MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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日本人研究者交流会 - 黄昏を明けさせるリーダーシップ
c0131701_9495166.jpg今年度最初のボストン日本人研究者交流会は、東京大学新領域創成科学研究科の柳澤幸雄教授をお招きした。

柳澤教授はハーバード大学の公衆衛生大学院にて教鞭を執り、東大に移ってからは総長補佐として、様々な改革をリードした。日米の最高学府を熟知した教授だからこそのリーダーシップ論は、かなり厳しい問いかけであったが非常に説得力があり、会場の参加者を深く考えさせる内容だった。

内容は参加したShintaroの秀逸なまとめや夏男さんの紹介記事、gsocioさんの問題提起などがあるので、全ては書かないが、教授のメッセージは以下
アメリカにおいて、リーダーは意思決定の主体である。リーダーは自らアイディアを提起し、そのアイディアから出資を集め、スタッフを選び、組織を運営していく。それゆえアイディアは前例の無い独創的なものでなければならず、結果に対する責任はリーダーが請け負う。いわば事後主義であり、「罷免できる独裁者」が米国のリーダーだ。

日本においては、リーダーは意志調整役であり、リーダーとスタッフとが未分離である。アイディアは前例を重視する事前主義であり、意思決定は満場一致の呪縛があるため、リーダーは調整が重要な役割となる。スタッフの忠誠はリーダーにではなく組織に対して立てられる。

このリーダーとスタッフの役割と意思決定プロセスの違いの顕著な結果が、20世紀の100年間のハーバードと東大の総長の数である。ハーバードは5人平均20年であるが、東大は20人平均5年である。日本はリーダーが不在であるために、組織で運営を担保しなければならない。

日本は黄昏に入った。このまま船が沈むに任せるのではないなら、日本でもアメリカ的リーダーシップを発揮できる仕組みを整える必要がある。それは民主主義による罷免が可能な下で、リーダーが意思決定を自らの責任で行い、政策運営上の主要なスタッフを自ら指名できるようにすることである。
最後の段落はだいぶ丸めてしまったが、実際はもっと旗幟を鮮明にした、強烈なメッセージであった。だからこそ賛否両論あり、その後の懇親会ではこの講演に対する議論があちこちで沸き起こっていた。

否定派は、日本とアメリカは文化も価値観も違うので、アメリカのリーダーシップが日本で通用するはずがない、あるいはアメリカの教育機関のシステムが内包する市場原理は、まさに今弊害が露呈し見直されているではないか、といった意見が多かった。

日米の文化や価値観の違いは当然あるだろう。市場原理は万能でないから、お金になりにくい基礎研究や人文系の学問にもお金が回る仕組みを補完しなければならないだろう。だが、前者は柳澤教授はわかりきった上での提言だろうし、後者は発表中に既に触れている。


私は、日本のリーダーシップが劣っていてアメリカのリーダーシップが素晴らしい、とは必ずしも思わない。有効に機能する環境がが違うだけだ。だが新しい経済や社会の変化に適応して変化してきた分、アメリカのリーダーシップが進んでいるとはいえるかもしれない。

弱肉強食の市場原理が淘汰圧となった結果、アメリカではある種のリーダーシップと、それを支える仕組みが残った。日本はバブル崩壊という最大の変化に10年かけて適応せざるを得なかった結果、世界を取り巻く経済や社会の変化(グローバリゼーションやビジネスのスピードの加速など)に適応するのが遅れているだけだ。逆の味方をすれば、アメリカが日本のもたつきを尻目に世界経済をアメリカ化のだから、アメリカ人のリーダーシップが最も適応されていて当然だ。

だが世界不況が現実味を帯びてきて、アメリカの覇権や成功モデルの実効性が揺らぎ、一周遅れの日本が浮上してきそうな今、アメリカが進み日本が遅れていた前提が変わろうとしている。まずは進んでいるアメリカのリーダーシップとその仕組みから学ばねばならないのは必然だろう。だが学んだ結果、これからの日本に必要なリーダーシップは、アメリカ7と日本3を混ぜて止揚したようなものなのかもしれない。

新たなリーダーシップの姿を描くのと同じくらい重要なのは、社会が価値観の変化を受け入れることができるかだ。私が恐れているのは、日本が中途半端な自信を持ってしまうことだ。変われなかった結果、敵失で再浮上しても、変わらなかったことを正当化できるわけではない。変わっていればもっと好転していたかもしれないからだ(証明のしようが無いが)

「変わらなくてよかった」という安易な言い訳を排し、日本を黄昏から引き上げるためには、これまでの日本を否定できるようなリーダーと、それを受容する国民の理解(あるいは危機感)が必要だ。さもなくば、日本は世界経済復興の先導役にはなれず、不況にも乗り遅れただけとなろう。
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by flauto_sloan | 2008-09-27 23:36 | ボストンでの生活
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