MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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2007年を総括す
而立を迎えた2007年は、人生においての大きな節目となりました。
結婚、留学、受験、仕事、過労、と公私共に自分を見つめなおすことを意図するしないに関わらず求められた1年でした。而立の年でありながら、未だ立てずにいます。ただ、どうすれば立てるのかが見え始めてきました。

結婚
c0131701_3274914.jpg正直言って30前に結婚するとは想像だにしていなかったのですが、よき伴侶に恵まれ、家族を築くことができたのは、人生において非常に大きい転機でした。
妻は性格が私と対照的で底抜けに明るく、仕事は法曹関係と大きく異なりながら、価値観を共有でき、さらに音楽においてもかけがえのないパートナーです。このような佳人と今後の人生を歩むことができるのは、自分にとって大きな力となります。

自分の細君を誉めるのはこのくらいにして、家族を持ったことで独身の時とは優先順位も大きく変わり、仕事(今は学業)と家庭のバランス、自分ひとりではなく夫婦二人の幸福の最大化を考えるようになりました。
今後とも夫婦ともどもよろしくお願いいたします。

留学
c0131701_3291253.jpg私にとっては初めての長期海外生活、そして5年勤めた後の学問世界への回帰。自分のこれまでの経験や興味を再整理するとともに、様々な新しい刺激を受け続けています。

最も強く感じたのは、自分にとって「経験」は「学び」ではないということです。正確に言うと、一度一歩引いて、何が「経験」の背後にある本質だったかをしっかり考えない限り、経験は経験のまま、再現性なく限定的に記憶されるだけで、自分の知識やスキルを増やし、行動規範や価値観を変える「学び」にはならない、ということです。

世の中でも最も勉強・成長する機会に恵まれていると云われる、私の在籍するコンサルティング・ファームにおいて、私は何故だか十分に学べていないという感覚/フラストレーションを感じる時がありました。
孤独なプロジェクトが多く、範とすべき先輩と共に仕事をして業を盗む機会が少なかった、という不運もありました。が、それ以上に、ツールの使い方や業界知識といった、目の前のプロジェクトを支障なく遂行するための知識・スキルの習得に追われ、それらの背後にある本質、構成論理を考え、身に付けるための時間も手法も自分にはなかったのだと感じました。

成功も失敗も織り交ぜながら、復習するための材料 – 経験 – は十分にあります。この留学期間で、その材料を、授業・書籍・先人から新たに学ぶ思考体系や枠組で捉え直し続けています。
そうすることで、過去を蓄積として自分の中に取り込むことができ、過去の経験を無駄にせずに再起することができるのではないかと考えています。

受験
MBA受験のためにエッセイやレジュメを書くことは、自分の過去を思い返すことに非常に役立ちました。
自分が何に興味を持っているのか。それは何故なのか。自分を構成する要素はなんなのか。どうしてそれが主要な要素になったのか。何故なのか、何故なのか…
お金も時間も労力も相当量つぎ込みましたが、その価値と成果はありました。こうして今、夫婦で渡米し留学という、素晴らしい機会に結びついたのですから。

手ごたえのあった志望校から不合格を受けたときには落胆もしましたが、結果的にMIT Sloanは刺激に溢れているだけでなく、私にも合っている学校であり、今はとても満足しています。

仕事
今年はとても苛烈なプロジェクトで幕を開けました。プロジェクトマネージャーの役割を任せられつつも、自分の力不足を強く感じ、非常に反省することの多いプロジェクトでした。
自分の限界を感じたのですが、それが何の限界なのかはわかりませんでした。また、自分の中身がすっかり出尽くしてしまうような疲弊感に苛まされ、最後は過労で体調を崩し、プロジェクト終了後に休養を余儀なくされてしまいました。

今思えば、前述したように、5年間の経験をしっかりと学びとして自分の中に蓄積しきれずにいたために、入社時+αのスキルや知識では、もはやプロフェッショナルなコンサルティングをすることに限界がきており、またこれまでの自分の知識や知恵を出し切ってしまったことによる疲弊だったのではないかと感じています。

それゆえ、このSloanでの2年間で、新しいことを吸収し、出尽くしてしまった自分の智慧を蓄えると共に、知識にならずに体の中へ分散してしまった経験を再整理・再統合する必要がありました。
2年のモラトリアム期間を経た後は、再び職場に戻る予定にしています。そこでは、5年間の学びと、2年間の学びを見に修めた上での再起といたします。

過労
自分がどこまでやれて、どこまでやったら倒れるのか、その限界または境界を知りました。一人の人間として、限られた時間と体力の中で、できることはでき、できないことはできない、その単純な区別が自分の中にできました。

そして過労で休養している頃に、この5年間あまり読む機会も余裕もなかった類の本、つまりビジネス書以外、を何冊か読みました。乾いたスポンジに清涼な水が注がれたかのように、頭へ新しい世界が吸収されていったことを強烈に感じました。
自分は多くのものを見てこなかった、と自分の過去を振り返り、外へと目を向けるようになったのは、不幸中の幸いでしょうか。

死んで花見が咲くものか。家族もいる現在、自分にできる範囲で、最大の効果を出すことが大事だと自覚しました。

今年のまとめ - トランジスタ型人間 -
c0131701_3255990.jpgかつて大学院での恩師、北澤宏一教授に、
トランジスタ型人間になりなさい。人間は3本の足で立つことで、初めて豊かに生きられるし、いい仕事ができます」
と言われました。仕事をしていたときは、なんとかフルートだけはオーケストラで続けていたものの、あとは仕事の一本足でしか立っておらず、そして倒れてしまいました。

一本足で突き進む若さと迷いのなさは、家族を持ち、体力と精神力の限界を知った今、もはや諦めました。
もう一本は音楽です。私は未だに自分は何か、と問われれば、コンサルタントよりもフルート吹きだ、と思っています(MBAのインタビューではそう答えませんでしたが)。
最後の一本が何なのか。これまでの人生で見えてきたり見えなくなったりしていますが、改めてぼんやりと見えてきています。

今年は3本足で立たねばならないという教えを真に理解すると共に、その3本を検証し始めるました。その3本をしっかりと自覚し、それぞれに磨くことで、人間として立つことができる、すなわち而立ができると考えます。30には間に合いませんでしたが、そんな而立のための準備を始めることができました。


最後に、多くの友人を始め、この拙ブログをご覧いただいている皆様、どうもありがとうございました。
2008年もよろしくお願いいたします。

ふらうと拝
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by flauto_sloan | 2007-12-31 13:11 | Mens et Manus
MET -仮面舞踏会-
今日はMET (メトロポリタンオペラ)でG.ヴェルディの『仮面舞踏会』を聴いてきました。ちょうど高校の友人も数日前に聞いていたらしいです。

オーケストラはよくまとまっていて響きが厚く、歌手もメゾソプラノのStephanie Blytheとソプラノの Kathleen Kim が好演していました。

このKathleen Kim は『フィガロの結婚』の時も出演していた韓国人歌手で、Sloanの韓国人のクラスメートによれば、世界的に活躍しているプレーヤーとして、本国のクラシック界ではチョン・キョンファとチョン・ミュンフンの姉弟に次ぐ人気だそうです。

全体として、身体が震えるような感動的名演には一歩及びませんでしたが、最後まで楽しんで鑑賞できるクオリティの高さでした。
舞台も絢爛豪華で、音楽も華々しさと諧謔に溢れ(復讐の唸りもありましたが)、年末に相応しいオペラと演奏でした。
年末なので観光客風の人も多く、一方でニューヨーカーはかなり豪華な出で立ち*で観劇に来ていたため、劇場は非常に賑やかで、楽しさに溢れた、気持ちの良い一夜でした。


METを聴くのは『フィガロの結婚』、『マクベス』(ブログには書いてませんが)に続いて3作目です。今のところ、オケはともかく歌手が素晴らしかったフィガロが一番良かったです。
そして改めて、天下のMETの良し悪しを論じる私(と妻)の耳が肥えてしまったと実感しています。日本に帰ったらコンサートにいけなくなってしまいそうです…

* ちなみに、オペラ、ガラコンサート、その他特別なコンサートでは、天井桟敷や立見席でない限り正装をしていくことがマナーです。そのため、今日も夫婦で高級レストランに入れるくらいの装いで聴きに行きました
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by flauto_sloan | 2007-12-29 23:17 | 音楽・芸術
"I'm sorry" と謝ってはいけない?
日本にいたとき、「アメリカ人は謝らない」という話を時折耳にしました。
謝ると自分の非を認めたことになってしまい、後に訴訟に発展したときに自分に不利になるからだ、というのがその理由です。訴訟社会アメリカらしい理由です。
ただ一方でその「謝らなさ」加減はアメリカ人にとっても耐え難くなってきており、最近は謝ることがむしろ推奨されるように、ゆり戻しが来ているそうです。

謝らないアメリカ人
アメリカ人が謝らない、というのはアメリカでビジネスをしたり、事故を起こしたりした人の多くが経験しています。本にまでなっているようです。
よくアドバイスされるものに「交通事故を仮に起こしてしまっても、"I'm sorry" とは絶対に言うな。自分の非を認めたことになり、訴訟で多額の賠償を請求されるぞ」というのがあります。

日本人であれば、ちょっとしたことでもすぐに「すみません」が口を付いて出てきます。そのように些細なことでも謝られることに慣れていると、車をぶつけられて謝罪一つもない、というのは耐え難いことです。

アメリカ人は謝られないことに、なんの不満も持っていないのでしょうか。
当然そんなことはなく、人間の素直な感情として、謝って欲しいと思っているのです。

謝罪のコストとベネフィットの変化
かつては、謝罪をすると賠償金が発生する、という論理で謝罪が避けられていましたが、意固地になって謝らない姿勢は、むしろ高コストを招いていることがわかってきました。

最近は、謝罪をして相手の怒りを和らげることで、むしろ訴訟にまで発展せず和解で解決できる確率が高くなる、あるいは賠償(または和解)額も謝罪しない場合よりも少なくなる、といった見方が出てきております(データは見つかりませんでしたが、おそらく実証研究もあるかと思われます)

むしろ最近は、謝罪は衝突解決の強力な手法として認知されてきており、企業の謝罪のあり方を中心に、どう効果的に謝罪するかが研究されています。上手く謝れば企業イメージを下げずに訴訟リスクを下げられる一方、下手な謝罪はむしろ状況を悪化させうるからです(日本の不祥事のいくつかの例を挙げるまでもないと思います)。

謝罪しないことのコストが増大し、謝罪することのベネフィットが増大してきましたのです。

謝るための法改正
こうした功利面での謝罪への見直しが進むのと平行して、謝りやすくするための法整備も整ってきています。コロンビア大法科大学院で妻が履修した "Evidence (証拠法)" の授業でも謝罪について取り上げられたそうです。

今では、交通事故などを起こしてしまった直後(和解交渉前)に、"I'm sorry" と同情を示しても、特定の州の法廷では責任を認めた証拠と見做されないようになったそうです。つまり、とっさに謝ってもよくなったのです。ただし "I'm sorry. That's all my fault." などと自分の過失を積極的に認めた場合は証拠となり得るため、注意が必要ですが。

この謝罪を許容する法律はマサチューセッツ州でまず制定され、その後各州に広がっているそうです。マサチューセッツ州の議員の娘が交通事故にあったとき、事故を起こした男が最後まで一言も謝罪を口にしなかったことに対し、議員が落胆したことに端を発して法が整備されたそうです。法で悪化した道徳を法で立て直さねばならないのもアメリカらしいといえばそうですね。

企業の謝罪に関しても、謝ることで法的責任が生じないようになってきています。2003年のBusiness Communication Quarterly では、
"In the United States, a company can apologize to someone who has been injured by a product or an employee without creating a legal liability for the company. Indeed, an appropriately worded apology can produce several positive effects."
と、法的責任がないことからむしろ企業に積極的に謝罪をするように促しています。

謝り始めたアメリカ人
これらの法整備や社会的風潮に後押しされて、少しずつアメリカ人も謝ることをし始めているようです。一旦常識になってしまった「謝らない」という行動規範を変えるためには、まだまだ時間はかかるのでしょうが、正しい方向には向かっているようです。

日本人・企業が、「間違ったことをしても謝ってはいけない。それがアメリカの常識だ」といって悪びれないことを正当化しようとしても、それはむしろ時代遅れだし社会的責任を果たしていないだけだということです。

謝罪は正しく使えば社会の潤滑油です。するしないの二元論はもう終えて、どう謝るかに知恵を使う段階に来たのではないでしょうか。
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by flauto_sloan | 2007-12-29 15:28 | NYでの生活
コアタームの学びを習う - ファイナンスⅠ
ファイナンスはFinance I として1年にわたる基礎講座の前半という位置づけでした。これまで結果を使うことしかしていなかったファイナンス理論を基礎から学ぶことで、その背景や、なぜその結果が有用かがよくわかりました。ただし、授業に関してはいささか割り切りが必要でした。

授業内容
Fixed income (債権) に始まり、理論株価、資本の効率的配分手法といったリターンをどう管理するかの方法を前半に学び、後半はポートフォリオ理論、CAPMといったリスク管理の方法論を学びました。最後は先物やオプションといったデリバティブ(金融派生商品)で締めくくりました。

MITにおけるファイナンス
MITはファイナンス理論の歴史では、まさに中心的な役割を担ってきました。代表的なものは MIT教授のFischer Black とMIT講師のMyron Scholes の二人によるBlack-Scholes モデルです。これはオプションの価格を理論的に算出することを可能にした式で、オプション市場の発展に大きく貢献し、1997年には両名にノーベル賞が送られる理由となりました。
私のクラスを教えた Stewart Myers 教授は、リアルオプション理論で著名であり、また多くのビジネススクールで用いられているコーポレートファイナンスの教科書の著者の一人です。その世界ではかなりの big nameです。

Stewart Myers教授
そんな偉大なMyers教授ですが、残念ながら授業は今ひとつでした。お年のせいか、唇と手がよく震えます。言語もいささか不明瞭。でもアストン・マーチンを乗り回しているらしい。

実践的に教えようとするあまり、Wall Street Journal のファイナンス欄の見方をひたすら1回半に亘り説明してしまったり、シラバスから外れてちょっと前の宿題について話しこんだり、あるいは宿題に必要な内容をカバーしていなかったり…と、残念ながらことごとく生徒の関心を失う裏目に。
もう一つのファイナンスのクラスを教えている Wang教授の教え方が上手かったため、多くの生徒が公式非公式にWangクラスへ転向していきました。

とはいえ、途中、特にMIT伝統のデリバティブの授業になってからは、
「新しいものを授業で理解するのは諦めて、この御大が何を考えているのかを見てみよう」
という、興味主体で授業に臨んでいました。
期待に違わず、Black-Scholes モデルの説明では、MIT内でのビビッドなやり取りを回顧していました。

「Fischer(Black) がこのrisk-neutral な仮定でランダムウォークに基づく理論展開を始めたとき、Paul (Samuelson)は、『君たちはリスクを無視するのか!』と激怒していたよ。Paul は彼で独自にオプションの理論価格算出を研究していたが、どうしてもあと一歩完成せずにいたんだ。でも結果的には、Paul が認めたがらなかったこの risk-neutral という革新的な洞察(insight)によって、このBlack-Scholes の式は完成したんだ」

最終回では、シラバスを大きく超えて円キャリートレードの話にまで発散発展し、特段まとめはないまま授業が終わりました。それはそれで楽しかったです。

授業での学び
前述のような授業だったので、ファイナンス理論そのものは教科書やWang教授の講義ノートで自習していました。従って授業そのものからの学びは限定的ではありますが、今回学んだファイナンス理論からは、市場のエネルギーを学びました。

ファイナンス理論は、市場が効率的であり、もしアービトラージ(鞘抜き)の機会があっても目端の利く投資家(ヘッジファンドなど)が裁定取引を行い、理論上の平衡状態(価格)に落ち着く、という前提(と言うよりも歴史が証明している経験則)に基づいています。
例えば私の理解した限り、Put-call parity も別に理論から演繹された恒等式ではなく、parityという言葉が示唆するように、そこから仮にずれたら市場の見えざる手が調整する、という平衡状態を表しています。

かつてファイナンスの授業を持っていたLo教授が見つけた裁定取引のように、すぐに市場の非効率が解かれないものもありますが、基本はすぐに平衡になります。物理学で考えると、これはその平衡状態から変位するためには多大なエネルギーが必要になることを意味します(エネルギーポテンシャルの深い谷底に市場の平衡状態がある)。そこまで凄まじいエネルギーが市場にはあるのかと、物理学的なアナロジーを以って感心してしまいました。
実はあまり金融にこれまで興味を持ってこなかったのですが、これだけのエネルギーが渦巻いているシステムは、是非ともよく知っておかねば、と思う契機になりました。

授業の感想
HBSに行った会社の先輩と以前話したとき、HBSのファイナンスの授業では冗談で「Black-Scholes式は、計算式をエクセルで組んで、必要に応じて計算できるようにすればいい。もしそれ以上細かいことが必要なら、MITの人を雇いなさい」と教えたそうです。
Sloanはビジネススクールであり、どちらかというと計算できればよい、というHBS側なのですが、一方でせっかくこのMITにいるのだから、もう少し Black-Scholesの式について詳細に見てみたい、とも思います。
聞いたところ数学的にかなり高度らしいので、もはや微積分から離れて久しい私がどこまでなぞれるかわかりませんが、時間のあるうちに挑戦だけはしてみようかと思いました。

今後ファイナンスⅡへと進み、いよいよコーポレートファイナンスの領域に踏み込みます。コンサルティングの仕事では関わりのある領域だけに、腰を据えて理論を学ぶのが楽しみです。
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by flauto_sloan | 2007-12-28 10:15 | MITでの学び(MBA)
コアタームの学びを習う - ミクロ経済学
正式名称を "Economic Analysis for Business Decisions" と題するミクロ経済学は、ミクロ経済の基礎から説明しつつも、ビジネス上の意思決定に有効なフレームワークや考え方を紹介していきました。そのため、時には新しい概念を理論的に体系立てて説明することよりも、ケースを含めて実際にどのように実社会に適応されているのか、またどのように概念を意思決定に役立てるのかを優先して説明しました。いわば記述理論的要素(現象をどう良く説明するか)よりも、規範理論的要素(どのような判断が理論的に正しいと帰結されるか)を強調した授業でした。

授業の内容
前半は、需要供給曲線からMarginal Revenue および Marginal Cost 、市場への介入を学び、中段で競争市場および独占市場を学びました。中間試験後の後半は寡占市場およびゲーム理論の基礎、オークション、経済の外部性、情報の非対称性などの発展的内容に進みました。

MITにおける経済学
MITというとエンジニアの学校というイメージがあります。実際第一義的にはそうなのですが、経済学でも世界のトップクラスにあります。ノーベル経済学賞はこの人のために設置したと言われる P. Samuelson を始め、綺羅星のごとく偉大な経済学者がいることで知られています。
今回はその片鱗を味わったに過ぎませんが、在学中には経済学部の授業にも足を伸ばして行きたい、と強く思わせる授業でした。

Eric van den Steen教授
初めの頃最終授業でも紹介しましたが、教授はコンサルタントなど実社会での経験が豊富で、現在もいくつかのコンサルティングプロジェクトを手がけています。そのため説明は非常に分かりやすくかつ面白く、個人的には一番興味を持てた授業でした。

理論よりも実践を重視するため、例えば授業の内容によっては、クラスをいくつかのチームに分け、実際にシミュレーションをさせました。
オークションの回では、クラスから何人か選び、それぞれにreservation value (希望落札額)を書いた紙を渡して、実際にオークションを行い、オークションの形式によって落札額が如何に変わるのかを実践して見せました。
また、情報の非対称性の回では、クラス内の各チームを二つに分け、一方を中古車の売り手、一方を買い手としました。車は良い車か悪い車かのどちらかで、相場もそれにより大きく異なるのですが、売り手の側しかその車の良し悪しを知りません。そのような非対称な情報の下では、交渉は多くのチームで決裂するか悪い車の価格で落ち着くかでした。
そのように実践させておいて、授業でその背後にある理論を説明する、という効果的で面白い授業でした。

授業での学び
概論で書いたこととかなり重なりますが、意思決定に必要な分析手法及び原理原則としての考え方を学びました。
ただし今回学んだ概念は、いささか思い切った前提(市場のプレーヤーは合理的で理性的)を置いた上で現象をかなり大胆に簡素化しているので、これはこれで非常にシンプルで力強い理論だと理解しつつ、今後余力があればプロスペクト理論、行動経済学といったものへも学ぶ対象を広げていきたいと思います(薄く広くなってしまいそうですが)。


授業の感想
経済学をほとんど学んだことがなかった私でしたが、急速に興味を持つことができました。
自分がビジネスの中で学んだり感じたりしてきた、経済活動の本質ではないかと思われる概念は、これまで体系化・構造化されないまま分散した状態で私の引き出しに入っていました。
一方で大学院まで学んできた、自然科学的な記述論理としてのアプローチを、そのまま経済活動に当てはめることに対しては違和感を持っていました。

今回、初めて学問として経済学を基礎から学んだことで、この二つの違和感が止揚されていくような楽しさを覚えました。なるほど、こうやって人の営みを体系化し、理論として構築するのか、と。
今まで自分の中に欠けていた要素が填まり始めた感覚です。この気持ちのよい感覚をもう少し深耕していきたいです。
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by flauto_sloan | 2007-12-27 22:48 | MITでの学び(MBA)
コアタームの学びを習う - 概観
コア(必修)タームであったこの秋学期を振り返ると、先日書いた通り、ビジネスの原理原則と、その適用範囲を学んだ半年でした。
つまり、1) ビジネスは複雑化し、事業の全体像を把握することはますます困難になる中、2) マネージャーたるもの事実を把握するための最低限の知識・スキルを身につけたうえで、3) 限られた情報の中で意思決定をするための原理原則を理解し、4) その原理原則が適用できる範囲を把握して正しい判断を行うこと、が重要であると学びました。

カリキュラム全般を通して
主要科目(統計、会計、ファイナンス、ミクロ経済)で学んだ項目をシラバスから改めて確認すると、それぞれで学ぶ内容が密接に関わり、綜合的な理解が進むように上手く設計されています。
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例えば、会計でキャッシュフローについて学ぶと、ファイナンスではキャッシュフローをもとに、各プロジェクトのNPV(現在価値)を算出し、どこに資本を投下すべきかの手法を学びました。その過程で、ミクロ経済ではサンクコストおよび経済コストの概念について学び、前提への理解を深めました。
このように、各課目で学んだことを俯瞰することで、それぞれの理解が進むように作られています。
ここ数年で会計を中心にカリキュラムの改善が進んだようですが、現在のカリキュラムはよくできていると思いました。

全体として学んだこと
1) 複雑化するビジネス環境で、事業の全体像を把握することの困難さ
様々なケースを通じて、マネージャーが様々な過ちを犯したり、困難に直面したりした時にどう行動するのかを考えさせられました。それぞれの判断や意思決定を、何に拠って行うのかは非常に重要なのですが、それ以上に、そもそもどんな時に困難に直面するのかが興味深いものでした。

全体を振り返ると、マネージャーが組織のあらゆる事業に対し、誰が何をしており、どのような事業環境におかれ、どんなリスクが介在しているのかを把握することは不可能ですし、仮に把握できたとしても、この目まぐるしく変化するビジネス環境では、あっという間にその認識はoutdatedになってしまいます。

従って、自分のところへ届いてきた情報を、自分の経験や知識によって咀嚼・理解し、何らかの意思決定基準や行動規範によって決断をしなければなりません。当然、どんなに優秀であっても、全てを完全に理解できない以上、完璧な決断はありませんし(GEのジャック・ウェルチのケースでは、誰もが認めるウェルチの経営の欠点探しをしました)。

コンサルティングをしていると、問題解決の座標空間がMECE (漏れなくだぶりなく) であることを第一に確認しますが、分析し提言を策定する過程では、80:20 (全体の8割は、2割の要素で説明されるという経験則)によって、課題を絞り込み、捨象していきます。最終的には意思決定に必要な精度を保ちつつ、角度の高い提言を作り上げていくのですが、ではその「意思決定に必要な精度」とは何かに関しては、科学ではなく哲学・芸術によって答えが出されます。経営は科学であり芸術である、と謂われる所以です。

レオナルド・ダ・ビンチの時代ではない以上、全ての学問を修め、森羅万象を理解することはもはや叶いません。ビジネスおよび組織の全てを理解することはできない、それを是とし前提とした上で、判断すべき基準や規範、また決断すべき理性と胆力と芸術性を養わねばなりません。
ビジネススクールへ来る前から感じていたことを、ケースディスカッションや勉強を通じて改めて思いました。

2) マネージャーとして知っておくべき基本知識・スキル
事業の全体像は把握できないとしても、必要とされる主要な情報を収集し、分析し、理解するためには、最低限のスキルや知識が求められます。今学期学んだ内容は、まさにその基本スキルといえるものばかりでした。

これまで大学や大学院で学んだもの(統計)、仕事で学んだもの(会計、ファイナンスの一部)もあれば、初めて学ぶもの(経済学)もありました。いずれも、改めて体系立てて、しかも冒頭に述べたようによく練られたカリキュラムで学ぶことで、基本知識やスキルが身に付いたと実感しました。

これは、レクチャー(講義)形式の授業が大半であるSloanのよい点であると思います。大量の宿題を通じて、文字通り手を動かすことで学び、修めることができました。

3) 意思決定に直面したときに、情報が少ない中でも拠り所にすべき原理原則
基本スキルを身に付けることで、情報の取り扱いや解釈ができるようになりますが、ではそこで何を基準に意思決定をすべきか、それを次に学び(始め)ました。

どの科目もまだ基礎的なものなので、個別の現実に即した事例というよりも、原理原則を学んだに過ぎないのでしょう。ただ、ビジネスの現場にいると、目の前で刻々と変化する状況や、複雑で多量の情報に押し流され、ともすれば脊髄反射的な反応、言い換えれば筋の通った信念や基準に沿ったものではない判断をすることがあります。

そんな事態に陥らないためにも、現象をシンプルにモデル化した環境では、原則として何が起き、どう判断すべきかを学ぶことができました。いわば、荒波の中での海路とコンパス(の一部)を手にした状況です。この学びを、これまでの実務経験と照らし合わせ、より効果的な価値体系、判断基準の体系を自分の中に作り上げるのが、今後の課題です。

4) 原理原則の限界
ただし今学期習ったような経済学やファイナンスは、純粋な規範理論でも記述理論でもないのでしょう。その限界、換言すれば前提や仮定、をしっかり認識し、現実世界での過剰適用や過信は避けなければなりません。

その限界は、理論的に理解しているもの(今回習ったミクロ経済学が仮定している『経済人』など現実には存在しない、といった限界)もあれば、ケースなどの実例を通じて実践的に理解したものもあります。前者は常に意識しつつ、後者の実践的な理論の適用範囲の線引きを行わないと、「MBAは理屈ばかりで現実を判っていない」と言われてしまいます。

原理原則として拠り所としながら、その現実的な限界をより鮮明に理解すること、これは実務へ帰ったときに誤りを犯さないための予防策として、今から意識しておかねばなりません。

感想
総じて、非常に学びの多い学期でした。
来学期以降も、あまり興味を狭めることなく、多くを学び、全てを知ることができないまでも鳥瞰できる高みを上へ上へと揚げていきたいと思います。

個別科目
ミクロ経済学
ファイナンスⅠ
会計
統計(DMD)
組織論(OP)
コミュニケーション
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by flauto_sloan | 2007-12-26 22:57 | MITでの学び(MBA)
Christmas dinner
学生の身分になり約半年、金銭感覚はしっかりと学生に戻りましたが、クリスマスの夜は久々に豪勢に、NYでも有名なフレンチのレストラン、Bouleyに行きました。

c0131701_12163482.jpgクリスマスだけあって、アメリカ人は家族と過ごすためにお店はほとんどがお休み。人気も非常に少ない中、トライベッカのレストランへ。
外見はあまり目立つわけではないのですが、一足中に踏み入れると、玄関に並んだリンゴの甘い香りが出迎えてくれます。

白い部屋と赤い部屋があるのですが、私たちは赤い部屋へ案内されました。
7時半の予約で7時と早く着いてしまったところ、
「ラッキーだったね。7時半はオーバーブッキングだったから、今じゃないとすぐに案内できなかったよ」
と。この辺の大まかさというか、おおらかさというか、流石はアメリカです。

c0131701_11182186.jpgともあれ、フランス訛りのウェイターのサービスは気持ちがよく、内装も温かみがあり見事。
そして食事は、絶品でした。
クリスマスメニューでプレフィクスでしたが、どれも繊細で美味。和のテイストが入った料理が多く、私たちの口には馴染み易く、それでいて斬新。
特に漬け風のマグロや、チキンのグリルはとろけるような美味しさで、わが細君も大満足でした。

思えばプロポーズをしたのがちょうど一年前のクリスマスイブ、銀座のレストランにてでした。
それから一年。思いもよらずニューヨークで、そして夫婦として初めてのクリスマスを祝う、その運命の面白さ、不思議さを感じながら、幸せな美食を楽しみました。

さて、これでしばらくは自炊に戻ります…
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by flauto_sloan | 2007-12-25 23:12 | NYでの生活
同窓会 in New England
私の通った中学・高校(一貫校)は、人数は比較的少なく歴史も短めなものの、日本の将来を担う精鋭を育成すべくよく考えられたカリキュラムを組み、また実際に、多数の学者に始まり、高級官僚、国営ファンドCOO、大手コンサルティングファーム日本代表などの傑物を輩出している学校です。

c0131701_5312538.jpgそんな高校の同窓会が、母校から遠く離れたボストンの地で、先日行われました。これはボストン近郊の大学や研究機関(ハーバード、MIT、ブラウン、イェール等)に留学中もしくは勤務中の卒業生が多いためで、ご家族を含めて20名弱も集まる大盛況でした。Sloanで同級生のYさん(先輩にあたります)も参加されていました。
もともとアカデミア志向が強い学校ではあるのですが、世界の知の集積地たるボストンでこれだけ集まるのはさすがでした。

医療、数学、経済、法律、ビジネス…と様々な分野の第一線で大活躍している先輩、友人、後輩と、近況や昔話に花が咲き、非常な刺激を受けました。みな志を高く持ち、その実践に向けて世界を舞台に着実に歩みを進めています。
近い将来、彼らはみな世界第一線のパイオニアまたはリーダーになることでしょう(願わくば私もその一人たらんことを)。そんな時でも、同窓と謂う繋がりにて損得勘定抜きに集まれる、というのは素晴らしい環境でありインフラです。
卒業後12年にして、ボストンの地で改めて母校の偉大さを感じました。


ビジネススクールの主な目的の一つとして、ネットワーキングが挙げられます。国内外を問わず、様々な分野の人と交友を持ち、将来のビジネスの資とするものです。
一方でネットワークの極たるシリコンバレーで成功した人の曰く、本当に長続きし、頼りになるネットワークというものは、気づいたら自分の周りにできているものだ、とのことです。

門前雀羅」の故事で知られる後漢の翟公(てきこう)は、高官にあったときには門前列を成していた知人たちが、失脚すると全て去り、門前に網を張れば雀が捕れる程になりながら、返り咲くと再び知己を求めてきた様を見て、「一貧一富、乃ち交態を知る」と嘆じました。本当の交態(ネットワーク)は、損得に拠らず起こり、貴賎に拠らず保たれるものなのでしょう。


古今の例を鑑みても、気が付けば自分の周りに生まれていたネットワークこそが真の意味でのネットワークであり、護るべき財産なのだと思います。そんな友人は数多くはないかもしれませんが、数が問題ではありません。

Sloanでの知人も、同じ釜の飯を食った仲です。苦楽を共にし、損得なしに繋がることができる友人知人を、この二年間でどれだけ得ることができるのか。ネットワーキングという軽い言葉に踊らされず、そんな友人をしっかりと見出したいと思います。
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by flauto_sloan | 2007-12-25 13:25 | 交友
くるみ割り人形 - NY City Ballet
c0131701_523643.jpgクリスマスイブということで、NY City Ballet の「くるみ割り人形」を観てきました。「くるみ割り人形」は、クリスマスイブに少女クララがくるみ割り人形とお菓子の国を訪れる話です。妻はこれまで日本でバレエを何度も観ているのですが、実は私はバレエは初めて。とても面白く、また人間の表現力に感銘を受けました。

クリスマスイブという物語どおりの最良の日だけあり、会場は超満員、しかも子供連れが大半でした。小さい子供たちは皆おめかしして、マンハッタン中の良家の子女が集まったかのよう。
同じ敷地のMET、エイブリー・フィッシャーとも異なり、宝石をちりばめたような劇場は豪華。

c0131701_520396.jpg序曲が流れ始めると、いよいよ幕が上がりました。
前半は子供たちの踊りが中心でしたが、クリスマスツリーが巨大化する(実はクララが人形と同じ大きさにまで小さくなっている)シーンの舞台装置は迫力ありました。ちょっと太目のねずみ達をくるみ割り人形が撃退すると、第二幕のお菓子の国へ。
様々なお菓子の踊りもさることながら、やはり女王たる金平糖の精と王子の踊りは表現力も繊細さも動きの美しさも格別でした。オペラと違って一言も発することなく、それでいて感情や物語を表現し、それがしっかりと観客へ伝わります。


私は伝統的な芸術や芸能というものにかねてから興味があるのですが、それらが芸術の域に達する過程では、人間本来の特性に強く訴える何かがあったから、あるいはそれを形成できたからだと考えています。

全人格を一音一音に籠めることで感動を作り出すクラシック音楽、自然や意思をキャンバスに創造する絵画、聴衆を巻き込みながらテンポと間を絶妙に配置する落語、総合芸術として様々な要素を調和させるオペラ…

そしてバレエが訴えかけてくる、身体表現というものに感じ入りました。人間は視覚によってほとんどの情報を得ると言われていますが、私がこれまで主に頼っていた音楽や文字といった表現方法だけではなく、人間の身体による表現力の奥深さと力強さ、これらをもっと意識して実践し、自分の考えや思いを伝える術の一翼にしたいと思いました。


c0131701_521674.jpgそんなことを思いつつ、帰宅後は妻とクリスマスの料理を作り、のんびりとした聖夜を過ごしました。

Merry Christmas!!
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by flauto_sloan | 2007-12-24 22:12 | 音楽・芸術
Messiah in Advent - McGegan/NYP
日本の年末にL.v.ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』* が盛んに演奏されるように、欧米(キリスト教)ではクリスマス前のAdventと呼ばれる期間にG.ヘンデルの『メサイア』を、復活祭(イースター)前の聖金曜日にJ.S.バッハの『マタイ受難曲』または『ヨハネ受難曲』を演奏するのが伝統のようです。MITでも、寮に「メサイアを一緒に歌いましょう」という案内のポスターが張ってありました。
そんな伝統を体験すべく、NY Philharmonicのメサイアのコンサートに行ってきました。

c0131701_13165974.jpgエイブリー・フィッシャー・ホールのあるリンカーン・センターは、ロックフェラー・センターに次ぐ大きさのツリーが立ち、華やかに輝いていました。
超満員のホールに入ると、今回はさすがに小編成。前から3列目(の端)であったため、指揮者や演奏者はよく見えます。

演奏が始まると、これがまた前回と打って変わって素晴らしい。指揮者のN. McGegan はPhilharmonia Baroque Orchestraの常任で、さすがにバロックには精通していました。細かいところまで意思の届いたアンサンブルに加え、本当に音楽を楽しんでいるのが全身から伝わってくる指揮ぶり。特にキリストが誕生した情景の "Wonderful Counsellor" の下りでは、本当に嬉しそうにキリストの生誕を表現していました。

そしてハレルヤでは、観客が自然と起立しました。ロンドン初演で国王ジョージ2世がハレルヤのコーラスで起立し、聴衆全員が起立したことに因むそうですが、その伝統をNYで体験しました。最初は驚きましたが、なかなか楽しい経験です。

そのまま美しいトランペットの音色を楽しみながら、この幸せな時間が過ぎていきました。
NYPの底力と、キリスト教音楽が伝統となっている欧米文化を体験する、貴重な一日でした。復活祭では、NYでマタイ受難曲を、ボストンでヨハネ受難曲を聴く予定で、こちらも楽しみになりました。

* 正しくは「シラーの賛歌『歓喜に寄す』に基づく終楽章の合唱を伴う、フルオーケストラ・4人のソリスト・4声の合唱のための、L.V.ベートーヴェンにより作曲され、プロイセン王,親愛なるフリードリヒ=ヴィルヘルム3世に最大の畏敬を込めて捧げられた交響曲 作品125」というそうです。私のいたアニムス=クラールス参照
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by flauto_sloan | 2007-12-22 22:58 | 音楽・芸術