MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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2007年を総括す
而立を迎えた2007年は、人生においての大きな節目となりました。
結婚、留学、受験、仕事、過労、と公私共に自分を見つめなおすことを意図するしないに関わらず求められた1年でした。而立の年でありながら、未だ立てずにいます。ただ、どうすれば立てるのかが見え始めてきました。

結婚
c0131701_3274914.jpg正直言って30前に結婚するとは想像だにしていなかったのですが、よき伴侶に恵まれ、家族を築くことができたのは、人生において非常に大きい転機でした。
妻は性格が私と対照的で底抜けに明るく、仕事は法曹関係と大きく異なりながら、価値観を共有でき、さらに音楽においてもかけがえのないパートナーです。このような佳人と今後の人生を歩むことができるのは、自分にとって大きな力となります。

自分の細君を誉めるのはこのくらいにして、家族を持ったことで独身の時とは優先順位も大きく変わり、仕事(今は学業)と家庭のバランス、自分ひとりではなく夫婦二人の幸福の最大化を考えるようになりました。
今後とも夫婦ともどもよろしくお願いいたします。

留学
c0131701_3291253.jpg私にとっては初めての長期海外生活、そして5年勤めた後の学問世界への回帰。自分のこれまでの経験や興味を再整理するとともに、様々な新しい刺激を受け続けています。

最も強く感じたのは、自分にとって「経験」は「学び」ではないということです。正確に言うと、一度一歩引いて、何が「経験」の背後にある本質だったかをしっかり考えない限り、経験は経験のまま、再現性なく限定的に記憶されるだけで、自分の知識やスキルを増やし、行動規範や価値観を変える「学び」にはならない、ということです。

世の中でも最も勉強・成長する機会に恵まれていると云われる、私の在籍するコンサルティング・ファームにおいて、私は何故だか十分に学べていないという感覚/フラストレーションを感じる時がありました。
孤独なプロジェクトが多く、範とすべき先輩と共に仕事をして業を盗む機会が少なかった、という不運もありました。が、それ以上に、ツールの使い方や業界知識といった、目の前のプロジェクトを支障なく遂行するための知識・スキルの習得に追われ、それらの背後にある本質、構成論理を考え、身に付けるための時間も手法も自分にはなかったのだと感じました。

成功も失敗も織り交ぜながら、復習するための材料 – 経験 – は十分にあります。この留学期間で、その材料を、授業・書籍・先人から新たに学ぶ思考体系や枠組で捉え直し続けています。
そうすることで、過去を蓄積として自分の中に取り込むことができ、過去の経験を無駄にせずに再起することができるのではないかと考えています。

受験
MBA受験のためにエッセイやレジュメを書くことは、自分の過去を思い返すことに非常に役立ちました。
自分が何に興味を持っているのか。それは何故なのか。自分を構成する要素はなんなのか。どうしてそれが主要な要素になったのか。何故なのか、何故なのか…
お金も時間も労力も相当量つぎ込みましたが、その価値と成果はありました。こうして今、夫婦で渡米し留学という、素晴らしい機会に結びついたのですから。

手ごたえのあった志望校から不合格を受けたときには落胆もしましたが、結果的にMIT Sloanは刺激に溢れているだけでなく、私にも合っている学校であり、今はとても満足しています。

仕事
今年はとても苛烈なプロジェクトで幕を開けました。プロジェクトマネージャーの役割を任せられつつも、自分の力不足を強く感じ、非常に反省することの多いプロジェクトでした。
自分の限界を感じたのですが、それが何の限界なのかはわかりませんでした。また、自分の中身がすっかり出尽くしてしまうような疲弊感に苛まされ、最後は過労で体調を崩し、プロジェクト終了後に休養を余儀なくされてしまいました。

今思えば、前述したように、5年間の経験をしっかりと学びとして自分の中に蓄積しきれずにいたために、入社時+αのスキルや知識では、もはやプロフェッショナルなコンサルティングをすることに限界がきており、またこれまでの自分の知識や知恵を出し切ってしまったことによる疲弊だったのではないかと感じています。

それゆえ、このSloanでの2年間で、新しいことを吸収し、出尽くしてしまった自分の智慧を蓄えると共に、知識にならずに体の中へ分散してしまった経験を再整理・再統合する必要がありました。
2年のモラトリアム期間を経た後は、再び職場に戻る予定にしています。そこでは、5年間の学びと、2年間の学びを見に修めた上での再起といたします。

過労
自分がどこまでやれて、どこまでやったら倒れるのか、その限界または境界を知りました。一人の人間として、限られた時間と体力の中で、できることはでき、できないことはできない、その単純な区別が自分の中にできました。

そして過労で休養している頃に、この5年間あまり読む機会も余裕もなかった類の本、つまりビジネス書以外、を何冊か読みました。乾いたスポンジに清涼な水が注がれたかのように、頭へ新しい世界が吸収されていったことを強烈に感じました。
自分は多くのものを見てこなかった、と自分の過去を振り返り、外へと目を向けるようになったのは、不幸中の幸いでしょうか。

死んで花見が咲くものか。家族もいる現在、自分にできる範囲で、最大の効果を出すことが大事だと自覚しました。

今年のまとめ - トランジスタ型人間 -
c0131701_3255990.jpgかつて大学院での恩師、北澤宏一教授に、
トランジスタ型人間になりなさい。人間は3本の足で立つことで、初めて豊かに生きられるし、いい仕事ができます」
と言われました。仕事をしていたときは、なんとかフルートだけはオーケストラで続けていたものの、あとは仕事の一本足でしか立っておらず、そして倒れてしまいました。

一本足で突き進む若さと迷いのなさは、家族を持ち、体力と精神力の限界を知った今、もはや諦めました。
もう一本は音楽です。私は未だに自分は何か、と問われれば、コンサルタントよりもフルート吹きだ、と思っています(MBAのインタビューではそう答えませんでしたが)。
最後の一本が何なのか。これまでの人生で見えてきたり見えなくなったりしていますが、改めてぼんやりと見えてきています。

今年は3本足で立たねばならないという教えを真に理解すると共に、その3本を検証し始めるました。その3本をしっかりと自覚し、それぞれに磨くことで、人間として立つことができる、すなわち而立ができると考えます。30には間に合いませんでしたが、そんな而立のための準備を始めることができました。


最後に、多くの友人を始め、この拙ブログをご覧いただいている皆様、どうもありがとうございました。
2008年もよろしくお願いいたします。

ふらうと拝
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by flauto_sloan | 2007-12-31 13:11 | Mens et Manus
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