MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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最後のボーゲル塾
c0131701_1528719.jpg2年間門下にいたボーゲル塾。今日はハーバードで講座を持つ武見敬三元参議院議員をお迎えし、最後のボーゲル邸での勉強会だった。
私の属していた、少子高齢社会での社会システム研究班が一年の討議結果を報告・議論し、ボーゲル先生からの最後の薫陶を受けた。本当に素晴らしい師であり、得難い機会であった

2050年の日本!?
討議内容の詳細は割愛するが、少子高齢社会となる2050年の日本の姿を考えるのは、非常に刺激的だった。移民政策の大きな転換がない場合、2050年には日本の人口が9000人から1億人にまで減少し、しかも高齢化が進む結果、労働力人口は半減する(現在の基準の場合)。

当然社会保障制度は現行のままでは立ち行かないし、産業も国内で若い労働力を調達することは非常に困難となる。内需は縮小していくだろうし、対外的に見れば中国はもちろん、現在の新興国にも経済規模で抜き去られる可能性が大きい。

ではどうすべきか。まずは移行の仕方や実行可能性を考えずに、どんなシナリオがあるのかをやや極端に描いて議論していったのだが、正直言って納得感のある絵はなかなか描けない。学生が10人集まって簡単に描けるようなら苦労しないのは尤もなのだが、1億人もの多大な人口(アメリカと中国ばかり気になり実感しにくいが、日本は人口大国でもある)と、縮小傾向だが巨大な経済規模を支えつつ、老いて減りゆく国民が国を成長させるというのは、非常に難しい。

人口が3/4になるなら、一人当たりGDPを4/3にしないとGDPは維持できない。だがそんなに生産性の高い仕事はなかなかないし、あってもそこに必要なスキルを国民の大半が身に付けることは難しい。グローバルな競争下ではなおさらだ。

一方で医療費や福祉関連に必要なコストは増大していく。それを賄うために増税は早晩必要なのだが、個人から取れば負担は激増するし、企業から取ろうとすれば海外移転や海外での再投資が進み、税収自体が減る。

解があるのかもわからない、複雑な連立方程式だ。


老いてますます盛んに
これが答だと言うつもりは全くないし、解決するのはごく一部の問題だとわかった上で、個人的には、2050年の日本では老人起業家が続出し、老人の、老人による、老人のためのビジネスが主流になってほしいと思う。「老人」の「老」の意味合いも変わってくるだろう。衰え、人生を閉じようとしている状態ではなく、体力と引き換えに多くの経験と知恵が蓄積した状態、と捉えるべきだろう。ただし、老人ビジネスが既得権益の確保であっては、ただでさえ貴重な若者の気鋭を殺いでしまう。老人企業を促しつつ、あくまでフェアな経済原理がはたらく制度設計が望ましい。

老人起業モデルが成功し、日本に「シルバー・バレー」が箱根の温泉街あたり(?)にできたら、やがて遅れて高齢社会を迎える他国の規範となるだろう。いつもゲームのルール作りで他国の後塵を拝している日本が、構造的に世界をリードする最後のチャンスかもしれない。

年金も、平均寿命よりも支給開始年齢を遅くするくらいの思い切りがあってもよいのかもしれない。そもそも年金制度をビスマルクが設計した時、支給開始年齢の65歳は、当時50歳以下だった平均寿命よりはるか後だったという。

半減する労働力人口を支えるには、現在就労率の低い老人、女性、子供を働かせるか、人間以外のロボット、コンピュータか牛馬を使役させるしかない。これ以上の少子化を防ぎ、教育水準を維持するなら、人間における優先度は老人であろう。もちろんそのためには、老人が働き易くなり、老人ならではのポカやミス(特に痴呆は大きなリスク)をよけるための技術やノウハウを蓄積していくことも必要だろう。

・・・云々と考えていて、はてこの定年なしに働かされ続ける2050年の老人は誰だろうと考えてみると、外ならぬ自分である。少しは休みたいと思う気持ちはあるが、一方で、その頃の老人ならば英語が話せ国際経験があり、若い頃からコンピュータに触れている。今の老人とはまた違う動き方・考え方をしていることだろう。想像(妄想?)には限りはないが、高齢社会も遣り様によっては面白いかもしれない。悲嘆ばかりしても仕方ない。


老師エズラ・F・ボーゲル
いつまでも矍鑠としていて洞察深いボーゲル先生と議論し、また2050年の高齢者とはまさに自分達だと気づいたとき、老いることの可能性、生涯学び続け成長し続けることの楽しさに触れ、それを信じたいと思った。

そしてこの2年を通じて、天下国家を語るための視点とはどのようなものか。まだまだ浅学にして未熟者でありながら、ボーゲル先生から少し学ぶことができたと思うMITで講演を依頼した時に、個人的にお話させていただく機会があったのだが、先生は日本人以上に日本と日本人を愛する、知の巨人でありリーダーだった。その先生に学んだ志と、それを一にする門下生の結びつきとは、日本に帰るにあたって一番の土産かもしれない。

このボストンにて、ハーバード松下村塾(ボーゲル塾の正式名称)に通えたことを、誇りに思う。
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by flauto_sloan | 2009-05-04 23:15 | Harvardでの学び
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