MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
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新しい選挙戦 - David Plouffe
オバマ大統領の選挙参謀、David Plouffe氏がJFK Forumにて講演をした。オバマ氏の講演を聞くため登録して以来、彼から毎日のようにメールが届いていたので、なんだか親近感が沸く。若くしてあの大接戦を勝利に導いた参謀を一目見ようと、ケネディへ向かった。

機を逃さず、臨機応変に
プロフェ氏が語る勝因は、まずオバマ氏自身の魅力、素早い学習と臨機応変な対応、そして草の根運動とテクノロジーへの信頼だった。
今回の選挙戦略は革命的だといわれたが、いつまでも機能するモデルではない。そもそもバラク・オバマという人間への根源的な興味・関心が大きかったことがまず成功の要因だ。彼の魅力が中心になければ、ウェブなどのテクノロジーは意味がなかった。彼がChangeと訴えるのは、まさに “right message by right person” だったのだ。

オバマ陣営は、実績と知名度で圧倒的だったヒラリー陣営に対抗するには、早い勝利を挙げねばならず、それは極めて難しい道だった。大票田で勝利すれば政治的に力をもてるが、選挙戦に生き残るために指名候補を稼ぐことにした。そして、緒戦のアイオワなどの州に多くの資金をつぎ込み、ヘッドスタートを切ろうとした。

その結果から学んだことは大きく、すぐに戦略を修正した。アイオワなど緒戦の州では、「もし私がオバマを助けなければ、彼は勝てない」と人々が信じたから、無党派層が選挙に向かい、オバマに投票した。そこで実際に投票する有権者のパイを増やし、増えた分がオバマ支持者となるように草の根運動の拡大に力を注いだ。

草の根運動で人々が新しい問題を議論していったことが、「Change」という言葉に力を持たせた。Webなど新しいテクノロジーを利用した運動は、多くが実験的だったが、どんなものも歓迎した。新しい支持者が周りの人に、米国が抱える難しい問題について話し始めていった。だがその問題は、中絶容認といった古い問題ではなく、教育やエネルギーといった新しいこれからの問題だった。そして、オバマこそがその新しい問題へのビジョンを持ち、「Change」をもたらせる人物だと皆が確信していった。

同時に若者が中心の支持者は、”joy of involvement”を覚え、オーナーシップを育んでいった。彼らは支援活動を通して、オバマ氏が彼らを信頼していると実感し、自分は選挙活動とその先のこの国の変革に関わっているのだ、という喜びを自覚していった。オバマ氏が個人攻撃に曝された時も、オバマ氏自身よりも支持者が攻撃者に対抗したことで、危機を脱した。

(大統領選に対する質疑応答にて)
オバマ氏が民主党の代表候補となり、マケイン氏と戦ったときは、副大統領の人選が大きかったと思う。サラ・ペイリンは不透明なプロセスで政治的に選ばれた上に、マケイン氏以上に注目を浴びてしまい、全体としてはマケイン氏にダメージを与えてしまった。バイデン副大統領は厳正な選任プロセスで選ばれたし、ベテランの白人議員という保守的な姿はバランスとしてもよかった。「Change」はオバマ一人で既に十分だったから。

定石の裏をかく
オバマ陣営は当初からテクノロジーを駆使し、草の根運動で人気を守り立てるのを狙っていたように見える。だがそれは結果論であり、彼らも試行錯誤で臨機応変に戦略・戦術を変えていったからこその勝利だったというのが非常に面白い。ヒラリー陣営に比しての経験の少なさ、当初の弱さが逆に、定石の裏をかく勇気と熱意と柔軟さを生み出したのだろう。

プロフェ氏自身が述べたように、今回の方法が二期目の選挙戦で通用するかはわからない。共和党も学習してくるだろうし、なによりオバマ氏が今度は守る強者である。だがあくまで勝利の中心にあったのはオバマ大統領という人間の魅力である。まだそれは失われているようには見えない。その最大の強みを保ちつつ、素早い学びを繰り返していくなら、次の選挙戦はもっと革命的になるのかもしれない。
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by flauto_sloan | 2009-04-16 23:14 | Guest Speakers
Acumen Fund創立者 ジャクリーン・ノヴォグラッツ氏 - 貧困とは収入のなさではなく、自由のなさ
c0131701_20453939.jpg貧困問題に取り組む起業家を支援するNGOのAcumen Fundの創立者、Jacqueline Novogratz氏の講演がMITのLegatum Center for Development and Entrepreneuship主催で行われた。
Legatum Centerは2007年に投資ファンドのLegatumの支援で創立された、開発支援のためのプログラムで、スローン生も何人か所属している。

ノヴォグラッツ氏はウォールストリートの投資銀行から身を転じ、貧困問題に取り組んできた。そのきっかけはドラマチックだ。
小さいとき、青いセーターがお気に入りでいつも着ていました。でも周りの子に「あの青いセーターのやつ」って呼ばれて嫌になって、衣類リサイクルの慈善団体に寄付しました。

投資銀行に勤めていた時、アフリカに休暇に行きました。ジョギング中一息ついて、風景を眺めていると、あの青いセーターを着た子供を見つけました。驚いて駆け寄り、セーターの襟元を見ると、私の名前が縫ってあったのです!! 

この偶然きっかけで、衣類のリサイクルについて調べ始めました。すると、リサイクルの衣類によって、地元の織物産業が衰退していることを知りました。好意のために貧しい人をより貧しくしてしまっていたのです。これを知った私は、現地の貧困層が本当に暮らし向きをよくするためには何ができるかを考え、一大決心をして退職し、開発支援の世界に身を投じました。
その後氏は色々な失敗に試行錯誤しながら、ロックフェラー財団を経て創業したAcumen Fundを成長させていった。ファンドは有望な起業家に資金やノウハウを提供するマイクロファイナンスを実践していく。そこからの学びは愚直で誠実だ。
アキュメン・ファンドで学んだことは3つあります。
  • 人の心には、富よりも尊厳こそが重要である…金銭的に成功することよりも、成功そのものが重要
  • 援助や慈善行為だけでは貧困問題は解決しない…腐敗や賄賂の温床になってしまう
  • 市場(メカニズム)だけでも貧困問題は解決しない…市場に依存しすぎると、却って自体は悪化する
ファンドがうまく機能するには、ペイシェント・キャピタル(長期的・社会的リターンを目的とし、市場平均よりも低いリターンでも許容できる資本)の存在が重要で、その上で金融と社会を結びつけることが成果につながります。

ただペイシェント・キャピタルだけが全てではなく、資本には様々な性格のものがあるので、目的やプロジェクトの性質に合わせてそれらを結びつけています。そうすることで、企業からも公益団体からも資金を調達できるようになりました。

支援の現場では、現地のニーズを知った上で、使い易くわかりやすいデザインが重要です。例えば安全な水を販売するスタンドを作ったとき、IDEOのチームを招き、人々の動き方を観察して設計したところ、古いスタンドよりもより効率的に水を売れるようになっただけでなく、地元の人の利用も増えました。

現地の起業家のエネルギーと行動力を決して侮ってはいけません。アフリカの蚊帳ネット(住友化学の製品)は、マラリア予防に効果的です。この事業に投資した結果、工場は拡大し、100人、1000人と雇用を創出し、しかも最先端の工場に劣らない生産性を達成しました。

一方で地元の文化に合ったやりかたを見つけていくことも必要です。この工場では最初、中国のように従業員の女性たちを寮に住まわせました。彼女らはすぐにお金を貯めて、家に仕送りしたり、買い物を楽しんだりしました。ですがその結果、家族の男性達の面子をひどく傷つけ、暴力など事件につながることもありました。この微妙なニュアンスを、現地に入って理解しなければなりません。

貧困とは収入がないことではなく、選択の余地や自由がないことです。収入レベルを上げようと議論するよりも、実際に現地に行って、目で見ることが、何が必要かを理解する近道です。

恐れや不安から人々を解き放ち、働き、希望を持ち、心を癒すためには、イノベーションと起業家精神が重要です。ただ技術もそれ自体が問題を解決するわけではなく、現地のニーズや、そこで成り立つビジネスモデルを深く理解したうえで、技術をコミュニティと結びつけることが必要です。
ノヴォグラッツ氏は、パッションの塊というような人だった。現場に飛び込み、本当に必要なものを見極めるまで、何度失敗してもくじけない。そして、恐れを脱し、瞳に希望が燈った起業家たちの写真を、嬉しそうに紹介する姿には、心打たれるものがあった。

ただ、ここまで開発に興味を持ちつつ、そして経験するチャンスが何度かあったにも関わらず、2年間結局実地で関わることはなかった。意志はあったし不運ももちろんあるのだが、結果は結果として何故何もしなかったのか、自分の何がこの結果につながったのかを考えておきたい。ノヴォグラッツ氏のように、どんなきっかけでそちらの道に進む覚悟を決めるかわからないから。
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by flauto_sloan | 2009-04-09 20:43 | Guest Speakers
スコルニコフ教授 – 科学技術と政治
先日の日本人研究者交流会での山本教授の発表でも名前が挙がった、MITのスコルニコフ教授が「科学技術と政治が出会うとき」と題して特別講演を行った。スコルニコフ教授はアイゼンハワー大統領、ケネディ大統領、カーター大統領の3政権でホワイトハウスのアドバイザーを務めた。まさに原子爆弾、アポロ計画といった科学技術と政治の関わりを間近に見てきた人物だ。

1時間の短い講演だったので駆け足ではあったが、山本教授の講演と合わせて、科学技術政策を考えるいい機会であった。以下要旨。
  • 社会が変われば、科学技術の役割も変わっていく。「技術力を持つとは、どういう意味なのか」というシンプルな問の意味するところは、社会のかたちと共に変わりゆく。国民国家という国の形はいまだ健在なものの、国際的組織の興隆とともに時代遅れになりつつある。今後は科学技術に対する、国際的な枠組みが一層必要となる。
  • 今や国際問題は科学技術の理解なしに取り扱うことはできない。だが、科学技術それ自体が政治を決めていくことはない。核兵器でさえも、政治が核をどう扱うかを決めたのであり、核兵器が政治のあり方を定めたわけではない。
  • 科学技術と政治の関わりでは、安全保障問題が3つの分野で重要な問題である。まずは諜報分野であり、次にレーガン政権のスターウォーズ計画のような宇宙技術の分野であり、そしてサイバー戦争といったIT分野である。
    • 宇宙技術は、技術と政治が絡み合う最たるものである。有人宇宙飛行をめぐる争いでソ連がアメリカに勝ったとき、アメリカは国家教育法を1957年に制定して、科学技術教育に力を入れた。そして政府が支援する宇宙計画、アポロ計画がNASAで立ち上がった。だがここで政治は対立から協調へと転じ、1962年にケネディ大統領*1は国連とソ連に対して共同研究の提案をした。
    • ITに関しては、防衛上極めて重要な課題となっている。科学技術の性質として、巨大なシステムを発展させていくことがあり、それがテロの危険を生む。Webやグリッド・コンピューティングは巨大なシステムを作っていったが、それは悪意を持ったちょっとした行動で、大きな結果をもたらすことができてしまう*2
  • 安全保障以外の分野でも、経済についてチャールズ・ベストが「イノベーションがマントラ」となっていると言ったように、科学技術がますます重要になるとともに、競争や課題が国際的になっている。
    • 現在では、気候変動が国際政治の重要なテーマである。懐疑論がいまだ根強いだけでなく、国際的協調がないと解決できない問題だ。中国からの汚染物質は中国だけの問題ではない。エネルギー問題も石油依存からの脱却を図って研究が進むが、科学技術の進歩をどこまで実現するのかは政治的問題をはらむ。
    • 食料・農業分野では、遺伝子組み換え技術の現場への導入が遅れている。科学技術を完全に安全だと証明することはできない。利用可能な技術をどこまで取り入れるのかは、技術ではなく政治が決めるのだ。
  • 国際的な枠組みを考えたとき、最先端の科学技術の管理は大きな問題となる。現在は過剰反応をとっており、技術それ自体に悪影響が出ている分野もある。
    • MITなどアメリカの科学技術教育の現場では、アメリカの学生よりも留学生が増えている。これは重要な情報をどう管理するのか、科学技術の職業にどこまで留学生を受け入れるかという問題をはらみ、特に9.11以降はテロリストに技術を与えないことが重要な課題となっている。
    • 軍事・民事問わずあらゆる技術は漏洩されうるため、重要な技術への制限は必要なのだが、今は過剰対応となっている。アメリカ人以外が出席できない職業や会議が増えたため、商業用衛星産業のように壊滅的な打撃を受けた分野すらある。技術自体を破壊してしまっては元も子もない。
MITの航空宇宙の友人が、「宇宙という夢を追って技術に専念したくても、この世界は必ず途中で政治が顔を出してくる」と嘆いていたように、アメリカ型スピンオフの構造では特に、基礎研究から政治が非常に強く絡んでくる。日本のようなスピンオン構造だと意識することは少ないが、山本教授の講演だと、実際は色々とあるようだ。

国際的な枠組みで科学技術を取り扱うのは、国民国家を維持し続ける限り、相当に難しそうだ。インターネットの敷衍によって、国家を超えて経済や政治活動が繋がっていくと、ひょっとしたら国家のありかたが変わっていくのかもしれないが、まだその閾値には達していなさそうだ。

しかも「技術それ自体が政治を定めていくことはない」のだとしたら、インターネット(或いはほかの技術)で社会が変わっていくとしても、そのペースや範囲を定めるのも、ある日各国元首が「国民国家というかたちを捨て、世界国家を作ります」と宣言するのも、政治である。

それは正しいと思うのだが、ひょっとしたら次に起こるのは、リアルな世界がバーチャルな世界に従属して、バーチャルな世界を最適化するという社会的・経済的要請が異常に高まっての、政治革命かもしれない。その時は、技術が政治を定めることになるのかもしれない。そんな世界が安定的に存在できるのか疑問だが。

*1 教授の評では、ケネディ大統領は非常に好奇心旺盛だったという
*2 コンピューター・ウィルスや安全保障関連のシステムへの侵入など、様々なレベルでのサイバー戦争が考えられる

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by flauto_sloan | 2009-04-08 06:15 | Guest Speakers
安全保障と科学技術
c0131701_13654100.jpg今回のボストン日本人研究者交流会では、早稲田大学教授でハーバードの客員研究員でボストンに滞在している、山本武彦教授をお迎えし、『東アジアにおける科学技術活動のもつ安全保障上の意味』と題して発表していただいた。
ちょうど北朝鮮のミサイル発射を控え、安全保障への意識が高まっている時である。
MITとハーバードを擁するボストンらしく、日本とアメリカにおける科学技術と安全保障の関わりの違いについての見識は、非常に興味深かった。講演要旨は以下のようなものだった。
科学技術は、MITのSkolnikoffが論じるように、国家のバリューの源泉である*1。各国家は比較優位性を保ち、増進させるような科学技術政策を採ってきた(日本の第5次半導体計画など)。そうした科学技術を軸として生き残りをかけた戦略は、
地戦略(geo-strategy)=地政学(geo-politics)+地経学(geo-economics)
として定式化できる。

ここで決定的に重要な(critical)軍事などの科学技術は、自国のみならず敵対国家・勢力にも利益を与える可能性がある*2。そのため、国は技術を囲い込み、移転に対して規制をかける。だが頭脳流出やみなし輸出を完全に失くすのは非常に難しい取り組みである。

だが、何をcritical technologyとするかでは、軍事と民生の技術の境界が曖昧になって来ているために、判断が難しくなっている。米国は軍事技術からスピンオフして民生技術に転用し、軍産複合体を作り上げてきたが(インターネット、GPS等々)、日本は軍隊を持たないために民生技術が発達し、それがスピンオンとして軍事技術に転用された(ステルス戦闘機の素材等)。

それゆえ、日本の民間企業が海外資本に買収されようとする際は、そこの技術が軍事転用可能かどうかを判断しなければならないし*3、東芝COCOM事件のように先端技術製品の輸出でも考慮しなければならない。特に近年軍事力を急速に増強している中国は、日米両国の軍事・民生技術を収集しており、スピンオフ・オン双方の利益を取り入れようとしている。

Critical Technologyは移転を抑止しなければならないが、環境改善や人間に資する利益(準公共財)は規制を無くしていかねばならない。頭脳流出を規制しようにも、行き過ぎればイノベーションを妨げかねない。あくまで「より少ない対象に、より高い壁」を設けるバランスが重要だ。

日本にだけいて、ハイテク技術を見ていると、つい軍事視点が完全に欠落してしまう。アメリカでは当然軍事産業が非常に大きいので(ガルブレイスも『悪意なき欺瞞』で告発していた)、当然考慮している技術観だ。日本に軍事産業がない、というか意識されていないことは機会損失であり、現実の一側面しか見ていないことになり兼ねない。

そのアメリカでは、シリコンバレーやボストンの開放的で革新的な環境と、critical technologyの移転抑止による安全保障はトレードオフにあるため、9/11を経て経済が悪化すると、今後移転抑止へ傾斜して開放性が犠牲になってしまうこともありうる。米国の成長を取り戻すために、イノベーションは不可欠であろうが、保護主義で閉鎖的になりつつある米国は、このトレードオフを逆に押し戻すかもしれない。そうした時、新たな開放的環境を提供するのは、インドであろうか。

日本はスピンオンすべき優れた技術を持っていながら、開放性に欠け、しかも移転抑止が不十分である日本。今蓄積している技術も、インプットがなければやがて他国に抜かれてしまうし、頭脳流出でアウトフローが増したら、尚のこと競争力を失う。日本としての地戦略を、省庁の垣根を越えてしっかりと策定して欲しいし、それができるリーダー(リーダーシップと言う点では小泉首相並の)が必要だと、切に思う。

それにしても、山本先生は非常に話が面白く、そして勿論洞察深く、会場は常に笑いと感嘆の声に包まれていた。楽しくも学びの深い講演だった。


*1 米国政府が支援した核や航空の技術は、冷戦時の国力増進に大きく寄与した
*2 日本に向けられた北朝鮮のミサイルが、9割の部品が日本製だという話は、まさにこれを示している
*3 日本で実際にあった例が紹介されたが、食品メーカーの技術がミサイル製造の中核技術に転用可能であったため、外資買収に対して敏感に反応し、結局日本の同業メーカーが吸収した例があった。また、Jパワーの買収案件の時には、法改正までして買収を阻止した。勿論、ならば何故上場をするのかという問題を孕む

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by flauto_sloan | 2009-03-14 22:07 | Guest Speakers
Robert Merton - 神の声
c0131701_5555023.jpg昨年までHBSにいた投資銀行出身の友人こっちゃんが、授業を「神の声」と呼ぶほど崇敬していた、ロバート・C・マートン教授がMIT Alumni Awardを受賞し、母校MITで講演を行った。
(講演の様子はこちら)

マートン教授は、ファイナンス理論の金字塔であるブラック・ショールズ方程式を数学的に証明し、両名とともに1997年のノーベル経済学賞を受賞している。そして伝説的ヘッジファンドのLTCMを経営し、やがて空前の規模の破綻に至る。今はHBSで教鞭を執り、今学期はスローンから日本人も一人受講している。

そのマートン教授の受賞講演は "Observations on the Science of Finance in the Practice of Finance" と題し、金融危機の構造の一端をプット・オプションの考え方を用いて解き明かし、またソヴェリン・ウェルス・ファンド(SWF)が新興国のリスクをどう分散して成長を促せるのかについて議論した。(式や図表なしには説明が難しいので、興味ある方は上記の録画を観て頂きたい) 本論の概略は以下の通り。
この金融危機は、リスクが資産価格に対して非線形に変化するという構造のために生じたものであり、強欲で利己的な連中を追い出せばいいという類の問題ではない。非線形なリスク変化は、複雑な金融工学商品に固有のものではなく、ごく普通の住宅ローンにも在る、金融に携わるものなら誰もが理解しているはずのものだ。本来はその特性をリスク管理に利用していたのだが、利用の仕方が極端になり、大きな問題を引き起こした。どんな美徳も、極端が過ぎれば悪となる

住宅ローン(企業の借入も同様だが)を貸すというのは、貸付と保険という二つの異なることを同時に行っていることを意味する。
Risky debt + Guarantee of debt = Risk-free debt
という式を変形すると、
Risky debt = Risk-free debt - Guarantee of debt
となる。右辺のRisk-free debt は貸付を意味し、Guarantee of debt は自分自身でかける保険を意味する。この保険はプット・オプションを売ったことと同じ働きをし、担保物件の資産価値が簿価を下回って初めて、保険が発生する。CDOなどのCredit Default Swap はこの保険の役割を果たし、借手資産に対するプット・オプションを売買していたのが本質だ。

オプション価値のグラフを見ればわかるように、資産価値の変化に対して、オプション価値は非線形に変化する。これは貸付側にしてみれば、リスクが増大していくことを意味する(アメリカの住宅ローンはノンリコース・ローンであり、金融機関はショートプットであるため)。そして資産価値の変化に対するリスクの増減(感応度)は、資産価値が下がるほどに大きくなっていく。また、ボラティリティが高いほどオプションの価値は高まる。

つまり、資産価値が下がり始めてボラティリティが高まると、金融機関はプットのショートポジションに伴うリスクが非線形に増大していき、どんどん損失を出していったのだ。理論上は状況はコントロール可能であるが、実際は大きな混乱が事態の収拾を難しくしている。特に、人間は馴染みのあるリスクを低く見積もり、新しいリスクを過大評価することが、誤った行動を促した。

そして政府が金融機関を支援したのだが、それはプット・オプションに対するプット・オプションを意味し、非常に感応度が高いリスキーな支援である。巨額の支援を用意しても、それがすぐに足りなくなってしまう可能性がある。

今回の危機は金融工学のイノベーションの一部が引き起こしたが、問題は金融工学ではなく、業界がおかれた構造であり、その正しい理解が出来ていなかったことにある。高度に発達した金融の世界を規制するならば、規制側は正しい構造を理解し改善するために、金融工学への深い理解が必要だ。何が起きているのかを理解するためにも、今後も金融工学へのニーズは高まるだろう。これからも金融工学の世界で活躍して欲しい。
(SWFの話は省略)
マートン教授らしい、ファイナンス理論の視点から金融危機の構造の一側面を力強く断ずる講義だった。これまで様々な経済学者による今回の危機の構造の仮説を聞いてきたが、「これはプット・オプションだ」という非常にシンプルな視点でありながら、マートン教授の論は非常に説得力があった。また、講演の端々で伺える深い洞察は、なるほどこれが「神」の視座かと感銘させられた。


今回の危機は新しいだけで、未知のものでも制御不可能なものでもない、というのは半ば同意するが、半ば同意しかねる。多くの専門家が、共通する部分が多いとは雖も、これだけ別の切り口で今回の危機を解説しどれにも理があるのを見ると、やはり危機の全体像と本質はなかなか理解できず、制御が難しいのだと実感する。

群盲象を評す、という言葉があるが、盲人どころか世界中の専門家達ですら、金融危機と言う巨象の一部しか語れないという感がある。さしずめマートン教授は象の頭を撫でているために、もっとも説得力のある象の描写をしている、ということかもしれない。

一方で市場総体として見れば、合意される部分に着目し、異なる部分の断片を繋ぎ合わせると、どうやら象という生き物のようだ、という実感が生まれてきたのだろう。不確実性は依然残るが、リーマン・ショックから半年経って市場が感じるリスクは大分落ち着いてきたように思える。ただこれが、現象の理解が進んだことによる不確実性の本質的な低下なのか、ただ新しいリスクに慣れたために過大評価しなくなっただけなのかは分からない。行動経済学や行動ファイナンスの研究者にとっては、この上なく面白い半年間だったことろう。
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by flauto_sloan | 2009-03-05 05:35 | Guest Speakers
P&G McDonald COO - 実行するリーダー
c0131701_4335742.jpgMIT Sloanの Dean's Innovative Leader Seriesにて、P&GのMcDonald COOが講演を行った。
ウェストポイントから陸軍へ進んだ軍人出身であるマクドナルド氏は、組織の中でリーダーとなるには、信念(belief)を共有し、それを行動に落とし込むことが重要であると言う。
信念を率先して磨き、共有することで、リーダーの行動は部下にとって予測可能となり、それが信頼を生むという。

そのマクドナルド氏自身が共有する10の信念とは、以下のものであった。
  • 高い目的に向かい続ける人生にこそ、価値がある
    ・・・とりわけ崇高な目的は、人々の生活をよりよくすることであり、それこそがP&Gの掲げる目的である
  • 誰しもが成功を望み、成功は伝播する
    ・・・失敗したい人はいない。皆が成功しようとすると、それが勝ち馬になる
  • 適材を適所に置くことが、リーダーにとって最も重要な仕事である
    ・・・正しい場所に身を置かれると、人々はそれを好むようになる
  • キャラクター(人格、性格)がリーダーの最も重要な要素である
    ・・・リーダーは、個人的な責任・関心に先んじて、組織が結果を出すことに注力しなければならない。ウェストポイントの校訓は "Choose the harder right instead of the easier wrong" であり、ここに理がある
  • 多様な人々でグループを作れば、同質なグループよりもイノベーティブになる
    ・・・変化は連続線上にないものが、突然結びつくことによって生じる
  • 役に立たない戦略、仕組み、文化が、人々の能力よりも組織の失敗に大きく寄与する
    ・・・日本の品質管理の父、デミング博士の名言は正しい
  • 組織の中には、一緒の旅を続けられない者が必ずいる
    ・・・全員がこの会社に向いているわけではない。もし向いていないならば、別の旅を探すべきだ
  • 組織は自ら新陳代謝せねばならない
    ・・・会社の半減期は短くなっており、新たな環境へ適応していかねば、生き残れない。リーダーはそのための覚悟をさせ、変化へと導くのだ
  • 採用は最優先事項だ
    ・・・不確実な時代では、学ぶ能力が最も重要だ。常に新しいことを学ぶように心がけよ
  • リーダーとしての能力が本当に測られるのは、リーダーがいない時、または去った後にも、組織が機能するかどうかだ
    ・・・個人に頼る組織にしてはならず、組織が持つ力自体を育まねばならない


全体として、軍人出身のCOOらしく、非常にexecutional/operational なリーダーシップ論であった。一部ハイフェッツ教授の言う "adaptive challenge (組織が新たな環境に適応するための課題)" に触れるものもあるが、多くはdistributed leadership における "Inventing (ビジョンを実行するための方策を考え出す能力)" であり、その能力を磨くための洞察深い指針を与えてくれた。

ただ不確実な時代で、どこまで部下に予測可能性を与えられるのか。結局、価値観や行動の判断指針といったハイレベルな「信念」を共有することが重要であり、またそれ以上の詳細な共有は、無意味な衝突なしには難しい。信念をどう実行に落とし込むかについては、リーダーが範を示しながら、センゲのいう学習する組織へと作り変えていくしかないのだろう。

昨年秋から集中的に学んできたリーダーシップについて、もう一度考えてみるいい機会となった。
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by flauto_sloan | 2009-03-03 21:39 | Guest Speakers
MBA Media & Entertainment Conference (1/3) - メディアの将来
c0131701_16171922.jpgコロンビア大学で主催された、MBA Media & Entertainment Conference に出席した。マッキンゼーのM&Eグループが全面支援をしていて、各セッションの進行はコンサルタントが行うという、少し異色の構成だ。Web 2.0から3.0まで視野に入る中で、メディアがどう変容していくのか、誰もが模索するしかない、という深い悩みがよくわかった。

NBC社長 Jeff Zucker
開会講演は、NBC Universal 社長のZucker氏で、CNBCのレポーターのMelissa Leeが対談する形で、メディアの将来について議論していた。
不可逆的で休みなく進む技術に対応し、不易流行を見極めてメディアは適応しなければならない。エンターテイメントのあり方は変わるが、人々の動き方はそう変わらない。Webは益々替わっていくが、コンテンツの重要性は変わらない。問題はその変化のために、今や誰もがデータを無料で手に入れて楽しんでしまうことだ。コスト構造的に採算など取れず、収益モデルは5-10年で大幅に進化しなければならない。進化の過程では、無暗な人切りで我々の最大の強みを失ってはならない。

NBC Universal は今後もケーブルを主軸に、視聴者の求めるものを模索して発展させていく。グループの営業利益の60%はCNBC(ケーブル放送)であり、20%がUniversal Film(映画)、5%がテーマパーク(ユニバーサルスタジオ・ハリウッド等)と、85%がNBC(地上波)以外がもはや主体である。自動車・リテール業界の縮小による地上波の広告収入の下落、NBCプライムタイムの存在感の低下は事態を悪化させる一方だ。番組の作り方を変え、効率的かつ有効なリソース配分をしなければ、ビジネスとして維持できない。

オンラインによるニュースや情報の媒介は、未来の脅威ではなく眼前にある変化であり、恐れるのではなく、既存の強みと相乗効果を生む方法を探さねばならない。ニュースの消費のされ方は変わっているが、我々は25年前のインフラを抱えている。市井のブロガーはジャーナリストとは言えないような質であっても、現に競合となっている。NBC Universal は、効率性や品質といった強みを活かし、放送・ケーブル・オンラインを組み合わせた、難しい新たな挑戦をし続ける。

その上手くいった例が北京オリンピックだ。オンラインで競技や選手のストーリーやデータを載せ、自然に競技の放送へと繋げた。競技を見ながらデータを確認することも促し、自然な好循環を生み出して、視聴者に新しい経験をしてもらうことができた。今後も失敗を恐れず新しいことにチャレンジしていくつもりだ。
古くて新しい問い
ネットとメディアの融合という、一度流行し、誰も口に出さなくなり、再び最近脚光を浴びてきたテーマについての、大手ネットワークの苦悩は深い。答えが簡単ではないことを身に沁みてわかっているから、試行錯誤を繰り返している。既存の膨大なインフラに縛られつつも、やり方を大きく変えて自らを新環境に適応させ、同時に顧客が見つけた新しく面白いニーズを即興的に取り込んでいく。リスクが高いが、何もしないリスクの方が大きい。

Zucker氏は強い意志を持っていると見受けられたが、一番興味を持ったのは、「これが答えだ」と言わず、挑戦し続ける方法をしっかり考え、強調していたところだ。自分の在任期間中に、ネットによってビジネスモデルが大幅に破壊されるかもしれない、そんな不安を抱えつつ、だからこそ会社を、仕組みを変えるのだという意思は、なかなかのリーダーシップだと感じられた。
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by flauto_sloan | 2009-02-27 19:24 | Guest Speakers
MBA Media & Entertainment Conference (2/3) - Music 2.0
c0131701_16184461.jpg今回の参加目的である、音楽についてのパネルディスカッションに、Sloanの音楽仲間のマリーと参加した。レーベル、興行主、音楽SNS創立者らが参加し、Web 2.0が音楽業界に与えた影響と、今後の可能性を議論した。
以下は全体を通じたメッセージだ。
言うまでもなく、iTunesを始めとする音楽配信サービスは、音楽ビジネスを大きく変えた。アルバムを買って聴くのではなく、好きなトラックだけを買って聴く。デジタル化はモバイル機器との親和性によって、人々が音楽を聴くための行動を、極めて個人的な嗜好性が強いものへと変え、それに応じて音楽の収益モデルとサプライチェーンに構造変化をもたらした

好きな音楽だけを聴く、という新たな行動様式はライブ・コンサートにも変化をもたらしている。マドンナなど一部の大スターしか巨大スタジアムを埋められない一方で、500人のライブ会場を満杯にできる売出し中のバンドが増えている。そうして、ライブで音楽を聴く人の数は増えている。

この音楽のフラグメント化は、SNSによって一層加速している。人々がプレイリストを共有して、音楽を友人と交換していく中で、個々人にカスタマイズした音楽経験が生まれてくる。始めはMySpaceがニッチ音楽の発掘や配布を牽引したが、今はFacebookへと人が流れている。SNS利用者の年齢層は意外と高く、音楽を購入し得る層へ、安く効果的に音楽の認知度を高める強力なチャネルとなっている。

SNSは新たな才能発掘にも有効で、アーティストとファンとが直接的に交流することで、アーティストがこれまで以上に真剣な活動を行うようになっている。その真剣になった層の中から、音楽ブログが才能を発掘してくるので、真面目で上手いアーティストを見つけ出して売り出す、というのが新しいモデルになっている。

依然、より持続的な収益モデルの構築、ダウンロードにまつわる法整備などの問題はあるが、Web 2.0の流れは戻せず、音楽業界は "Music 2.0" を作り上げなければならない。
Web 2.0による嗜好のセグメント化、小規模で所属意識の高いコミュニティの形成といった現象は、音楽に限らずあちこちで見られる。音楽は特に好みが大きく分かれるので、自分に合った音楽を一度見つければ、自分で回りに勧め、積極的にライブへ足を運ぶようになる。食や旅と同じく、Web 2.0とは親和性が高いのが音楽だ。

音楽の聴き方が変わっていくと、音楽の評価の仕方も変わり、アーティストの「成功」の基準も変わっていくだろう。大ホールを埋めるのではなく中規模ホールを連日埋め、ライブに行くだけではなく、ブルー・ノートのように食事や社交と組み合わせ、アーティストと聴衆のインタラクションが自然に濃密に行われることが、成功になるのかもしれない*1

だが音楽の落とし穴は、録音とライブで経験の質が異なるにも関わらず、同じと目され易いことにある。mp3でこのアーティストのこの曲は聴いたことがあるから、今度来日するらしいが行く必要はない、と思ってライブ特有の面白さを聴き逃す。そして聴かない限りいつまでたっても良さがわからない。食わず嫌いは食べ物にもあるが、食べ物は流石にネット上の経験で食べたつもりにはならない*2

Webでの経験を、ライブというリアル体験にどうやって結びつけるのか。人々の行動をそこまで変えるにはどうすればよいのか。これが当面のMusic 2.0の大きな課題だろう。


* クラシックでも、食事を取りながら室内楽や室内管弦楽を聴けるところがあってもいいのではないか、と思っている。英プレミア・リーグのトットナム・ホットスパーズが8人用コンパートメントで、食事を取りながら観戦できるのに似たイメージだ
*2 面白かったのは、興行主のおっちゃんが、いかにもな感じの胡散臭さと押しの強さで、始めは「アーティストは結局ライブが命なんだよ。それは変わらない」と、Web 2.0なんて構うものかと言う口調だったのが、最後は今の潮流を認めて、その中での苦労や機会を力説するようになっていた。そこに苦労と苦悩を感じる。

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by flauto_sloan | 2009-02-27 14:16 | Guest Speakers
MBA Media & Entertainment Conference (3/3) - "ゲーマー"なんていらない
カンファレンスでもう一つ面白かったのが、ゲームについてのセッションだった。要点をまとめる
  • 不況は家族が家に一緒にいる時間を増やし、ゲームをする時間が増え、結果的にゲーム需要は減っていない。これは任天堂Wii が、今までゲームをしなかった層を取り込んだが故の需要維持である
  • 「ゲーマー」と呼ばれてきたコアなゲームファンよりも、軽い楽しさを重視するユーザーが増えてきており、ゲームの目的もちょっとした気晴らしや生活の一部となってきている。この「軽さ」は「真面目に長時間」やらないという意味ではなく、姿勢や気持ちの問題であり、ゲームの遊び方はハードコアと変わりない
  • ゲームは生活と一層結びついていく。モバイル機器(iPhoneなど)でのゲームや、教育へのゲーム導入など、まだゲームじゃないところを探して、ゲーム需要を発掘していけば、機会は限りなく大きい
  • 「ゲーマー」という言葉をなくすべきだ。「テレビジョナー」や「ミュージック・リスナー」という言葉はないのに、「ゲーマー」という言葉はあり、特定のイメージを持つ。生活の一部になれば意識しなくなるので、ゲーマーといちいち区別する必要はなくなるはずだ
他にもチャネルの話、海賊版や開発上の問題などが議論されたのだが、何といってもこの「ゲーマー」を無くせというメッセージは強烈だった。ゲーム業界にしてみれば素晴らしい世界だが、そこまでゲームがあちこちにある生活というのは、直感的にやり過ぎだと思う。ゲームは誰かが設定したルールの中で最適なものを求める作業が主だ。勿論その中で創造性を発揮する場面はあるのだが、本質的に発想が制約されることになってしまう。

私は教育やトレーニングにゲームを取り入れることは効果的だと思うのだが(スローンも最初のオリエンテーションで「ビア・ゲーム」というシステム・ダイナミクス理論に基づくゲームを行う)、それはあくまで、ゲームによってある理論とその効果を実感させ、実生活に意味合いを出すことにある*。だがゲーム自体が目的となると、ただの中毒性のある習慣になってしまう(私もよく中毒になったものだ)。

何事にも物には限度、使いようというものがある。ゲーム業界が自己肥大を目的としている気がして、少々危うさを感じた。


* 教育効果の高いゲームとしては、「モノポリー」が有名だが、モノポリーの発祥は、ジョージズムの信奉者リジー・マギーが、土地は平等に分け与えられるべきだというジョージズムの考えを教育するために作ったゲームだと言われる。だがマギーの意に反して、土地を持つものがいつもゲームに勝ってしまうため、失業者チャールズ・ダローが逆に土地を独占して勝つ「モノポリー」という名のゲームにしたところ、大ヒットしたのだという。当初の目的と正反対になってしまった教育ゲームだと言える
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by flauto_sloan | 2009-02-27 06:19 | Guest Speakers
Government 2.0?
c0131701_5424911.jpgベストセラー『ウィキノミクス』の著者である Don Tapscott氏が、ケネディスクールのJFKフォーラムで講演をした。
タイトルは "Government 2.0" であり、Web 2.0へと進化したインターネットと、ネット世代の台頭が政治をどう変えていくかについての議論だった。自由な言論の場であるWebは、まさに民主主義と相性がよく、"Democracy 2.0" を模索するのが今後の政治のあり方だ、とタプスコット氏は訴えていた。

Government 2.0というからには、電子政府のようなWeb 1.0的なものではなく、「デジタル育ち」の若者が政治に参画し始めた現在と今後の政府の姿勢が問われている。この世代は物心ついたときからPCがあり、マルチタスクで作業ができ、様々なメディアを同時に駆使する。一方上の世代は、そんな彼らを理解できないがために気味悪さを感じつつも、無視できない趨勢と受け止めている。

そのデジタル育ち世代が牽引するWeb 2.0によって、組織のあり方は階層構造から個人主体の組織となり、社会的・経済的価値の源泉は物理的・金銭的なものから知識へと推移している。その結果、この世代での個人と社会との関わり方はマッシュアップやコラボレーションへと進化している。新たな政治参加の形態もそれに沿ったものとなる。

すると政府のあり方も "g-web" へと進化せねばならない。「アイディアのマーケットプレイス」となった政府のウェブ上で有権者が自由に議論を行い、直接的に国政へ参加していく "democracy 2.0" がこれからの姿だ。そこでは政府の透明性が増し、有権者の当事者意識は高まり、集合知によってより優れた政策が生まれる可能性がある。

もちろん信頼性やプライバシーといった課題はあるが、国民を動かし、より民意に沿った優れた国政を行える可能性のある government 2.0、または g-web は積極的に検討すべきだ。

まさにWeb 2.0が大きな趨勢となり、民主主義の総本山であるアメリカらしい発想だ。ただまだ民主主義が十分根付いていない(ように見える)日本では、仮にこの "g-web" を取り入れても、不満の捌け口と新たな陳情の場となるのが関の山だろう。

現在 "Web 3.0" という、ネットの将来のあり方と、ビジネスおよび社会がどう変化していくかを議論する授業を履修している。日本においてはまだ Web 2.0がアメリカほど興隆していないが、日本はこの民主主義的な web 2.0をどう包摂し、社会を変えていくのだろうか。アメリカの「デジタル育ち」ではない世代が web 2.0をどう受け入れるのかとともに、非常に興味がある。
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by flauto_sloan | 2009-02-24 23:35 | Guest Speakers