MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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ボーゲル塾卒業
c0131701_14262175.jpg2年間に亘り通ったボーゲル塾。
ボーゲル先生宅での勉強会は先日が最後だったが、本日は4つの分科会が1年間の研究発表と質疑応答を行い、懇親会を行った。

いわば門下生自身による卒業式だ。

日本人のアイデンティティ、少子高齢社会での日本のあり方、日本のプレゼンスと外交、日本の教育という4つのテーマは、相互連関していて非常に面白い。日本の様々な閉塞感や問題は、突き詰めていけば『成長の限界』の縮図なのではないか、と思う。

国土も資源も限られた日本が、高い教育水準(特に戦前のエリート層)と人口増加によって目覚しい成長を遂げたが、その限界を迎えて今は下降局面にある。だがこれまで成長、躍進しか経験したことがない日本国民や政治家は、成長の限界局面を迎えてどうしてよいのかがわからない。縮小均衡に陥るのが自然であっても、それを選択することは前の世代の成功を引き継げない「失敗」と見做されてしまう

では均衡を破るしかないのだが、均衡を破るには別の何かで不均衡を作らなければならない。その新しい不均衡がテーマによって、価値観だったり移民政策だったり、軍事力だったり教育の多様性だったりする。不均衡なので当然、それらの変化によって何かを失うことになり、抵抗する人がいる。抵抗に屈し続けたら、待っているのは国民総茹で蛙だ。いや、目端の利く人は一足先に逃げるか出し抜くかするだろうが。


だが地球全体がいずれ『成長の限界』を迎えるのなら(これは非常に強い仮定だが)、それを一足先に迎えた日本は、世界のロールモデル足りうる。他の世界が日本のような限界に追いついて始めて、日本が失敗していたのでなく、将来を先取りしていたのだと気がつくかもしれない。今回の金融危機でようやく、日本のバブル崩壊後の対応が理解されたように。

その時、日本が豊かなる衰退といった新しいモデルを示せるかどうかで、その時に世界の尊敬を得られるか、あるいは見直されもしない存在に甘んじるかが決まるかもしれない。

もちろん、その時までに日本が今以上に意気消沈してしまっていては意味がない。そのため、何とか日本人のアイデンティティを括弧たるものにし、少子高齢の社会システムを描き、プレゼンスを維持し、教育の建て直しをしなければならない。それぞれの局所解としては、さすがボーゲル塾だけあり、色々と面白い意見が出てきた。だがそれを俯瞰して、どう取捨選択し、対立を止揚するか。答えのない悩みが深まった。だがその悩み自体が、大きな学びであり、ボーゲル塾を卒業した証なのだろう。

答えがないが故に、日本に帰っても引き続き同門の士と議論し続けたい。志を忘れてはいけない。
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by flauto_sloan | 2009-05-31 14:28 | Harvardでの学び
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