MIT Sloanにて、2007年から2009年までMBA遊学していた、ふらうとです。ボストンとNYでの暮らしや音楽、そして学びを書きつらねています。外資系コンサルティング会社に在籍(社費留学)。趣味はフルート演奏
by flauto_Sloan
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学び続ける大人 - Adult Development
c0131701_2028532.jpg今学期はスローンでの授業に加え、Harvard Graduate School of Education(ハーバード教育大学院)にて、名物授業をひとつ聴講している。Robert Kegan教授の "Adult Development" という授業だ。この授業でワークショップがあったのだが、これが非常に面白かった。

キーガン教授の授業
心理学者であるキーガン教授が教えるこの発達心理学の授業の主眼は、講座名の通り「いかに大人が学習し成長するか」を学ぶことにある。「子供」と「大人」という区分で考えると、子供は学び成長するものであり、大人は既に学んでおり成長しきったものと暗に了承している。だがこれは誤りであり、大人も生涯学び続け、成長し続けるものだ。では大人はどのように成長するのか。これを知ることで、人を動かす立場に就く者や人を教育する者が、人を育て、学ばせ、やる気づけるための知識やスキルを身に付けることができる。

教育大学院でも有名な授業で、スローンのセンゲ教授のリーダーシップの授業に来ていたHGSEの生徒も、一つ薦めるならこの授業だと言っていた(実際に彼はこの授業を今履修している)。またハイフェッツ教授のリーダーシップの授業でも、キーガン教授の文献は参考資料になっているし、一緒に仕事をしたことがあるハイフェッツ教授も薦めていた。何より、チームメンバーで最も親しくなったカレンの指導教官でもある。この才女をして心酔しらしめる教授であれば、相当なものだろうと確信し、履修することにした。

私の動機は、人をどう育てるのかを知ることと、それにも増して、自分自身がどうやって学ぶべきかを知ることにある*1。この1年半でだいぶ取り戻した好奇心を、どうやってメタレベルの深い学びに結びつけ、自分自身の成長の糧とするのか、その手法が最大の関心事だ。

過去の自分と将来の自分
今日のワークショップでは、学生が年代順のグループに分かれた。20代、30代、40代、50代以上のグループごとに、7-8人程度のサブグループを作る。20代が最も多く、30代がそれに次ぐ。そして仕事や家族など成長における主要な領域について、今この歳でどういう考えを持っているか、10年前とどう変わったかを考え、議論する。そして次の年代のグループに、一つだけ質問をする。

20代は野心的で、何でもできると考える一方で、自分の不安定な立場に不安を覚える。仕事が重要で、家族を意識せず、宗教など既成の価値観に反発する。

30代は自分の価値観を再認識・再構成する時期だ。仕事の目的が「達成」から「意義」へと変わり、同時に安定を志向する。家族との関わりも、子供を持つことで親への接し方も期待も変化する。古い価値観を自分なりに解釈し、受け入れ始める。

40代は仕事にしろ家族にしろ、「これが私であり、これが私が得たものなのだ」と、自分を受け入れ、そして自分に誇りを持つ。同時に周囲に死が訪れるようになり、自らの「死」が避けられないことを理解し始める。

そして50代以上になると、人生と世界をあるがままに受容し、最期までどう前進するか、という彼岸を見つめるようになっていた。

それぞれの年代でもつ様々な問も、歳を経ることで問自体を深く理解し、自分なりの答えを見出していく、あるいは答えがないことを受け入れていく。

まさに、大人になっても学び、成長し続けていくのが人間なのだと、身を以って理解せざるをえない。最後の世代の諦念には、切なさや悲しさだけではなく、穏やかさがあった。ああして幸せに学び、歳をとっていきたいと思う。


*1 このブログで繰り返し、「学ぶことを学ぶ」と書いていると、私が学習障害にある (もしくはあった) かのように思われるかもしれない。それはある意味正しく、学問を通じて会得してきた学習のやり方が、社会に出てから適合しなくなっている部分、渡米してから適合しなくなった部分が明らかになってきた。代わりのやり方を試行錯誤しているのだが、なかなかこれという学びの技術の形が見えてきていない

もともと私は、人間の生理的・心理的特性を利用して学習のやり方を考えてきた。だがインプット中心の学習から、プロセッシングとアウトプット中心の学習へと進化すべき時期に、正しい適応ができていたのか、自信がない。コンサルティングという枠組みの中での適応が、部分最適でしかないのではないか、さらにはそこにも正しく適応していないのではないかと感じていた。それは社会活動において、なにが根底にあるメカニズムであり、人間の特性なのかを理解していないことに起因しているように思えた

まさに序文に書いたように、「焉を修め、焉を蔵す」ことから「焉を息し、焉を遊す」ようにすることが私の根本の課題であり、成長すべきところだった。そのため、この授業は私の最も重要な問に、何らかの指針を与えてくれるものだと信じ、履修することを決めた

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by flauto_sloan | 2009-02-09 20:27 | Harvardでの学び
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