MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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退寮
New Ashdownから退寮した。

ボストンの街に別れを告げ、最後の一ヶ月を過ごすNYへと移動した。2年間のボストン生活が終わりを告げる。終わりであり、これは始まりでもあるのだ。
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主だった家具は寮内でムービング・セールを行い、売れ残った物はキッチンや廊下に「無料」と書いた紙を乗せておいたら、1時間ほどでいつの間にかなくなっていた。そして、何もなくなった寮室。鍵をフロントに返すと、あっけなく退寮手続きが終わった。
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最後は荷物とともにタクシーでサウス・ステーションへ向かったのだが、メモリアル・ドライブを通ってもらい、MITを最後に一目見てから発った。
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厳しい冬を忘れたかのように、空は青く澄み、陽射しは強い。芝生や木々の青は明るさを増し、生命力がみなぎる。この生命の躍動感を感じ始める季節だからこそ、欧米では初夏に卒業するのかもしれない。桜を愛する日本が三月に卒業するように。
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ボストンを次に訪れるのはいつかわからない。その時に、この街が私を迎えてくれる表情が楽しみだ。

さらば、ボストン。
ありがとう、MIT。
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by flauto_Sloan | 2009-06-07 22:13 | ボストンでの生活
Commencement
今日、MITを卒業した。

卒業をCommencementというように、これは私にとっての新しい人生の始まりであり、出発点だ。2年間友に学んできた友人も皆旅立つ。
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c0131701_15214618.jpg決して未来は薔薇色ではないかもしれないが、このケンブリッジの地で学んだこと、それにより成長した自分を信じて進んでいくしかない。

指に嵌めているGrad Ratの向きは反対になり、学舎は懐かしむ母校となり、激動の社会が棲家となった。
この手で、自分の未来を掴み取らねばならない。


c0131701_1523857.jpgスーザン・ホックフィールド総長のスピーチも、ゲストのマサチューセッツ州のパトリック知事も、先行きの見えない世界でも進む勇気と、その世界をよりよくするためのテクノロジーの重要性を強く訴えていた。

今年はMBAに限らず、エンジニアの学生も就職には苦労している。喜ぶべき門出にも不安が付きまとう。

だが、そこでまず信じるべきは自分自身であり、さらには科学技術を築き上げた人類の叡智である。


Massachusetts Institute of Technology を卒業する者は、そう決意するに相応しい人材だ、と受け取った修了証書が語りかけてくれた気がした。
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by flauto_Sloan | 2009-06-05 22:09 | MITでの学び(MBA)
Convocation
c0131701_153174.jpg今年からMIT Sloanだけでの修了式、Convocationが行われるようになり、2年間を共にした350人の旅立ちを皆で祝った。とても名誉なことに、その記念すべき初めてのConvocationで、私と妻とで演奏する機会を得られた。2年間の思い出が去来し寂しくなったが、非常に思い出に残る修了式だった

開会の宣言の後、卒業代表のイスラエル人のシミリットが答辞を述べた。コアチーム、授業でのチーム、プロジェクト、旅行… 彼女個人による周りの人々への謝辞を通じて、我々一人一人が仲間、家族、そしてMITの教員・職員に感謝の気持ちがこみ上げる。

そしてその答辞の直後に、私たちの演奏だった。曲はチャイコフスキーの『眠れる森の美女』よりワルツで、フルート、ヴァイオリン、ピアノへの編曲版だ。今は眠れる雌伏のときかもしれないが、明るく前向きに、ワルツのステップを踏むように楽しみながら前に進みたい、そんな想いで選んだ。ピアノは妻といた学生オーケストラの後輩であるMayさんにお願いした。

今までで一番の大役であり、やや緊張もしたが、舞台に上ると不思議と楽しもうという気持ちになってきた。演奏(youtubeへのリンク)は本番にしては上出来で、会場の仲間たちから大きな拍手を頂いた。後から聞くと、"ローリング・スローンズ"のロックではなくクラシック音楽であることに不満を感じた人も、私たちの演奏を聴いて喜んでくれたらしい。

c0131701_14562279.jpg席に戻ると、このすばらしい機会を成し遂げた達成感と興奮とで、その後のディーンやゲストスピーカーの話があまり頭に入ってこなかった。厳しい状況で卒業する我々を勇気付けるメッセージだったが、私にとっては、学生生活の最後で学生総代に続く大任を認められたこと自体が、最大の勇気に繋がった

修了式後は、友人やその家族に会うたびに、素晴らしい演奏だったとの言葉を頂いた。有難い限りだ。フルートを始めて20年になろうとするが、自分の能力、音楽がここまで人の感情を動かし、記憶に残ったことはなかっただろう。

この演奏をさせてくれた実行委員会、私を推薦してくれたマリー、そして何よりピアノを弾いてくれたMayさんとそのご家族と、愛する妻に感謝するばかりだ。


夜はボストン市内を見渡す、プルデンシャル・スカイウォークを貸しきっての立食パーティーだった。家族連れで皆やってきて、学生最後の夜を皆で祝った。チャールズ川の向こうにMITの校舎を見渡すと、これまであまり自覚しなかった母校愛を強く感じる。
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c0131701_1511416.jpg友人たちと将来のことやMITでの思い出を語り合い、写真をたくさん撮る。
皆もうすぐ離れ離れになってしまう。世界中に散らばるが、ここでの経験や絆はずっと保っていきたい。

明日はいよいよ卒業だ
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by flauto_Sloan | 2009-06-04 23:43 | MITでの学び(MBA)
ボストン観光
今日は一日、母を連れて妻とボストン市内観光をした。かねて行きたかったホエール・ウォッチングをしたのだが、これが面白く、母も妻も大満足だった。
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ボストン沖には鯨が棲息しているので、夏はボストンの港やケープコッドからホエール・ウォッチングの船が出る。今回は水族館の先にある埠頭から出航する船に乗り、鯨を見に向かった。出航すると、ボストンの街がだんだん小さくなっていく。ボストンは港町だったのだな、と改めて実感していると、やがてケープコッドが見える。それも越えると波が高くなり、沖合いに出る。
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1時間ちょっと船に乗っていると、鯨の棲息するポイントに達した。遠くで鯨の群れが泳いでいるのが見える。じわじわと船が近づくと、鯨が驚くほど間近に見えた。巨大な鯨が雄大に泳いでいるのを見るのは、楽しく神秘的だった。
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さらに船を走らせると、別の鯨と遭遇した。この鯨はサービス精神旺盛なのか、なにか異変が起きているのかわからないが、船のすぐ傍まで来て水面に顔を出していた。鯨の顔をこんなに近くで見るのは、生まれて初めてだ。
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あまりに近いので、潜っていても影が見える。乗客は船の上から、影を追って移動する。迫力ある鯨の泳ぎに、みな大興奮だった。

市内に戻ると、クインシー・マーケットからフリーダム・トレイルをボストン・コモン方向へと歩いた。流石に3回目のフリーダム・トレイルなので、だいぶどこに何があるか判ってきた。何度もボストンには来ていた母も、この歴史が刻まれている道を歩くのは初めてらしく、とても楽しんでもらえたようだ。私も、最後にボストンの歴史を改めて振り返ることができたのが嬉しい。
(写真はアメリカ最古のレストラン、ユニオン・オイスターにて、JFKがいつも利用していたテーブル)
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夜はグリル23という、ボストンでも有名なステーキ屋さんへ行った。去年のジャパン・トレックの参加者が、お礼にとオーガナイザーへ食事券をくれたレストランだったので、最後に予約して訪れた。さすがにアメリカの一流ステーキハウスは、肉がジューシーで最高だ。焼き加減も絶妙で、食べていて幸せになってくる。

ボストンを楽しみつくした、充実した一日だった。
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by flauto_Sloan | 2009-06-03 23:30 | 旅行
結婚記念日
卒業式に出るため、母親がボストンに来た。そして今日は私たち夫婦の結婚記念日。ボストンきっての名店といわれるOleanaでお祝いをした。Oleanaは、ハーバードの学部・大学院を出た友人がお勧めのレストランであり、私の結婚祝いにギフト券を貰っていたところでもある。そこで、満を持してOleanaを予約した。

ボストンに到着した母は、昨年までHotel@MITというMITの資産だった、Le Meridian に宿泊した。寮から歩いて5分ほどであり、さすがに便利だ。Hotel@MITだった頃は、ベッドカバーが数式だらけだったらしいのだが、売却された今は普通の白いシーツで残念。だが宇宙船のようなエレベーターなどにかつての名残がある。

そのホテルから車で5-6分ほどで、Oleanaに到着。時間は早めだが、すぐに混雑するのが名店らしい。
食事は流石に、どれもとても美味しい。パンは焼きたてで、オリーブオイルも味わい深い。そして料理は野菜も魚も素材が活きていて、一品一品が楽しい。ボストンにもここまで美味しいお店があるのだな、と最後になって見直した。

家族3人で、幸せな結婚記念日だった。
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by flauto_Sloan | 2009-06-02 23:18 | 家族
ボーゲル塾卒業
c0131701_14262175.jpg2年間に亘り通ったボーゲル塾。
ボーゲル先生宅での勉強会は先日が最後だったが、本日は4つの分科会が1年間の研究発表と質疑応答を行い、懇親会を行った。

いわば門下生自身による卒業式だ。

日本人のアイデンティティ、少子高齢社会での日本のあり方、日本のプレゼンスと外交、日本の教育という4つのテーマは、相互連関していて非常に面白い。日本の様々な閉塞感や問題は、突き詰めていけば『成長の限界』の縮図なのではないか、と思う。

国土も資源も限られた日本が、高い教育水準(特に戦前のエリート層)と人口増加によって目覚しい成長を遂げたが、その限界を迎えて今は下降局面にある。だがこれまで成長、躍進しか経験したことがない日本国民や政治家は、成長の限界局面を迎えてどうしてよいのかがわからない。縮小均衡に陥るのが自然であっても、それを選択することは前の世代の成功を引き継げない「失敗」と見做されてしまう

では均衡を破るしかないのだが、均衡を破るには別の何かで不均衡を作らなければならない。その新しい不均衡がテーマによって、価値観だったり移民政策だったり、軍事力だったり教育の多様性だったりする。不均衡なので当然、それらの変化によって何かを失うことになり、抵抗する人がいる。抵抗に屈し続けたら、待っているのは国民総茹で蛙だ。いや、目端の利く人は一足先に逃げるか出し抜くかするだろうが。


だが地球全体がいずれ『成長の限界』を迎えるのなら(これは非常に強い仮定だが)、それを一足先に迎えた日本は、世界のロールモデル足りうる。他の世界が日本のような限界に追いついて始めて、日本が失敗していたのでなく、将来を先取りしていたのだと気がつくかもしれない。今回の金融危機でようやく、日本のバブル崩壊後の対応が理解されたように。

その時、日本が豊かなる衰退といった新しいモデルを示せるかどうかで、その時に世界の尊敬を得られるか、あるいは見直されもしない存在に甘んじるかが決まるかもしれない。

もちろん、その時までに日本が今以上に意気消沈してしまっていては意味がない。そのため、何とか日本人のアイデンティティを括弧たるものにし、少子高齢の社会システムを描き、プレゼンスを維持し、教育の建て直しをしなければならない。それぞれの局所解としては、さすがボーゲル塾だけあり、色々と面白い意見が出てきた。だがそれを俯瞰して、どう取捨選択し、対立を止揚するか。答えのない悩みが深まった。だがその悩み自体が、大きな学びであり、ボーゲル塾を卒業した証なのだろう。

答えがないが故に、日本に帰っても引き続き同門の士と議論し続けたい。志を忘れてはいけない。
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by flauto_sloan | 2009-05-31 14:28 | Harvardでの学び
最後のボストン日本人研究者交流会
c0131701_14283659.jpg本来は前回で終わりだったはずの研究者交流会だが、ボーゲル塾の同門の熱い官僚と熱い元体育教師の熱意に打たれ、「夏の増刊号」と題して最後の交流会を行った。

人によっては夏休みだったにもかかわらず、80人以上の大入りで質疑応答も活発で、最後に相応しい会だった。

また今回で幹事を引退する私に、他の幹事の方々が労いをしてくれ、恥ずかしながら感動してしまった。ボストンで一番オーナーシップを持ったコミュニティを去るのは寂しいが、皆で暖かく送り出してくれたのはこの上なく嬉しい。

なお、今回から研究者交流会のブログが立ち上がり、そこに要旨が掲載される。詳細はそちらを参照されたい。

日本のエネルギー政策
最初の発表は、ボーゲル塾で幹事をしてくれたケネディスクールの友人によるもので、日本のエネルギー政策についてだった。経産省の経験からの発表であり、日本の政策の不易流行がわかって面白い。

大学では化学を専攻していたので、昔から資源・エネルギー問題は興味を持っていた。1970年代の『成長の限界』の頃から、人口が増大し資源が枯渇することは言われ、政府も太陽光発電など代替エネルギーを推進してきたものの、なかなか思い通りには規模が拡大していない。10年以上前の授業で教授が、「エネルギーはもうじき枯渇する」というのを様々なデータを用いて講義した時には、そら恐ろしくなって子孫は作るまいと思ったものだ。

20世紀に入って、いま米国は驚くほどのエネルギーブームである。オバマ大統領が代替エネルギーの開発を進めると決断したことも後押しして、頭脳も資金もエネルギー産業へ流れ込んでいる。良くも悪くも、いまやバブルかと思うほどに熱い分野だ。

日本は以前から環境技術は進んでいたが、技術分野によってはアメリカに一気に抜き去られてしまうかもしれない。対抗するには、日本政府の本腰を入れた施策が必要だ。話を聞いていると、これまでは掛け声的だった新エネルギー開発が、ようやく本気になってきたようだ。

だが当面は原子力やその先の高速増殖炉が有望なエネルギー源だ。アメリカでも原子力の見直しはかなり進んでいる。ただ、日米とも原子力発電所や、さらに最終処分場の建設に関しては地元の反対運動が付き物である。住民の理解を得ることは不可欠だが、時間切れによる機会損失・国力低下や、その他の悪影響が顕著になるまで待っていても仕方がない。だが苦渋の決断を下せるリーダーは、今の日本の構造ではなかなか生まれそうにない。悲しいかな、また茹で蛙になるのだろう。


Teach for America
今年の交流会最後の発表は、夏男さんらによる "Teach for Japan の可能性" についてだった。さすがに日本の教育現場を知り、アメリカの教育現場を精力的に見てきた夏男さんだけあり、また彼一流のユーモアも素晴らしく、聴衆はぐいぐい惹き込まれた。

日本の教育は何かがうまくいっていない、とは誰もが感じている。だが何が問題であり、どんなアプローチがありうるのかは、なかなかちゃんと理解できていない。

アメリカで成功している "Teach for America" のアプローチを日本に取り入れることで、草の根的に日本の教育を変えていこうと夏男さんは考えている。Teach For America は、ハーバードやイェールの学生が、卒業後すぐに2年間を教育現場で費やし、教育について知り、また問題のある地域の教育を改善していくプログラムだ。マッキンゼーやグーグルなど、一流企業はTFAとパートナーシップを組んでいて、採用した学生がここで2年間教師として働いたあとに就職することを認めている。


夏男さんも言っていたが、日本企業の新卒志向など、TFJをそのまま導入した場合には、色々な問題が予見される。彼はそれを踏まえた上で、日本流のプログラムを考えている。だが、日米の問題の違い、また危機意識の温度差をよく考えることは必要だと感じた。

コンサルティングの経験からしても、打ち手の輸入は得てしてうまくいかない。国や文化が異なると、解くべき本当の問題が異なる。問題が異なれば、同じ打ち手でその問題は解けない。

アメリカの教育格差は既に大きく開いており、階層が事実上固定化されている。また問題地域の教育は崩壊しており、学校で麻薬の密売が行われているところもあるという。そこへ必要なのは、現場で問題解決を行える、優秀で熱意溢れる人材だ。だからこそTFAが成功している。また、既に大きい教育格差という危機意識が、アメリカの優秀な若者を教育へと駆り立てている。

だが日本はまだ、そこまで問題が集約されておらず、また危機意識も低いように思える。だからこそ悪化する前に手を打たねばならないし、見る前に飛ぶ人がいない限り何も進まないのだが、今のままではTFJで本当の問題が解けずに空回りしたり、教師・生徒・保護者の支持が十分に得られない可能性がある。

とはいえ、行動なしに問題を明るみに出すことも、モメンタムを作ることもできないので、TFJのアプローチは大きな意味があるだろう。実証済みのアプローチとしてのTFAを輸入することで、最終的には変革の流れを作ることはできるだろう。

だがそれだけでは不十分で、同時に機を熟させることも重要だと思う。それには感動と挑発が必要で、Rookiesのような感動的な教育ドラマ(私も妻も見入ってしまった)で、熱意と能力を持った教師がコミュニティを変える力を持っていると訴えることと、教育問題がいかに根深く、次の世代が貧しくなる可能性を秘めているかを過激に訴えることの両方が必要だろう。ただし文科省の批判をしても意味がなく、教師・生徒・保護者が自分自身の問題として意識するように仕向ける必要がある。誰かを指差して文句をいい批判し、誰かが何とかするだろうと期待し受身でいるだけでは、その誰かは結局現れない。

さじ加減は難しいが、TFJがひとたび上手くいけば、素晴らしい好循環が生まれる可能性を秘めている。自分の子供が小学校にあがる頃、日本の教育はどうなっているだろうか。


幹事の引退
今回を以って、正式に幹事を退いた。最後に他の幹事からプレゼントと、常連参加者の寄せ書きを頂いた。思いもよらなかったサプライズイベントで、今までの人知れぬ苦労(?)や思い出が甦り、胸が熱くなる。幹事冥利に尽きる。大きなトラブルなく運営できたのも、他の素晴らしい幹事の方々、そして参加者・発表者の方々のお蔭だ。

懇親会では多くの人に労って頂いた。卒業直前であり、ここで会うのが最後の人も多いだろう。思い上がりではあるが、自分の送別会のような気がしてきて、非常に寂しくなった。だが、ここで出会えた人たちや学んだことは、大きな成長の糧となった。こんな素晴らしい機会を与えてくれたボストン研究者交流会。幹事をして本当によかった、と心から思う。
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by flauto_Sloan | 2009-05-30 14:03 | ボストンでの生活
医療訴訟
今月のボストン日本人研究者交流会は、さいたま地裁医療集中部の裁判官をお呼びして、医療訴訟について発表していただいた。ボストンは医療機関が多いので、日本人のお医者様も多く、かねがねから医療訴訟についての関心は高かった。医学・法学ともに参加者が多く、関心の高さと問題意識から、活発な意見交換が行われた、実りある回だった。

法の専門家であって医療の専門家ではない裁判官が、医療過誤訴訟などの医療裁判でどうやって正しい判断をしていくのか。現在行っている取り組みや、今後の課題を、日米の制度の比較も含めて紹介していた。会場のお医者様の中には、実際に参考意見を述べたことがあるなど、裁判に関わった方もいて、率直な意見が飛び交った。
医療裁判で判断となる材料は、過失と結果の因果関係であり、そこに専門的知見を取り入れるために、カルテ・文献調査、担当医への聞き取りの他、協力医や鑑定人の鑑定書や証言を利用している。そのため、2007年度で平均的な民事事件では7.8ヶ月かかる審理が、医療裁判では短縮傾向にあってもまだ23.6ヶ月かかっている。鑑定を実施する場合は52ヶ月もかかる。また、判決にまで至るものは全体の35%であり(残りは和解や取り下げなど)、そのうち37.8%で原告が勝訴している。

時間がかかる最大の要因は、医師(協力医)の確保の難しさと、その医師の忙しさとなっている。地裁レベルでは、地元医師会との協力体制を整えたり、候補者リストを作成したりと、審理短縮化への取り組みを行っているが、全国的に組織立った制度はまだ十分ではない。

また、専門性と中立性・公平性のバランスを取ることは難しい。専門的意見を取り入れることは判断の正しさを担保するために重要だ。だが一方で原告としては、裁判官が医療界と距離があることを訴訟のメリットと考えている。
2004年に医療関連の訴訟数がピークを迎えた後に、減少傾向に転じたのは、裁判の結果が出始めて判決の相場がわかってきたもで、原告側が勝てないものを訴えないようになったためだと考えられる。これは実際の裁判を通じて、専門性と公平性のバランス感覚が裁判所に備わってきていることも示唆する。
だがこのバランスに正解はなく、むしろ社会や患者のニーズに応じて、医療訴訟以外の選択肢を広げるための制度作りも進めていくことが有効だ。たとえば、過失の有無に関わらず補償する制度や(副作用・産科など)、ADRといった制度の役割は増していくだろう。

裁判が全てではない。真摯に謝りたいと思っている医者も、裁判だと患者やその家族に対し厳しい言葉を使わねばならないことがある。医者も裁判にかけられると時間を取られ、判決に関わらずキャリアに変化が訪れることもある。多様な選択肢は医者と患者双方に便益があり、裁判所も鑑定人リストの共有などで支援していくことが重要であろう。

今回は民事の医療訴訟についてだったが、質疑応答では千葉大法学部の先生で刑事の医療訴訟を研究している方がいたこともあり、刑事事件についても熱い議論が交わされた。医療現場が気にするのは、どちらかと言えば民事訴訟よりも刑事訴訟だからだ。

特に福島の大野病院事件は、色々ときな臭い話も相俟って、医療現場に大きな心理的ダメージを与えていた。昨夏に地裁判決で医師の無罪が言い渡されて、医療崩壊のさらなる加速は一旦遅まったが、もはや萎縮医療や医療崩壊は避けられないだろう。

だが大きな司法判断として刑事事件は注目されるが、医師の日々のリスクとしては民事訴訟のリスクがつきまとう。医療サービスにチェック・アンド・バランスは必要だとしても、医者が最善を尽くした上での不幸な結果に対して、アメリカのように乱訴が行われては、ますます萎縮が進むだろう。

100%の無欠を志向する国民性は、製造業の品質向上や工芸品の美しさには貢献したが、サービスにおいては、対価を求めない品質改善が結果的に顧客の期待値を高め続けた。100%の品質を学習してしまった、あるいはそれしか知らない人々は、少しのミスや失敗も許容しない。さらに、お上に任せれば安心という主体性なき依存心と、失敗に対する懲罰意識の高さとが重なり、結果的に顧客に尽くしたサービス業がモンスターXXといった人々を生み出し、皆で自分の首を絞めている。

それがまず顕著に現れたのが医療現場であり、続いて教育現場やITサービス、果てはクリーニング店にまで、品質や対価が不明確なサービス業を中心に、同じ構造の現象が起きている。高すぎる期待値と、失敗に対する顧客によるクレーム・懲罰・訴訟増加(モンスター化)、そのリスク回避のための萎縮サービスや現場の士気低下・人材流出。その結果、最初は自然誤差だった失敗をトリガーにした悪循環が回り始め、品質が本当に下がっていってしまう。

この悪循環を断ち切る方法は、事情によって異なる。何もしなくても、時間がある程度解決はする。人々が「100%の品質はもう得られない」と学習して、期待値を下げるからだ。出産には死の危険が伴う、クリーニングに出せばシャツのボタンが溶けることがある、という二十年前なら当たり前だったことを、常識として受け入れれば、世の中の不幸は増えるが、不満は軽減される。

医療の場合は、先に医療訴訟の相場観が生まれてきている。「このケースでは勝てない」という基準を社会および司法関係者が学習していくことによって、やがて「このケースは医師に過失がない」、「医療には限界があり、結果責任はとれない」と学習していくこと期待したい。

あるいはITの世界でよくあるように、サービスレベルを設定し、高品質には高い値段を(そして低価格には低品質を)設定しなければならない。公立校と私立進学校の差や、自由診療もこのケースだ。ただし、サービスの売り手と買い手双方に教育が必要であり、それはそれで時間がかかる。また、よく言われる「医は仁術」という言葉は、医者は採算度外視で患者に尽くすべきだ、という誤解された意味でまかり通ってしまっている*。こんな誤解が蔓延する日本に、どこまで馴染むのか疑問だ。


結局、医療の質はバブルだったのかもしれない。現場の医師が寝ずに頑張り続けて、本来維持可能な品質レベルを超えたサービスを提供し続けてきた。だが維持可能なレベルと実際のレベルがあまりに乖離しすぎて、医療品質バブルが弾けたのだろう。株価や地価のようなわかりやすい数字が医療の品質にはないため、バブルという実感が医師患者双方になかったし、バブルが弾けたときにもその影響がわからなかった。萎縮、とはバブルの破裂のことなのだ。

金融危機が訪れても、アメリカ人が本来あるべき地価は下落後の今よりも高いはずだと考えているように(100年間の実質地価推移を見ると、現在の地価でもまだ「本来の」地価よりも高い可能性がある)、医療崩壊が訪れても、日本人は当面、本来の医療の質は崩壊前のレベルだと考え続けるだろう。今は膨れ上がった期待を本来のものへ引き下げるという、痛みを伴い、誰かを訴えて自分の責任を軽くしたいフェーズにある。それが民事刑事の医療関連訴訟の増加であり、マスコミの客観性を欠いた医者・厚労省叩きであろう。

だが再度手に入れられる可能性のある金や家と違って、健康や命は取り戻せない。医療品質バブルに伴う損失は大きく、引き起こされる感情的抵抗は激しい。まずは発表であがったような行動できる選択肢の多様化、原因解明を可能にする制度、現場の透明性確保、原告・被告への心理カウンセリングといった、当事者が「納得するためのプロセス」を整備しないといけないだろう。

* 安岡正篤翁曰く「仁というのは、自然(天)が万物を創造し化育していく、いわゆる天地の生の徳、生み成していく生産、結びである。『医は仁術なり』というと、仁の本当の意味がわからない医者が嫌がる。ただで診てやるという意味ではなく、患者の病気を治す、健康にしてやるという意味なんであります。いくらただで診てやったとしても、殺してしまったのでは仁にならん。謝礼を取る取らないという問題ではなく、患者を哀れんで助けるというのが仁術という本当の意味であります」
(安岡正篤著 『指導者の条件』 黙出版 pp.150)
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by flauto_Sloan | 2009-05-09 23:53 | ボストンでの生活
Sam Adamsの生まれるところ
サミュエル・アダムスは、ボストン生まれのアメリカ建国の父の一人であるが、現代では"Sam Adams"といえば、ボストンの地ビールを連想する人が多いだろう。ビールの方のサム・アダムスの生まれるところ、ボストン・ブリュワリーを、同期日本人の有志(というかビール好き)で見学した。目当てはもちろん、出来たてのビールの試飲だ。
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サウス・ボストンは治安が悪く、そこを走るため夜には乗ってはいけないと言われるオレンジ・ラインに乗って工場へ。工場は煉瓦造りの倉庫や醸造所が立ち並ぶ。
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中は大きな醸造タンクが立ち並ぶ。サム・アダムスはホップをたっぷりと入れて、芳醇な香りを出しているのが特徴的で、そのホップの見本を実際に手に取り、香りを嗅ぐ。飲みなれたあのビールの香り。喉が渇く。
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そして見学の最後に待つのは、出来たてのビール。3種類のビールを飲んだが、飲むのにも作法があり、ガイドが飲み方を順に説明する。

まず露を払って色合いを見、グラスを透かして透明度を見て・・・

喉を渇かせてきた身にはなかなかじれったいが、ビールを心ゆくまで楽しむべく、ちゃんと従う。そしてついに喉を通ったビールは、さすがに美味しい。これぞボストニアンの魂の味。

まさに至福の、ボストンの楽しみ方だった。
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by flauto_Sloan | 2009-05-08 23:22 | ボストンでの生活
Boston Pops – GALA Concert
c0131701_16481889.jpg BSOがコリン卿のテ・デウムで今シーズンのプログラムを全て終え、白い礼服に衣替えしてボストン・ポップスとなった。シンフォニー・ホールにも「POPS」の看板が立ち、ボストンの街もPOPSの文字が躍りだした。
今日はそのボストン・ポップスのガラ・コンサートであり、着飾ったボストンの人たちが嬉しそうにホールへ集まった。ガラらしく華やかで楽しいコンサートであり、BSOのいつもと違った一面が見られた。

c0131701_16485419.jpgいつもは客席の一階は、客席を取り払いテーブル席となり、お酒を嗜みながら音楽を聴ける。私は二階席だったのでお酒は飲めなかったが、きらびやかな舞台を高みから楽しめた。

BSOの面々はいつもよりもリラックスしているように見える。指揮者のロックハートが舞台に上がり、ポップスの季節を爽やかな響きで告げた。舞台にはボストンの映像が移り、美しい街への愛おしさが、ボストン・ポップスの素晴らしい演奏で高まる。

今年新たにリリースしたCDが、昨シーズンのレッドソックスのワールドシリーズ制覇を記した、レッドソックスにちなんだ曲を集めたものだったこともあり、第一部の終わりにはその収録曲も演奏し、ボストニアンの心が躍りだした。

後半の特別ゲストには元ブロードウェイ・スターのバーバラ・クックを呼び、ミュージカルの名曲ナンバーを次々と歌い上げた。クックは大御所らしい堂々としつつ、チャーミングさも持ちながら歌う。聴衆もリラックスしてそれを楽しみつくした。

クラシックで腕を磨いているBSOが、高いアンサンブル能力と明るい音色で奏でるボストン・ポップス。いかめつらしく学問をしつつ、レッドソックスに熱狂するボストニアンと似ている。まさに地元に育てられ、愛されるオーケストラの姿がそこにあった。
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by flauto_Sloan | 2009-05-06 23:46 | 音楽・芸術