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コロンビア・ロースクール潜入
c0131701_833147.jpgせっかくNYにいる休みだったので、妻が履修しているコロンビア・ロースクールの会社法の授業を覗いた。
初めての法学部の授業だったが、内容への馴染みもあって、なかなか面白かった。

トピックはコーポレートガバナンス、特に取締役会についてだった。
前半はかなりテクニカルな内容で、法律の知識も語彙もないためによくわからなかったが、後半は公開企業と非公開企業の違いであり、IPOの意味や、市場の効率性が法制度に与える影響にまで踏み込んだ内容で、面白かった。

また、ロースクールとビジネススクールの違いも感じた。途中で教授が、
「CEOは株価をより高くするように経営を行うが、それは何故か」
と尋ねた時、ビジネススクールならまず間違いなく、
「買収されないようにするためです」
と最初に答えるだろう。だがロースクールでは、ストックオプションによる動機付けなどが先に来て、買収についてはなかなか出てこなかった。

c0131701_8333538.jpgロースクールの授業は、かつてはソクラテス・メソッド(教授指導の下で生徒同士が対話し理解を深めていく方法)が多かったそうだが、最近は学生がそれを敬遠するため、講義形式も増えているらしい。
この授業は講義形式だが、事前にコールドコールされる可能性がある生徒をリストに載せ、授業の中でそこから名指しをして質問に答えさせていた。

そして学生は授業のノートをPCで取る。授業開始と共にいっせいにPCを空け、教授のコメントを打ち込んでいく。中にはメールやスポーツサイト閲覧をしている人もいるが。"Professional Standard"として授業中のPCを禁止しているビジネススクールとは全く異質な光景だった。

たまに全く違う世界に触れてみるのも面白かった。
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by flauto_sloan | 2009-01-28 22:14 | 家族
Will Ferrell "You're welcome, America"
政治風刺番組サタデーナイトライブのパーソネルとして大人気を博したコメディアン、ウィル・フェレルの一人劇 "You're welcome, America"を観に行った。ウィルの毒が冴え、さすがに面白かった。

ウィル・フェレル
ウィル・フェレルはSNLの後はクリスマスのコメディ映画"Elf"で役者としての人気も得、最近だと映画『プロデューサーズ』でも圧倒的な存在感を示した。ちなみに『エルフ』は、クリスマスが近づくと一日中テレビで放映されているので、もう3回くらい見てしまった。

2003年には、ハーバードの卒業式でスピーチ(というかショー)をしており、人気の高さが伺える。

そんな彼の十八番の一つが、ジョージ・W・ブッシュ前大統領のものまねだ。SNLの時から披露し、似た風貌とテキサス訛りで馬鹿なことばかり言うのが面白い。

You're welcome, America
今度のブッシュの退任に伴い、"a final night with George W. Bush"と副題をつけて企画されたのが、ウィルによる一人劇 "You're welcome, America" だ。ブッシュが自分の生い立ちから大統領としての執政(失政?)を振り返る。

ウィルは当然、徹底的にブッシュを茶化す。だが本物が『ブッシュ妄言録』なんて本を出されてしまうほどのキャラクターなので、信じられないような馬鹿げたネタの後に、舞台のスクリーンに「実話です」と出てくることがある・・・

また、色々と政治的に正しくなさそうなネタや、日本では不可能なお下劣ネタもあるのが、自由の国アメリカの舞台らしくもある。文化的コンテクストが深すぎて、周りが笑ってるのに面白さがわからなかったものも結構あったが。

劇の詳しい内容は書かないでおくが、3月14日の午後9時(東部標準時間)からHBOにて放映されるので、興味ある方は是非観ていただきたい。
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by flauto_sloan | 2009-01-27 17:10 | 音楽・芸術
レストラン・ウィーク
今週のNYは、レストラン・ウィークだ。ボストンにもあるのだが、この期間中は普段行けないような高級店も、お得な定額コースメニューを用意してくれる。今回なら、MorimotoやMeguといった名店を含め、一人夜$35、昼$24で食べられる。これで一度雰囲気や味を知ってもらい、次に正規料金で来てもらおうという算段だ。

年に2回、1週間ずつあるのだが、今年は不況で外食産業は打撃を受けているらしく、レストラン・ウィークを2月末まで延長したらしい。せっかくなので、まだ行っていないレストランを試してみた。

まずはOne if by Land, Two if by Seaへ。ここは内装(特に1階)が温かみがありつつ豪華で、プロポーズのメッカだそうだ。確かに雰囲気はよいのだが、味はまあまあ。素材や分量で$35に抑えました、というのが伝わってきてしまった。

次にLupaへ。カジュアルだが基本がしっかりとしたイタリアンだ。素材の味が活きていて、美味しい。ここは改めて来てもいいと思わせてくれた。

あとはMorimotoのランチを予定していたのだが、妻が風邪を引いたために断念。だが期間が延長されたので、今度行ってみようと思う。
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by flauto_sloan | 2009-01-26 12:44 | NYでの生活
競争と切磋琢磨と平等
ボーゲル塾の勉強会があり、テーマ別に分かれたグループが研究の中間報告をし、互いに意見を聞きあった(そしてその後は新年会)。個別の内容は書かないが、教育班の発表を聞いているうち、最近考えていた「競争と切磋琢磨の違い」が気になった。

競争の国アメリカ
アメリカは、競争の国だ。学歴や仕事では常に競争をし、勝つことを求め続ける。ミスコンから音楽コンクールまで、徹底した競争原理が働いている。スローンのリーダーシップのクラスで話したある友人は、人生の目的を尋ねたときに「競争に勝ち続けること」と答えていた。

自由の国アメリカは、アメリカン・ドリームを掲げ、民主主義と市場原理を推進することによって、勝ち負けがはっきり分かれ、常に競争に駆り立てられる世界を作り上げた。成果としては、世界で経済をリードし、イノベーションを次々と生み出した。CEOや投資銀行員は破格の給与を手にし、人口の3%が消費の90%を占めることとなった。一方、3人の勝者の影には、97人の敗者がいる。

アメリカでこの敗者はどうなってしまっているのだろう。そんなかねてからの疑問を、ハイフェッツ教授の授業でチームメートだったカレンに聞いたところ、彼女自身もずっと心を痛めている社会問題だった。色々話して、以下のような区分がありそうだった。
  • まず、始めから競争に勝つことを諦め、ブルーワーカーとして働き、週末は近所の野球チームの監督をすることに幸せを見出すような人がいる。今回のような不況では真っ先に被害が及ぶものの、これはこれで生き方として確立している
  • 次に、競争に参加したものの敗れ、身の丈にあった仕事を見つけ、再び競争に参加することを目論んでいる人がいる。アメリカの労働流動性の高さと、再チャレンジを許容する文化があるため、大部分の人はこの行動をとる
  • そして、競争に敗れ、職を失ったことを自己実現を達成できなかったことと取り違え、破綻する人がいる。精神を病んだり、時には自殺する人もいる(アメリカでも解雇により7人が一家心中したニュースが話題になった)
  • 最後に、競争に暫定的に勝っていても、いつ敗者になるかもしれないという強迫観念に付きまとわれ、勝つことが幸せや平穏をもたらしていない人がいる*1
常に競争にさらされ、勝つか負けるかのバイナリーな価値観でいることは、一部の才能や強運の持ち主以外には、精神的に過酷なことなのだろう。特に後半二つのカテゴリーは、アメリカの競争原理が抱える精神病理といえよう。

競争と切磋琢磨の違い
日本でも成果主義など様々な競争原理が導入されてきた。だが残念ながらこの競争原理は、和魂洋才とはいかず、弊害もしっかり輸入してしまっているように思える*2。では和魂は何だったのか。それが切磋琢磨という概念だったと思う。

競争はサルやゴリラの群れにもあるように、人間本来の性質だ。当然日本にも競争はあったのだが、そこには切磋琢磨の精神があった。お互いを刺激し、能力を磨ぎ合う精神だ。ここでは勝ち負けを喧伝したり、相手を追い落とすことは恥でしかない。相手が勝ったところを見て発奮し、自らの能力や精神を鍛えるという、アップサイドに注目した健全な競争関係だ。

もちろん実際には詐術や姦計に長けた者が、敵対者を追い落とすという政治的競争はあったのだが、少なくとも切磋琢磨の概念は美徳としては行き渡っていたのだと思う。

もはや仕事の世界では、グローバル化というアメリカ化が進み、切磋琢磨ならぬ競争原理が染み渡ってしまったし、今更競争の仕組みを変えることは、文字通り企業の競争力の低下に繋がりかねない。だが、せめて教育の現場では、勝ち負けの競争原理ではなく、切磋琢磨という前向きで健全な競争を教えて欲しい。勝ち負けの方は、いずれ塾の模試で学ぶのだから。

平等主義は振り子を戻しすぎ
よく競争原理の揺り戻しとして、平等主義が語られる。運動会でみんな一等賞というものだ。これはこれで戻しすぎで、人間本来の向上心を萎えさせるだけだ。競争は人間の本能のひとつなので、否定することは健全ではないし、結局平等な社会(それをユートピアと呼ぶ人もいるが)は存在しない。

むしろ競争自体を悪とするのではなく、競争の結果をどう解釈し、行動に繋げるのかをきちんと教えるべきだ。敗者への侮蔑と勝者への妬みではなく、結果を自分の糧とすることを教えなければならない。


何事にも"competition"と唱え、競争原理に行き過ぎたアメリカと、平等主義に傾いたひところの日本を眺めると、どちらも極端であり、相応のリスクとリターンを伴う。日本が培ってきた切磋琢磨の精神は、この対立概念を弁証法的に解決した智慧だったのではないかと思う。それを失いつつあるのは、非常に残念でならない。


*1 システム・ダイナミクスの"happiness"の回で示されたデータに、CEOがどれだけ幸せを感じているか、というものがあった。正確なデータは失念したが、驚くほど幸せを感じられていなかった
*2 もちろん、利点が正しく発揮されたものもある。成果主義を例に取ると、優秀な人に相応の報酬が支払われれば、正しいインセンティブがはたらく。だが実際は成果主義が賃金削減の口実に使われたケースも多い

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by flauto_sloan | 2009-01-23 11:37 | Harvardでの学び
BSO/Masur - メンデルスゾーンの夜
クルト・マズアを迎えたBSOの演奏会は、生誕200年のメンデルスゾーンを讃える、「オール・メンデルスゾーン・プログラム」だった。

メンデルスゾーンは私が最も好きな作曲家の一人だ。精神性や深みがないと評されることもあるが、それがまたいい。純粋に美しく楽しいのが彼の音楽であり、演奏しても聴いても爽やかな愉しさを感じる。

私が中学生の時、ブラスバンドで彼作曲の「吹奏楽のための序曲」を演奏した。当時の私にはなかなか難曲で、相当に練習しているうちに、その良さがだんだんとわかってきた。そしてこれがメンデルスゾーン弱冠15歳の時の曲だとしり、同年代だった私は天才に驚愕した。その後オーケストラで彼の交響曲も演奏したが、やはり彼の音楽に魅了され続けた。

本日のプログラムは、『フィンガルの洞窟』に始まり、交響曲第3番『スコットランド』、交響曲第4番『イタリア』と続く。ここまで来たら第5番『宗教改革』までやって欲しかったが、まあ仕方ない。

メンデルスゾーンの音楽は、怒鳴ったり叫んだりといったドラマチックな要素は不要で、美しさを美しいがままに表現するのがいい。マズアはまさにそんな美しいメンデルスゾーンを描き、フォルテシモは音を割らないよう抑制され、管楽器の絡みは音が戯れるように見事に掛け合い、繊細に美しく風景を描いていく。まるでターナーの風景画を見ているかのようだった(奇しくも彼は『フィンガルの洞窟』と題した絵も描いている)。

スコットランドの古城の寂しさや、ケルトの勝利の歌の喜びが伝わってくる。またイタリアの日差しも夕暮れの寂しさも、恋人たちの囁きも雷雨の恐ろしさも、目の前に情景が浮かぶかのようだった。管楽器がホルンを初め好調だったのもよかった。

派手さや聴衆への積極的な問いかけがなかったため、会場の評価は分かれていたが、私はとても楽しめた演奏会だった。
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by flauto_sloan | 2009-01-22 10:52 | 音楽・芸術
Distributed Leadership - MITでのリーダーシップ論
先週までの計5ヶ月に亘るケネディスクールでのリーダーシップの授業に続き、今週はIAPでのSloanのリーダーシップの授業 "Distributed Leadership" を取った。2日半のワークショップで、MIT Sloanの教授陣が練り上げたこのコンセプトを学び、実践する。

Distributed Leadership
このモデルは、リーダーシップに必要な要素を4つに分け、ある組織でリーダーシップを発揮するためには、この要素を全て担保しなければならない、とする。リーダー一人が全ての要素を持つ必要はなく、寧ろそんな「完璧なリーダー」はいないので、仲間を含めて要素を「分散」して保持することに重点を置き、それ故に "Distributed(分散)" リーダーシップと呼ぶ。その四つとは
  • Visioning: 組織の将来像を目に浮かぶように描く能力
  • Inventing: Visionで描かれた目的を達成するための作業・方法を編み出す能力
  • Relating: 組織内外の主要な人間との関係を築き、作業に巻き込んでいく能力
  • Sensemaking: 組織と人々に働く意義を与え、主体性とやる気を促す能力
ここでVisioningとInventingは創造し実行する能力として同じ機軸の両極であり、RelatingとSensemakingはリーダーシップを実現可能にする能力としての機軸の両極にある。二つの能力の軸を十分な幅を持って対応できることが、リーダーシップ発揮に不可欠である。

四つの役割
そしてリーダーシップを発揮すべきプロジェクトのチームには4つの役割が必要であり、これらがうまく分配され実行されることが重要である。
  • Mover: 新しいアイディアを持ち込んだり、仕事を進めるための提案をする役割
  • Opposer: Moverの提案に対し反対意見を述べ、議論のペースを調整し、アイディアに深みを与える役割
  • Follower: Moverの提案に同意し、議論を推進める役割
  • Bystander: 議論と距離を置いて、新たな視点を導入したり、議論の評価をしたりする役割
これらの役割は、会議やプロジェクトの中でバランスよく実行・介入されねばならない。MoverとFollowerだけの会議は誤りに気づかず進むリスクがあるし、MoverとOpposerだけでは議論が行き詰る。

実践からの学び
ワークショップでは、ミニケースやグループディスカッションを用いて、これらのコンセプトを一つ一つ実践・理解していく。私としてはハイフェッツ教授のリーダーシップで学んだことを、実践的な深みに留めて実用的に再構成したものと移ったので、理解よりも実践を重視した。

具体的には、普段苦手意識を持っている"opposer"の役割を意識的に行った。結果的に、ミーティングの中で意見を言わず、質問を繰り返しただけで、議論に深みを与え、存在感を得ることができた。結果的に議論が誤った方向に行かなかった分生産的だったし、論議を尽くしたと言う安心感も醸成された。

またこの授業では意識的に発言を多くしてみたのだが、発言をすればするほど、発言をし易くなっていくのがわかった。周囲の好意的な評判も得られ、なるほどやはり米国なら米国流のやり方が快適であると実感した。

より実践的に
公的機関から私企業、非営利団体から営利団体まで幅広い状況を想定するケネディにくらべ、スローンは基本的に企業がリーダーシップを発揮する状況だ。条件が限定されているだけ、スローンのリーダーシップ論は実用性高く設計されているように感じる。

ただ、3日間しかないワークショップであり、また参加者の興味レベルの違いもあって、「なぜその能力が必要なのか」「そもそもなぜリーダーシップを発揮しなければならないのか」といった問に対しては、十分な検討がなされなかった。そのあたりはやや残念だったが、ワークショップの設計上仕方あるまい。

二つのリーダーシップ論を対比することで、ハイフェッツ教を盲信せずに相対化することができたことが、色々と実験して学んだことと並んで、このワークショップから得られたことか。なかなかに有用な2日半だった。
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by flauto_sloan | 2009-01-21 23:38 | MITでの学び(MBA)
Ski in Vail
渡米して初めてのスキー旅行は、北米有数のスキーリゾートとして名高い、コロラド州Vail でだった。近場のバーモントやメインではなくコロラドなのは、東海岸と西海岸とから参加者が集まったからだ。
妻のコロンビアの同級生でもあるオーケストラの後輩に誘ってもらい、私以外のほとんど全員が昨年卒業のコロンビア生というグループだった(ちなみに、スキー経験が少ない妻は、結局参加しなかった)

学生の頃は毎シーズン滑りまくり、社会人になってからも一日有給を取って平日に手ぶらでガーラ湯沢に行きまくっていたのだが、腰を痛めて以来、4シーズンほどゲレンデから遠ざかっていた。今回はリハビリなので、無理せず中級コースまでにした。


広大なヴェイル
北米でのスキーは、昔カナダのバンフの方で滑ったことがあるくらいで、長じてからはヴェイルが初めてだ。日本と違って、流石に広い。各コースの幅が日本の数倍で、しかもリフトが長距離なので一回あたりの滑る距離も長く、滑り甲斐がある。

標高が高く空気が薄いため、ちょっと動くとすぐ息が切れる。高山病に罹る人もいるというので、初日は体を慣らすように滑る。直前から気温が上がったためにパウダースノーではなかったが、雪質は悪くない。
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久々の雪の感触。動き方は意外と忘れていないものだ。スピードが上がるほどに谷に身を投げ出す、この感覚がたまらない。恐怖を意思で克服すると、楽しさと喜びが待っている。

山頂まで上ると、山の裏側の斜面に出られる。大きな盆地状になっていて "China Bowl"と呼ばれる名所だ。周りは全て銀世界で、林の中だろうがコブ斜面だろうが、どう滑っても盆底のリフト乗り場に辿り着く。
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私は弁護士の友人と二人グループを組み、全山制覇を目指してひたすらに滑った。最早リハビリということは忘れていて、すっかりスピードを愉しんでいた。1日半で、全エリアを制覇すると、なんとも言えない満足感があった。

林の中を木を避けながら滑るコースが奥山にあったのだが、そこは特に楽しかった。鹿か兎になったような感覚で、立木の間を抜け、自然と一体になる。まさにスキーの醍醐味だった。
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ロースクール生との談笑
夜はロッジ二部屋を借りて、楽しく談笑した。リゾート地らしく、ロッジは別荘のようで、2階建てで豪華。キッチンからリビングまで完備し、暖炉までついている。ソファで寛ぎながらスキーの疲れを癒し、飲みながら硬軟幅広い話題(怪談から三権分立まで)で盛り上がる。

妻の友人なので私以外はロースクール生で、ほぼ全員が法曹関係者だ。私は法知識はゼロなのだが、議論の構造をよく聞いていると、理系やビジネスの論理構成との相違が面白い。

飲みが進んだころ、一部女子が密かに台所でシャンパンを開けて飲みきってしまった。これに驚いた男性陣が、主犯格(?)の女性を元ベテラン検事に取り調べてもらった。流石ベテラン検事、取調べは見事だった。柔らかい口調で質問していき、気がつくと外堀が埋まっていて、被疑者(?)は矛盾したことを言えなくなっている。遊びではあるが、取調べなんてなかなか見られないので非常に面白かった。

皆が抱える悩み
帰りの飛行機では、3人席で一緒に滑った弁護士、前述の元検事との三人で語りこんだ。皆が非常に難しく、責任の重い仕事に就いており、同時に社会や組織といったシステムによる制約を意識的無意識的に受け、苦労している。その制約はどこまで変更可能なのか、制約の中でどこまで自分の志を貫けるか、皆悩んでいる。まさにそれがリーダーシップを発揮する悩みである。

ほんの短い飛行時間での対話ではあったが、お互いに大きな刺激をしあえた。この旅で新たな友人と知り合えた、。中でも、最後の最後にお互いの人生観や価値観に触れられる友人を得られたのは、大きな実りだった。
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by flauto_sloan | 2009-01-19 06:01 | 旅行
チームワークと信頼
c0131701_5415992.jpgハイフェッツ教授のリーダーシップの授業では、グループによるコンサルテーションが重要な要素となる。二つの授業のチームは、メンバーだけでなく、グループダイナミックスの発生と発達の仕方も異なる。
その結果、異なる信頼関係が醸成され、非常に学ぶことが多かった。


秋学期は、チームが週に一回、10週間にかけて集まり、それぞれの失敗例をケースとして、どういった構造的要因が失敗を生み出したのか、どうしたらその構造を知り得、対処できたのかを議論した。同時に、ミーティングの中で、チームがどのような動き方をしたか*1を分析する。この過程で、ゆっくりではあるが深い信頼と、お互いを認め合い衝突も許容できる環境 (holding environment) とが培われていく。そうして、後半となると驚くほど深く生産的なミーティングとなりうる。

チームメンバーは、アメリカ人(白人とユダヤ人)、ドイツ人、フランス人、ナイジェリア人、パキスタン人、ベトナム人、日本人と、実に多様で年齢層も幅広い。この多様性によって、自分が思いつかなかったような視点が持ち込まれる。チーム内の大小様々な衝突も生産性に寄与するようになっていく。チームワークによって、陳腐な言い方だが「1+1を2以上にする」ことを実際に目の当たりにすると、その効果を信じざるを得ない。


一方この冬は、チームが毎日顔を合わせ、ミーティングを行う。火曜などは一日中コンサルテーションだ。長時間を共にすることで信頼を急速に醸成する一方、対立構造を深く考え、表に出すことはなかなか難しい。個人の内面というトラウマを曝け出すためには、かなりの信頼が必要なのだが、自然とそこまでの信頼を醸成したというよりも、お互いに自分が曝け出したから相手に曝け出させる、という、囚人のジレンマ的行動によって信頼が作り出されたのだと思う。

また、偶然とはいえ、チームメンバーの多様性も秋に比べて低かった。日本人がなんと2人、中国人、アフリカから2人(エチオピア、ケニア)、アメリカ人2人(白人、ユダヤ人)という構成で、年齢も非常に若い人が二人。他にも推測だが、信頼関係における心理学的な問題もあったと思われる*2。これでは真のholding environmentが生まれず、なかなか上手く高い生産性の議論に化けない。

後半の途中から議論が深まってきたが、秋ほどの深みではない。多様性の重要さと共に、環境作りの難しさを学んだ。最後の授業の時、何故か私は秋学期のチームメンバーと並んでいた。最後は彼らと一緒にいたい、と思ったし、彼らもそう思ってくれたのだろう。

冬のチームの中でも、教育学部のドクターであるカレンとは、それぞれの複雑さを理解した上で特に仲良くなった。Confidant (刎頚の友)を作ることが重要だ、と教授は説くが、カレンは秋のチームメンバーの数名ともども、そんなConfidantになった。


*1 どんな対立構造があったか、発言や議論への介入がどのような効果をもたらしたか、以前の行動と今週の行動とがどう影響しているか、など

*2 グループワークの中では、各人がトラウマを曝け出し、自己と組織に対する欺瞞を明らかにすることで、嫌が応にも自分を冷静に見つめることとなる。これは恐ろしいことである。
心理療法で最後まで医師を欺こうとする人がいるように、この恐ろしさから防衛や規制がはたらく人がいるのも止むを得ないだろう。私は敢えて自分を全て曝け出そうとしたが、それでも欺瞞が全くなかったかと言われると、ないと言い切る自信はない。
他のメンバーにも、恐らく全てを語っていない、或いは我々をミスリードするように情報を隠したり偏在させたりしているのではないか、と思われる人がいなかったわけではない。人はそれを感じ取ってしまう。これでは純粋な信頼関係を構築するのは難しい

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by flauto_sloan | 2009-01-17 04:32 | Harvardでの学び
ハイフェッツ教授のリーダーシップの授業を終えて
c0131701_524470.jpg密度の濃いロナルド・ハイフェッツ教授の2週間のリーダーシップの授業が終わった。
秋学期以上に、感情のジェットコースターとなる授業だった。1週目の終盤から、授業中に泣き出す人が現れ、私も最後の日は喜怒哀楽全ての感情が湧き起こり、最後は涙せずにはいられなかった。

ハイフェッツ教授自身の凄さはもちろんあるのだが、それ以上に彼が作り上げた環境(授業の設計とグループ・ダイナミクス)と、そこでお互いに刺激しあう学生のコミットメントの深さが素晴らしい。


授業や教授に対しては、心酔する人から反発する人、納得する人から懐疑的な人まで幅広い。多くが心酔することから「ハイフェッツ教」と揶揄されることもある。だがそんな価値観の幅を許容し、創造性・生産性を促す環境を作り、経験させることで、我々がリーダーシップを執る際に達すべき、環境の質についてのレファレンスを持たせてくれるのだ。

授業で教わる "holding environment" や "creative range of disequilibrium" といった抽象的な概念は、実際に経験しないことには理解できないし、それをどの程度まで持っていくと、目的を達成するための創造性を発揮できるのかについても、経験しないことには想像がつかない。授業中に様々な実験を学生に行わせることによって、自ら気づき学ぶことを促すのが、教授の役割なのだ*


c0131701_5293671.jpg特に冬学期は、自分の内面に抱えている役割や祖先への忠誠が、自分の行動や思考を如何に制約し隷属させているのかを学ぶ。
それを意識しそこからできるだけ自由になるためには、大きな苦痛を伴う。その副産物として感情の大きな起伏が個々人の中に生まれるし、それがクラスの中に共鳴し増幅して、大きな感情のうねりを生む。

その振幅がピークになる時、涙する者が現れる。

人生の様々な局面でリーダーシップを発揮すると、人々に変革を促し、喪失の痛みを始めとした大きな感情を生み出す。その感情の起伏を知ったからこそ、彼らへの憐れみを持てるし、その感情を包容することができる。その対処法と自分の許容量を知るための2週間だった。


授業が終わると、学生全員がスタンディング・オベーションを行った。自分を見つめ直し、将来を考え、傷を癒し前進するための機会を与えてくれた、素晴らしい授業だった。

だが、学びを「ハイフェッツ教」として絶対視・神聖視してしまうことは生産的ではない。彼のフレームワークにも限界はあるし、日本というコンテキストであまり有用ではないものもあろう。それを見極めて、極めて個人的な学びとして消化し昇華することが、今後求められる課題だ。


* 勿論この手法には限界がある。教授が授業の設計時に大きく参考にした心理療法の手法(教授は精神科医)にも限界があるのと同じだ。ある信念を長年かけて増強し続けてきてしまった人は、その信念を失う・変更することに対して大きな抵抗を覚え、その試みを持ちかける教授や友人を敵視しかねない。そんな学生を個別対応することは、授業を通じては行えない
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by flauto_sloan | 2009-01-16 22:44 | Harvardでの学び
CJK caucus - 赦しのためには
注: コメントを受け考えた部分を修正しました。まだ粗い作業仮説を深めるべく、コメントを歓迎します

先週の日中韓での集まりを受けて、三カ国で「お互いを聞き合う会」を行った。白黒付けることを一切せず、純粋に相手の考えとその背景にある構造を知ることを目的としている。そこでの議論から、日本が中韓の国民に届く形で謝罪をし(或いはこれまでの謝罪が届くようにし)、彼らが日本を赦せるようにすることの意義を考えさせられた。

丁度リーダーシップの授業のテーマも「赦し」で、赦しがもたらす効果について議論した後であり、日中韓の関係に「赦し」はどうやったらもたらされるのかを中心に議論を行った。

日中韓で語られていることの違い
中国や韓国が日本について知らない(よう教育されている)ことは日本でも知られているが、果たして村山談話も戦後賠償の取り決めについてもほとんど知らない。ケネディスクールに来る学生ですら知らないのだから、一般市民は当然知らないのだろう。

一方、私も中韓の中で、如何に日本が拡大思考の覇権主義国家だと信じられているのかを知らなかった。話は聴いていたが、ここまで危険国家と思われていたとは驚きだ。日本人が戦後教育の結果、戦争を毛嫌いし、自衛隊の拡張にも相当に抵抗している現実と、まるで正反対の捉えられ方である。

また、60年という歳月は戦後問題を解決するのではなく、より困難にしている側面もある。世代が変わり直接戦争を経験していない世代は、直接的なわだかまりを持っていないために、こうして同じ机で議論し、友人となれる。だが一方で、60年間繰り返し日本の残虐行為を語られ続けたために、憎しみは増幅され固定化されてもいる。南京大虐殺の犠牲者数を正確にするといったことは、政治による外敵化を防ぐために大事であるが、より深刻なのは感情の問題であり、どうやって彼らが日本を許せるようになるかである、と実感する。


今後どうするか
議論は非常に実りと気づきのある有益なものだった。だが結局、こうやって話し合って理解が進んでも、その理解は問題解決のための要素でしかなく、どうすればいいのかの答えは出てこない。

仮に将来リーダーとなるであろうケネディの学生が相互理解をしても、中国や韓国に戻れば、途方もない反日感情と祖先への忠誠心のうねりを前にしては、スケープゴートとなることを避け、日本との関係改善を図ることを諦めてしまうかもしれない。

一方、日本にしてみてもこれまでの日中・日韓との公的な取り決めを超えた行動を取ることは困難だし、ドイツとは事情も文化も異なるため、同じ行動をとれば解決するとも思えない。解決に向けた努力としては、ODAを初めドイツに劣らないほどしてきたとも思える。


だが敢えて戦略的に思考の幅を広げてみれば、今改めて日本が謝罪を行い、中国韓国の国民レベルが日本を赦せるようにするという選択肢は、考えてみる意味があると思う。尤も、国際関係や政治について素人の考えではあるし、賠償をどこまで行うか、日本の誇りをどう保つのかといった頭の痛い問題があるのも理解しているのだが、敢えてその可能性を考えてみた。

今後30年、40年を考えたとき、日中韓の経済・軍事的バランスは大きく変化すると考えられ、日本が交渉に有利な立場でいられる期間は残り少ない。日本の人口は1億人を切り、高齢化が大きく進む。経済規模も縮小し、軍備への歳出も(予算の1%枠を大きく超えない限り)縮小していくだろう。

方や中国は経済規模が今よりも拡大し、軍備も増強する。韓国も南北統一ができれば、今よりも経済・軍事規模が増大する可能性がある。勿論3カ国とも高齢化という共通の課題があり、時間差はあれどいずれ中韓も人口減少に向かうだろう(中国が一人っ子政策を廃止しない限り)。だが日本は既に人口減少しており、相対的な力は真っ先に弱まっていくだろう。

戦後問題の解決を先延ばししても、中韓の若い世代から感情や「語り継がれる記憶」を消すことはできないし、むしろユダヤ・パレスチナのように3000年間のわだかまりへと発展する可能性もある。先延ばししていずれ謝罪することになれば、それこそ日本に交渉力がなくなっており、非常に不利な条件を振られる可能性がある。過去の蓄積があり、経済的・軍事的に有利な立ち位地にある今のうちに、過去を清算しておくことは重要ではないかと思う。


逆に今清算しなければ、ますます交渉しにくくなり、日中韓ブロック経済の実現は非常に難しくなる。世界各地域でのブロック経済化が進展している中で(ゆり戻しもありうるが)、極東だけ国家単位では、じり貧となる可能性もある。

また、仮に米中の2大国が戦争することになれば、日本とその海域は戦略的重要拠点として緒戦の場となるだろう。その時までに反日感情を解消できていなければ、なかなか想像するに恐ろしい事態ともなりうる。


だが日本が影響力を弱めていくことが予想されていれば、中韓の自然な反応は、日本の謝罪を受け入れず、問題を先送りして、交渉力が有利になったところで再燃させるというものだろう。それを防ぐには、第三者である国際機関か、それよりも強力な国民を巻き込む必要がある。

外交上の枠組みをどうすればよいのかはわからないが、両国民の目に見え実感できる形で、彼らが過去と決別し、日本を赦すことによる平穏な心を得るような手助けをしなければならないと思う。それは謝罪かもしれないし、別の形かもしれない。

実際に過去を清算しようとすれば、日中韓それぞれの政治家は売国奴呼ばわりされ、政治的にも生命的にも危機にさらされかねない。だが、日本の国益を考えたとき、経済にもソフトパワーにも翳りが見えてきた今、問題解消の最後の秋であるように思えてならない。


だが今回、ケネディの中韓の学生と話して実感したのは、彼らも日本にどうして欲しいのかわかっていない、ということだ。謝るのは一つの方法だろうが、十分ではないし必要でもないかもしれない。日本がどうするべきなのかは、日本だけで考えて答えが出る性質のものではない。このCJK Caucusのような、お互いが相手を聞ける環境で、感情的な対立も適宜しながら議論していく中で、答えの仮説が出て来得るものだろう。

まだこの学生間の対話は始まったばかりだ。卒業までに答えの萌芽は見られないかもしれないが、議論していく価値はあるはずだ。
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by flauto_sloan | 2009-01-15 05:42 | Harvardでの学び