才に驚愕した。その後オーケストラで彼の交響曲も演奏したが、やはり彼の音楽に魅了され続けた。

本日のプログラムは、『フィンガルの洞窟』に始まり、交響曲第3番『スコットランド』、交響曲第4番『イタリア』と続く。ここまで来たら第5番『宗教改革』までやって欲しかったが、まあ仕方ない。

メンデルスゾーンの音楽は、怒鳴ったり叫んだりといったドラマチックな要素は不要で、美しさを美しいがままに表現するのがいい。マズアはまさにそんな美しいメンデルスゾーンを描き、フォルテシモは音を割らないよう抑制され、管楽器の絡みは音が戯れるように見事に掛け合い、繊細に美しく風景を描いていく。まるでターナーの風景画を見ているかのようだった(奇しくも彼は『フィンガルの洞窟』と題した絵も描いている)。

スコットランドの古城の寂しさや、ケルトの勝利の歌の喜びが伝わってくる。またイタリアの日差しも夕暮れの寂しさも、恋人たちの囁きも雷雨の恐ろしさも、目の前に情景が浮かぶかのようだった。管楽器がホルンを初め好調だったのもよかった。

派手さや聴衆への積極的な問いかけがなかったため、会場の評価は分かれていたが、私はとても楽しめた演奏会だった。
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by flauto_sloan | 2009-01-22 10:52 | 音楽・芸術
拍: 音楽と心臓
今月のボストン日本人研究者交流会は、ハーバード大学の音楽学部に留学中の桐朋音大の先生と、心臓幹細胞の研究をしている先生(高校の先輩でもある)のお二人に発表して頂いた。どちらも素晴らしい発表だったのだが、個人的な興味と相まって音楽学は特に面白かった。

音楽と向き合う
音楽という、どこにでも溢れているものを学問する音楽学。一演奏者として、漠然と感じていたものを色々と体系立てて説明され、気づきが非常におおきかった。以下に要点。
音楽学とは、音楽に関する学問の総称である。音楽そのものを扱うが、音楽の美しさを解明することはできず*1、音楽の価値は扱えず、さらに音楽に奉仕するとは限らない。

音楽学の従来の研究領域は、楽譜の発掘・真贋分析、作曲家や曲の分析であったが、近年は聴覚文化一般に対象が広がっている。作曲家の分析も、かつては作曲家とその周辺ばかりを研究していたが、近年は巨視的・社会的な視点で分析を行い、新しい知見を得られている
    例えばモーツァルトは、晩年人気が衰え、巨額の借金を抱えて貧しいままに亡くなり、共同墓地に埋葬されたとされていた。だが当時の出来事をしっかり分析すると別のモーツァルトの晩年が見えてくる。

    人気が衰えたのではなく父の死により成功談が書簡として残らなくなったのであり、借金の証文が文献として偏って目立つようになった。また露土戦争へのオーストリア参戦により、パトロンであったウィーンの貴族が所領に戻ってしまい、またウィーンの貴族も戦費が嵩んで音楽にお金をかけられなくなったことが直接の収入減の理由であり、天才故に理解されなくなった訳でもない。葬儀も、皇帝の勅令により、貴族以外は一時的に共同墓地に埋葬することになったためであり、貧富とは関係がない。寧ろ巨額の借金ができたことは信用があったことを示す。

    すると、実はモーツァルトは晩年まで裕福だった可能性が高い、と今は考えられている。
音楽は時間を伴うため、どう記録するのかが昔から重要な問題だった。「口述→筆記→録音」という歴史的変遷を経たが、それに伴い楽譜も「記録メモ→演奏マニュアル→演奏を採譜したもの」と変遷した。楽譜は当初口伝の補助として、宗教音楽という普遍的な音楽の覚書に使われ、パート譜としてのみ存在した。やがてスコア(総譜)が発明されると、音楽全体を設計できるようになったが、バロックやロココ時代の演奏における暗黙の前提は「書くまでもないこと」として楽譜には残っていない。それをわかった上で演奏するマニュアルだった。時代を下りウェーベルンの頃になると、作曲家が全ての音に表情をつけるようになり、演奏そのものを書き表すようになった。

楽譜はあくまで不完全であるから、楽譜テキスト・演奏慣習・個人の解釈をバランスをとることが重要であり、その結果として演奏解釈の多様性が生まれる。テキストは記号でしかなく、言語化されていない演奏慣習を理解・表現しないことには意味がない。そのためには様々な音楽を聴かねばならない。
モーツァルトの例は、ある現象を Inside-out で分析するか、Outside-in でシステマティックに分析するのかの違いが際立っていて面白い。音楽というと、こと内面的なものが重要だと思われ易いのだろうが、時代背景といった外部要因がシステマティックに作曲家やその内面に影響していると考えると、伝説や崇拝を超え、音楽の本来の姿が見えてくるのだろう。

また、演奏に当たっての三要件が楽譜テキスト、演奏慣習、個人の解釈であるというのは非常に納得がいった。これまで古楽演奏*2にも随分参加したが、まさに当時の演奏慣習を理解することが練習のほとんどだった。それ抜きの個人の解釈は滑稽だからだ。

だが一方で、こと訓詁学の文化が長い(?)日本では、CDによる録音された演奏を、演奏慣習と個人の解釈とを分離しないままに(そして良し悪しと好き嫌いをも混同して)、この曲はこう演奏されるべき、と思い込んでいる演奏家やクラシックファンが多いようにも思える。先輩があるアマオケで「なんでこのメロディーをそんな風に吹くんだ。どんな録音を聴いてもそんな演奏はない。一体誰がそんな演奏をしてたんだ。言ってみろ」と言われて、呆れてしまったそうだ。既存の録音の継接ぎを再現しても、個人の解釈はおろか演奏慣習も満たさないだろう。

ひょっとしたらこのメンタリティ(それも聴き手側)が、演奏会の軽視や歪んだ批評を生み出しているのかもしれない。斯く云う私自身に対する自戒も籠めてなのだが。


新技術への期待
心臓幹細胞については、最先端の医学だけあって非常に面白かった。心臓肝細胞は、自己複製ができ、心臓の構成要素に分化しうる細胞で、心筋梗塞の治療に期待されている。分化に対するニーズがある部位で自発的再生が行われるが、ニーズがなければアポトーシスするそうだ。それだけに、ニーズと患部が一致しない時にどうするか、ニーズのある部位にどう幹細胞を導入するのか、等々の課題があるという。だが非常に有益で期待が大きい新技術であり、今後が楽しみだ。

また、循環器系のお医者様に多く参加いただいたため、議論も現場感溢れる活発なものとなり、そのやりとりを聴いているだけで非常に考えさせられた。


2008年最後の交流会に相応しい、盛況で有意義な交流会だった。


*1 美しいとされるための要件記述に留まる
*2 古楽、といってもバロック止まりではある。リュリルベルなどフレンチ・バロックの演奏はなかなか勉強になった

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by flauto_sloan | 2008-12-13 23:19 | Guest Speakers
中東での医療
Harvard Middle East and North Africa Weekの、Public Health Conferenceにちょっと出席してきた。一番の理由は(以前一度聞いたが)Noam Chomskyの講演だ。今読んでいる彼の本では、アメリカの対中東政策が徹底的に批判されている。もうすぐイスラエル・ハマスの停戦協定が失効するタイミングで、彼が何を語るのかに非常に興味があった(注: このブログを書いている12月末現在、イスラエルによる痛ましい空爆がガザ地区に行われている)。

内容はアフリカ中心かと思いきや、中東中心であった。この地域への知識・理解の不足と問題の根深さを、公衆衛生を切り口として痛いほどに感じた。konpeさんのレバノン訪問でのヒズボラとの対話でも随分取り上げられているが、イスラエルとイスラム(特にパレスチナ)との問題は根深く、お互いに事実が自分に理解・納得できる形でのみ切り取られて事実として認識され、対話が進まない。

その紛争の影響がはっきりと表れるのが、ガザ地区での劣悪な環境と人々の悲惨な生活だ。勿論、イスラエルが悪いとかハマスが悪いとか、アメリカが悪いとかを安直に論じることはできない。はるかに根深い歴史と構造とがこの悲劇を硬直化し増幅させているからだ。だが自分が今何を建設的中たちで行えるかといえば、ここで見聞きしたことをジャーナリスティックにブログに書き残すことくらいなのが悔しい。

中東での健康問題
まず、世界銀行の保険政策エキスパートのSameh El-Saharty氏が、中東における健康問題の概観を解説した。今中東が抱える問題で大きなものは以下とのことだった。
  • 依然高い死亡率と、公衆衛生対策費における公的資金の割合の低さ(民間依存が大きい)
  • 急速な人口増加(と、それに伴う必要な職の急増)
  • 男女とも高い喫煙率 / 肥満と栄養障害
  • 上記の結果としての医療費の急増
    社会的非効率
  • 公立病院の低稼働率、多すぎる医師数(GDP比)
  • 同時に、医者が高報酬の海外を志向することによる、国内医療の空洞化*
これらを基本的な共通認識として、プレゼンターが発表をした。

中東の公衆衛生
c0131701_6461881.jpg続いて、ハーバード公衆衛生大学院のMarc Roberts教授が、自身も関わっている中東の公衆衛生政策への提言を述べた。主間のものは
  • 競争原理の導入による効率化と、慈善的権威主義の活用によるイスラム諸国間のネットワーク強化
  • インセンティブの再設計による医療機関、特にマネージャーのマネジメント・スキル及び仕事への姿勢の是正・強化(盲判など事務処理をすることがマネジメントだと思われている)
  • 併せて、マネジャーとしての自己認識を育て、スキルを根付かせるためのトレーニングの実施
  • 公的医療機関のパフォーマンスを測定し、長期的視野に経った報酬・再教育・配置政策を策定
聞いていて非常に正しく聞こえるのだが、本当に中東の宗教・文化的背景で、個人や自由意志を根幹とする欧米的思考・価値体系で構築された経済・医療システムが上手くいくのだろうか、若干心配になった。

悲惨なガザ地区
チョムスキーの前に、モデレーターであるHuman Right Watchの人が、ガザ地区の悲惨な状況を紹介し、占領しているイスラエルの不法性と非人道性を訴えた。ハマスが政権を取って以降、ガザ地区では医薬品、食料、水、その他生活必需品が絶対的に不足しており、国際機関の援助に拠っている。ロケット配置に対する経済封鎖による処罰は不法であり、イスラエルの唱える安全保障上の理由による正当化は成立しない、と訴えた。

c0131701_6465861.jpg続くチョムスキーは、自らがガザ地区を訪れた経験を元に、アメリカとイスラエルの横暴を非難した。
アメリカの恣意的な対パレスチナ政策と、メディアを通じた偏向報道とは危険である。民主的な選挙が重要だと喧伝して実施した結果、ハマスが第一党として選ばれると、過酷な制裁で罰を与えようとしている。またアメリカは国際法に違反し、病院を標的にした攻撃をしただ、恐ろしいことに、アメリカの新聞がそれを作戦の成功として前向きに書いたことだ。またハマスがイスラエル兵士を殺害したことを非難したが、その前に米軍が一般市民を誘拐し、秘密収容所に収監したことは伝えていない。市民の誘拐は犯罪で、兵士襲撃はその報復だったのだ。

米国、特にブッシュ政権は国際協定を自ら守らず、その結果骨抜きとなっている。オバマ次期大統領は賢いが、依然イスラエルを支持している。米国が果たした唯一の建設的役割は、2000年のクリントン大統領によるキャンプ・デービッドでの紛争解決に向けた協議のみだ。


その後も、ガザ地区での衛生環境を調査し、国際社会に告発した医師による発表が続いた。パレスチナ人は文字通り極限の生活をしているのが伝わる。ガザ地区のパレスチナ人の失業率は71%であり、社会として機能していないという。


イスラエルにはイスラエルの言い分があり、和平を推進したラビン首相の暗殺以降、対応は強硬になっている。その強硬策がハマスを一層先鋭化させ、お互いに紛争以外の選択肢を狭めあっている。だがこれを仲裁すべき「世界の保安官」アメリカは、ブッシュ政権になって悪循環の加速しかしていない。オバマ政権になってアメリカの役割が(少なくとも今よりも)中立寄りになり、再び和平に向けたとりなしをしてくれればよいが。リユニオンを目指すのならば。


* 中東ではそこまで大きな問題でもなさそうだったが、途上国の中では、医者を先進国(イギリス等)に搾取され、国内の医療システムが進展しない事態になっているところもある
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by flauto_sloan | 2008-12-05 22:49 | Guest Speakers
BSO/Barenboim/Levine - 美しきピアノ
c0131701_5463369.jpg BSOとバレンボイムとの競演を聴きにいった。バレンボイムは最近すっかり指揮者となってしまったが、バレンボイムのピアノは好きであり、楽しみにしていた。果たして彼のピアノは溜息が出るほど美しかった。


まずはレヴァインとシューベルトの連弾だった。バレンボイムは表現力豊かで、音色が非常に繊細で美しい。美しい風景画を見ているような音楽だった。だがその裏に潜む悲しみや寂しさも伝わってくる。レヴァインが時折表情を硬くしてしまっていたのがやや残念だったが、二人の呼吸はよく合っており、見事な演奏だった。

続くベートーヴェンのピアノ協奏曲3番は、昨年ドホナーニとBSOでも聴いた曲だが、今日はバレンボイムが兎に角素晴らしい。気宇壮大でかつ繊細、動と静の鮮やかな対比、聴き入ってしまう。レヴァインも上手くオケをまとめている。

c0131701_547896.jpg後半のカーターは世界初演だった。バレンボイムもオケの一員と言う位置付けのためにやや魅力が表に出てこなかったが、曲は面白い。何より100歳のカーター本人が来ていて、演奏後会場から舞台に上り、観客から暖かい拍手で初演の成功を祝った。


最後のストラヴィンスキー『春の祭典』は、バレンボイムの名演、カーターへの祝福と、既に実り多かった演奏会を締めるに相応しい、リズム感豊かで熱い佳演だった。皆気楽に原始的なリズムを楽しんでいたように思う。前の席のお爺さんもノリノリだった。

聴き終わって楽しい気持ちになれる演奏会だった。
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by flauto_sloan | 2008-12-04 23:41 | 音楽・芸術
天安門事件
リーダーシップの授業の一環で、天安門事件を取り扱ったドキュメンタリー映画 "The Gate of Heavenly Peace"を観た。三時間の大作だが、文化大革命から天安門事件に至るまでの時代背景から、天安門で何が起きていたのかまでを詳細に描いており、非常に見応えがあった。

事件当時はなかなか情報が中国の外に出てこなかったため、詳しいことは知らなかったのだが、この映画を通じてあの民主化運動の悲劇を初めて知った。悲劇と言っても、人が亡くなったことそのものだけではなく、人が死ななければならないところまで、活動が目的を失って先鋭化していった構造とプロセスに、むしろ悲しみを感じた。

映画で語られる天安門事件の概略は以下のようなものだ。
毛沢東の文化大革命後、停滞した経済と社会を変えるため、鄧小平が「改革開放路線」で資本主義を取り入れた。漸進的な資本主義の導入は成功をもたらしたが、学生はより急速な問題解決を望んだ。その手法が民主化だった。

「百花斉放・百家争鳴」で民主化を後押しした胡耀邦が失脚し死去すると、北京の大学生が追悼のために天安門広場に集い、民主化運動が形作られていった。当初は共産党政府への民主化請願だったが、政府がそれを黙殺し、人民日報で運動を動乱と非難すると、学生が反発し運動は先鋭化していった。

天安門広場を占拠する群衆は数を増やし、学生に加え、雇用が保護されていなかった労働者や、依然貧困にあえぐ地方の市民も参加した。柴鈴を筆頭に運動の指導層が組織され、抗議運動は加速した。学生がハンガーストライキを行い、自らの生命を危機に曝すと、社会全体を巻き込んだ運動への様相を見せ始めた。

ハンガーストライキの影響拡大や、ゴルバチョフ書記長の訪中などを経て、政府はついに対話を行う。だが結果は決裂。強硬派の李鵬首相は戒厳令を敷き、人民解放軍を天安門へ向ける。この時は衝突を免れたが、最早平和的な解決は極めて困難となる。

この頃に、指導者の柴鈴がイギリスのメディアに行ったインタビューで、衝撃的な告白をしている。
「(要点意訳) この運動はこのままでは上手くいかない。群集が血を流さない限り、この運動は前に進まないから、そこまで事態を追い詰めないといけない。それが分かっているので、私は悲しい。でも私はそこで死にたくないから、指導者をやめたい」
この後運動は勢いを失い、内ゲバも始まる。方向性を失い、占拠し続けることが目的化してしまった民主化運動。権力の維持だけが目的となってしまった指導層。

事態を変えようと、リーダーではない4名がハンガーストライキを再開し、運動はまた活力を得始める。激しい感情が天安門に渦巻き、再び政府は軍を天安門に向ける。警告に従わない群衆に対し、軍は発砲した。柴鈴ら指導者の姿は既になく、その4名が中心となって人々を説得し、天安門からついに群集は姿を消した*

当時を振り返る運動参加者が言う。
「あの運動はその後消え去ってしまった。飢えていた人々は、果実が熟れる前にもぎ取ろうとしてしまったのだろう。そして腹を痛めて病気になってしまった」
映画の後、中国からの学生が話していた。
「当時私はあの場にいた。だがこの映画は重要な事実を一つ省いてしまっている。事件前夜、学生によって人民解放軍兵士が一人殺されていて、軍の方ももはや退けなくなっていた」

結果的に、柴鈴の狙い通りに血は流れたが、もはや民主化運動は前に進みはしなかった。鄧小平以降の漸進的な改革によって、今や中国は再び大国となっている。学生の当初の目的である、社会の不公平を正すことを中心に据えていれば、対話の結果も違っていたかもしれないし、指導者が権力争いに道を見失うこともなかったかも知れない。

後からそう言うのは容易いが、人々の多様な期待を一身に受け、批判が身体的危険につながりかねないような状況で、本当に正しい決断ができるのか、自分にはわからない。次善の判断を積み重ねた結果、最後に残された選択肢は最悪なものになるかも知れない。

かつてウォールストリートから監獄に入った人が話していたように、大したことがないように思える決断が、自らを縛る構造を生み出しているかも知れない。その構造を、システムを逐次把握できるだろうか。把握したとして、自らの身の安全を保てるだろうか。

リーダーシップ、システム・ダイナミクス、ネゴシエーションの授業を通じて、理論としてはどうしたらよいのかは見えてきた。だが実践するに当たっての精神的強さや覚悟をどう養うか。

学びと自己鍛錬に終わりはない、映画を見てそう感じた。


ちなみに、翌日のチームミーティングではこの映画の話があがった。皆柴鈴を非難したが、その彼女がその後川向こうのHBSに通い、Bain & Companyのボストンオフィスに勤めた後に、民主化運動時に結婚した夫と別れてそこのパートナーと再婚し、二人でソフトウェアベンチャーを立ち上げて、ボストンの象徴であるプルデンシャルタワーにいる、と知ると非常に複雑な気分になっていた。彼女は天安門の過去を知名度向上のために利用しつつ、民主化活動とは完全に距離を置いている。リーダーとしてどのような生涯を送るのか、その一つのケースとして、彼女が強烈な印象を我々に与えたのは間違いない。


* 実際にその時天安門広場にいて、運動の中心にいた人々のインタビューでは、後日言われているような「戦車が人間を轢く」「大量の死傷者が出る」という事態ではなかったという
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by flauto_sloan | 2008-12-01 22:19 | Harvardでの学び
BSO/小澤 - Welcome back to Boston!
ボストンに小澤征爾が帰ってきた。BSOを1973年から30年間指揮し、ミュンシュ以降ややぱっとしなかったBSOを再び世界水準に引き上げた小澤が、6年ぶりにBSOを振るとあって、シーズン前から評判だった。小澤らしい正統的な解釈であったが、団員との信頼から引き出された表現は流石に素晴らしかった。

この日は開演に先立って、日本人向けのレセプションがあった。私はテキサスからコンサートに駆けつけるのがやっとで参加できなかったが、サプライズで小澤本人が登場したらしい。ううむ、無理してでも行けばよかった。

メシアンとオンド・マルトノ
c0131701_22485556.jpg一曲目はメシアンの『聖なる三位一体の神秘についての瞑想』であり、電子楽器オンド・マルトノが使用された(写真はSYさん提供)

オンド・マルトノは日本人第一人者の原田節。この楽器を一度生で聴いてみたいと思ってたのだが、それを小澤と原田で聴けるとは何たる幸運。座席は最前列から二番目で、小澤も原田も表情までよくわかる。

曲はあまりよく分からなかった。神秘主義だったのだろうが、オンド・マルトノのスピーカーが目の前だったためにバランスが悪く、管の細かい表現が聴こえてこなかったのが残念。この電子楽器の面白さを体感したに留まる。

幻想交響曲
c0131701_22544975.jpg続くメインの幻想交響曲は、小澤の良さがよく表れた名演だった。一つ一つの表情が丁寧に作りこまれているだけではなく、BSOの団員一人ひとりが、小澤を信頼しており、それ故の開放的で表情豊かな響きが生まれていた。

小澤は年齢や病気による衰えを感じさせない、緊張感あり情熱溢れるタクトでオケをぐいぐい引っ張る。『舞踏会』では華やか(だがどこか懐かしい)な、彩り溢れる舞踏会を表現し、逆に『断頭台への行進』では、重い足取りで死への最後の抵抗と、周囲の狂気じみた喝采を対比させる。最後のサバトと怒りの日は、会場を巻き込む熱演だった。

妻にしてみれば実は初めてのBSOで、オーボエの若尾さんを見たかったのだが舞台上にいない。残念に思っていたのだが、何と3楽章の牧童の角笛の掛け合いの為に舞台袖にいた。最後のコールで登場して、妻も大満足。


それにしても、会場の4割くらいが日本人ではないかと思うほどの日本人主導の盛況ぶり。だが日本人以外も小澤の帰還を温かく迎えていた。いい演奏会だった。


おまけ
以前会社のトレーニングでオーストリアに行った時、オケ仲間でもあった同期と、トレーニング後にウィーンに遊びに行った。夜に小澤が音楽監督をしているウィーン国立歌劇場(ウィーン・フィルの母体)のフィガロを聴きに行った。隣にいた生粋のウィーンっ子のお婆さんと、片言のドイツ語で会話していたところ、お婆さんが
ザイー・オツァヴァはとてもいいわね」
と言ってきた。何のことか全く分からなかったのだが、しばらくして、"Seiji Ozawa"のドイツ語読みだとわかった

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by flauto_sloan | 2008-11-30 23:57 | 音楽・芸術
職業人格
c0131701_1521293.jpg昨年同様、ボストンの留学生向けに、東京オフィスの説明会があり、スーツを身に纏って職業人格モードに入った。同僚でSloan後輩のLilacさんとで現地参加だ。折りしも寒波が到来し、ボストン・コモンの池には氷が張っていた。

Sloan、HBS、Tuckといったビジネススクールに加え、HKSやHSPHなど他のプロフェッショナル・スクールからも参加者が集まる。コンサルティング経験を語り、質問に答えていくのだが、非常に奇妙な気持ちだった。昨年以上に、コンサルティングの経験を上手く語れない。正確には、コンサルティングの経験と、留学での学びとを綜合した自分の考えを述べてしまう。そのため、生の経験を一次情報として参加者に共有できないでいた。しかもそんな考えに限って、抽象的で判り難くなってしまう。

まあそれでも好評だったし、自分の成長も実感できたし、善しとしよう。


説明会後は、莉恵さんらHBSの1年生やHSPHの友人とお茶を楽しむ。ここからは職業人格ではなく、ただの一人の苦悩するビジネススクール生だ。女性ばかり5人に囲まれたことも、本当の人格を出し易くしていたかもしれない(虚飾の無い本当の人格かはわからないが)

皆非常に快活で頭の回転が速く、話していて楽しい。これまでなかなか接する機会がなかっただけに、こうした場であっても知り合えたのは幸運だった。これからも同じケンブリッジで語りたいものだ。


そして夜、東京から来ているパートナーや先輩の方々と激しく(?)飲んだ。ホテルの一室で何時間も飲み、語り続けたのだが(時差ぼけのために東京組はいつまでも元気だった)、思えばパートナークラスと、ここまで腹を割って飲んで話したことは殆どなかった。戯言までストラクチャーされているあたり、職業病的なものを感じもしたが、勉強になることも多かった。これも図らずもいい機会だった。

すっかり、与えるものよりも得るものの方が多くなってしまった、久々の仕事(的なもの)だった。
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by flauto_sloan | 2008-11-22 23:56 | 交友