MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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クリステンセン教授とアターバック教授
c0131701_8102620.jpg「破壊的テクノロジー」の授業で、『イノベーションのジレンマ』の著者、クレイトン・クリステンセン教授がゲスト講演をした。
アターバック教授とは長年のライバルであり友人であり、MIT的科学的・定量的アプローチを重視するアターバック教授と、HBS的経営目線での意味合いを重視するクリステンセン教授の対比が面白い。

クリステンセン教授は、「イノベーションへの解」の内容を中心として去年4回連続講義をMITで行い、私は初回以外参加した。今回の講義も基本は同じであったが、アターバック理論を理解し、また丁度『科学革命の構造』を読んだところで批判的に聴くとまた面白い。教授のキーメッセージをいくつか。
  • 技術は周辺から興り、中心技術へ集約され、そこで破壊的イノベーションが起きて再度周辺へと分散する。その破壊的イノベーションは、利益と差別化を目的とした競合によるコスト増大やサービス範囲の拡大によって促される。いわば正しいビジネスモデルであるからこそ、破壊されてしまう
  • 破壊的イノベーションを可能にするのは、簡素化された技術、ビジネスモデルの革新、そして新しいバリュー・ネットワークである。
    • 技術は3つの段階を経る。試行錯誤、パターン認識、そして規則性の活用だ。この3段階目に入ると、破壊的イノベーションが促される
    • ビジネスモデルは、バリュー・プロポジション、リソース配分、プロセス革新、利益方程式の確立の4つのサイクルが循環するようなものである。これが循環する限り、技術は持続的である。そのとき、進化するのはビジネスモデルではなく、企業である
    • バリュー・ネットワークの確立といった相互依存性を含む構造的な問題は、「神の見えざる手」では自動的に解決されない。ロックフェラーが「見え得る手」と呼んだように、アーキテクチャーを再設計しなければ、個々の起業家の努力だけで解決するものではない。仮説を持って、構造のあり方を試行錯誤して作り変えていくことが重要だ
「破壊的イノベーション」は、その実「破壊的ビジネスモデル」のことだ、とあるCEOが言ったという。動物の進化戦略と同じで、正しい戦略だからこそ、やがてそれに付け入る戦略とそれを可能にする技術が生まれ、「破壊的」と呼ばれる。

確かにアターバック教授が指摘するように、クリステンセン教授の理論がどこまで包括的で、定量的なのかはやや疑問が残る。成立要件も色々と隠れているだろう。記述的である中に、規範的な要素を含む理論だからこそ、多くの経営者に感銘を与えたように思える。

そうなると気になるのは、クリステンセン理論やアターバック理論の裏をかくものだ。あれだけ『イノベーションのジレンマ』がベストセラーになり、技術経営の分野ではある種の常識になっている。多くの企業が彼らの理論を考慮した戦略を立てて生き残りを図るならば、新しい戦略家や起業家はさらにその裏をかくだろう。

今それが何なのかは思いつかず、また彼らの理論がどこまで常識となっているのかはわからない。だが孫子の兵法が漢の時代の兵法家の常識となった結果、三国志の頃にはそれを理解した上でその裏をかくことが優れた兵法家の証だった(孫子に注釈を入れた曹操がよい例)。

兵は詭道なり
戦略は状況に応じて千変万化し、淘汰圧に曝されて進化していく。
だから面白いし、難しい。
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by flauto_sloan | 2009-04-23 22:06 | MITでの学び(MBA)
スコルニコフ教授 – 科学技術と政治
先日の日本人研究者交流会での山本教授の発表でも名前が挙がった、MITのスコルニコフ教授が「科学技術と政治が出会うとき」と題して特別講演を行った。スコルニコフ教授はアイゼンハワー大統領、ケネディ大統領、カーター大統領の3政権でホワイトハウスのアドバイザーを務めた。まさに原子爆弾、アポロ計画といった科学技術と政治の関わりを間近に見てきた人物だ。

1時間の短い講演だったので駆け足ではあったが、山本教授の講演と合わせて、科学技術政策を考えるいい機会であった。以下要旨。
  • 社会が変われば、科学技術の役割も変わっていく。「技術力を持つとは、どういう意味なのか」というシンプルな問の意味するところは、社会のかたちと共に変わりゆく。国民国家という国の形はいまだ健在なものの、国際的組織の興隆とともに時代遅れになりつつある。今後は科学技術に対する、国際的な枠組みが一層必要となる。
  • 今や国際問題は科学技術の理解なしに取り扱うことはできない。だが、科学技術それ自体が政治を決めていくことはない。核兵器でさえも、政治が核をどう扱うかを決めたのであり、核兵器が政治のあり方を定めたわけではない。
  • 科学技術と政治の関わりでは、安全保障問題が3つの分野で重要な問題である。まずは諜報分野であり、次にレーガン政権のスターウォーズ計画のような宇宙技術の分野であり、そしてサイバー戦争といったIT分野である。
    • 宇宙技術は、技術と政治が絡み合う最たるものである。有人宇宙飛行をめぐる争いでソ連がアメリカに勝ったとき、アメリカは国家教育法を1957年に制定して、科学技術教育に力を入れた。そして政府が支援する宇宙計画、アポロ計画がNASAで立ち上がった。だがここで政治は対立から協調へと転じ、1962年にケネディ大統領*1は国連とソ連に対して共同研究の提案をした。
    • ITに関しては、防衛上極めて重要な課題となっている。科学技術の性質として、巨大なシステムを発展させていくことがあり、それがテロの危険を生む。Webやグリッド・コンピューティングは巨大なシステムを作っていったが、それは悪意を持ったちょっとした行動で、大きな結果をもたらすことができてしまう*2
  • 安全保障以外の分野でも、経済についてチャールズ・ベストが「イノベーションがマントラ」となっていると言ったように、科学技術がますます重要になるとともに、競争や課題が国際的になっている。
    • 現在では、気候変動が国際政治の重要なテーマである。懐疑論がいまだ根強いだけでなく、国際的協調がないと解決できない問題だ。中国からの汚染物質は中国だけの問題ではない。エネルギー問題も石油依存からの脱却を図って研究が進むが、科学技術の進歩をどこまで実現するのかは政治的問題をはらむ。
    • 食料・農業分野では、遺伝子組み換え技術の現場への導入が遅れている。科学技術を完全に安全だと証明することはできない。利用可能な技術をどこまで取り入れるのかは、技術ではなく政治が決めるのだ。
  • 国際的な枠組みを考えたとき、最先端の科学技術の管理は大きな問題となる。現在は過剰反応をとっており、技術それ自体に悪影響が出ている分野もある。
    • MITなどアメリカの科学技術教育の現場では、アメリカの学生よりも留学生が増えている。これは重要な情報をどう管理するのか、科学技術の職業にどこまで留学生を受け入れるかという問題をはらみ、特に9.11以降はテロリストに技術を与えないことが重要な課題となっている。
    • 軍事・民事問わずあらゆる技術は漏洩されうるため、重要な技術への制限は必要なのだが、今は過剰対応となっている。アメリカ人以外が出席できない職業や会議が増えたため、商業用衛星産業のように壊滅的な打撃を受けた分野すらある。技術自体を破壊してしまっては元も子もない。
MITの航空宇宙の友人が、「宇宙という夢を追って技術に専念したくても、この世界は必ず途中で政治が顔を出してくる」と嘆いていたように、アメリカ型スピンオフの構造では特に、基礎研究から政治が非常に強く絡んでくる。日本のようなスピンオン構造だと意識することは少ないが、山本教授の講演だと、実際は色々とあるようだ。

国際的な枠組みで科学技術を取り扱うのは、国民国家を維持し続ける限り、相当に難しそうだ。インターネットの敷衍によって、国家を超えて経済や政治活動が繋がっていくと、ひょっとしたら国家のありかたが変わっていくのかもしれないが、まだその閾値には達していなさそうだ。

しかも「技術それ自体が政治を定めていくことはない」のだとしたら、インターネット(或いはほかの技術)で社会が変わっていくとしても、そのペースや範囲を定めるのも、ある日各国元首が「国民国家というかたちを捨て、世界国家を作ります」と宣言するのも、政治である。

それは正しいと思うのだが、ひょっとしたら次に起こるのは、リアルな世界がバーチャルな世界に従属して、バーチャルな世界を最適化するという社会的・経済的要請が異常に高まっての、政治革命かもしれない。その時は、技術が政治を定めることになるのかもしれない。そんな世界が安定的に存在できるのか疑問だが。

*1 教授の評では、ケネディ大統領は非常に好奇心旺盛だったという
*2 コンピューター・ウィルスや安全保障関連のシステムへの侵入など、様々なレベルでのサイバー戦争が考えられる

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by flauto_sloan | 2009-04-08 06:15 | Guest Speakers
MIT vs Facebook
気楽に楽しんでいる授業、"Web3.0"SNSについて議論した。日本ではmixiが先行者のGreeを抜き、最大の会員数を誇っているが、ここ米国では何と言ってもFacebookの勢いが凄まじい。そのFacebookに対し、MITの学生たちが面白い研究を行っている。

SNSの新たな覇者、Facebook
日本へも進出したFacebookは、アメリカの学生のほとんどがアカウントを持っており、新入生の8割がオリエンテーション前にアカウントを作り、入学する大学のコミュニティに所属したという調査もある。ハーバード在学中に立ち上げた創業者のMark Zuckerbergは、今やWebの世界で最も注目されている一人だ。

かつての覇者はMySpaceだったが、ついにFacebookがSNSの利用者数でトップに躍り出た。MySpaceはむしろ人数が減少している。ネットワーク外部性が強くはたらくSNSでは、このままMySpaceが凋落してしまう可能性もない訳ではない(ただしこれまでもユーザー数は増減しており、断言はできない)。Facebook上ではユーザーがアプリケーションを登録することができ、数多く(そして玉石混交)のデベロッパーが参画している。

MIT on Facebook
世界一の技術学校であるMITでは、FacebookはSNSとしても、研究対象としても高い関心を得ている。Facebookの"Friends"の表示を"Enemies"に変換するアドオンを開発したり、MIT・ハーバード・NYU・オクラホマ大学の4校の生徒のFacebookページをクローリングしてデータをダウンロードするプログラムを作り、7万件以上の個人データを取得したり(特にMITでの成功率は80%)と、色々な試みをしている。

そして授業で聞いた衝撃的な研究は、「Facebookで繋がっている人間関係から、隠された同性愛志向を暴く」というものだった。同性愛を暴くこと自体を主眼にしたのではなく、本人のコントロールできないところで個人情報が暴かれる可能性を示した点で、SNSに潜む恐ろしさを明らかにした。

Facebookには、"Interested in"という男性と女性のどちらに性的関心を持っているかを書く欄がある。男性が「女性」としていれば異性愛者だし、「男性」としていれば同性愛者だ。「何でも」という選択肢もあるが。この欄は公開にも非公開にもできるので、同性愛者の中には、オープンにしている人もいれば、隠している人もいる。

そして、友人の繋がり=ネットワーク情報から、ある個人を中心としてどのようなネットワークが広がっているのかを分析することができる。友達の友達の友達・・・と繋げて、網の目のように複雑なネットワークを図示すると、同性愛者がある区画に偏在する。同性愛者のコミュニティで友達を持つからだ。

色々な分析手法を用いると、ある人が「友人」たちの性的関心と関係の強さから、同性愛志向を持っていても隠していることを暴くことができるという。この研究では、90%以上という高い確率で「暴いた」という。

研究対象を同性愛者にしたため、政治的正しさの面で批判を受ける可能性はあるが、この研究成果の意味合いは大きい。本人が知らないところで、公開すらしていない個人情報を悪用される可能性があるからだ。

例えばある企業が同性愛者、特定の人種、思想などで採用差別をしようとした時、Facebookを用いて志願者が差別対象かどうかを知ることがありうると実証したのだ。しかも、本人がその情報を公開していなくても。

自分のプライバシーを自分で守る*、それすらも叶わぬ理想でしかないのかもしれない

* Mixiでもプライバシーに関しては数多くの事件が起こり、日本人のプライバシー漏洩への恐怖感の高さ(と個人情報保護法に関わる狂騒)から、いまや本名を載せている人は少ない。セキュリティシステムや登録項目が異なるので、Facebookと同じ分析が可能かはわからない
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by flauto_sloan | 2009-04-06 22:36 | MIT文化
Web3.0
今学期の授業で、Stuart Madnick教授のWeb3.0という授業をとっている。Web2.0が喧伝されて久しいが、一歩進んで「Web3.0とは何か。それが社会やビジネスに与える影響は何か」を考える。コンピューターサイエンス界の巨人Tim Berners-Leeを擁するMITという地の利を生かして、最先端の研究者を次々と呼んで、今何が考えられているのかを聞き、議論する。

Web2.0の定義も人によって様々だから、当然Web3.0が何かというのは全く定まっていない。Web3.0の定義文コンテストがあったり、Wikipediaでは記事が載っては削除されたりしている。この授業では、データのパミッションになぞらえて、以下のような枠組みで考えている
  • Web1.0="read": Web上のデータは読むことしかできず、ユーザーは定められた手順や範囲でのみ行動する
  • Web2.0="write": Web上にデータをアップロードしマッシュアップできるようになり、ユーザー参加型ビジネスがセレンディピティに介けられ主流になる
  • Web3.0="execute": セマンティック・ウェブによってデータの意味を区別した構造が出来上がり、Web上のデータは機械同士で自動でやり取りが行われるようになる
もしこれがWeb3.0であり、近い将来に実現するとなると、医療(特に診断)やコンサルティングなど知的サービス産業は大きく変わるだろう。データ収集能力や定型的な分析能力は機械(というかクラウド)によって自動化され、価値が急落する。

コンサルティング業界に喩えるなら、ファームに高いフィーを払わなくても、経営企画部では自社の経営指標と産業の構造や景気、主力製品の一般評価や地方の営業所のコンプライアンス違反まで、Web上で情報が「意味や文脈を踏まえて」自動収集される。さらに、Forces at workや3C分析といったある程度定型化された分析も為され、とるべき行動のオプションまで推薦される(その構造をパッケージ化して売り出すファームが現れるのは間違いない。例え自分の首を絞めることになっても)。コンサルタントはより高度でアーティスティックな問題解決だけを求められるようになるし、需要も減るのでコンサルタントの数自体大きく減っていくかもしれない。

産業革命と農業技術の発達が農業人口を工業人口に転化し、情報革命とオートメーションが工業人口を情報産業人口に転化した。情報産業がオートメートされ、セマンティック革命が起きると、情報産業の人口はどこにいくのだろうか。宗教か芸術に回帰するのか、或いは新しい産業が生まれるのだろうか。
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by flauto_sloan | 2009-03-15 23:55 | MITでの学び(MBA)
J.S.バッハと初音ミク
流行り廃りはこのブログに書かないようにしているが、このテーマは面白いと思ったので残しておく

「初音ミク」を始めとしたボーカロイド技術と、「ニコニコ動画」という作品の発表・評価・研究の場によって、人の声を奏でる電子/ソフトウェア楽器は表現力を増している。クラシック音楽では様式自体が美しいバロック音楽や宗教音楽が、ボーカロイドと相性が良いために作品として発表されやすく、「ボカロクラシカ」というジャンルを確立し演奏者を増やしている。さらにニコニコ動画の聴衆参加機能により、鑑賞しながら歌詞や音楽の解説をリアルタイムで見ることができ、クラシックの敷居を下げる教育効果を期待できる。この二つの技術をプラットフォームとして活用すれば、クラシックの裾野拡大の一助とできるのではないか。


ボーカロイド技術の向上
初音ミク」を中心としたボーカロイドについては、詳細な説明を省く*1が、楽器としての重要なポイントは、人の声を音源とし、歌詞を乗せることができ、表現の自由度が高いことにある。特に前二項目の技術進歩が大きい。古来より楽器は人の歌声を究極目標としていたという話を聞いたことがある。ならばボーカロイドは楽器の到達点にだいぶ近づいたのかもしれない。日経など各種メディアの耳目も引いている。

「初音ミク」は市井の音楽愛好者に新たな表現手段を与え、さらに「ニコニコ動画」という発表の場があることで、創造的な音楽作品を生み出している。

日本の教育水準だと、ピアノなどの音楽教育を受け、PCソフトを使い慣れている人口はそれなりに多いだろう。そんな一般人の潜在的な渇望 = 自己表現をして賞賛を浴びたい = にこの楽器はぴたりと適している。

そんな潜在的音楽家の発表の場が、「ニコニコ動画」である*2。多くの人が楽器で好きな歌や、自ら作曲したものを作品として発表している。聴衆が動画へコメントを残せる機能により、評価をすぐに受けることができる。人気曲となると百万アクセスを超え、商業化されるものも生まれている*3。ただし初期の作品の質は正に玉石混交だった。


共同作業プラットフォームとしての「ニコニコ動画」
作品の質・技術の向上にはこの「ニコニコ動画」が大きく貢献した。コメント機能を介してユーザー同士が作品に対して意見を出し合い、アイディアを採択し、試行錯誤を繰り返すという共同作業*4を行うことで、表現技術が飛躍的に向上している(参考: WebLab.ota)

これら共同作業者は、金銭的利益ではなく、自然発生したコミュニティ内での貢献と賞賛のために自分の意思で参加している。人気の高い動画は、再生数やコメント数上位に来るためにすぐ明らかになる。そこでコメントを残すと、その動画への愛着とゆるい連帯感が生まれ、コミュニティが自然と生まれる。

初音ミク関連でもそうしたゆるいコミュニティが生まれ、LinuxやWikipediaなどと同じく、参加者が自発的に貢献してコミュニティ自体が発展し、技術が改善されていった*5さらには産総研の技術者も着目させ、人の声に大きく近づける新技術まで表れた(参考: ぼかりす)


クラシックに於ける取り組み
「初音ミク」が歌う歌はポップスやアニメソングが多いが、クラシック音楽、特にバロック音楽を歌わせる表現者も現れている。誤解を恐れず言えば、バロック音楽(や教会音楽)は構造が堅固で様式それ自体が美しいため、微妙な音色、音量やテンポの変化が無くともそれなりに聴くことができる。そのためロマン派などに比べると、ボーカロイドによる表現が馴染み易い*6

歌詞が不要で手軽なオルガン曲の演奏に始まり、最近はバッハの「ロ短調ミサ」や「マタイ受難曲」といった大曲までもが歌詞付きで演奏されており、「ボカロクラシカ」というジャンルを築きつつある。現代曲でなければ著作権も切れているため*7、ネット作品に付き物の権利トラブルも少ないだろう(楽譜の版によるものはあるのだろうが)。


聴き手の参加による教育効果
そして私が最も面白いと思ったのが、その「マタイ受難曲」である(私が最も好きな曲の一つ)。これまでは「如何にクラシックを初音ミクで演奏するか」が主な問題だったが、この動画では動画故の視覚的な表現、リアルタイムで付随する歌詞、そして何より、背景知識や音楽知識のある聴き手が解説を盛り込んでいる点だ。

c0131701_15584562.jpg第一曲の演奏を観ると、声域ごとに色が異なる初音ミクが合唱で歌うっているのだが、画面下部に表現やバッハの意図に関するコメントが表示される。これがなかなかにしっかりしていて面白いのだ。

例えば少年合唱(幼い初音ミクの画が対応)が登場するシーンでは、直前に
[「Lamm; 子羊」の語を聞きつけて、コラールが登場します]
という解説が付く。他にも調性の意味など、クラシック初心者にも分かり易く書いている。その結果、初めてマタイを聴く人でも音楽を深く理解することができ、興味に繋がる教育効果(そんな堅苦しい言葉は不似合いだが)がある。

クラシックの敷居の高さは何段階かあるが、その一つはこうした構造・様式や作曲者の意図の難しさにある。これは一度知ってみると、その奥深さに惹かれて病み付きになるのだが、誰か先達がいないと判らない。かといってクラシックをあまり聴かない人がバッハについての本など手に取りはしない。

様々なクラシックファンが訪れるこの「ニコニコ動画」は丁度良い音楽教育プラットフォームとしての可能性があるのではないか、と思う。巨大な「初音ミク」コミュニティの中を巡回している人がボカロクラシカを聴いて、よく知った聴衆のコメントから深い音楽性まで理解する。そこで興味を持ったらCDやコンサートへと進むこともあろう。

音楽は初音ミクである必然性は無く、「マタイ」のDVDなりをキャプチャして、そこへ書き込んでも効果は同じだ。だがそれではコアなクラシックファンが相互に理解を深めるだけで、カバレッジの拡大は小さいと思われる(著作権の問題もある)。マニアを呼び込み、共同作業的な教育をするにあたっては、実際の映像よりも初音ミクの方が閲覧者の習慣や文化に「馴染み」やすく、またあまりクラシックを聴かない人も(興味本位だろうと)閲覧しやすい。何より、教育は楽しくなければならない(ウォルト・ディズニーの言)のだ。


日本のクラシック人口拡大への期待
つまりボカロクラシカは「初音ミク」「ニコニコ」の組み合わせ故に、間口の広さでカバレッジを拡大でき、教育効果によってクラシックに新たに関心を持った人をコアなファンへ引き上げることができ、日本のクラシック人口拡大に寄与できる可能性がある。

勿論、表現技術や音色、合唱の薄さや他言語への対応、「荒らし」対処など、まだまだ改善点はある。だがそれよりもクラシック音楽愛好家の裾野を広げる手段としての機会に着目すれば、この新しい技術で色々と面白いことができそうだ。


参考
J.S.Bach BWV244『マタイ受難曲』第一曲 "Kommt, ihr Tochter, helft mir klagen"
ニコニコ動画版(ユーザー登録が必要)
YouTube版(ニコニコのものを転載。ただしコメントなし)

*1 初音ミクの「萌えキャラクター」としての側面は、ユーザーを刺激する重要要素だが、ここでは言及しない
*2 YouTubeとの比較や、双方向の動画コミュニティとしてのニコニコ動画の役割など、プラットフォームとしての詳細な考察は省く
*3 商業化に際しては、著作権の取り扱いで騒動があった
*4 『フラット化する世界』のドライバーとして、共同作業のプラットフォームは極めて重要である。プラットフォームの優秀さとしては、リアルタイムで議論できる分、YouTubeを遥かに凌いでいる
*5 個人参加のネットワークによる共同作業であり、コミュニティが参加者の過多で決まることから、まさに『Future of Work』といえる
*6 ロココへの対応はあと少しか。モーツァルト『魔笛』の夜の女王のアリアを演奏したものがあり、難なく出る(当然だが)High Fなどなかなかよくできているものの、アーティキュレーションを細かく表現するところ(あとは他言語への対応)までは更なる技術の向上が必要だと感じる
*7 ちなみにジョン・ケージの「4分33秒」の演奏もある。当然だが完璧に再現している

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by flauto_sloan | 2008-07-13 14:11 | 音楽・芸術