MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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Harvard Asia Business Conference - 中国の勢いから日本を省みる
ハーバードでAsia Business Conference があった。中国への注目と、中国人のプレゼンスに改めて驚く。特に、中国の強みが低賃金から人材へと移行しているのが需要・供給両面で感じられる。

日本の危機再考と、中国人の視野への不安
開会のkeynote speechは、HBSのベイカー・スカラー(最優等)保持者で新生銀行の前CEOのポルテ氏であり、日本のバブル崩壊後の政策からアメリカが今学ぶべきものを論じた。
政策には四つのステージがあり、まず状況把握(inspection)があり、金融機関への資金注入(injection)がある。そして不良債権を切り出して処理し(ejection)、最後に金融機関が自ら自己資本を増強できるためのビジネスモデルを作る(making profit)。アメリカは今injectionのフェーズにあり、今後日本のやり方をよく学んで、どうejection、making profitへと繋げるかを考えなければならない。

日本は村山内閣で内定し橋本内閣で導入された消費税によって、景気浮揚のチャンスを潰してしまったが、それ以外はよく非常によく検討し、危機克服への重要な事例を作り出した。日本が直面していた課題の大きさ・難しさを理解し、五里霧中ながら断行した政策とともに、もっと日本を評価するべきだ。
日本での氏の評価は措いておくにせよ、日本人としては勇気付けられる講演だった。だが会場の大半を占める中国人および中国系アメリカ人の反応は非常に薄い。PCを開く者、居眠りする者。集中力の低さが伝わってくる。講演後の周りの反応を聞いていると、「何で今後のアジアのビジネスを語る場で、過去の日本を語らねばならないのだ」といった声が聞こえる。

こうした中国人の態度にはいささか幻滅してしまった。若い時から中国古典に慣れ親しんだ所為か、中国は豊富な歴史から学ぶ能力が非常に高いと考えていた(愛読書の韓非子は、いわば法と経済のケーススタディ集だ)。今も中央の政治家はそうなのかもしれないが、この経験といい、スローンにいる一部の中国人と話した感想といい、若いビジネスリーダーに歴史への敬意があまり感じられない。

東夷を蔑ろにする気持ちもあるのだろうが、中国の歴史は改革開放から始まったわけではないし、経済危機もオランダのチューリップバブルから400年の歴史がある。歴史に加え、経済・経営の理論も、鼠を捕る猫だけを選り分けている感がある。

とはいうものの、中には教養豊かな中国人の友人もいるし、私の懸念が杞憂でいてくれる可能性もあるが、パースペクティブとレトロスペクティブがもしも深まらないならば、現代中国のビジネスリーダーが傲岸さと責任感の無自覚を生み出してしまうのではないかと心配になってしまう(尤も、日本も同じ状況だが)。


中国への期待
また、パネルディスカッションのトピックや顔ぶれを見ていても、中国のプレゼンスが高い。内容も、珠江デルタを始めとした低賃金の製造拠点としての役割よりも、R&D拠点としての中国の可能性を論じたものが目立つ。勿論、知的財産の保護や、起業家精神と裏腹の定着率の低さといった問題はある。また一大消費市場としての魅力も高まっている。

中華系の参加者も、ボストンだけでなくNYUやコーネルといった他都市の大学からも来ており、存在感とネットワークの深さを一層増している。

日本人もIMFの加藤氏やサンリオCOOの鳩山氏を初め、見識の高いビジネスパーソンが参加していたが、参加者の割合も含め、全体として存在感が薄い(韓国はそれ以上に薄かった感がある)。日本経済が今から大きな成長をするのはなかなか難しいし、良くも悪くも変化に乏しい(GDPの年率マイナス12%超は衝撃だが)。だが日本も変化していないわけではなく、様々なレベルでの革新が進んでいる。GDPといった外枠の変化の乏しさと、世界への発信力の弱さとで、日本国内の変化が実際よりも低い評価を受けている感がある。


ゲームのルール
中国の政治的な巧さは、世界中に広がる華僑ネットワークと、ゲームのルールの重要性の見極めと、少しずつルールを変えていく巧妙さにあると思う。

日本人は「良いものを作れば、いつか認められる」と考え、そのヒューリスティクスが正しかった時期があった。なまじそれが高度経済成長期という輝かしい時代に上手く機能していたため、いまだにその考えに固執しているきらいがある。完全に否定するつもりは全くないが、世界市場では「良いと思ってもらえるものを、良さを正しく伝えられれば認められる」のが現実のゲームのルールであり、マーケティングというコミュニケーションが重要である。

この良さの伝達が、国家、企業、個人レベルで日本は苦手だ。ボーゲル先生も日本の政治家やリーダーのパブリック・スピーキングの拙さを心配されている。ハイテク製造業にコンサルティングをしていると、製品は恐ろしく良いのに、マーケティングの拙さで商機を逃し、競合に負けている(それが数ラウンド続いて、もはや良い製品を作る知見や体力に翳りが出ている)。かといって、日本に有利にビジネスというゲームのルールを変更することは、自動車などを一部を除き、多くの業界ではできなかった。

一方で、中国はアメリカが設定したゲームに乗りつつ、巧みに上位プレーヤーとなっていく術を見出している。同時に、アフリカ進出や気候問題では自らがゲームのルール作りに関与し、自国に有利にもっていこうとしている。そして作ったルールが定着するまで、大きな動きをしない辛抱強さがある。日本は戦後アメリカの統治下・影響下でそのルール制定スキルを急速に失い、いまだに復興できないでいる。それには巨視的でシステム的な考え方と、相手を知らず出し抜く巧妙さが必要だが、前者の発達は教育が妨げ、後者の発達は社会が妨げている。


日本は敗戦で智慧や技術の断絶が起き、中国も文化大革命で知識の断絶が起きたのだが、なぜこの彼我の差が生じたのだろうか。民族性や文化で片付けられるものではないと思うのだが、私にはなかなかわからない。中国人コミュニティを見ていて、4000年の歴史で変わらぬもの、変わっているものを感じ、その矛盾や断絶に興味を持つ。そろそろ日本も次の世代の国民の思想や価値観を設計する時期なのだろう。それが教育分野で問題意識の高いアントレプレナーが生まれている現象の背後にある潮流だろう。
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by flauto_sloan | 2009-02-14 11:45 | Harvardでの学び
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