MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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若尾さんの日本-アメリカ交流コンサート
BSOのオーボエ奏者として名高い若尾圭介さんが、日本-アメリカ交流コンサートと題して、日本からトップ演奏家を呼び、ボストンのトップ演奏家とアンサンブルをする「交流試合」を開催した。
(若尾さんご本人による記事)


BSOと若尾さん
若尾さんは、小澤征爾がいた頃からBSOで活躍し、今ではBSOの副首席奏者、ボストンポップスで首席奏者として大活躍している。彼の問題意識として、もっと日本の優れた音楽家を欧米に紹介したいし、また欧米の一流演奏家を日本人と交流させて、お互いを高めあいたいのだという。

これはボストンの地で、日本人ゆえの直接間接様々な障害や苦労をした若尾さんゆえの意識と期待なのだろう。それを結実させるステップとして、この日米交流コンサートが開かれた。

会場となったNECのジョーダン・ホールには、ボストン在住の日本人とボストニアンが多く集まり、辻井領事の姿もあった。ボストン日本人研究者交流会でお会いしている方々も結構来ている。


日米交流試合
演奏は面白く、日米双方が緊張感ある絡みあいをしていた。うまく表現できないのだが、日本人的な味付け、というか匂いといったものが、アメリカ人のそれとちょっと違う。ちょっと違うのだが、さすが皆一流だけあって、それが響きとしては豊かで明るくなる。

前半で大奮闘した若尾さんはもちろん、新日本フィルでコンマスの豊嶋さんはアメリカ勢を圧倒する存在感だ。N響首席ファゴット奏者の水谷さんも、隣で聴いていた友人が「侍のよう」と形容した、真摯で一本筋の通った音楽で日米の交流に花を添えていた。

一方米国勢では、何といってもBSO首席コントラバス奏者のエドウィン・ベーカー氏が素晴らしい。オケの中では何度も聴いていたはずだが、初めてソロで聴くと、恐ろしいほどの技術、コントラバスとは思えない暖かい音色、そして周りを深く感化していく存在感が圧倒的だった。さすが全米トップクラスのバス奏者である。感動したあまり、帰宅後すぐに彼のソロCDを買ってしまった*1
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日本が誇る演奏家
演奏後にはレセプションがあり、初めて若尾さんにご挨拶をする機会に恵まれた。若尾さんは気さくでエネルギッシュで、周りを元気にしていく。豊嶋さんと水谷さんともお話でき、日本に帰って、新日本フィルとN響を聴くのが楽しみになった。

改めて、日本の一流の音楽家が、世界を相手に活躍できる才能を持っていることを感じる*2。これが次の世代へと続く流れができ、若い才能が世界で活躍し、日本にもその果実を還流してくれる好循環ができれば素晴らしい。若尾さんの試みは、その循環のトリガーとなるだろう。

個人的には、日本を代表する管楽器奏者の若尾さんと水谷さんとに挟まれて写真をとることができ、日本人管楽器吹きのはしくれとしては大感激だった。

素晴らしい演奏会だった。


*1 このCDに収録されている、シューベルトの『アルペジョーネ・ソナタ』がまた素晴らしい。現代では絶滅した古楽器のために書かれた名曲であり、チェロではよく演奏されるのだが、コントラバスでは初めて聴いた。バスとは思えない繊細な表現力、表情豊かな音色は、私のコントラバスという楽器に対するイメージを一変させた

*2 この記事を実際に書いている6月には、樫本大進氏が、安永徹氏に続く日本人二人目のベルリン・フィルのコンサートマスターに選ばれた。妻と初めて行ったコンサートが、日本で樫本大進がチョン・ミュンフンらとチャイコフスキー『偉大な芸術家の思い出』を演奏するものだった。その時に彼の素晴らしい才能に感動し、これは大物だと思っていたのだが、ベルリン・フィルでコンマスになるとは、実に嬉しい限りだ

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# by flauto_sloan | 2009-04-24 23:04 | 音楽・芸術
クリステンセン教授とアターバック教授
c0131701_8102620.jpg「破壊的テクノロジー」の授業で、『イノベーションのジレンマ』の著者、クレイトン・クリステンセン教授がゲスト講演をした。
アターバック教授とは長年のライバルであり友人であり、MIT的科学的・定量的アプローチを重視するアターバック教授と、HBS的経営目線での意味合いを重視するクリステンセン教授の対比が面白い。

クリステンセン教授は、「イノベーションへの解」の内容を中心として去年4回連続講義をMITで行い、私は初回以外参加した。今回の講義も基本は同じであったが、アターバック理論を理解し、また丁度『科学革命の構造』を読んだところで批判的に聴くとまた面白い。教授のキーメッセージをいくつか。
  • 技術は周辺から興り、中心技術へ集約され、そこで破壊的イノベーションが起きて再度周辺へと分散する。その破壊的イノベーションは、利益と差別化を目的とした競合によるコスト増大やサービス範囲の拡大によって促される。いわば正しいビジネスモデルであるからこそ、破壊されてしまう
  • 破壊的イノベーションを可能にするのは、簡素化された技術、ビジネスモデルの革新、そして新しいバリュー・ネットワークである。
    • 技術は3つの段階を経る。試行錯誤、パターン認識、そして規則性の活用だ。この3段階目に入ると、破壊的イノベーションが促される
    • ビジネスモデルは、バリュー・プロポジション、リソース配分、プロセス革新、利益方程式の確立の4つのサイクルが循環するようなものである。これが循環する限り、技術は持続的である。そのとき、進化するのはビジネスモデルではなく、企業である
    • バリュー・ネットワークの確立といった相互依存性を含む構造的な問題は、「神の見えざる手」では自動的に解決されない。ロックフェラーが「見え得る手」と呼んだように、アーキテクチャーを再設計しなければ、個々の起業家の努力だけで解決するものではない。仮説を持って、構造のあり方を試行錯誤して作り変えていくことが重要だ
「破壊的イノベーション」は、その実「破壊的ビジネスモデル」のことだ、とあるCEOが言ったという。動物の進化戦略と同じで、正しい戦略だからこそ、やがてそれに付け入る戦略とそれを可能にする技術が生まれ、「破壊的」と呼ばれる。

確かにアターバック教授が指摘するように、クリステンセン教授の理論がどこまで包括的で、定量的なのかはやや疑問が残る。成立要件も色々と隠れているだろう。記述的である中に、規範的な要素を含む理論だからこそ、多くの経営者に感銘を与えたように思える。

そうなると気になるのは、クリステンセン理論やアターバック理論の裏をかくものだ。あれだけ『イノベーションのジレンマ』がベストセラーになり、技術経営の分野ではある種の常識になっている。多くの企業が彼らの理論を考慮した戦略を立てて生き残りを図るならば、新しい戦略家や起業家はさらにその裏をかくだろう。

今それが何なのかは思いつかず、また彼らの理論がどこまで常識となっているのかはわからない。だが孫子の兵法が漢の時代の兵法家の常識となった結果、三国志の頃にはそれを理解した上でその裏をかくことが優れた兵法家の証だった(孫子に注釈を入れた曹操がよい例)。

兵は詭道なり
戦略は状況に応じて千変万化し、淘汰圧に曝されて進化していく。
だから面白いし、難しい。
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# by flauto_sloan | 2009-04-23 22:06 | MITでの学び(MBA)
ボストンにいて、一年で一番日本人であることを実感するのは、この時かもしれない。チャールズ川沿いの並木にある桜が満開になった。
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MITのPh.Dの友人達と花見をした。ただマサチューセッツでは屋外で飲酒できないので、コーラで我慢。
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桜は心を浮き立たせる。長い冬がなかなか明けなかったボストンにも、ようやく春か。
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# by flauto_sloan | 2009-04-23 08:34 | ボストンでの生活
NYP/Muti - スカラ座の香り
ムーティは流石にスカラ座を長年指揮してきただけあり、イタリア・オペラの指揮は堂に入っている。NYフィルでイタリア人作曲家の曲ばかり取り上げた、「イタリア・プログラム」は聴き応えがあった。

先週『ジークフリート』の後に続けて、NYフィルでムーティと内田光子によるラヴェルのピアノ協奏曲を聴いたのだが、これはムーティが乗らなかったのか、オケの準備不足のせいか、いまひとつの出来だった。内田がオケに合わせねばならず、持ち前の天真爛漫さが引き出されなかった。ムーティが調子悪いのかと思ってしまったが、単に曲との相性の問題だったのだろうか。

前半はヴェルディやプッチーニによるオペラ序曲や器楽曲で、曲としては傑作といえないマイナー曲ばかりなのだが、それをムーティがセンスよく味付けしていくと、非常に格好いい。ヴェルディの『ジャンヌ・ダルク』序曲は情景描写的な叙述が多いのだが、ドラマチックで絵画的な解釈を繰り広げていた。

メインはレスピーギの『ローマの松』で、情景音楽の頂点ともいえる「ローマ三部作」でも人気がある曲だ。1楽章は華やかさを狙いすぎたせいか、ややぎこちなかったのだが、2楽章のカタコンベの底から湧き上がる唸り、3楽章の美しく青白い月光の描写は見事だった。そして4楽章の『アッピア街道の松』は、迫り来るローマ軍の行進が絶妙な遠近感と迫力とで描かれ、客席最上階から鳴り響いてくる金管のファンファーレと、舞台上の大編成のオケとのサラウンディング効果も非常に効果的だった。最後は当時世界最強だったローマ軍の凱旋を想起させる盛り上がりで、会場は大興奮に包まれた。

ローマ三部作といえば、同じくイタリア人の大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ指揮の演奏が有名だが、ムーティにしろトスカニーニにしろ、やはりイタリア人特有のセンスがあるのだろうか。華やかさと納得感のある名演だった。
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# by flauto_sloan | 2009-04-22 22:50 | 音楽・芸術
連休一転
この月曜・火曜はMITが休日であり、水曜と金曜に授業がない私は6連休だった。妻とDCに行き、連邦最高裁の法廷見学をしようと予定していたのだが、突然妻が病気になってしまい、それどころではなくなってしまった。

代わりにアメリカの病院の救急病棟を見る機会になったのだが、ともあれ大事無く、NYでのんびりと過ごす連休となった。

NYの行きつけのレストランに、五狼液(Wu Liang Ye)という四川料理のお店がある。担々麺や麻婆豆腐が絶品で、全身から汗が出るほど辛くて美味しい。この支店がupper east にあるのだが、駄目もとでupper west の我が家へ出前を頼んだら、忙しくない時間でそれなりの量を頼むのならば来てくれるという。それからというものの、ことあるごとにそこに出前を頼むことになった。

今回も、家でのんびりしながら四川料理をついばむ休暇となった。
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# by flauto_sloan | 2009-04-20 00:10 | NYでの生活
MET/Levine: Ring Cycle (1/2) - ワグネリアンの至福
私はワグネリアンと言うには中毒症状が軽いのだが、METがリング・サイクルを行うと聴いては、聴き逃さずにはいられなかった。1989年から4年ごとにMETで行われてきた、ワーグナー作曲の楽劇『ニーベルングの指環』全曲演奏会『リング・サイクル』が、今シーズンも行われている。ドイツ人の大演出家オットー・シェンクによる伝統的なプロダクションは今年で20年の歴史を終え、4年後からはより前衛的なプロダクションが予定されている。

妻は全部参詣する予定なのだが、私はどうしても外せない事情により前半2日を聴けず、非常に無念ながら後半の『ジークフリート』から聴くことになった。全部聴いたら4日間20時間ほどかかる超大作なので、演奏会に出向きでもしない限り、DVDで全曲観るなんてことは普通できない。私も『指環』をちゃんと聴くのは初めてであり、非常に楽しみだった。

指揮はBSOとMETで何度となく聴いてきたジェームズ・レヴァインであり、1989年から全ての指輪を振り続けている。驚くような斬新な解釈はないが、非常に安定感があり美しい音楽を創るので、オペラ指揮者としては素晴らしい。昨年の病気を乗り越えて、この大作を振るのだから敬服する。ニューヨーカーには超人気で、開演前の指揮者入場の時点でブラボーの嵐。

ミーメとジークフリート
そして『ジークフリート』の幕が上がる。レンブラントの絵画のような、美しくも薄暗い舞台。英雄ジークフリート役のクリスチャン・フランツは、力のあるヒロイックな歌い方が素晴らしく、明るい声色がジークフリートの無垢を表現している。育ての親(?)であるドワーフのミーメもコミカルで、苦労して育てたジークフリートに邪険にされて嘆くのがなんとも哀れで、つい同情してしまう。

ただこのミーメの扱い(下等種族に対しては、恩を仇で返しても正当化される)が、育ちより氏というアーリア人優性思想に利用されたのだろうな、とも理解できる。イスラエル帰りのせいか、それが透けて見えると、どうもジークフリートを英雄視できなくなってしまう。ちなみにワーグナーの長子の名前はジークフリートだ。

人間的なリーダー、ヴォータン
父親の形見の剣ノートゥングを再生させたジークフリートが、龍ヘフナーを退治して指環を手に入れると、運命の伴侶ブリュンヒルデを求めにいく。そこで神々の王であり、父親ジークムンデの仇であるヴォータンと対決するのだが、このヴォータン役のジェームズ・モリスがまた素晴らしい。モリスは20年ヴォータンを歌い続けているだけあり、歌も姿もヴォータンそのものだ。

ヴォータンは北欧神話では、隻眼で旅装束(帽子とマント)に身を固め、世界樹を切り出して創った神槍グングニルを片手に世界を旅し、知識と知恵を求め続ける。グングニルの力で神々の王となっても尚、答えを持っておらず、懊悩と思索の旅を続ける。それが人間のリーダーが苦悩する姿を映し出していて、畏敬とともに親しみを感じる。実際の神話でも巨狼フェンリルに飲み込まれて斃れてしまうのだが、『指環』でも神の世界ヴァルハラの混乱を収拾できず、元妻に知恵を借りようとするも拒まれ、最後は自分に対して怨みを持ち激怒した娘ブリュンヒルデのために、ヴァルハラごと滅んでしまう。

力と知恵がありながら、絶対ではない存在であるヴォータンは、『指環』ではジークフリートのノートゥングによって槍を折られてしまう。力と統率の象徴である槍の敗北は、人間による神の凋落を示し、最終話『神々の黄昏』へと繋がる。そして名歌手モリスもそこで退場となる。

戸惑いのブリュンヒルデ
そしてローゲの炎に囲まれて眠るヴァルキューレ、ブリュンヒルデを目覚めさせるジークフリート。このブリュンヒルデ役のイレーヌ・セロインは、ほの悲しくも力強い声と声量が見事。ベテランのクリスティン・ブリュワーの代役*らしいのだが、代役とは思わせない圧倒的な存在感で、父ヴォータンの罰により神性を失ったことを恐れ悲しみ、人間的な愛情の芽生えに戸惑う。その戸惑いと悲しみ、そして恥じらいが切々と歌われる。だがやがてそれが愛へと変転していき、ジークフリートと結ばれるところで幕が下りた。


歌手が皆素晴らしかったため、カーテンコールが鳴り止まない。特に主役の3人に対しては大絶賛だ。レヴァインへのブラボーも大合唱だ。一時代を築いた『指環』が終わろうとしている。だがその終わりは力強く、観客も感動しながら第3作を聞き終えた。


* NY Timesによると、やはり今年のMetの代役の多さは異常で、どうも歌手の間で病気が流行っていたようだ。本来ブリュンヒルでを歌う予定だったブリュワーも聴きたかったが、若さ・容姿・演技力がそろったセロインも素晴らしかった
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# by flauto_sloan | 2009-04-18 23:46 | 音楽・芸術
2009 Sloan Sales Conference
昨年参加した学生カンファレンスの中でも、特に面白く印象深かったのが MIT Sloan Sales Conferenceだった(ブログ記事は書きかけだったのに気づいたので、時間があったら補足したい)。

同じく参加したShintaroが書いているが、やはりランチタイムセッションのCialdini教授の講演が秀逸だった。

セールスは売り手と買い手の間で、心理に深く食い込む活動であるが、人間の心の動き方は多かれ少なかれ似通っているから、プロセス化して管理することが一定量可能だ。私自身、いわゆる営業の経験はまだないのだが、昨年Technology Salesの授業を取ってから、面白いと感じるようになった。

今年もなかなか満足のいくconferenceであった。
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# by flauto_sloan | 2009-04-17 23:36 | MITでの学び(MBA)
アジアの夜
偶然が重なることはあるもので、ハーバードのハイフェッツ教授のクラスでの日中韓の集まりと、MITスローンのアジア学生の集まりとが同じ日に行われた。やはりアジア人の中にいると、気楽でいられる。その気楽さは、違いよりも共通なものを意識する重要さを教えてくれる。

c0131701_23253377.jpg日中韓のハイフェッツ信徒
ハイフェッツ教授の、感情のジェットコースターのような授業を受けると、多くの人はハイフェッツ教授に心酔し、自らを冗談で「ハイフェッツ信者」と呼ぶ。そして残りの人は、教授のことを非常に嫌う。その中間はあまりいない。

日中韓の学生の集まりの2回目に来たのは、そんな授業を経てハイフェッツ信者となった人ばかりだ。信じるようになったきっかけの一つが、教授に暗に焚きつけられて始めた前回の集まりであり、そこでお互いを深く理解したことによる力を感じたことだろう。
理解しただけで、別に何も解決したわけではない。ただ、相手を理解し、事態は非常に複雑であると知ることで、共感するものが生まれてくる。その共感が、極論や思い込みから自分を掬い上げ、前進するきっかけを与えてくれる。

今回は、感情の非平衡状態から3ヶ月経っていたため、前回よりもトーンは抑え目だった。お互いの認識の違いを聴きあうことは勿論続けたが、前回議論した、戦争の解釈や領土問題、または戦後補償といった日中韓の間にある問題については、あまり話題に上がらなかった。むしろそれぞれの国の中で抱えている課題(中台関係、南北朝鮮、在日朝鮮人の地位など)を話し、お互いに聴きあった。聴くことの偉大な力を改めて感じつつ。

ここでも、何かを解決したり、共通の土台を作ったわけではない。だが対立を別の次元で解消するための可能性を作っていった。それは信頼であり、共感であり、憐れみ*なのだろう。

彼らとこうして集まるのも、これが最後かもしれない。国に戻れば立場があるが、こうして本音を語り合えたことは貴重な経験だった。


スローンのアジア飲み
c0131701_23285374.jpgハーバードスクエアからケンドールに向かい、スローン生のアジアン・パーティーに遅れて参加した。

公共政策大学院からビジネススクールに来たのだなあ、と感じるのは、パーティーの明るさと賑やかさだった。

フィリピン人のカップルのアパートにあるパーティー・ルームにて、40人くらいのアジア人スローン生が集まる。大半は2年生とその家族だ。ビールを片手に、楽しく談笑する。

酔っ払ってくると、飲みのゲームを皆でやったり、中国将棋に熱中する中華系がいたり、子供同士で遊んだりと、ますます宴は盛り上がった。楽しかった彼らとの時間も、あと少しと思うと寂しくなる。


相違
アメリカにいると、日中韓台泰馬新印の生徒すべてが「アジア人」と呼ばれる。渡米当初は、「いや一口にアジア人といっても、日中韓だけで風貌から考え方まで全く違う」と思っていたが、ここで暮らし、様々な国の人と話し、海外から日本のニュースや日本人の反応を見るにつけ、考えが変わってきた。

日本人も、韓国人も、中国人も大して変わりはない。特にネット上で中韓に向けての差別的な書き込みをよく見かけるが、彼らが投げかける侮蔑的表現は、程度の違いだけで現代日本人にも当てはまるものばかり。似たようなものだ。

文化といい民族性といい、9割くらいは共通もしくはよく似たものを持っているように感じる。だが日本、またアジアの中にいると、アジアの外から自分たちを相対的に見られないため、何共通しているかわからないし、またそこへの意識は限られ、違いにばかり目が向いてしまう。違いを見ているうちに、その違いがますます重要に思えてきて、隔絶ばかり自ら作ってしまう。もちろん教育や政治によって増幅されている面は大きく、そこを協調して是正する必要はある。

だがそもそも所詮はわれらは同じアジア人だ。脱亜入欧で周りとは違うという意識をもっていても、少なくとも近年の日本人の言動を見る限り、限りなくアジアへ戻っている。


自戒を籠めて述べると、海外に出ることが全て正しいとは思わないが、自らを相対化してみないと、なにが本当に強みや弱みであるか、優れ劣っているのかがわからない。そうすると、内向きで些細なことばかりが重要に見えて、世界の潮流を見失い、劣後していくばかりではないか。

日本に対する特別意識がなくなり、だが逆説的に愛おしさが増したことも、留学の成果だといえよう。

* 「憐れみ」は「哀れみ」とは全く異なる。憐れみはcompassionであり、その下地には愛がある
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# by flauto_sloan | 2009-04-16 23:22 | 交友
新しい選挙戦 - David Plouffe
オバマ大統領の選挙参謀、David Plouffe氏がJFK Forumにて講演をした。オバマ氏の講演を聞くため登録して以来、彼から毎日のようにメールが届いていたので、なんだか親近感が沸く。若くしてあの大接戦を勝利に導いた参謀を一目見ようと、ケネディへ向かった。

機を逃さず、臨機応変に
プロフェ氏が語る勝因は、まずオバマ氏自身の魅力、素早い学習と臨機応変な対応、そして草の根運動とテクノロジーへの信頼だった。
今回の選挙戦略は革命的だといわれたが、いつまでも機能するモデルではない。そもそもバラク・オバマという人間への根源的な興味・関心が大きかったことがまず成功の要因だ。彼の魅力が中心になければ、ウェブなどのテクノロジーは意味がなかった。彼がChangeと訴えるのは、まさに “right message by right person” だったのだ。

オバマ陣営は、実績と知名度で圧倒的だったヒラリー陣営に対抗するには、早い勝利を挙げねばならず、それは極めて難しい道だった。大票田で勝利すれば政治的に力をもてるが、選挙戦に生き残るために指名候補を稼ぐことにした。そして、緒戦のアイオワなどの州に多くの資金をつぎ込み、ヘッドスタートを切ろうとした。

その結果から学んだことは大きく、すぐに戦略を修正した。アイオワなど緒戦の州では、「もし私がオバマを助けなければ、彼は勝てない」と人々が信じたから、無党派層が選挙に向かい、オバマに投票した。そこで実際に投票する有権者のパイを増やし、増えた分がオバマ支持者となるように草の根運動の拡大に力を注いだ。

草の根運動で人々が新しい問題を議論していったことが、「Change」という言葉に力を持たせた。Webなど新しいテクノロジーを利用した運動は、多くが実験的だったが、どんなものも歓迎した。新しい支持者が周りの人に、米国が抱える難しい問題について話し始めていった。だがその問題は、中絶容認といった古い問題ではなく、教育やエネルギーといった新しいこれからの問題だった。そして、オバマこそがその新しい問題へのビジョンを持ち、「Change」をもたらせる人物だと皆が確信していった。

同時に若者が中心の支持者は、”joy of involvement”を覚え、オーナーシップを育んでいった。彼らは支援活動を通して、オバマ氏が彼らを信頼していると実感し、自分は選挙活動とその先のこの国の変革に関わっているのだ、という喜びを自覚していった。オバマ氏が個人攻撃に曝された時も、オバマ氏自身よりも支持者が攻撃者に対抗したことで、危機を脱した。

(大統領選に対する質疑応答にて)
オバマ氏が民主党の代表候補となり、マケイン氏と戦ったときは、副大統領の人選が大きかったと思う。サラ・ペイリンは不透明なプロセスで政治的に選ばれた上に、マケイン氏以上に注目を浴びてしまい、全体としてはマケイン氏にダメージを与えてしまった。バイデン副大統領は厳正な選任プロセスで選ばれたし、ベテランの白人議員という保守的な姿はバランスとしてもよかった。「Change」はオバマ一人で既に十分だったから。

定石の裏をかく
オバマ陣営は当初からテクノロジーを駆使し、草の根運動で人気を守り立てるのを狙っていたように見える。だがそれは結果論であり、彼らも試行錯誤で臨機応変に戦略・戦術を変えていったからこその勝利だったというのが非常に面白い。ヒラリー陣営に比しての経験の少なさ、当初の弱さが逆に、定石の裏をかく勇気と熱意と柔軟さを生み出したのだろう。

プロフェ氏自身が述べたように、今回の方法が二期目の選挙戦で通用するかはわからない。共和党も学習してくるだろうし、なによりオバマ氏が今度は守る強者である。だがあくまで勝利の中心にあったのはオバマ大統領という人間の魅力である。まだそれは失われているようには見えない。その最大の強みを保ちつつ、素早い学びを繰り返していくなら、次の選挙戦はもっと革命的になるのかもしれない。
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# by flauto_sloan | 2009-04-16 23:14 | Guest Speakers