MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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BSO/Davis - 最後のBSO
今シーズン最後のBSOの演奏会は、サー・コリン・デイヴィス指揮によるベルリオーズ『テ・デウム』だった。格調高く壮麗な音楽を毎回聴かせてくれるデイヴィスなので、楽しみにしていたのだが、果たして最後を飾るに相応しい名演だった。

ボストンに住んでいるだけあって、何度となく通ったBSO。デイヴィスの演奏は内田との協奏曲など、名演が多かったので、最後をどう締めくくるのかと楽しみだった。満席の会場で奏でられたテ・デウムは、スケールが大きく、かつデイヴィスらしい肌理の細かさが素晴らしい。
終曲では胸に響くフォルテッシモが迫ってくる。BSOらしい、色濃い弦と、少し重めの管が、天上へと響き渡っていく。これが、恐らくシンフォニーホールで聴く最後のBSOかと思うと、音楽と感情とが合わさって、感傷的になってしまう。

デイヴィスはやはり素晴らしかった。聴衆もスタンディング・オベーションでこの一年の演奏家たちの奮闘を讃える。レヴァインの大病と復帰もあり、今年のBSOは非常によかった。素晴らしいシーズンを締めくくる、迫力あり感動的な演奏だった。

ありがとう、ボストン・シンフォニー・オーケストラ。

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by flauto_sloan | 2009-04-30 12:29 | 音楽・芸術
音楽療法
バークリー音楽院のSuzan Hanser教授が、音楽療法についてMITで講演を行った。前から気になっている音楽療法がどのようなものなのか、夜遅いセッションだったが覗いてみた。面白いのだが、本当にどこまで実効的なのかはよくわからない。
病は気からというように、精神が身体に与える影響は大きく、だからこそプラセボが効果を持ち、ストレスが病気を引き起こす。原始時代にヒトを救った自律神経が、いまやヒトを殺そうとしている。
脳は共感する機能を持っており、自分や他人がとった行動から反応を起こす。音楽を聴くことで、脳が共感し、ストレスを開放し心身を新たな状態に持っていくことができる。

これを利用した音楽療法は医療現場でも取り入れられており、癌治療を専門とするダナ・ファーバー病院では、"Pod for Soul" というプレイリストを作り、癌患者の症状緩和に用いている。

特に痛みに関しては、メルザックのゲート理論が論じるように選択的であり、音楽が知覚を支配することで痛みを和らげられると考えられる。そのため、分娩時の鎮痛にも音楽が用いられる場合がある。他にも、免疫力を高める効果があるともいわれている。

音楽は録音されたものでも効果はあるが、生演奏の方が効果が大きいと思われる。ただし厳密な比較調査はまだ十分ではない。また、音楽の好みは人によって異なるので注意しなければならないのと、頭痛など病気によっては逆効果なこともある。
セッションの途中、参加者が目を閉じ、ハンセン教授の奏でるインディアン・フルートの音色に耳を傾ける実験を行った。いつものような批判的な聴き方ではなく、音の流れに身を任せると、癒されていくのを感じた。

音楽の効能は、先日の心理音響学の講演とあわせても、まだどこまで実証されているのかはなかなかわからない。だが「何かがありそう」だし、麻薬的な魅力は本能にプログラムされているものかもしれない。日本では音楽療法はまだ広まっていないが、アダージョ・カラヤンのヒットや、癒し効果を謳うCDを見ても、効果は実感されているのかもしれない。

音楽で人が変わる、という信念は実証にはまだ程遠い。
だがわからないからこそ、新しい動きになれるのかもしれない。
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by flauto_sloan | 2009-04-28 05:26 | 音楽・芸術
WWWの巨人 – Sir Tim Berners Lee
MITの教授で、WWWの開発者である、Sir Tim Berners LeeWeb3.0の授業の最後のゲストスピーカーとして呼ばれた。某サイトで「憧れる有名ハッカー」に選ばれ、WWWで世界を変えた男とも言えるバーナーズ・リーは、恐ろしく頭の回転が早く、かつユーモアがあり、MITが擁する天才とはこういう人なのだな、と思わせた。
Web2.0は群雄割拠の無秩序を生み、それぞれの技術が囲い込まれてしまった。セマンティック・テクノロジーを中核とするWeb3.0はそうではなく、相互にオペレーションが可能で、一貫性を持ち秩序あるネットワークを作り上げることが必要だ。もちろん、それは全てが無料であることも、アクセスコントロールができないことも意味しない。

あらゆるデータが共通の土壌として繋がることで、あらゆる創造性がその上で開花する。一部企業がデータを独占しようとするだろうが、データを結びつけることによる価値の方が大きくなるのと、データの開示競争が引き起こされることで、あるところで閾値を超えてデータが共通化されていくだろう。

共通化されたデータが結び付けられる効果は計り知れない。たとえばWeb3.0の技術を導入している癌治療の分野では、それぞれの研究分野は狭い科学者達が、お互いのデータを結びつけたことで、既に便益が出始めている。

否が応でも、Web3.0の時代は到来するのだ。マイクロソフトが当初インターネットを毛嫌いしても、それを受け入れざるを得なかったように。
バーナーズ・リー教授は、セマンティック・ウェブによる秩序あるWeb3.0の姿を考えている。それが可能になれば、まさに人知を超えた発見が生まれる可能性がある。まさに人の創造性が自由に花開く土壌だ。

だがグーグルは力技によるセマンティック技術を進めており、教授の理想が実現できるかはまだ予断を許さない。Wolfram Alphaのような新しい技術も登場しており、いまだWebは群雄割拠である。

WWWコンソーシアムのような秩序だったアプローチが通用する規模を超えてしまっているのかもしれない。教授の推進するセマンティック技術が閾値を超えようにも、閾値自体が普及を上回るスピードで拡大しては意味がない。

無秩序から生まれる創造性と、秩序の上で花開く創造性。どちらが勝つのだろうか。


 ちなみに、質疑応答の中で「webの世界で一番驚いたことは何でしたか」と聞かれたバーナーズ・リー教授は「人々がHTMLを手で書いていたことだ」と答えていた… ちなみにこのブログも、微調整はHTMLタグを手打ちで入れ込んでいます
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by flauto_sloan | 2009-04-27 22:05 | MITでの学び(MBA)
St.Luke's/Previn/Mutter, Fleming, Bashmet - 美しいラブレター
先日初めて生で聴いて感動したアンネ・ゾフィー・ムタールネ・フレミングが、アンドレ・プレヴィン指揮でセント・ルーク・オーケストラと競演した。プレヴィンの80歳の誕生日を祝うコンサートで、二大天才女流音楽家に囲まれ、自分の作曲した曲を振るプレヴィンは終始にこやかであり、華やかな演奏会だった。

ルネ・フレミングの艶やかな歌声は今日も見事で、ソロである分のびやかに歌っていた。続くムターとバシュメット(彼もまた、さすがに素晴らしかった!)のヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲も面白い。それにしても、カーネギーホールでもなかなか揃わないほどの、超豪華な面々だ。


だが今日の注目のプログラムは、メインのプレヴィン作曲のヴァイオリン・ソナタ『アンネ・ゾフィー』だ。BSOの委託で作曲したプレヴィンが、ラブレターとしてムターのために作曲した協奏曲で、初演後にこの二人は34歳の年の差を越えて結婚した(残念ながら現在は離婚してしまったが)。

そんな渾身の曲だけあり、プレヴィンの曲の中でも傑出している。美しいメロディーと、可愛らしく変化するリズムが、ムターの美しさとプレヴィンの愛情を見事に描写する。それを当人たちが演奏するのだから、素晴らしくないわけがない。

ムターの存在感は圧倒的で、気分が乗らない瞬間はあるものの、乗ってきたときには深くて胸に響く音色と、思い切りのいいリズム感、しなやかな身体から生まれるメロディーが、聴衆を魅了していた。オーケストラが二流なので、ムターについていけない場面が何度かあったのだが、そんなときはムターがオケに一瞥を送り、激励していた。ソリストでありながら、コンミスも兼ねていたかのようだ。

演奏が終わると、いつまでも美しいムターが、小柄な前夫プレヴィンの手を取り、頬にキスをしていた。別れたものの、音楽家としての尊敬と愛情は全く失われていない二人による、プレヴィン作曲『アンネ・ゾフィー』だった。
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by flauto_sloan | 2009-04-25 18:15 | 音楽・芸術
MET/Levine: Ring Cycle (2/2) - 一時代の終わり
c0131701_10495384.jpg『ニーベルングの指環』の最終話、『神々の黄昏』を聴きにいった。超大作を完結させるだけあり、地下のドワーフ族、地上の人類、天上の神々の希望と欲望、そして滅びと再生が描かれる。指揮はもちろんレヴァインであり、1989年以来20年続いたオットー・シェンクによるプロダクションの締めくくりでもある。

人気が高かったシェンクの伝統的なプロダクションの最後なので、欧米のワグネリアンが集結したのではないかと思える人気ぶりで、会場は超満員。真夏日にもかかわらず、みな正装で最後の楽劇を聴きに来ている。通しのチケットのため毎回周りは同じ顔ぶれであり、妻がすっかり親しくなった隣席の老夫婦は、20年間欠かさず『指環』を聴いてきたという。2012年からの新しい『指輪』も聴き続けるのだろう。

ブリュンヒルデと人間の知恵
前回好演だったブリュンヒルデ役は代わってしまったが、彼女もヒロイックな声と、力強い声の演技が素晴らしい。人間的な愛の喜び、ジークフリートの裏切りによる憤怒、そしてジークフリートの死で知恵と神性を取り戻した時の決然とした神々しさの対比が、美しく演じ分けられている。

ワーグナーの楽劇は「動機」と呼ばれる、特定の意味を持つ音形(ジークフリートの動機、剣の動機、愛の戸惑いの動機、など)を覚えておくと楽しみが倍増する。特に、最後にブリュンヒルデがジークフリートの亡骸を焼く炎に身を投げる自己犠牲のシーンでは、ワルキューレの動機が織り込まれ、神々の特権である不死を失い人間になったものの、知恵という神性の欠片を思い起こしたことを指し示す。レヴァインはこの動機を力強く描き出し、人間に内在する知恵を表現していた。

ジークフリートのラインへの旅
ジークフリートも相変わらずヒロイックで格好いい。名曲「ジークフリートのラインへの旅」はワーグナーの天賦の才が遺憾なく発揮されていて、そしてレヴァインがそれを素直に表現していて感動的だ。

第2幕になると、ジークフリートは明るく無邪気に、ブリュンヒルデに自らの裏切りを告げる残酷な歌を歌い続ける。その無邪気さがブリュンヒルデの悲しみを一層引き立たせる。アルベリッヒの息子でドワーフのハーゲンの策略に翻弄される人間と神々、そしてその策略を可能にした、どろどろとした3種族の自分勝手な欲望と、無垢な故に利用されるジークフリートとブリュンヒルデ。一度転がりだしたら止まらない、運命の歯車を描いているワーグナーは流石だ。

神々の黄昏
英雄ジークフリートが殺され、ブリュンヒルデの自己犠牲によって、ニーベルングの指環の本来の持ち主であるラインの乙女がライン川を氾濫させ、指環を取り戻す。一方、神々の世界ヴァルハラは、持ち帰られたロゲの炎が、城壁に積まれた世界樹の欠片を焼き、ヴァルハラを炎に包む。

ラインの氾濫と天上で燃え上がるヴァルハラの対比が美しい。そして水が引くと、ドワーフ、人間、神の全てが滅んだかと思えば、月明かりの中で廃墟に人間だけがゆっくりと戻ってくる。自らを悔い改める知恵を得た人間への希望を示す、シェンクの美しい演出で、彼の『指環』は20年の幕を閉じた。
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by flauto_sloan | 2009-04-25 10:40 | 音楽・芸術
若尾さんの日本-アメリカ交流コンサート
BSOのオーボエ奏者として名高い若尾圭介さんが、日本-アメリカ交流コンサートと題して、日本からトップ演奏家を呼び、ボストンのトップ演奏家とアンサンブルをする「交流試合」を開催した。
(若尾さんご本人による記事)


BSOと若尾さん
若尾さんは、小澤征爾がいた頃からBSOで活躍し、今ではBSOの副首席奏者、ボストンポップスで首席奏者として大活躍している。彼の問題意識として、もっと日本の優れた音楽家を欧米に紹介したいし、また欧米の一流演奏家を日本人と交流させて、お互いを高めあいたいのだという。

これはボストンの地で、日本人ゆえの直接間接様々な障害や苦労をした若尾さんゆえの意識と期待なのだろう。それを結実させるステップとして、この日米交流コンサートが開かれた。

会場となったNECのジョーダン・ホールには、ボストン在住の日本人とボストニアンが多く集まり、辻井領事の姿もあった。ボストン日本人研究者交流会でお会いしている方々も結構来ている。


日米交流試合
演奏は面白く、日米双方が緊張感ある絡みあいをしていた。うまく表現できないのだが、日本人的な味付け、というか匂いといったものが、アメリカ人のそれとちょっと違う。ちょっと違うのだが、さすが皆一流だけあって、それが響きとしては豊かで明るくなる。

前半で大奮闘した若尾さんはもちろん、新日本フィルでコンマスの豊嶋さんはアメリカ勢を圧倒する存在感だ。N響首席ファゴット奏者の水谷さんも、隣で聴いていた友人が「侍のよう」と形容した、真摯で一本筋の通った音楽で日米の交流に花を添えていた。

一方米国勢では、何といってもBSO首席コントラバス奏者のエドウィン・ベーカー氏が素晴らしい。オケの中では何度も聴いていたはずだが、初めてソロで聴くと、恐ろしいほどの技術、コントラバスとは思えない暖かい音色、そして周りを深く感化していく存在感が圧倒的だった。さすが全米トップクラスのバス奏者である。感動したあまり、帰宅後すぐに彼のソロCDを買ってしまった*1
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日本が誇る演奏家
演奏後にはレセプションがあり、初めて若尾さんにご挨拶をする機会に恵まれた。若尾さんは気さくでエネルギッシュで、周りを元気にしていく。豊嶋さんと水谷さんともお話でき、日本に帰って、新日本フィルとN響を聴くのが楽しみになった。

改めて、日本の一流の音楽家が、世界を相手に活躍できる才能を持っていることを感じる*2。これが次の世代へと続く流れができ、若い才能が世界で活躍し、日本にもその果実を還流してくれる好循環ができれば素晴らしい。若尾さんの試みは、その循環のトリガーとなるだろう。

個人的には、日本を代表する管楽器奏者の若尾さんと水谷さんとに挟まれて写真をとることができ、日本人管楽器吹きのはしくれとしては大感激だった。

素晴らしい演奏会だった。


*1 このCDに収録されている、シューベルトの『アルペジョーネ・ソナタ』がまた素晴らしい。現代では絶滅した古楽器のために書かれた名曲であり、チェロではよく演奏されるのだが、コントラバスでは初めて聴いた。バスとは思えない繊細な表現力、表情豊かな音色は、私のコントラバスという楽器に対するイメージを一変させた

*2 この記事を実際に書いている6月には、樫本大進氏が、安永徹氏に続く日本人二人目のベルリン・フィルのコンサートマスターに選ばれた。妻と初めて行ったコンサートが、日本で樫本大進がチョン・ミュンフンらとチャイコフスキー『偉大な芸術家の思い出』を演奏するものだった。その時に彼の素晴らしい才能に感動し、これは大物だと思っていたのだが、ベルリン・フィルでコンマスになるとは、実に嬉しい限りだ

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by flauto_sloan | 2009-04-24 23:04 | 音楽・芸術
クリステンセン教授とアターバック教授
c0131701_8102620.jpg「破壊的テクノロジー」の授業で、『イノベーションのジレンマ』の著者、クレイトン・クリステンセン教授がゲスト講演をした。
アターバック教授とは長年のライバルであり友人であり、MIT的科学的・定量的アプローチを重視するアターバック教授と、HBS的経営目線での意味合いを重視するクリステンセン教授の対比が面白い。

クリステンセン教授は、「イノベーションへの解」の内容を中心として去年4回連続講義をMITで行い、私は初回以外参加した。今回の講義も基本は同じであったが、アターバック理論を理解し、また丁度『科学革命の構造』を読んだところで批判的に聴くとまた面白い。教授のキーメッセージをいくつか。
  • 技術は周辺から興り、中心技術へ集約され、そこで破壊的イノベーションが起きて再度周辺へと分散する。その破壊的イノベーションは、利益と差別化を目的とした競合によるコスト増大やサービス範囲の拡大によって促される。いわば正しいビジネスモデルであるからこそ、破壊されてしまう
  • 破壊的イノベーションを可能にするのは、簡素化された技術、ビジネスモデルの革新、そして新しいバリュー・ネットワークである。
    • 技術は3つの段階を経る。試行錯誤、パターン認識、そして規則性の活用だ。この3段階目に入ると、破壊的イノベーションが促される
    • ビジネスモデルは、バリュー・プロポジション、リソース配分、プロセス革新、利益方程式の確立の4つのサイクルが循環するようなものである。これが循環する限り、技術は持続的である。そのとき、進化するのはビジネスモデルではなく、企業である
    • バリュー・ネットワークの確立といった相互依存性を含む構造的な問題は、「神の見えざる手」では自動的に解決されない。ロックフェラーが「見え得る手」と呼んだように、アーキテクチャーを再設計しなければ、個々の起業家の努力だけで解決するものではない。仮説を持って、構造のあり方を試行錯誤して作り変えていくことが重要だ
「破壊的イノベーション」は、その実「破壊的ビジネスモデル」のことだ、とあるCEOが言ったという。動物の進化戦略と同じで、正しい戦略だからこそ、やがてそれに付け入る戦略とそれを可能にする技術が生まれ、「破壊的」と呼ばれる。

確かにアターバック教授が指摘するように、クリステンセン教授の理論がどこまで包括的で、定量的なのかはやや疑問が残る。成立要件も色々と隠れているだろう。記述的である中に、規範的な要素を含む理論だからこそ、多くの経営者に感銘を与えたように思える。

そうなると気になるのは、クリステンセン理論やアターバック理論の裏をかくものだ。あれだけ『イノベーションのジレンマ』がベストセラーになり、技術経営の分野ではある種の常識になっている。多くの企業が彼らの理論を考慮した戦略を立てて生き残りを図るならば、新しい戦略家や起業家はさらにその裏をかくだろう。

今それが何なのかは思いつかず、また彼らの理論がどこまで常識となっているのかはわからない。だが孫子の兵法が漢の時代の兵法家の常識となった結果、三国志の頃にはそれを理解した上でその裏をかくことが優れた兵法家の証だった(孫子に注釈を入れた曹操がよい例)。

兵は詭道なり
戦略は状況に応じて千変万化し、淘汰圧に曝されて進化していく。
だから面白いし、難しい。
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by flauto_sloan | 2009-04-23 22:06 | MITでの学び(MBA)
ボストンにいて、一年で一番日本人であることを実感するのは、この時かもしれない。チャールズ川沿いの並木にある桜が満開になった。
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MITのPh.Dの友人達と花見をした。ただマサチューセッツでは屋外で飲酒できないので、コーラで我慢。
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桜は心を浮き立たせる。長い冬がなかなか明けなかったボストンにも、ようやく春か。
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by flauto_sloan | 2009-04-23 08:34 | ボストンでの生活
NYP/Muti - スカラ座の香り
ムーティは流石にスカラ座を長年指揮してきただけあり、イタリア・オペラの指揮は堂に入っている。NYフィルでイタリア人作曲家の曲ばかり取り上げた、「イタリア・プログラム」は聴き応えがあった。

先週『ジークフリート』の後に続けて、NYフィルでムーティと内田光子によるラヴェルのピアノ協奏曲を聴いたのだが、これはムーティが乗らなかったのか、オケの準備不足のせいか、いまひとつの出来だった。内田がオケに合わせねばならず、持ち前の天真爛漫さが引き出されなかった。ムーティが調子悪いのかと思ってしまったが、単に曲との相性の問題だったのだろうか。

前半はヴェルディやプッチーニによるオペラ序曲や器楽曲で、曲としては傑作といえないマイナー曲ばかりなのだが、それをムーティがセンスよく味付けしていくと、非常に格好いい。ヴェルディの『ジャンヌ・ダルク』序曲は情景描写的な叙述が多いのだが、ドラマチックで絵画的な解釈を繰り広げていた。

メインはレスピーギの『ローマの松』で、情景音楽の頂点ともいえる「ローマ三部作」でも人気がある曲だ。1楽章は華やかさを狙いすぎたせいか、ややぎこちなかったのだが、2楽章のカタコンベの底から湧き上がる唸り、3楽章の美しく青白い月光の描写は見事だった。そして4楽章の『アッピア街道の松』は、迫り来るローマ軍の行進が絶妙な遠近感と迫力とで描かれ、客席最上階から鳴り響いてくる金管のファンファーレと、舞台上の大編成のオケとのサラウンディング効果も非常に効果的だった。最後は当時世界最強だったローマ軍の凱旋を想起させる盛り上がりで、会場は大興奮に包まれた。

ローマ三部作といえば、同じくイタリア人の大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ指揮の演奏が有名だが、ムーティにしろトスカニーニにしろ、やはりイタリア人特有のセンスがあるのだろうか。華やかさと納得感のある名演だった。
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by flauto_sloan | 2009-04-22 22:50 | 音楽・芸術
連休一転
この月曜・火曜はMITが休日であり、水曜と金曜に授業がない私は6連休だった。妻とDCに行き、連邦最高裁の法廷見学をしようと予定していたのだが、突然妻が病気になってしまい、それどころではなくなってしまった。

代わりにアメリカの病院の救急病棟を見る機会になったのだが、ともあれ大事無く、NYでのんびりと過ごす連休となった。

NYの行きつけのレストランに、五狼液(Wu Liang Ye)という四川料理のお店がある。担々麺や麻婆豆腐が絶品で、全身から汗が出るほど辛くて美味しい。この支店がupper east にあるのだが、駄目もとでupper west の我が家へ出前を頼んだら、忙しくない時間でそれなりの量を頼むのならば来てくれるという。それからというものの、ことあるごとにそこに出前を頼むことになった。

今回も、家でのんびりしながら四川料理をついばむ休暇となった。
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by flauto_sloan | 2009-04-20 00:10 | NYでの生活