MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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VPO/Mehta - ムラのあるVPO
ラン・ランとウィンナ・ワルツに圧倒された水曜の特別公演をうけて、期待して聴きにいったウィーン・フィルの通常公演は、VPOのムラっ気を実感するものだった。
去年の公演のときも、2回聴いたのだが演奏の出来が全く違うのに驚いたが、今回もまた期待通りにはいってくれなかった。

メインはR・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』。ドラマチックで標題音楽的な名曲だが、メータが曲もVPOも活かせず、どちらの魅力も損ねてしまう。英雄のテーマのスケール感や戦闘シーンの迫力はよかったのだが、どうも音楽が乗ってこない。英雄の伴侶を表すヴァイオリンのソロはぎこちなく、終盤の英雄の治世や晩年はメータの解釈が凡庸で、また緊張感に欠けていた。

水曜との落差は、メータの力量不足が6割、VPOのムラっ気が4割といったところか。まあVPOはそこがまた昔気質の音楽家らしくていい。あらためて水曜のラン・ランとウィンナ・ワルツの演奏会の凄さを実感する。

日本ならVPO公演を数万円払って聴くことになるのだろうが、それでこの演奏だとがっかりするところだろうが、NYだと安く聴けるので、余裕を持って楽しめるのがいいところだ。
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by flauto_sloan | 2009-02-28 22:13 | 音楽・芸術
MET - 蝶々婦人と文明開化
c0131701_639322.jpgMETでプッチーニの『蝶々婦人』を聴いたのだが、アメリカの日本人としてこれを聴くと、いたたまれない気持ちになった。
日本では蝶々婦人に共感し、ピンカートンって非道い奴だ、と思えばよいだけなのだが、アメリカでの文脈でこの劇を見ると、途上国であり後進国であった日本(特に日本人女性)への差別が、一層透けて見える。演出がそれをオリエンタリズムに逸らしているものの、複雑な感情だ。
日本はかつて貧しい後進国であり、今の繁栄は歴史の中の例外かもしれず、驕ってはいけないと改めて思わされた。


METの演出と蝶々さん
音楽としては、いい演奏だった。圧倒的な歌手はいなかったのだが、皆脇役にいたるまでレベルが高い。中でも主役の蝶々さんは、狂気すれすれの愛と執着を、歌と演技で見事に表現していた。

蝶々さんの子供は、人形浄瑠璃から着想して、黒子3人が操る人形だった。だが日本人なら「黒子はいないもの」として見るが、アメリカ人はそうは見ない。むしろ意味がわからず、人形の気味悪さが余計気になってしまっただけのようだ。

舞台装置はシンプルだが面白い。奥から下り坂になる舞台と、舞台を上から反射させる鏡とで、奥行きを出すとともに、群集の着物の美しさと、孤独の寂寥感とを増幅する。照明の色合いも、原色を使ってドラマ性を高めていた。

演出は、なかなか日本について研究していると思わせる。着物も仕草も、不自然さはあっても許容範囲。ただ一点、着物の下にネグリジェを着ていたことを除けば・・・


日本の過去を見つめる
だがピンカートンが領事に、蝶々さんが所謂「現地妻」だとほのめかすくだりは、アメリカの驕りと、日本が貧しい後進国だった歴史を思い起こさせた。日本を離れた上で歴史を学び直すと、日本が先進国であったことは、ここ30年の他には殆どないと、改めて感じる(先進、の定義にも拠るが)。日本は美しく優れた国だ、日本人は礼儀正しく賢い人種だ、というのは、どれくらいの時間の幅を念頭に置いたものなのだろうか。

戦前や戦後(「もはや戦後ではない」と宣言されるまで)の日本は、犯罪も多く、貧しい国でしかなかった。その時代に生きていない我々の世代は、発展した日本しか知らない。だがそれは、日本の長い歴史の一場面でしかなく、今の日本人の特性や文化は、先人の苦労の賜物であり、所与のものでは決してない。ましてや優性思想など論外だ

少なくとも、この蝶々さんの時代は、日本は搾取対象であり、蝶々さんという日本女性は、誤った誇りを持ってしまった、悲劇の現地妻でしかなかった。日本に誇りを持つ身としては、やや感情的に反発したが、冷静に考えると、日本の歴史的位置付けを改めて学ぶことになった。


驕ってはいけない
日本では最近、外国人排斥感情が強まっているように感じる。もともとほぼ単一民族(もちろんアイヌ族や琉球民族を忘れてはならないが)であり、異質なものに対する拒否反応が強いところに、若者の多くが先進国としての日本しかしらないことによる優越意識、不況で自らの将来も不安になったことによる、自分の取り分確保の意識が重なり合い、外国人というわかり易い部外者に問題を押し付けているようにも映る。

だが人口減少の日本では、移民なしには経済は先細りするだけだし、優越意識は2600年(?)の歴史のごく30-40年で生まれた徒花でしかない。自分の見たものだけで、世界を判断してはいけない。

そんな気づきを、蝶々さんの美しい舞台と歌から得た夜だった。
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by flauto_sloan | 2009-02-27 23:38 | 音楽・芸術
ジュリアード音楽院訪問
c0131701_1232888.jpgMedia & Entertainment Conference,/a> の途中で、マリーの案内でジュリアード音楽院を訪問した。
彼女はジュリアードの卒業生であり、事務課に行く用事があるというので、かの有名なジュリアードを覗くために一緒についていった。芸術を志す若者の真剣さと楽しさが伝わってきた。

c0131701_1148592.jpgジュリアードはちょうど全面改修が終わるところで、生まれ変わらんとしていた。
学内には音楽練習室が無数にあり、それぞれの部屋に古いスタインウェイのグランドピアノが置かれている。コンサートホールを引退したピアノが寄贈されるそうだ。

たくさんの練習室があっても、すぐに取り合いになるそうだ。ボストンの音大生も、いつも忙しそうに練習を続けている。欧米は音楽家の裾野が広いが、競争も極めて激しい。生き残るために必死で練習をしている(この厳しさは『のだめ』にも描かれている)

c0131701_5334115.jpg演劇のフロアには劇場があり、練習をしている一団がいた。ブロードウェイを持ち舞台芸術も豊かなNYの演劇は、ここの若者にも支えられている。
一通り見学して、新しく開いたばかりのアリス・タリー・ホールのカフェでお昼ご飯を食べた。緋色の内装とガラス張りの開放的な空間、そして角ばったデザインが美しい。

ジュリアードも不況の影響を受けているとは聞いたが、生まれ変わるリンカーン・センターで引き続き活躍してほしい。ニューヨークの芸術はこの小さな学校と、それをとりまく熱気にかかっている。
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by flauto_sloan | 2009-02-27 22:55 | 音楽・芸術
MBA Media & Entertainment Conference (1/3) - メディアの将来
c0131701_16171922.jpgコロンビア大学で主催された、MBA Media & Entertainment Conference に出席した。マッキンゼーのM&Eグループが全面支援をしていて、各セッションの進行はコンサルタントが行うという、少し異色の構成だ。Web 2.0から3.0まで視野に入る中で、メディアがどう変容していくのか、誰もが模索するしかない、という深い悩みがよくわかった。

NBC社長 Jeff Zucker
開会講演は、NBC Universal 社長のZucker氏で、CNBCのレポーターのMelissa Leeが対談する形で、メディアの将来について議論していた。
不可逆的で休みなく進む技術に対応し、不易流行を見極めてメディアは適応しなければならない。エンターテイメントのあり方は変わるが、人々の動き方はそう変わらない。Webは益々替わっていくが、コンテンツの重要性は変わらない。問題はその変化のために、今や誰もがデータを無料で手に入れて楽しんでしまうことだ。コスト構造的に採算など取れず、収益モデルは5-10年で大幅に進化しなければならない。進化の過程では、無暗な人切りで我々の最大の強みを失ってはならない。

NBC Universal は今後もケーブルを主軸に、視聴者の求めるものを模索して発展させていく。グループの営業利益の60%はCNBC(ケーブル放送)であり、20%がUniversal Film(映画)、5%がテーマパーク(ユニバーサルスタジオ・ハリウッド等)と、85%がNBC(地上波)以外がもはや主体である。自動車・リテール業界の縮小による地上波の広告収入の下落、NBCプライムタイムの存在感の低下は事態を悪化させる一方だ。番組の作り方を変え、効率的かつ有効なリソース配分をしなければ、ビジネスとして維持できない。

オンラインによるニュースや情報の媒介は、未来の脅威ではなく眼前にある変化であり、恐れるのではなく、既存の強みと相乗効果を生む方法を探さねばならない。ニュースの消費のされ方は変わっているが、我々は25年前のインフラを抱えている。市井のブロガーはジャーナリストとは言えないような質であっても、現に競合となっている。NBC Universal は、効率性や品質といった強みを活かし、放送・ケーブル・オンラインを組み合わせた、難しい新たな挑戦をし続ける。

その上手くいった例が北京オリンピックだ。オンラインで競技や選手のストーリーやデータを載せ、自然に競技の放送へと繋げた。競技を見ながらデータを確認することも促し、自然な好循環を生み出して、視聴者に新しい経験をしてもらうことができた。今後も失敗を恐れず新しいことにチャレンジしていくつもりだ。
古くて新しい問い
ネットとメディアの融合という、一度流行し、誰も口に出さなくなり、再び最近脚光を浴びてきたテーマについての、大手ネットワークの苦悩は深い。答えが簡単ではないことを身に沁みてわかっているから、試行錯誤を繰り返している。既存の膨大なインフラに縛られつつも、やり方を大きく変えて自らを新環境に適応させ、同時に顧客が見つけた新しく面白いニーズを即興的に取り込んでいく。リスクが高いが、何もしないリスクの方が大きい。

Zucker氏は強い意志を持っていると見受けられたが、一番興味を持ったのは、「これが答えだ」と言わず、挑戦し続ける方法をしっかり考え、強調していたところだ。自分の在任期間中に、ネットによってビジネスモデルが大幅に破壊されるかもしれない、そんな不安を抱えつつ、だからこそ会社を、仕組みを変えるのだという意思は、なかなかのリーダーシップだと感じられた。
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by flauto_sloan | 2009-02-27 19:24 | Guest Speakers
MBA Media & Entertainment Conference (2/3) - Music 2.0
c0131701_16184461.jpg今回の参加目的である、音楽についてのパネルディスカッションに、Sloanの音楽仲間のマリーと参加した。レーベル、興行主、音楽SNS創立者らが参加し、Web 2.0が音楽業界に与えた影響と、今後の可能性を議論した。
以下は全体を通じたメッセージだ。
言うまでもなく、iTunesを始めとする音楽配信サービスは、音楽ビジネスを大きく変えた。アルバムを買って聴くのではなく、好きなトラックだけを買って聴く。デジタル化はモバイル機器との親和性によって、人々が音楽を聴くための行動を、極めて個人的な嗜好性が強いものへと変え、それに応じて音楽の収益モデルとサプライチェーンに構造変化をもたらした

好きな音楽だけを聴く、という新たな行動様式はライブ・コンサートにも変化をもたらしている。マドンナなど一部の大スターしか巨大スタジアムを埋められない一方で、500人のライブ会場を満杯にできる売出し中のバンドが増えている。そうして、ライブで音楽を聴く人の数は増えている。

この音楽のフラグメント化は、SNSによって一層加速している。人々がプレイリストを共有して、音楽を友人と交換していく中で、個々人にカスタマイズした音楽経験が生まれてくる。始めはMySpaceがニッチ音楽の発掘や配布を牽引したが、今はFacebookへと人が流れている。SNS利用者の年齢層は意外と高く、音楽を購入し得る層へ、安く効果的に音楽の認知度を高める強力なチャネルとなっている。

SNSは新たな才能発掘にも有効で、アーティストとファンとが直接的に交流することで、アーティストがこれまで以上に真剣な活動を行うようになっている。その真剣になった層の中から、音楽ブログが才能を発掘してくるので、真面目で上手いアーティストを見つけ出して売り出す、というのが新しいモデルになっている。

依然、より持続的な収益モデルの構築、ダウンロードにまつわる法整備などの問題はあるが、Web 2.0の流れは戻せず、音楽業界は "Music 2.0" を作り上げなければならない。
Web 2.0による嗜好のセグメント化、小規模で所属意識の高いコミュニティの形成といった現象は、音楽に限らずあちこちで見られる。音楽は特に好みが大きく分かれるので、自分に合った音楽を一度見つければ、自分で回りに勧め、積極的にライブへ足を運ぶようになる。食や旅と同じく、Web 2.0とは親和性が高いのが音楽だ。

音楽の聴き方が変わっていくと、音楽の評価の仕方も変わり、アーティストの「成功」の基準も変わっていくだろう。大ホールを埋めるのではなく中規模ホールを連日埋め、ライブに行くだけではなく、ブルー・ノートのように食事や社交と組み合わせ、アーティストと聴衆のインタラクションが自然に濃密に行われることが、成功になるのかもしれない*1

だが音楽の落とし穴は、録音とライブで経験の質が異なるにも関わらず、同じと目され易いことにある。mp3でこのアーティストのこの曲は聴いたことがあるから、今度来日するらしいが行く必要はない、と思ってライブ特有の面白さを聴き逃す。そして聴かない限りいつまでたっても良さがわからない。食わず嫌いは食べ物にもあるが、食べ物は流石にネット上の経験で食べたつもりにはならない*2

Webでの経験を、ライブというリアル体験にどうやって結びつけるのか。人々の行動をそこまで変えるにはどうすればよいのか。これが当面のMusic 2.0の大きな課題だろう。


* クラシックでも、食事を取りながら室内楽や室内管弦楽を聴けるところがあってもいいのではないか、と思っている。英プレミア・リーグのトットナム・ホットスパーズが8人用コンパートメントで、食事を取りながら観戦できるのに似たイメージだ
*2 面白かったのは、興行主のおっちゃんが、いかにもな感じの胡散臭さと押しの強さで、始めは「アーティストは結局ライブが命なんだよ。それは変わらない」と、Web 2.0なんて構うものかと言う口調だったのが、最後は今の潮流を認めて、その中での苦労や機会を力説するようになっていた。そこに苦労と苦悩を感じる。

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by flauto_sloan | 2009-02-27 14:16 | Guest Speakers
MBA Media & Entertainment Conference (3/3) - "ゲーマー"なんていらない
カンファレンスでもう一つ面白かったのが、ゲームについてのセッションだった。要点をまとめる
  • 不況は家族が家に一緒にいる時間を増やし、ゲームをする時間が増え、結果的にゲーム需要は減っていない。これは任天堂Wii が、今までゲームをしなかった層を取り込んだが故の需要維持である
  • 「ゲーマー」と呼ばれてきたコアなゲームファンよりも、軽い楽しさを重視するユーザーが増えてきており、ゲームの目的もちょっとした気晴らしや生活の一部となってきている。この「軽さ」は「真面目に長時間」やらないという意味ではなく、姿勢や気持ちの問題であり、ゲームの遊び方はハードコアと変わりない
  • ゲームは生活と一層結びついていく。モバイル機器(iPhoneなど)でのゲームや、教育へのゲーム導入など、まだゲームじゃないところを探して、ゲーム需要を発掘していけば、機会は限りなく大きい
  • 「ゲーマー」という言葉をなくすべきだ。「テレビジョナー」や「ミュージック・リスナー」という言葉はないのに、「ゲーマー」という言葉はあり、特定のイメージを持つ。生活の一部になれば意識しなくなるので、ゲーマーといちいち区別する必要はなくなるはずだ
他にもチャネルの話、海賊版や開発上の問題などが議論されたのだが、何といってもこの「ゲーマー」を無くせというメッセージは強烈だった。ゲーム業界にしてみれば素晴らしい世界だが、そこまでゲームがあちこちにある生活というのは、直感的にやり過ぎだと思う。ゲームは誰かが設定したルールの中で最適なものを求める作業が主だ。勿論その中で創造性を発揮する場面はあるのだが、本質的に発想が制約されることになってしまう。

私は教育やトレーニングにゲームを取り入れることは効果的だと思うのだが(スローンも最初のオリエンテーションで「ビア・ゲーム」というシステム・ダイナミクス理論に基づくゲームを行う)、それはあくまで、ゲームによってある理論とその効果を実感させ、実生活に意味合いを出すことにある*。だがゲーム自体が目的となると、ただの中毒性のある習慣になってしまう(私もよく中毒になったものだ)。

何事にも物には限度、使いようというものがある。ゲーム業界が自己肥大を目的としている気がして、少々危うさを感じた。


* 教育効果の高いゲームとしては、「モノポリー」が有名だが、モノポリーの発祥は、ジョージズムの信奉者リジー・マギーが、土地は平等に分け与えられるべきだというジョージズムの考えを教育するために作ったゲームだと言われる。だがマギーの意に反して、土地を持つものがいつもゲームに勝ってしまうため、失業者チャールズ・ダローが逆に土地を独占して勝つ「モノポリー」という名のゲームにしたところ、大ヒットしたのだという。当初の目的と正反対になってしまった教育ゲームだと言える
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by flauto_sloan | 2009-02-27 06:19 | Guest Speakers
VPO/Mehta/Lang - 夢にまで見たウィンナ・ワルツ
ウィーン・フィルはやはり素晴らしい。
昨年に続きカーネギーホールでVPOの演奏会があった。指揮はズービン・メータだ。今日は直前に決まった追加公演で、アメリカの教育をよりよくするためのチャリティ・コンサートという位置づけである(カーネギー・ホール以外は全て無料での出演で、利益はアメリカの教育NPOへ寄付される)。

チャリティ・コンサートでプログラムの自由度が高かったのか、ウィーン・フィルの魅力を最大限に引き出しせる曲ばかり。先日初めて聴いて圧倒されたラン・ランのピアノによるショパンのピアノ協奏曲第2番、そしてウィンナ・ワルツやポルカ… そして通常公演ではないため、楽団員たちもリラックスしていている。

やはり天才、ラン・ラン
ラン・ランのコンチェルトは衝撃的な名演だった。ランの才能が赴くままに、テンポと曲想が目まぐるしく多彩に変化する。激しい場面での圧倒的な技巧は恐ろしいばかりだが、静かでメロディの繊細な美しさもまた絶品。本当にこの人は一時代を築きつつある天才だ。

そしてラン・ランといえば有名なのが顔の表情。曲想以上に変化が激しく、賛否両論ありつつもファンは顔芸(?)を楽しむのだが、今回はちゃんと顔が見える席を取れた(前回は背中しか見えなかった)。時折なにかを見つけたように、真ん丸い目で虚空を凝視するのだが、何か常人には見えないものを見ているのかもしれない。

演奏が終わると総立ちの拍手。それに促されてアンコールとして、ショパンの「英雄ポロネーズ」を弾き始めた。これがまた凄まじい。堅牢なテンポ感とか、ショパンの意図とか、そういった通常のピアニストから感じるものは一切ない。曲をまるごと取り込んで、彼の中で再構成された曲が即興で生まれている。前のめりで狂ったように突き進んでいく主題と展開部。行進の場面は突然の静寂から盛り上がり、極端なくらいの遠近感が素晴らしい。しかもテンポが通常の倍くらいで、尋常ならざる左手の動きには、VPOの人も驚いて「一体どうやって弾いてるんだ」と思わずのぞきこんでいた。凝縮した演奏に息つく間もなく圧倒され続けた。
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ニューイヤー・コンサート
休憩をはさみ、ラン・ランの感動から少し冷めやると、今度はVPOの素晴らしさをとことん堪能した。
毎年1月1日に、ウィーン・フィルは拠点の楽友協会ホールでニューイヤー・コンサートを行い、ウィーンの伝統音楽であるワルツやポルカを演奏する。クラシック・ファンなら毎年テレビで観て、いつか聴きに行けることを夢見る、憧れの演奏会だ。

そのウィーン・フィルが目の前でワルツやポルカを演奏している。まさにニューイヤー・コンサートをニューヨークにして楽しめる夢のような機会だ。彼らは何十年も演奏しているだけあって、指揮者など不要。メータも4度ニューイヤーを振って、そこをよくわかっているから、オケに任せきっている。

本場のウィンナ・ワルツは、三拍子の一拍目が重い独特のリズムなのだが、それをついに生で聴いた。確かにこのリズムでウィーン・フィルが演奏すると、非常に優雅で格好いい。ハプスブルク家の舞踏会が目に浮かぶようだ。

『こうもり』序曲は流れるような美しさで、有名なワルツ部分はウィーンらしさ全開の楽しさ。『雷鳴と電光』は軽快なテンポで、激しいながらも美しさを忘れない。『トリッチ・トリッチ・ポルカ』は楽団員も聴衆もみな微笑むような楽しさ。美しい小品が次々と、世界最高の楽団によって演奏され、まさに至福。演奏会が終わってしまうのが惜しくてならない。

終演後は当然のごとく観客総立ちのスタンディング・オベーション。磨きぬかれた伝統芸能を聴いた感じだ。音楽好きには夢のような、思い出に残る素晴らしい演奏会だった。
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by flauto_sloan | 2009-02-25 23:07 | 音楽・芸術
Government 2.0?
c0131701_5424911.jpgベストセラー『ウィキノミクス』の著者である Don Tapscott氏が、ケネディスクールのJFKフォーラムで講演をした。
タイトルは "Government 2.0" であり、Web 2.0へと進化したインターネットと、ネット世代の台頭が政治をどう変えていくかについての議論だった。自由な言論の場であるWebは、まさに民主主義と相性がよく、"Democracy 2.0" を模索するのが今後の政治のあり方だ、とタプスコット氏は訴えていた。

Government 2.0というからには、電子政府のようなWeb 1.0的なものではなく、「デジタル育ち」の若者が政治に参画し始めた現在と今後の政府の姿勢が問われている。この世代は物心ついたときからPCがあり、マルチタスクで作業ができ、様々なメディアを同時に駆使する。一方上の世代は、そんな彼らを理解できないがために気味悪さを感じつつも、無視できない趨勢と受け止めている。

そのデジタル育ち世代が牽引するWeb 2.0によって、組織のあり方は階層構造から個人主体の組織となり、社会的・経済的価値の源泉は物理的・金銭的なものから知識へと推移している。その結果、この世代での個人と社会との関わり方はマッシュアップやコラボレーションへと進化している。新たな政治参加の形態もそれに沿ったものとなる。

すると政府のあり方も "g-web" へと進化せねばならない。「アイディアのマーケットプレイス」となった政府のウェブ上で有権者が自由に議論を行い、直接的に国政へ参加していく "democracy 2.0" がこれからの姿だ。そこでは政府の透明性が増し、有権者の当事者意識は高まり、集合知によってより優れた政策が生まれる可能性がある。

もちろん信頼性やプライバシーといった課題はあるが、国民を動かし、より民意に沿った優れた国政を行える可能性のある government 2.0、または g-web は積極的に検討すべきだ。

まさにWeb 2.0が大きな趨勢となり、民主主義の総本山であるアメリカらしい発想だ。ただまだ民主主義が十分根付いていない(ように見える)日本では、仮にこの "g-web" を取り入れても、不満の捌け口と新たな陳情の場となるのが関の山だろう。

現在 "Web 3.0" という、ネットの将来のあり方と、ビジネスおよび社会がどう変化していくかを議論する授業を履修している。日本においてはまだ Web 2.0がアメリカほど興隆していないが、日本はこの民主主義的な web 2.0をどう包摂し、社会を変えていくのだろうか。アメリカの「デジタル育ち」ではない世代が web 2.0をどう受け入れるのかとともに、非常に興味がある。
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by flauto_sloan | 2009-02-24 23:35 | Guest Speakers
破壊的イノベーション
今学期楽しんでいる授業に、James Utterback教授の「破壊的イノベーション」がある。アッターバック教授は『イノベーション・ダイナミクス』や近著『デザイン・インスパイアド・イノベーション』で知られるイノベーション論の大家だ。MITらしく、イノベーションを科学的アプローチで解明しようとしていて面白い。

大御所アッターバック教授
アッターバック教授はHBS学部長のキム・クラーク教授が若いころから共同で働き、、『イノベーションのジレンマ』を著し、昨年はスローンで短期集中講義を行った(ブログ未収録)HBSのクレイトン・クリステンセン教授や、スローンきっての人気教授(来年からHBSに移籍するそうだが)、レベッカ・ヘンダーソン教授らはクラークを通じた孫弟子のようなものだ。

役者が違うと思わせるのは、そのクリステンセン教授の理論の批判だった。
私がMITの学生だったとき、ある教授が授業のたびに「直線を引くときは、必ず3つ以上のデータポイントが必要だ」と口酸っぱく言っていた。
クレイの理論はこれに似て、結論を導くためのデータが、期間・業界ともに少なすぎる。拡大解釈を見事なレトリックで納得感を持たせているが、イノベーションの事例でクリステンセンの理論に合わないものはいくらでもあり、一般論とはとてもいえない。
アッターバック教授は、豊富な事例(新しいものだけではなく、19世紀のボストンの氷産業といったものもある)とデータ分析とで、イノベーションの仕組みや現象について、何が言えて何が言えないのかをきちんと切り分けて議論していく。


アバナシー・アッターバック理論
アッターバック教授と共同研究者のウィリアム・アバナシー教授(故人)のイノベーション論 "Utterback-Abernathy model" は非常に洞察深い。イノベーションには、流動期、移行期、固定期の3つのフェーズがあるとする。流動期は多くの企業がその製品・技術に流入し、多くの商品が生まれる。その中でドミナント・デザインが生まれると、プロダクト・イノベーションによる移行期へと移り、ドミナント・デザインの製品によって市場が急拡大する。やがて市場や技術が(一見)飽和すると、固定期に移り、プロセス・イノベーションによるコスト削減や、サービスへの転化が行われる。こうして市場規模はSカーブを描く。

そこで新たな機能を持った新製品が登場し、その新製品がドミナント・デザインを得ると市場が侵食される。旧製品はこの時、対抗するために往々にして既存技術に新たなイノベーションを生み、寿命を延ばすのだが、やがて新製品に市場の大部分を奪われることになる。

このメカニズムは組立産業とプロセス産業で少々異なり、プロセス産業の場合はプロダクト・イノベーション以上にプロセス・イノベーションが破壊的である。プロセスのいくつかのステップをまとめる技術が生まれると、コストは劇的に低下し、市場を席巻する。

クリステンセン教授が、破壊的イノベーションはシンプルなアーキテクチャーで、低コストなものであり、性能過剰な旧製品をローエンド市場から侵食すると理論付けたのは、一部の組立産業やプロセス産業では成り立つだろう。だがアバナシー・アッターバック理論では、低機能や低コストを破壊的イノベーションの要件とはしない。この二つの理論の差と、そこからの意味合いを考えるのが非常に面白い授業だ。


下着から視力矯正へ
この授業ではある業界を取り上げて、チームを組んでどのようなイノベーションが生み出され、業界内にどのようなダイナミクスをもたらしたのか、将来どのようなイノベーションが起こりうるのかを調査する。そのために、個々人で興味ある業界を取り上げて、一人2分でクラスに向けてセールスピッチを行い、人を集めた。

私は仕事でさんざんハイテク業界を取り扱ったので、電機やIT産業ではなく、クラスで他に誰も取り上げないであろう下着業界を選んだ。下着を馬鹿にしてはいけない。MITのイノベーション論の教授、エリック・フォン・ヒッペル教授が、私の発表の次の日の授業で次のように語ったそうだ。
「人類の進歩に最も貢献したのは、木綿の下着だ。
ヨーロッパの知識階級が着心地のいい下着を身に着けるようになって、肌ずれを気にせず集中力を上げることができ、多くの発見に結びついた*1
この発表のお蔭(?)で、クラスの人と話すと「ああ、下着の人か」と言われるようになったが…

結局チームは、視力矯正産業に加わった。眼鏡、コンタクトレンズ、視力矯正手術(レーシックなど)と、馴染み深い進歩を遂げてきた業界だ。破壊的イノベーションが生まれながら、古い製品が生き残り続けているのは何故かを考えるのが面白そうだ。

最終学期になって、ようやく日本にいた頃の問題意識である、イノベーションとは何で、それはどのような人間の活動メカニズムから生み出されるのか、という疑問に立ち戻った。色々と考えていきたい。


*1 中世ヨーロッパはコルセットなどの硬くて窮屈な下着を身に着けていたが、産業革命の頃にミュール等の柔らかい下着が生まれて普及した。機能やデザインはその頃にだいたい固まり、それ以降は素材による漸進的な発展が行われた
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by flauto_sloan | 2009-02-23 23:23 | MITでの学び(MBA)
NY Jazzの夜
c0131701_5184365.jpgNYにいるうちに一度行っておきたかったのが、Blue Noteだ。予約をして、ジャズの夜を満喫してきた。日本で行きそびれていたので比較はできないが、熱気と迫力で大いに興奮した。

テーブル席を予約し、早めに到着してステージ横の席を確保。
軽食を頼み、ビールやカクテルで開演を待つ。今日はサキソフォン奏者のDavid Sanbornのセッションだ。

時計の針が進むごとに、会場に期待と、熱狂のつぼみが広がっていく。

時間が来て、プレーヤー達が順々にステージに現れる。観客はすでに盛り上がっている。颯爽と現れたサンボーンは、人懐こい音色のアルトサックスを吹き始めた。この音色は凄い。音楽が瞬間瞬間に生まれていき、発展し、他のプレーヤーに受け渡される。そしてこの音楽を受け渡す空間が観客にまで広がり、一体感を生み興奮を呼び起こす。ライブならではの楽しみだ。そして実に格好いい。

私はクラシックの中でも、バロック*1をはじめ古典を演奏するオーケストラで演奏していた。よく言われることだが、バロックくらいまで遡ると、ジャズに相通じるものを感じる。即興で装飾やメロディーの変形・派生をし、お互いにそれを聴きあって、瞬時に反応して即興で返事をする。楽譜が存在する再現芸術でありながら、その瞬間瞬間のインスピレーションが重要で、その時限りの再現性のないものが生まれる。

動物的・本能的な、非言語の「場」が生まれ、呼吸を揃え、テレパシーのようにメッセージをやりとりする。この場は、プレーヤーが同調しお互いに刺激しあうと、緊張感と興奮を生み出し、場の広がりも拡大する。
そうして「いい演奏」が生み出されたとき、聴衆もうまく呼吸を合わせて、その場に飛び込むと、同じ興奮と熱狂を楽しめる。会場に一体感が生まれ、素晴らしい演奏が共有される。ライブの醍醐味だ。

このライブの醍醐味は、クラシックもジャズもロックも変わらない。ジャズやロックは楽器やリズムで場を生み出し易く、聴衆も飛び込み易い。クラシックは確かにいい場を生み出すのが難しく、聴衆も場への飛び込み方を覚えるのに多少の経験と知識が要るのかもしれないが、うまく会場一体に同調したときには、ジャズやロックと同じかそれ以上の興奮が生まれる(その確率が低いのも問題なのだが)*2
私が演奏会に通うのは、別に知的に満たされたいとか、何かクラシック独特の凄いものがあるからではなく、ジャズやロックでノリたいのと同じだ。たまに遭遇する名演で同調した時の興奮と感動が、凄まじい振幅だから、病みつきになっているにすぎない。

ジャズを聴きながら、音楽と言う人間の本能的活動は同じなのだな、と改めて感じた。
非常に楽しい夜だった。

*1 テレマン、ルベル、ロゼッティ、バッハ等
*2 個人的に、限られた経験からだが、名演に出くわした時の感動はジャズやロック以上ではないかと思う。また、私はクラシックだけ高尚な音楽だと特別扱いする考え方には同意しかねる。作曲者の意図や指揮者の解釈といった奥深さはあるのだが、音楽の根源的な楽しみや素晴らしさは他のあらゆる音楽と変わりはないと思う

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by flauto_sloan | 2009-02-21 23:08 | 音楽・芸術