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Puerto Rico - 海とラムと
年末の寒いニューイングランドから、カリブ海のプエルト・リコへと逃避した。スペインの文化が色濃く残りつつも、米国領であるこの島は、昨冬のカンクンともまた違ったのどかさだった。

青い海
c0131701_0404730.jpgやはりカリブの青い海は気持ちがいい。ホテルのプライベート・ビーチでのんびりと泳ぎ、疲れては読書に耽る。天気にも恵まれ、熱い陽射しの中でゆっくりと泳いでいると、海と一体化した気分だ。

滞在中、一日クルージングに申し込み、ヨットでカリブ海を颯爽と走る。
まずは無人島の白砂で休憩。
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その後、沖合でシュノーケリングをすると、色々な魚に囲まれる。
1年前はおっかなびっくりだった妻も、大分余裕がある。私も素潜りをして遊ぶ。
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ずっと海よりも山が好きだったのだが、このところは海もいいな、と思う。

クレパスで塗ったような町並み
中心地 Old San Juan は、道幅が狭く、その分賑やかさが凝縮されたような町だ。住宅地に入ると、クレパスのような淡い明るい色で塗られた家が立ち並ぶ。
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クリスマス直後だったこともあり、未だにクリスマスの飾りが多く残っている。
スペインの影響が色濃く残っており、カトリックのクリスチャンが多い。教会も立派だ。
だが、軒先に飾られた聖母子と三賢人が、どことなく中米風なのがまた可愛らしい。
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c0131701_1706.jpgサンファンは大航海時代から港として栄えており、今も多くの船舶が行き来している。

友人も何人か楽しんだカリブ海クルーズの寄港地でもあり、豪華客船が停泊していた。
意外とリーズナブルだとも聞く。いつか乗りたいものだ。


世界遺産 エル・モロ要塞
オールド・サン・ファンの先に構えるのが、世界遺産でもあるエル・モロ要塞だ。大西洋とカリブ海を睥睨するこの要塞は、実戦でも幾度と活躍している。
今は石垣に海風が歴史を刻みつつ、退役後の余生を過ごしているかのようだ。
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ちなみに海面に対して鋭角に大砲を打ち込むと、飛び石の要領で砲弾が跳ね、遠距離の敵艦船に当てることができるらしい。この要塞の大砲の配置は、その兆弾も考慮したものだったらしい。

要塞周辺は歴史的地区で、総督府カサ・ブランカなど名所がいくつもある。中でも議会は青色の建物が美しかった。
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c0131701_1501135.jpgまた、20世紀最高のチェロ奏者、パブロ・カザルスが晩年を過ごした家があり、パブロ・カザルス・ミュージアムとして公開されている。

カザルスのチェロ(ケース)や椅子、指揮棒(マルボロ音楽祭を主催していた)などの遺品、またJFKの前で演奏したホワイトハウス演奏会の写真等が飾ってあった。
彼が発掘した、J.S.Bachの無伴奏チェロ組曲が館内に響いている。
地元の人たちにも愛された、偉大なチェロ奏者への尊敬がまだ息づいていた。

ピナ・コラーダの発祥の地
c0131701_13102870.jpgプエルトリコはラム酒が名産で、バカルディの工場もある。

そしてラムとココナッツミルクを主原料としたカクテル、ピナ・コラーダもプエルトリコが発祥だ。

だが一体どこで最初にピナ・コラーダが発明されたのかと言うと、なかなかわからないようだ。

オールド・サン・ファンのバラチーナというレストランが「うちが元祖だ」と言って看板を掲げている。
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一方、カリベ・ヒルトン・ホテルも発祥の地として誇っている。どちらも試したが、まあ美味しければよいので私は気にしない。
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秋学期の疲れを癒す、のんびりとした旅だった。
一体ピナ・コラーダを何杯飲んだのだろうか・・・
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by flauto_sloan | 2008-12-29 23:40 | 旅行
MET/フレミング - 聖女と哀れな男
c0131701_6393967.jpg2008年最後のコンサートは、METのマスネ作曲『タイス』だった。今をときめく大ソプラノ、ルネ・フレミングがプリマを歌うとあって、どの公演も大人気だ。

フレミングは、美貌と歌唱力とで圧倒的な人気を誇り、来シーズンのNYPのガラも飾る予定だ。METの広告も、彼女を前面に押し出している。そんな彼女が歌うタイスは、アレクサンドリアの高級娼婦だ。

娼婦から聖女へ・・・タイスあらすじ
タイスはアレクサンドリアの男が皆熱を上げている高級娼婦で、彼女を傍に置くために、金持ちは大金を惜しげなく費やす。修道士アタナエルはそんなアレクサンドリアの堕落に憤慨し、タイスを改心させようと決意する。

タイスは神の愛を説くアタナエルを始めからかい、誘惑するが、やがて自分の身を儚み、修道院に入ることを決意する。街から出ようとする二人を見つけたアレクサンドリア市民が、アタナエルを攻撃しタイスを引きとめようとするが、タイスの最後のパトロンでありアタナエルの親友でもある富豪ニシアスの機転により、二人は難を逃れる。

砂漠の中の修道院にタイスを引き渡したアタナエルは、自分がタイスを愛していたことに気がつく。煩悩の虜となったアタナエルは修道院を訪れ、タイスに会おうとするが、既に彼女は死の床にあった。身を清め聖女となったタイスは、神に引き合わせてくれたアタナエルに感謝し、昇天する。アタナエルは神を否定し、愛欲を訴えるが、その言葉はもはやタイスには届いていなかった。

フレミングの変化
フレミングは、娼婦としてのタイスを華やかな衣装と妖艶な演技で好演した。やや癖のある発音だが、ダイナミックな表情が役柄とマッチして、どんどん聴衆を惹き付けていった。やがて改心すると、歌声が透き通ってきて、心の清らかさを音楽的にも表現していた。死の直前のアリアは見事で、さすがは大プリマだ。舞台に映える美しい顔立ちも見事。

ただ今回はフレミングの一点豪華主義だった感はあった。彼女だけで客を呼べるためか、脇役もオケも指揮者も今ひとつ。アタナエル役は、聖人ぶっているが結局は煩悩の塊だった、男の情けなさをよく醸し出していたが。

男は後ろを向き、女は前を向く
それにしても、このオペラは前半と後半で登場人物の印象が正反対になる。最後のタイスの神々しさと、アタナエルの駄目っぷりの対比は、滑稽な程だ。

ともすれば過去の女を気にかけ続けてしまう情けなさが男の性であり、別れた男をすっぱり忘れて前進する逞しさが女の性であるのだ、とこのオペラは訴えているようにも見える。なかなかに考えさせられるものだ。

最後に、タイスといえば有名なのが『タイスの瞑想曲』だ。バイオリンのソロ曲にも編曲されて有名なこの曲は、第2幕の間奏曲で、実際にバイオリンの長いソロがある。

この曲は流石によかったのだが、それ以降この瞑想曲がモチーフとなって何度も登場する。何度も出てくるので、段々と有難味がなくなってしまう。他に美しいメロディーやハーモニーを作り出せなかったのが、マスネの限界だったのか・・・
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by flauto_sloan | 2008-12-27 22:05 | NYでの生活
ニューヨークの我が家でのクリスマス
c0131701_1449593.jpg今年のクリスマスは、家でのんびりと祝った。マンションの入り口にはクリスマスツリーが飾られ、行きかう人々も楽しげだ。一方で、エレベーター内の貼紙に「今年のフロント・ドアマンへの心づけは、経済状況を鑑みて、無理なさらないで結構です」と書かれていると、現実の厳しさに引き戻されもする。

映画「August Rush(邦題: 奇跡のシンフォニー)」を見で、渡米してすぐの頃のセントラルパークでのコンサートを思い出す*1。この映画のクライマックスはその野外コンサートで、家族について、音楽について、ニューヨークという街について色々思いを馳せる。

c0131701_14503697.jpg料理は妻が頑張ってくれた。牛肉の赤ワイン煮をメインに、クリスマスらしい食卓だ。妻は料理に目覚めたらしく、めきめき腕を上げている。今回も美味しく、実に幸せだ。
音楽を楽しみ続けた一年に相応しいものを、とエドシックのシャンパンを買ってきた。ピアニストのハイドシェックの実家だ*2

旨き料理に美き酒。是人生の彩。

メリー・クリスマス!!


*1 このブログを書き始める前だったが、夏休みの恒例イベントとして、セントラルパークでNYPが野外コンサートをする。早めに行って場所をとり、妻と友人と芝生の上でのんびりとお喋りをしながら開幕を待つ。指揮はマゼールで、曲は展覧会の絵だった。開放感溢れるピクニックのような演奏会だった

*2 高校生の頃、一世を風靡していた宇野功芳が指揮をし、ハイドシェックがピアノを弾いた『皇帝』を聴きに行った。ハイドシェックの天真爛漫で即興的なベートーヴェンに驚き、強烈な印象を受けた。だがそれ以上に、個性的過ぎてオーケストラと全く合わなくなり、一度演奏が止まりかけた。目の前で空中崩壊寸前となるプロの演奏を聴くのは、後にも先にもこれだけだった。さすがに本人も冷や汗をかいていたらしい。

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by flauto_sloan | 2008-12-25 12:33 | 家族
Christmas in Metropolitan Museum
先日のクロイスターに続き、メトロポリタン美術館本館でのクリスマスコンサートを聴きに行った。メトロポリタン美術館のクリスマスコンサートは豪華なクリスマスツリーを囲んで行われ、趣向を凝らしたツリーを見るために毎年聴きに来ている人もいる。

今年のクリスマスツリーは、中世イタリアのテラコッタを再現した天使像に囲まれた、キリストの生誕がモチーフだった。天使は抑えた色であるが柔らかい表情をしていて、救世主の生誕を祝福するために、ツリーの頂を天上になぞらえて降臨している。
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コンサートは、男声合唱による中世の聖歌で、キリストの生誕を祝していた。ドラマを重視していたクロイスターよりも、純音楽的な美しさを追求していて、厳粛な雰囲気に包まれた。
短い演奏会だったが密度が濃く、またこのクリスマスツリーは一見の価値があった。
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余談だが、この演奏会は閉館後に行われたため、見学者のいないメトロポリタン美術館を見られる。幼い時に聴いたみんなのうたの「メトロポリタンミュージアム」を思い出して、少し怖くなった。
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by flauto_sloan | 2008-12-23 23:09 | 音楽・芸術
Dog Whisperer - 犬の群れにおけるグループ・ダイナミクスとリーダーシップ
以前紹介した"Law & Order"は妻の一番好きなテレビ番組であるが、私の一番好きな番組は"Dog Whisperer"というNational Geographicの番組だ。日本でもBSで放送しているという。Cesar Millanという「犬の心がわかる男」が、様々な問題を抱える犬と向かい合う。そんな彼のモットーは "I rehabilitate dogs, and I train Human (僕は犬をリハビリし、人間を訓練する)"だ。訓練するのは犬ではなく人間だというのが非常に重要だ。

犬の心理分析
シーザーの手法は"dog psychology"の応用だそうで、犬の心理がどう働くかの理解に基づき、犬の行動を変えていく。犬は常に群れの中での自分のポジションを意識するので、飼い主が"pack(群れ) leader"となり、犬がそれに対し "calm submissive(大人しく従順)"な態度を示すようにするのが目的となる。

凶暴(aggression)だったり、何かに偏執的(obsession)になったりする犬は、大体において群れ(家族および他の犬)の中にリーダーが見当たらず、結果自らが群れを支配(dominance)しようとする。その不安から不必要なエネルギーを溜め込み(excited)、問題行動を起こしている。

飼主は往々にして「犬が問題」だと思っているが、実際殆どは飼主が問題の根源だ。ソファに犬を座らせる、犬の代わりに何かをしてあげる、等々の可愛がりが、犬のdominanceを助長している。犬は自分より下位の飼主の言うことを聞かなくなる。

"Excited dominant" から "calm submissive" へ
だからシーザーは、飼主を訓練して群れのリーダーに再臨させることから始める。威厳を持って犬に目を合わせず、エネルギー(気のようなもの)を犬に向けて発して、犬の中に余分に溜め込まれたエネルギーを発散させる。物理的には首紐も有効に使う。

そして、犬と飼主との間に権力争いが生じると、犬を屈服させて従順にし、リーダーから群れの一員としての役割に順応させる。この屈服は、問題行動を繰り返しその場で修正し、犬が自分から行動を改めるようにすることを通じて達成される。

群れという小さなシステムにおいて、人間と犬との相対的な位置関係は、犬と人間の相互干渉で決まるのであり、犬だけを矯正できるものではない。双方がそれぞれに変わらねばならない。だが双方が変われば、人間が不快で犬も不安な状態から、人間が楽しく犬も幸せな状態へと遷移できる。

まさにシステム思考であり、シーザーはこのグループ・ダイナミックスを知った上で、飼主にリーダーシップの発揮を求めているのだ。

犬と人間
シーザーが活用している、犬心理学のやり方(特に首紐で犬をコントロールしたり、時には犬を押さえつけたりするプロセス)は、一部で批判も受けている。曰く、考えが古い、犬を虐待している、云々。だがシーザーは幅広い訓練法を学んだ上で、最も効果的な方法として犬心理学を活用しているし、虐待などはしていない。

むしろこの批判は、過激な動物愛護団体にありがちな、人間の価値観や感情を犬に押し付けているための誤りだ。犬と人間は種族も社会形態も異なるから、心理も異なると考えるのは、極めて妥当な仮説だろう(今西錦司が馬や猿の社会から動物行動学を押進めたのと同根だと思う)。犬は群れで生活するから、従順であることは隷属ではなく、一つの幸せな安定した状態だし、群れのランクを落とすことは犬の社会でしょっちゅう起きている。それを、人間の価値観や心理変化で解釈して「犬は不幸せに違いなく、虐待だ」とするのは、犬に失礼だ。

犬と人間を同じと捉えるのであれば、ある状態に対する感情の持ち方を同じとするのではなく、ある相互干渉を起こした時に、グループの状態がどう変化するのかを同じと考えて観察するほうが、学ぶものは大きい。そこには、リーダーシップの動物的な根源があるように見える。
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by flauto_sloan | 2008-12-21 14:30 | NYでの生活
NYそぞろ歩き
気づけば留学期間も終盤となってきたが、依然NYの観光が進んでいないことに気づいたので、このところはクリスマスの雰囲気溢れる街を出歩いている。

名所
グランド・セントラル駅
c0131701_13361134.jpgグランド・セントラル駅では"Oyster Bar"にて生牡蠣を楽しんだ。昨年は牡蠣のシーズンでなかったため、ようやく看板料理を食べられた。それにしても大人気で、平日昼にも関わらず20分ほど待つこととなった。

その後はグランド・セントラル駅の冬の風物詩、"Kaleidoscope"を眺める。これは30分に1回、駅のコンコースを使ってクリスマスの情緒溢れる映像を投影するイベントだ。見ているとクリスマスの楽しい雰囲気になってくる。
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五番街・マディソン通り
NYのクリスマスと言えば五番街だ。今年はどこも驚くほど値下げをしている。不況で将来への不安から、奢侈なものは真っ先に切り捨てられてしまっているのだろう。テレビでも「予算内で素敵なプレゼントを選ぶ方法」といったアドバイスが盛んに流れている位だ。人出は多かったが、昨年に比べたら少ないように思える。

流石にカルティエなど超高級ブランドは「武士は食わねど高楊枝」と構えて値下げしないが、そんな一部を除くと3割~4割引は当たり前、ブランドによっては6割~7割引+レジでさらに1割引、というところもある。お陰でアウトレットにも行かずにいい買い物ができた。
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バカラ製の巨大な雪の結晶は今年も明るく輝いている。今年もよいクリスマスを、と呼びかけているかのように。
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美術館
MoMA
MoMAはNYに来た最初の頃に訪れたのだが、その時以来久々に行ってみた。ちょうどミロ展を開催していたので、それが目当てだ。(妻はモダンアートが好きなので、MoMAには一人でも行っている)
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抽象画は、見ていて感性が直に反応するから面白い。勿論、画家が何を新たな取組みとして提起したのか、と考えることもできるが、私は結局のところ「いい」と感じられるかどうかで楽しんでいる。このあたりは、突き詰めれば「格好いい、美しいと感じられるかどうか」という感性で楽しむ現代音楽と似ている(勿論、これもケージが何を表したかったのか、等々意図や意味を考えることもできるのだが)。

そしてこんな時、美術にせよ音楽にせよ、感想を言い合って感性を研ぎ合える妻がいるのは、楽しさを倍増させてくれている。

ホイットニー美術館
アッパーイーストにあるホイットニー美術館は、気になっていたがまだ訪れていなかった美術館だ。現代美術が中心の美術館で、ちょうどカルダーの特別展も行っていた。

カルダーは、アメリカに来て多くの彼の作品を見ているうちに、どんどん好きになっていった芸術家だ。MITの象徴の一つである "Big Sail"も彼の作品だ。
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この特別展では、カルダーが作った人形による「サーカス」が展示されていた。本人によるサーカス興行(?)の様子も映像で流されていた。シンプルな針金や木片でできた人形がユーモラスに動くのを見ていると、シンプルであるが故の想像力の豊かな広がりを意識できて面白い。

定家が「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫家の秋の夕暮れ」と読んで無から有を想像させた*1のと似ている。カルダー流の明るさが加わるとこうなるのだろう。



常設展示もなかなかに見応えがあった。Hopperが充実している(特別好きな画家でもないが)。それほど大きい美術館ではないが、質の高さは流石ニューヨークだと思わせる。



ラーメン
日本人として、やはりラーメンは恋しくなるもの。ニュージャージーのミツワでは山頭火の塩ラーメンを食べ、最近出来たばかりの一風堂にも早速行った。日本を思い出させる味だ。
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秘密のハンバーガー屋
c0131701_14134852.jpgミッドタウンのメリディアン・ホテルには、非常に目立たない隠れたハンバーガー屋がある。だがNYでも指折りの人気店で、松井もよく訪れたという話だ。看板はネオンで描かれたハンバーガーがあるのみ。

店内は狭いし、オペレーションは最悪なのだが、ハンバーガーは美味しい。至高のB級グルメ、といったところか。

ハイ・ティー
c0131701_14144076.jpgホテル・プラザアテネの中のBar Seineでは、ハイ・ティーを楽しんだ。ここはドラマ "The Sex and the City" でも使われた人気のお店で、内装がとにかく華美。

絶品のスコーンは、焼きたてのさっくりとした外側と、柔らかい内側との対比が見事。
サンドイッチも美味しく、紅茶でほっと一息、しばし寒さを忘れられる*2


まだまだ「NYで行くべき所リスト」にはかなりの数が残っている。暖かくなったら、心残りのないように足を伸ばさねば。
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*1 この有名な三夕の一つには様々な解釈があるが、ここでは現実には存在していない花や紅葉を言葉として投げかけることで、寂しい眼前の風景と対比される、豊かに咲き誇る桜や、美しく燃え盛る紅葉を想起させる効果に着目している
*2 値段はなかなかで、ちょっとしたディナーくらいにはなってしまう。寒い中散歩をしていて、
「お茶をしたい所があるの」
と妻が言ってきたので、軽い気持ちで
「いいねぇ。お茶くらいなら別に対してかからないし、構わないよ」
と答えた。期待費用のコメントが妻には聞こえなかったのか、値段を妻も知らなかったのか、知っていて聞かなかったことにしたのかは、永遠の謎となった。
ひとまず、その日の夕食は自炊となった

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by flauto_sloan | 2008-12-18 12:44 | NYでの生活
農業の未来
年内最後のボーゲル塾で、少子高齢化時代に経済がどうあるべきかを議論した。その準備の過程で特に興味を持ったのは、農業の将来だった。まだまだ知らねばならないことの多い分野だが、直感的に今後非常に重要な分野だと思っている。

2050年
2050年の世界を考えたとき、農業は今以上に重要であるかもしれない。知的集約産業が多くの付加価値を作り、製造業が生活を豊かにし続けるのは変わらないかもしれないが、一方で人口増加、水不足、耕作可能な土地の飽和、代替エネルギーへの転換といった物理的制約により、食糧不足となり、食料価格も上昇するだろう。

勿論、様々な見解がある。食糧供給は人口増加に追いつくペースで増産される(この場合も、依然配分の問題は残る)という論から、食糧不足で価格が倍になるという論もある。だが食糧問題が解決される、という楽観論は主要な機関の見解では殆ど見かけない。食糧問題(需要と供給のバランスおよび配分)は大きな問題になり続けるだろう。

明るい未来
もし食料価格が上がり、食糧安全保障が問題になるとすれば、農業の未来は明るい。日本は水に恵まれ、農業技術もそれなりにある(私の高校は元農業学校だった)。休耕地という耕作可能な土地もあり、生産を拡大できる余地がある。一方で国内需要が減少するため、場合によっては食料の輸出国ともなり得る。

電化製品や金融商品に比べて、景気変動の波を受けにくく、日本の産業ポートフォリオの上では重要な安定株となるだろう。

農業の課題
だが実際は、そんな未来までに多くの困難が在る。2050年の日本の人口は9000万人程度と予測され、GDPも世界トップクラスではなくなる。高齢化は40%にまで上昇し、国内食料需要は落ち込んでいくだろう。生産年齢人口は今の半分強になり、農業も半分程度の生産規模になるとも見られている。

その中でも、既に高齢化が進んでいる農業は、担い手不足と経済合理性とから、近い将来での予想以上の衰退も起こりうる。農村部における高齢化、嫁不足、後継者不足は深刻で、農業従事者人口は加速度的に減少している。北海道を除く農家は、半分以上が2hr以下の規模で、付加価値も小さく、農業収入は世帯収入の数%でしかない。規模を拡大して効率化を図ろうにも、様々な規制があって難しい(近年緩和されてきているが)。また、農作物価格は輸入作物の価格との競争にさらされ、ブランドや足の速さなどの要件がない限り十分な利益が出ない。

また農業への労働者の再配分をしようにも、農業に必要な技術は習得に時間がかかり、また一年を通じて繁閑の差が大きいため、単純に都心の失業者を地方に連れて行けば済む訳ではない。地方居住を支えるための社会システムも同時に整備しないといけない。

規制緩和と小作農
まずは担い手不足の一因でもある、経済合理性を改善させるところから進めるべきだろう。実際、農地法など規制緩和により土地の集約や、農業の株式会社化(のようなもの)は可能になって来ているし、実際に参入している企業もある。ただアメリカ型の農業モデルは、エネルギー価格の上昇、及び短毛作による弊害の顕在化によって、ベスト・プラクティスではなくなってきており、日本の風土や農地規模に合ったモデルが必要だろう。

またブランド化や有機栽培等による高付加価値化も引き続き重要になるだろう。青森林檎や温州蜜柑が海外でも認知されているように、果物・野菜を中心としたブランド品は、輸出も十分視野に入れられる。

集団による作業の効率化、ブランド管理には、ある程度企業のノウハウが通用する。農業で十分利益が得られるようになれば、農業従事者を引き付ける事も出来る。

ただ農業法人や農地売買による集約化は、GHQによる農地解放以来の体制を大きく揺るがすことになる。場合によっては、実質的に小作農が再び生まれることになるだろう。適正な労働分配率であれば問題ないが、大きな体制の変化であり、注意して制度設計をしないと、農家からの反発は大きいだろう(農業問題は結局、一義的には政治であり、それが改革を遅々とさせている)。

また、食生活や飼料の変化に対応した食糧生産へとシフトさせなければならない。米の消費量は減る一方で、輸出を狙わない限りは増産する必要はなく、集約化による効率化がまず必要だ。一方で麦・とうもろこし等は増産を図って自給率を上げなければならない。休耕地を転用できるところは転用して、世界的な穀物争奪戦に備える必要があるだろう。

マイグレーション・パス
喫緊10年の課題を乗り切れば、中長期的に農業は日本の中でも主要な産業となるだろうし、益々低賃金化していくであろうサービス業や、リタイア・セミリタイアした人々を農業従事者として引きつける事が出来るだろう。

そこへ至るマイグレーション・パスは、いくつかの規制をいじるだけでは不十分で、地方社会・経済の維持システムの主要なサブシステムとして農業生産システムを位置づけ、高齢労働力の活用と、労働力の地方への配分、農作物の流通、繁閑に合わせた他産業との複合などと合わせて設計し直す必要がある。

さらには、小作農的な農家の誕生という価値観の変更を許容させつつ、将来の繁栄を訴求するためのリーダーが必要だ。農家は保守だから、と保守派政治家が現状維持ばかりを説いていれば、痛みを先送りして積み立てているだけになる。農業は極めて政治が絡むからこそ、事情に精通した族議員などの政治家に、腹を括って改革を進めていってもらいたい。
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by flauto_sloan | 2008-12-17 22:36 | Harvardでの学び
MET/Barenboim - イゾルデの呪い?
METの「トリスタンとイゾルデ」を再び聴いてきた。今回の指揮は、2009年ニューイヤーコンサートの指揮に選ばれたバレンボイム。春に聴いた時は、主役二人が代役となり、Voigtの『愛の死』を聴けないという残念な事態だった為、今回は期待していた(今回のイゾルデ役はKatarina Dalayman)。

前回ほどとはいかないまでも、今回のキャストも実力揃いだ。声量も迫力もあるダイナミックな歌手が揃い(演技はいまひとつだったが)、バランスが取れている。

そしてバレンボイムが素晴らしい。流石パリで鍛えられたからだろうか、指揮が円熟味を帯びてきていて、スケールの奥深さといい、艶やかな音色の変化といい、会場をワーグナーの世界に見事に塗り替えていた。

ドラマが緊迫して進み、第三幕。傷つき瀕死のトリスタンの許に、危険を顧みずイゾルデが駆け寄り、その腕の中でトリスタンが息絶える。イゾルデを追ってきたマルケ王は、真実を知って二人を許すものの、トリスタンを失ったイゾルデは一人、「愛の死」を歌う――

だが開幕前にまたMETの支配人が…
「申し訳ありません、イゾルデ役のダレーマンは体調不良のために3幕を歌えなくなりました」

…またも代役による「愛の死」でした。急に太くなったイゾルデは、前回のド新人よりはましだったものの、流石にいまひとつ。バレンボイムが素晴らしい演奏をしていただけに、残念。

呪われているのかと思いたくなるような、イゾルデの退場。
いつか本物のワーグナー・ソプラノによる「愛の死」を聴いてみたい…
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by flauto_sloan | 2008-12-16 23:09 | 音楽・芸術
歪んだ評価と極論の助長 - Yahoo!とトレーダー
アメリカから日本の情報を知ろうとすると、どうしてもインターネットでのニュース閲覧が中心だ。なんとなしに惰性でYahoo!を見ているのだが、このコメント欄を読むたびに悲しい気持ちになる。


衆愚化?
厚労省高官襲撃という卑劣極まりない犯罪への賛美、公務員の全否定(1年おきに総理が替わる国で役人がいなくなったらどうなると思ってるのだろうか)、中韓への差別や扇情的発言、誘拐されたNGO職員への非難(一時流行った自己責任論を、状況の違いもわからず一つ覚えで振りかざしている)、等々。

社会が鬱屈しているのはわかるが、日本人がこんなにもバランス感覚を欠き、レッテル貼りに嬉々として、ひたすらにスケープゴート(というよりもリンチ対象)を探し続けているとは、同じ日本人として悲しい。武士道を保てとはいわないが、思いやりや「おほやけの心」まで失くしてしまったのか。

…と、絶望したくなり悲しくなるのは事実だが、実際のところはうまくフレーミングされ、ミスリードされているに過ぎないのかとも思う。


過激になるネットの発言
まず、「ネット世代の心の闇を探る」で色々議論されている(大半は合意する)ように、ネットという構造自体が右翼的で極端な思想を育み易い。インターネットのリテラシーは世代・職業・思想で均一ではなく、ネット上での極論の存在確率は、中道や左派よりも高いだろう。


歪んだ評価システム
次に、ヤフーのコメント欄の評価は基本的に「同意」するかでしか行われない。アマゾンのレビュー評価のように、「同意しない」選択肢がないため、極論が大多数に支持されているのか、あくまで少数意見なのかの判断がつかない。

世論の支持率が絶対だとは思わないが、国民が感じている価値支持率がある程度指し示すと仮定する(牽強付会かもしれない)。ヤフーのコメントの評価は、非対称な評価システムのために、実際の価値とは異なってしまう。実際には価値がマイナス(大多数の国民が否定する)ものも、評価がゼロ以下にはならない。アップサイドだけで評価されるからだ。

ちょうど投資銀行のトレーダーが、どんなに損失を出しても首切り(収入ゼロ)にしかならず、儲かればボーナスが増えるのと似ている。アップサイドだけの評価だ。結果、どんどんリスクをとっていくことになる。結果はご覧の通り。

だからヤフーのコメントも、過激で良識を疑われる(マイナスの価値を持つ)ものがどんどん投稿される。身元が明らかだったり制裁のリスクがあったりと、マイナス方向へのインセンティブがあればなかなか言えないようなコメントを、ここぞとばかりに投稿するように仕向けられている。


多様な声は拾われない
極論支持者のネット上の人口が多く、また一人で複数回「同意」を行える以上、極論が集める同意数はどんどん増加する。おかしいと思う人が圧倒的大多数でも、とりうる手は反論コメントを載せてそれに同意し続けるしかない。

だが通常表示されるのは5コメントであり、そこを始めに極論が占めてしまえば(そして存在確率の違いにより往々にしてそうなる)、あたかもそれが多数意見のように見え、反論を伸ばすためには少なくとも1クリック余分になり、逆転しにくい構造となっている。

もとは少数意見が残るようにとのインセンティブ設計だったのかもしれないが、この5コメント表示のために、一部の極論が目立ち、衆愚化が進んでいるかのように見えてしまう。見えてしまうと、それが事実だと誤認されかねない。本当に衆愚化が進みうる。


歪んだ評価が歪んだ判断を生む
価値と評価の結びつきが非対称に歪んでいると、人々の行動が歪み、その歪んだ結果から行う判断も(判断基準が完全に正しくても)歪んでしまう。解散総選挙に向けてのポピュリストへの期待も、こうしてミスリードされた判断かもしれない。

これが新聞・テレビに替わる新しい世論形成プロセスだと言ってしまえばそれまでだ。だが、少なくとも価値が公正に評価に反映されるインセンティブ設計でなければ、ヤフーは極論への世論誘導を助長しているという謗りを受けても致し方ないだろう。


ヤフーが意図的にこんなコメント評価システムにしているのかどうかは不明だ。
おかげで私は毎日無駄に悲嘆にくれてしまう。
もう少しまっとうに、プラスとマイナスが対称な評価システムにしてくれないものか。悲嘆が無駄であるうちに。
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by flauto_sloan | 2008-12-15 16:37 | ボストンでの生活
中世のクリスマス
c0131701_1551870.jpg昨年に引き続き、メトロポリタン美術館別館、クロイスターズ(回廊)での特別コンサートに行ってきた。

中世の教会の中で聴く中世の調べは、キリスト教の祝祭としての色合いが非常に濃いクリスマスを体現していた。


クロイスターズはマンハッタン北西にあり、ハドソン川を望む丘に建つ美術館だ。中世の修道院を移築し、回廊が美しい(cloisterには修道院と回廊の両意がある)。このチャペルで、クリスマスの頃に中世の音楽によるコンサートが行われる。

昨年は器楽(博物館でしか見たことがない楽器が多かった)中心だったが、今年は声楽中心で、キリストの生誕とヘロデ王の幼児虐殺の物語を奏でた。少々演劇的要素も取り入れており、見ていても面白い。

c0131701_15514312.jpg音楽は美しかった。中世の独特のハーモニーは心地よく響き、物語に合わせた緊迫感や表情も見事。石造のチャペルにその響きが満ち、神秘さが増す。特にカウンターテナーが表す天使が、救世主生誕の喜び、危険を告げる緊張、そして子を失った母への慈悲深さを美しく歌い分け、素晴らしかった。

重要な宗教行事としてのクリスマスを祝っており、それを教会支配が強かった中世の建造物と音楽で聴くと、人々の生活に深く根付き、日々の行為を規定していた頃のキリスト教の力を感じる。

聴衆もほとんどが熱心なクリスチャンだったに違いなく、単純な音楽鑑賞以上の共鳴が会場に渦巻いていた。そんな中での多少の居心地の悪さは、我々夫婦がほぼ唯一の非白人であり、しかも仏教徒(私)だったからなのだろう… 

とてもいい演奏会だったのだが、他の聴衆は私に聴こえなかったものまで聴こえていたのかもしれない、とも思った。
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by flauto_sloan | 2008-12-14 20:25 | 音楽・芸術