MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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2年間の学びを振り返る
この2年間での学業を振り返ろうと思う。結果的に成績は悪くなかったが、そういう計れるもの以上に多くを学べたと思う。学期ごとに振り返ってみる。


1年目の秋学期
必修であった最初の学期では、以前も書いたが、学ぶことの楽しさと、拠って立つ原理原則を学んだ。つまり

1) ビジネスは複雑化し、事業の全体像を把握することは困難になる中、
2) マネージャーたるもの事実を把握するための最低限の知識・スキルを身につけたうえで、
3) 限られた情報の中で意思決定をするための原理原則を理解し、
4) その原理原則が適用できる範囲を把握して正しい判断を行うこと、が重要である

ということを、ミクロ経済、ファイナンス、組織論などを綜合して学んだ。
世の中の多くの問題に正解はない。が、不正解はある。原理原則してはならない不正解を知ることは、意思決定の幅を的確に狭めてくれるし、また一見正しそうに聞こえる案に惑わされることがなくなる。
まさに学問と実際との関連と境界を学び、この2年間の礎となった。
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1年目の春学期
春学期では、アカデミックな知見と、人間本来の性質とを理解することが、それらと一見遠そうに見えるビジネスでも強力な見識となることと、己の限界を把握することの必要性を学んだ。

アカデミックな知見は、これまでの偉大な学者の研究の積み重ねにあるため、そこに埋め込まれた知見や洞察は深く、決して疎かにはできない。学者は象牙の塔に籠っているので、生き馬の目を抜くビジネスの実際がわかっていない、とは尤もらしく聞こえる。だが特にアメリカの学者は、実践を強く意識している。

投資銀行にいたファイナンスのアスキス教授、ザラなどのオペレーション改革を主導したオペレーション入門のガリエン教授、有名なアントレプレナーであったテクノロジー・ストラテジーのアンダーソン教授らは、自ら超一流のビジネスパーソンであり、さらに理論を極めている。理論と実践を極めた彼らの含蓄ある言葉は、大きな気付きを与えてくれた。
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りごぼん教授のマクロ経済学は、初めて学ぶ内容ながら、教授の強烈なパーソナリティと、ケーススタディによる歴史との整合性とで、いかに抽象化したモデルが(限界はありつつも)社会を強力に説明できるのかを学んだ。この抽象と具体のバランスは、ともすれば抽象か具体かと対立軸で考えがちだった私に、それらを止揚した考え方があると気づかせてくれた。
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また、人間本来の性質を理解するのが、結局人間の社会を理解するのに重要だと再認識した。
テクノロジー・セールスの授業では、結局人が物を買うのはそれを売る人間を買うのであり、物を売るには、買う側の本当に求めているものを知り、買える理由を与えることが重要だと講じていた。まさに心理と人格が重要な要素だ。
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ゲーム理論では、進化論におけるESS(進化的に安定な戦略)と絡めながら理論を学ぶと同時に、教授が設計したオンライン・ゲームに毎週参加することで、賢しらなMBA生が見事に理論と整合する行動をとってしまうことを目の当たりにし、納得感を深く持てた。
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途中まで履修していた、経済学部の行動経済学の授業でも、人間がいかに理性的ではなく、バイアスにまみれているか、そしてそれを理解することで何が見えてくるのかを学んだ。
また、人間の社会は国や文化で様々でありながら、共通の行動規範や社会・経済構造があると学ぶことは、人間という種に遺伝子レベルで埋め込まれた性質があることを教えてくれる。マクロ経済学、グローバル・マーケット、グローバル戦略論の3つの授業を同時並行で受講したことで、その多様性と共通性を理解することができた。
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加えると、この学期はやる気が焦りになったのか、授業を取り過ぎて破綻をきたしかけた。やはり自分は人間の一個体でしかなく、限界を知ってその中でやりくりしないといけないのだ。これは一度失敗しているのにもかかわらず、感情や焦り、執着というものがそれを忘れさせてしまった。やはり時折、一歩下がって自分を客観的に(過小評価も過大評価もせず)見つめることが必要だ。
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2年目秋学期
この2年間の転換点であり、ものの考え方が根本から大きく変わった。言うなれば、OSを入れ替えたようなものだ。
履修していた、システム・ダイナミクス、リーダーシップ、パワー&ネゴシエーション、インダストリアル・エコノミクスの4つの授業は、途中から結びつき絡み合い、世の中の構造、集団の構造、その中の個人の行動という3つのレベルでのダイナミクスを学ぶことになり、世界を今までとは別の角度で見られるようになった

システム・ダイナミクスは全ての根幹にある考え方で、世の中の事象を因果関係とその循環で構造化する。その構造に定量的・半定量的な分析を持ちこむことで、将来のシミュレーションや、問題解決のためのレバレッジ・ポイントを発見できる。それにより、逆効果となる施策を避け、本質を見抜く力を養う。
構造を理解すると、一見逆説的(counter-intuitive)な行動が、問題解決になることがある。たとえば、売り上げが落ちて士気が下がってきたので、思い切って価格を上げる、顧客対応が追い付かず収益が悪化してきたので、あえて接客時間を長くとる、といった打ち手が、一見事態を悪化させているようで、問題の構造を理解していると実は正しい効果を生むことがある。
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ハイフェッツ教授のリーダーシップの授業は、冬の集中講義ともども、このブログで散々語ってきた。そこでは文化人類学にまで掘り下げたうえで、人間が社会および集団の中でどうダイナミクスを生み出し、それに応じて行動するか、リーダーシップはそのダイナミクスを熱したり冷ましたりすることで、人をより高い目標に導くための学習を促すのだ、と学んだ。理論(膨大な参考文献)と実践(チームセッションと授業中)とで、リーダーシップを取ることの危うさと、その向こうにある目標の崇高さ、それを推し進める矜持を学んだ。最も感動し、学びが深かった授業だった。
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パワー&ネゴシエーションは、いわゆる交渉学なのだが、個人や集団との交渉を、交渉の背後にある構造にまで踏み込んだ上で設計し実行することを強調する。それはまさに、リーダーシップを発揮するうえで必要な術であり、構造の把握が如何に重要かを、実践的に理解した。個別の交渉術もさることながら、相手の意思決定に、問題を取り巻く組織・社会・文化的構造をどう作用させるかという本質論が、大きな学びであり気付きだった。
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インダストリアル・エコノミクスで学んだ、産業別の競争環境と戦略も、これらの構造とダイナミクスを適用させるケースであった。経済活動も、購買意思決定者のレベルにまで落とし込めば交渉であり、相手の心理を「買う」という状態にまで持っていくための構造設計である。その構造には、企業という集団レベルでのダイナミクスがあり、その企業のある産業・市場の中では、市場規模の拡大・縮小や、競合環境の変化といったダイナミクスがある。これらの構造を理解し、どう戦略を建てるべきなのか、という観点で学ぶと面白かった。

これで世の中を見通せるようになった、と烏滸がましいことは言わないが、近視眼的であることと大局観を持つことの違い、事象の背後にあるものを構造化するとはどういうことかを理解できた。ダンスを踊りながらバルコニーに上がること、これを常に意識しよう。


2年目春学期
最終学期は、歴史とそこから学ぶことの重要性を学んだ。先学期では社会・集団・個人の構造を、微分的なダイナミクスで捉えたが、今学期はその時間軸をぐっと伸ばし、歴史という一段大きな構造を把握することで、見識のレベルを深めることを理解した。

フォーブズ教授の「世界経済が抱える課題(Global Economic Challenge)」の授業では、歴史をしっかりと捉えれば、この金融危機ですら古くて新しい問題であり、過去から学べるものが多いと示した。ブッシュ政権の経済諮問委員会の最年少メンバーだったフォーブズ教授は、100年に1度といわれる今回の金融危機を、まさに時間軸を100年以上に捉えて、様々な「危機」のケースを取り上げることで、危機のうちで何が人類未経験の課題で、何が既にわかっている課題かを切り分けた。大部分は未曾有でもなんでもなく、規模の大小はあれど人類が経験しているものだった。
歴史から、過去の経験から学べるからこそ、何が今新たに知を結集すべき新しい課題かを切り分け、解くことができる。それを毎度一から解いていたのでは、時間がかかるし、動員できる知は限られる。ちっぽけな頭に閉じた世界で考えるのではなく、先人の知恵を総動員することが重要だと学んだ。
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サロー教授の「経済・政治に関る課題」の授業では、歴史観の重要性を、現代のテーマを取り上げることで実感した。高齢である教授が、自分の経験(それが即ち歴史となっている)を基に、常識や通説といったものをばっさりと切り捨てる。もちろん自分の経験へのバイアスはかなり強いのだが、多くを経験してきた教授の見識には常に一定の理がある。その理を積み立てていくこともまた、実践的に学ぶということなのだろう。
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アターバック教授の「破壊的イノベーション」の授業では、テクノロジーが市場に与える影響を、歴史から共通性を紐解いて考えることで、一定の構造があることが論じられた。イノベーションによる産業の栄枯盛衰は、ごく最近現れたかのような印象を持つが、それは我々の記憶の短さと、経験によるバイアスでしかないのだろう。ボストンの氷産業から電球、自動車、最新のデジタル機器に至るまで、イノベーションによって技術・商品が世代交代し、その交代の過程での新旧両技術の動向や、一つの技術の栄枯盛衰のサイクルには法則性がある。この、技術が生み出す短期・長期のダイナミクスと、それをもたらす構造への洞察は非常に深く、印象深かった。
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マドニック教授のウェブ3.0の授業は、新たなイノベーションの萌芽となりうる技術と、その先にあると考えられるweb 3.0とはどのようなものかを議論した。最近日本でも広まりつつあるfacebookやtwitter、TripAdvisorなどを始め、Wolfram Alphaなどの先駆ける技術、そしてクラウドやセマンティック・ウェブにまで、まだ誰もよくわからないものをわからないままに、のびのびと考えるのは知的刺激に溢れ、面白い授業だった。将来のウェブやビジネスを想像するのは楽しい。
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キーガン教授のアダルト・デベロップメントの授業では、大人になっても学び続けることの重要さと、その先にある成熟した人間の姿、それに向かううえで障壁となる心理を学んだ。東洋で器を大きくすると表現されるものを考える契機となった。大器は晩成しうるのだ。
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ローゼンフィールド教授のオペレーション戦略の授業は、様々なゲストスピーカーが招かれたのだが、彼らの経験をまとめたケーススタディに、自身がコメントをすることで、何がオペレーション設計上、戦略策定上のボトルネックや課題となるのかをビビッドに感じることができた。
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こうして2年間を振り返ると、まさに視野が広がり、考え方の柔軟さや奥深さを得られたと思う。知識を見識レベルにまで深め、胆識を養う素地と実践が行えた。MBAでのテクニカルな学びはさることながら、こうした一歩引いて学んだことこそ、この2年間で得た大きな財産であり、私自身を養う得難い経験だったと思う。
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by flauto_Sloan | 2009-06-07 10:40 | MITでの学び(MBA)
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