MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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ダライ・ラマのMIT訪問
ダライ・ラマ14世がMITを訪問した。数年前にもMITはダライを招待し、今回が二回目となる。抽選に漏れてしまい、直接拝謁することは叶わなかったが、同時中継をする大教室で、このチベット仏教最高指導者の話を聞いた。中継会場であっても、入場時に全員起立し、最大の敬意を表す。残念なことに、中国系学生はあまり見られなかった。

禅僧のような厳しいお方かと思っていたが、ダライ・ラマはユーモアに溢れ豪放磊落であり、立場が異なる、あるいは敵対する人でさえも包み込むスケールの大きさを持っていた。英語は流暢な訳ではないが、短い一言一言は非常に考えさせられる深さを持つ。

チベット仏教の最高指導者であっても、「私は仏教を広めるつもりはなく、どんな宗教でも尊敬する」と仰ったのには、仏教徒としての共感と、その立場それ自体への尊敬を感じた。また、「チベットが独立して民主化を勝ち取っても、自分は宗教家であり政治化にはならない」とも仰り、人々への信頼と強い愛を感じる。

社会が抱える問題に対しては、「対案がなく改善のしようがなければ忘れてしまいなさい。さもなくば、ひとまず何かやってみなさい」と、前向きで勇気づけるメッセージをお送りになる。

翌日のジレット・スタジアムでの説教では、「私たちは皆同じ。違いなど取るに足らない」と始められたという。人種や派閥に区切られない、高次な世界がダライには見えている。

総じて、宗教指導者というよりも、民主主義と人々への信頼を訴える一人の人間、という姿が強く浮かび上がる。その背後の仏教的世界観や価値観が深いため、そのメッセージが一人の人間のものとしてでなく、より大きな意思として感じられた。

何より、このノーベル平和賞受賞者への非難や中傷を続ける中国共産党に対して、ダライ・ラマは恐れをまるで持たないばかりか、それを超えた敬意というか、共産党を赤子のように温かく見守り、その上で叱責する姿が印象的だった。個人攻撃を受け止めた上で気にせず、共産党の批判のようでいて、瞳の奥底に愛すら感じた。

対立や浅ましい憎しみ合いの彼岸にいるのは、このような方なのか、と感じ入った。

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by flauto_sloan | 2009-05-01 23:49 | MITでの学び(非MBA)
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